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桜町幻想奇譚  作者: 里芽
おとうさんと呼ばないで
100/360

第二十四夜:おとうさんと呼ばないで(1)

 村の男はある日、家の田んぼ前で泣いている少年を見つけた。十もいかぬ程の子であったそうだ。

 男は少年の顔を見、首を捻った。何故ならその少年は村の子供ではなかったからだ。


 どこから来たのだ、親はどうしたと聞いても答えてくれない。ただ「おとう、おとう」と泣くばかり。仕方なく男はその子の手を引き、この少年に心当たりがある者を探したが、彼のことを知る者は誰もいなかった。また親らしき人も見つからず。


『おとうさんと呼ばないで』

 土曜日、晴天、十一月も終わりに近づいた頃。


 普段なら今頃『桜~SAKURA~』で仕事をしているはずの弥助は今、桜町にある、とあるバス停近くに立っていた。

 緑のトレーナーにゆったりとしたベージュのパンツ。

 口笛で吹いているのは、最近流行の恋の歌。ぼさぼさの髪を雑に束ね、あごにぶしょうひげくっつけた約八百歳のおっさんには全く似つかわしくないものである。


 彼の、たれ気味の目は今、普段以上にたれている。そのままくるくる回転しながらぽろりと顔から落ちてしまうのではないかという位に。


「弥助さん!」

 彼の名を呼ぶのは、いちごマシュマロの様な声。弥助は口笛を吹くのを止め、声のした方をぱっと見た。その時の顔といえばしまりが無く、頬は仄かに赤く染まっており、大変気持ち悪い。


 弥助が顔を向けた先には、二人の女性が立っていた。

 一人は彼の名を呼んだ……彼の想い人であり、同僚である女性――朝比奈満月。弥助がるんるん浮かれていたのは、彼女と待ち合わせをしていたからだ。

 

「おはようございます、弥助さん」

 弥助のところまで駆けてきた彼女は呼吸を整えてから、満面の笑みを浮かべて彼に挨拶する。その柔らかく、甘く、暖かな笑みに弥助は、悶絶。頭、噴火。

 噴出してくるのは幸福、愛、喜び……そういった感情だ。


(くう……! やっぱり朝比奈さんは可愛いっすね! シンプル、それでいてふんわりした感じの服装がまたその可愛さをより一層引きたてている! 可愛い、朝比奈さん可愛い!)

 いかん、あんまり悶えまくっていたら朝比奈さんに気持ち悪い人だと思われてしまうやもしれん、とどうにか心を落ち着け。


「おはようございます、朝比奈さん、田村さん」

 そう。弥助が待ち合わせしていた相手は満月だけではない。

 彼女の隣に立っているもう一人の女性。短い髪の、パンツルックがよく似合っている。長髪にロングスカート姿の満月の隣にいると、何だか男っぽく見える。単体で見るとそうでもないのだが。

 田村さんと呼ばれたその女性はにこりと微笑みながら挨拶する。


「こんにちは、庄司さん」

 庄司というのは弥助の名字だ。といっても妖である弥助には本来、名字など無い。だが人間の世界で暮らすにはあった方が良いと思い、自分で勝手につけ、名乗るようになったというわけだ。

 この庄司、というのは童謡『(しょう)城寺(じょうじ)の狸囃子』の証城寺をもじったものである。狸の自分にふさわしい歌からとったのだ。


 三人、バスが来るまでの時間を適当にお喋りしながら待っていた。といっても殆ど喋っているのは満月と田村――名前を瑠璃(るり)、という――で、弥助はあまり会話に加わらず、楽しそうに喋っている二人を愛娘、或いは妹でも見るかのような……そんな優しい目で見ているだけだった。


「満月とこうして買い物にでかけるのって久しぶりよね」

 土日祝日位しか休めない瑠璃と、土日祝日というのがあまり関係ない仕事に就いている満月。なかなか予定は合わず、せいぜい満月の働いている喫茶店に瑠璃が寄り、そこで話をしたり夜お互い仕事が終った後飲みに行ったりする、ということはあるが、こうして一日丸まる一緒に行動する機会というのは滅多に訪れなかった。


「確か今日はマスターが私用で出かけることになって……その関係で、お店が休みになったのよね」

 ええ、と満月が頷く。


 土曜日が休みになることを知った満月は親友である瑠璃と遊ぶことに決め、彼女を誘った。特に用も無かった瑠璃は喜んで誘いを受け。そして今日に至る。

 そんな場に何故弥助がいるのか。答えは簡単だ。


 特に会話に参加せず、二人の様子を見ていた弥助のがっちりとした右腕を、満月がちょんちょんとつつく。愛しい人の指、温もり、それが一瞬で弥助の体中を駆け巡った。赤面する弥助の顔を、満月が不安そうな目で見つめている。

 上目遣い、超可愛い。弥助はそんなことを思いながらどうしたんすか、と彼女に尋ねる。自分では平静を装ったつもりだったが、そう言った彼の声には平静のへの字も無い。


「あの、弥助さん……ご、ご迷惑ではありませんでしたか。折角の休日なのに、その、買い物に誘われたこと……」

 弥助があんまり会話に参加しなかったものだから、不安になってしまったのだろう。しかし彼は楽しくないから会話に参加していなかったわけではない。

 単純に、親友同士の会話に割って入るなどという野暮なことをしたくなかっただけなのだ。一応気をつかったつもりだった。


「そんな、迷惑だなんて! むしろ歓迎っす、大歓迎、超歓迎っすよ! 誘われた時も言いましたが、丁度色々買いたいなとか思っていたところだったんすよ、ええ!」

 首を振り、手を振り、大声で自分の気持ちを主張する。……色々買いたいと思った、というくだりは嘘であるが。


「むしろ二人の方が迷惑なんじゃないかって思っている位っすよ。折角親友同士で過ごせる時間に、あっしみたいな部外者が入り込んじまって。申し訳ない限りっす」

 これは本音だ。彼女に誘われた時も彼はそう思った。……にも関わらず、彼女の申し出を断らず、むしろ手をあげ必死な形相を浮かべ「はい、はい、勿論行くっす!」と何が何でも行く、行きたいというアピールをしつつ、受けてしまったのだ。愛が遠慮を上回ってしまったが為に。

 今度は満月が首や手を振る番だった。またその様子が可愛らしい。二十六の娘とは思えない可愛らしさである。その仕草に弥助の胸の鼓動は高鳴るばかり。


「そんなことありません! こういうのはより大勢で行った方が楽しいですし、瑠璃もそれで良いって言っていましたし!」


「そうですよ、庄司さん。私全然迷惑だなんて思っていませんよ。思っていたら、満月の提案でも拒否していましたよ」

 必死な満月と弥助の様子に苦笑しながら瑠璃が言った。

 そうかい、そりゃ良かったと頬をかく。


 とりあえずその件は解決。


 それから少しして来たバスに乗る。満月と瑠璃が一緒に座り、弥助はすぐ後ろの席に座った。車内には意外と人が乗っている。特に高校生らしき人達が多い。

 

「ああ……そういや、今日確か三つ葉高校で文化祭があるんだっけか。この前紗久羅っ子が言っていたっけ」

 このバスは三つ葉高校近くにも行く。全員がそうというわけでは無いだろうが、その文化祭へ行く者が多く乗っているのだろう。


(三つ葉高校に友達がいるんだろうな。結構多いからな、あの高校に進んでいる桜町出身の人間って)

 桜町には高校が一つしかない。しかも工業高校。ゆえに殆どの生徒は隣接した街にある高校へ通う。残りはもう少し遠い所へ行くが、それはほんの一握りである。

 

(まあ、あっしには関係の無いことっすがね。いやあ、幸せっすねえ……私服姿の朝比奈さんと一日中一緒にいられるなんて! というか今日のあっし、両手に花状態っすか?)

 一人心の中で勝手に盛り上がり、テンションMAXな弥助であった。


「そういえば弥助さん、今日こういう所に行きたいという希望はありますか?」

 そんな弥助に前の席に座っていた満月が話しかけてきた。

 

「あ、いや、特に無いっすよ。二人が決めた所についていくっす。買い物したいな、とは思っていましたが具体的に何が買いたいというのは無いものですから」

 実際、買い物などどうでも良いのだ。ただ満月と一緒にいられれば、そして満月と瑠璃が親友と過ごす時間を楽しんでくれればそれで良かった。


「そうでしたか……もしどこか行きたいところ思いついたら、遠慮なくおっしゃってくださいね」


「ありがとうございます」


「あ、そうだ、瑠璃。帰りに貴方の恋人さん、紹介して」

 

「はあ!?」

 瑠璃と、弥助が同時に叫ぶ。瑠璃の顔は席に隠れている為、弥助の座っている所からはよく見えなかった。だが相当動揺していることは、声によく現れていた。


「へえ、田村さんって彼氏がいたんすか」

 初耳であった。


「ち、違います! もう満月!」


「だって瑠璃ったら最近、会う度その人の話をしているじゃない。夏祭りの時も一緒だったのでしょう?」


「それはそうだけれど、でも、あの人は違うの! 誰があんな幽霊みたいな男」

 必死に否定しているところを見ると、実際その男とは恋人でもなんでもないのだろう。しかし、声から察するに男のことを憎からず想っているようだ。

 何のかんのいって、いい感じに進んでいるのではないかと弥助は思い、にやにやする。自分に向けられる思いには鈍感であるが、自分に関係が無いことに関してはそれなりに鋭い弥助だった。


「庄司さん、にやにやしないでください!」

 見えていなくても、弥助がどういう表情を浮かべているのか分かっているらしい。瑠璃が声を荒げる。弥助は小雪を思い出しながら、にやにやなんてしていませんよと言い、笑う。


 バスは程なくして三つ葉市につき、三人は街の中心部にあるバス停についた時、バスから降りるのだった。


 まずは三つ葉市の中でもトップクラスの規模を誇るビルに入り、店をぐるりと回る。そして気になる店があれば、入る。

 入った店の殆どは女性服専門店であった。二人共これからの季節に着る為の服を色々買いたいのだそうだ。弥助もその大きな体をちょっと小さくしながら、店に入っていく。買うものは特にないから、二人についていき、彼女達がそこらにある服を手にとり、きゃいきゃい言っているのを横で聞いている。


 時々、二人が弥助に意見を求めることもあった。弥助はあまりファッションのことが分からない。それゆえあまりちゃんとしたことは言えなかったが、二人はそれでも充分満足している風だった。


「瑠璃もたまにはスカートとか、どう?」


「いやよ。そういうのは満月が履いていればいいの」


「短いスカート履いて、彼氏さんを悩殺」


「だから彼氏じゃないっての!」

 店内中に響き渡る声。気まずくなり、俯く瑠璃。そんな彼女の顔は真っ赤だ。


(田村さんって典型的な弄られタイプっすよね)

 冗談にすぐ反応し、全力で言葉を返す。その反応がまた、良い。もっと弄ってやりたいと思うようなものなのだ。満月曰く、彼女は昔からこうであったらしい。

 やがて顔をあげ、頬を膨らませながら満月を睨む。満月はそれを見てくすくす笑った。


 そんな風なことを繰り返しながら、二人、服を吟味する。


(お、この服可愛いっすね。朝比奈さんが着たら……うお、やべえ)

 目にとまった服と、満月の姿を合成し。完成した姿に一人勝手に悶える。

 それに気づいたらしい瑠璃が弥助の見ていた服を手に取り、満月に渡した。


「これ、満月に似合うんじゃない? 試しに着てごらんよ」


「あ、可愛い。そうね……ちょっと着てみようかしら」

 近くには試着室。彼女は瑠璃が渡した服を手に持ち、その中へ入って行った。

 瑠璃が弥助を見、ウインク。弥助は親指たて、グッジョブと小声で。


 無言、しばらくして弥助が口を開く。試着室の向こうにいる満月に聞こえぬよう、小さな声で。


「良い仕事をしてくださいましたなあ、田村さんや」


「いえいえ庄司さんこそ。あの服はなかなか満月に似合うと思いましてよ? ふふ、今頃試着室の向こうで満月は今身につけている服を脱ぎ」


「あ、こら、想像させるな! あっしの鼻から赤いものが出ちまう」


「ふっふっふ。庄司さん、満月はほわわんとしているから、ちゃんと口に出して言わないと、思いは通じませんよ。……告白、しないんですか」


「あはは……」

 瑠璃の問いに弥助はただ、笑うだけだった。


 更に瑠璃が質問をしようとしたところで、カーテンがしゃっと開く。

 その向こうには弥助が想像した通り、いや想像以上の姿があった。


「ど、どう……似合う?」


「似合う似合う、ものすごく可愛いじゃない。ねえ、庄司さん」


「そ、そそ、そうっすね!」

 上擦る声。


(可愛い、朝比奈さん超可愛い! あ、やばい、耐えろ、耐えるんだ。こんな所で鼻血など出すわけにはいかん!)

 満月は照れながら再びカーテンを閉め、元の服を着て戻ってきた。その手に持っているのは先程試着した服。それを彼女は売り場に戻さず、カゴの中に入れた。どうやら、買うらしい。


 それからも二人はプチファッションショーを始め、幾つかの服をカゴに入れて精算する。

 ああ、今月超貧乏確定だわ、と言いつつも彼女達の顔は晴れやかであった。

 満月、そして瑠璃の色々な姿を見ることが出来た弥助もまた幸せな気持ちでいっぱいであった。にやにやが止まらない。その顔が本当、全くもって、非常に、気持ち悪い。


 弥助はその後、二人を連れて男性服専門店に入った。これといった服が無いし、値段もそこそこするし、さっさと出るかと思ったら。

 ジャケットやら何やら色々抱えた満月の期待に満ちたきらきらした瞳に囚われ。試着の末、幾つか購入。吹き飛ぶお札たち。


(しかし、朝比奈さんにあんな目で見られたら、買うしかないじゃないっすか! 朝比奈さんがあっしの為に色々選んでくれた……ああ、そう思うと軽くなった財布も愛しく思える)


 洋服入りの袋を抱えながら、雑貨屋、アクセサリーショップ諸々を回っていく。お金が無い、もう無い、無理、等と口でいいつつ次々と購入していく満月と瑠璃。弥助もちょくちょく、買う。

 

「いやあ、やっぱり楽しいわね、買い物!」


「本屋では何も買わないだろうと思っていたけれど……結局、色々買っちゃった。面白そうな料理の本を見つけて……あ、弥助さん。今度このレシピ見て作ったものをお持ちいたしますね」


「ありがとうございます! 朝比奈さんの手料理、楽しみっす」


 そのビルを出、次に目指すは映画館。


「見たい映画があるんです。とても優しくて、感動するストーリーだそうですよ」

 満月が見たいと行った映画を仲良く見た。三人でポップコーンをもぐもぐしながら。

 二時間ほどのアニメーションで、子供から大人まで(どちらかというと大人の方が)楽しめる内容のものであった。

 優しい色使いのアニメで、優しく、それでいて少し悲しい……美しい物語。

 風景の美麗さや、声優の演技がストーリーに深みを与え、そして見る者の心をごおうん、ごおうんと響かせる。


 感動のラスト。館内から聞こえる鼻水をすする音。その音をバックコーラスにして流れるED。物語によく合う、心にじいんと染み渡る優しい歌声がますます人々の心を揺さぶり、涙腺を緩めるのだった。

 今回の上映、今回この劇場にいた観客の中で一番泣いていたのは。


「くう、なんて良い話なんだ……これ作った人は天才っすよ!」

 弥助であった。がたいのいいおっさんが、おいおいと泣いている姿は少々異様で、映画を見ても涙一つ流していなかった子供がそれを見て泣き出す事態が起きた。……そのことを弥助は知る由も無く。というか周りの様子など全く見えていなかった。その壮絶すぎる泣きっぷりを間近で見た満月と瑠璃の涙は自然と引っ込み。


「何かすごいわね、庄司さんって……」


「はい、弥助さんは情に厚く涙もろい……そんな優しく素敵な方なのですよ」

 愛しい人のそんな褒め言葉も、今の弥助の耳には全く届いていなかった……。


 弥助が泣き止むのを待ってから、映画館を出る。次はどこへ行こうかと色々相談しながら。


 自動ドアをくぐり抜けた途端、耳に入ってきたのは子供の泣き声であった。

 見れば正面にある植え込み前に少年と、女の姿がある。


 女は見た目、満月や瑠璃と同じ位。困り果てた顔をしながら目の前にいる子供に色々話しかけていた。

 子供は十もいかぬ位の子で、黄色の着物を身につけている。髪はおかっぱ。

 親子、という風ではない。二人の顔は全く似ていないし、女の話し方も他人行儀であった。


「ありゃ、迷子か?」


「それにしても変わっているわね。着物姿なんて……」


「確かに……」


 ぎゃあぎゃあ泣き喚いていた子が、ふと泣きやみ。しゃがみながら必死に離しかけ続けていた女から視線を逸らす。そしてくりくりとした愛らしい二つの目を、弥助達に向けた。

 小さな口をぽかんと開け、やがて彼は三人の方へ向かって駆けてくる。

 何事だと思う間も無かった。


 少年は真っ直ぐ弥助の所まで来て、そして彼の足にがしっと抱きついてきた。

 女と、隣に居た満月と瑠璃がぎょっとしながらその様子を見る。


 弥助と、少年の目が合う。

 少年の顔がぱっと明るくなり。


「おとう、おとう!」

 そう、彼は、叫んだ。

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