◇ 07 衣食住
イェルはまず、わたしに服を数着くれた。白を基調としつつちょっとした装飾の入ったどことなく教会シスターっぽい衣装を一つと、動きやすさを重視した感じの質素な白い服を適当な数。まぁ下は質素で動きやすいとはいいつつロングスカートとかだったけど。
シスターっぽい衣装は室内用で、遺跡にいるときはこれを着るといい、と着てほしそうにいっていた。わたしは素直なのでとりあえずそれを着ようとしたが、どうせすぐに食料を取りに行くのだからと言われ質素な白服とロングスカートを着ている。あぁやっとまともな服装にできた。人権を一つ一つ取り戻しているような感じがする。イェルが一気にそれらを与えてくれているので感謝してもしきれない。
あとで魔法を教えてやるから自分できれいにしろ、使えないようだと自分が不快なだけだぞ、とか言われた。……イェルは教育者としては実践派らしい。しかし何から何まで面倒を見てくれるっぽくてありがたいな。
住む場所としては遺跡の片隅をくれた。これは本当にただの部屋で、ほとんど何もない四角い部屋だったけれど、なんとベッドがあった。正確にはベッドだけあった。思わず手で確かめた感じはふっかふかで土とは比べ物にならない。土と比べること自体失礼だけどさ。
とりあえずその部屋のベッドの上に、くれた服を置いてきて、そして今。
わたしとイェルは遺跡の入り口にやってきていた。
ちなみに来るときにぽたぽた落ちていたわたしの血痕はイェルが逐一消していた。ごめんなさい。
「そういえば、オオカミがいないけど……これも魔法?」
「ああそうだ。ちょっと脅せば魔物でもない動物など逃げるだけだ」
何でもないことのようにイェルは言うが、つまりそういう、脅すような魔法もあるということだ。どんなのだろう。炎とか電気とかかな? それとも光球とかそういう感じ?
「ロクシー、お前も最低限の護身ができる程度には魔法を覚えたほうがいいぞ。生きていく気があるならな」
「うーん……使えるようになればいいけど」
わたし、これでも日本人だし、あの世界に魔法なんてたぶんない。あったら科学とかと同じように研究されてるはずだよね。だから使えるか結構不安だ。
「そのまえにまずはお前が食べるものを教えてやろう。正確にいえばこの森で食べられるものだ。魔法が使えるようになればお前を傷つけた犬くらいなら狩って食べられると思うぞ。あれは毒持ちであまりおいしそうではないが」
「犬……は食べたことないしあんまり食べる文化も知らないかな。なくはないけど。あれって人間的に言うと家畜化して狩りとかに使ったほうが便利だからかな? 馬とかと同じようにさ。馬とかって移動とか農耕の労働力として使ったほうが便利だもんね。まぁ死んだときに食べるとかはあるだろうから、緩やかに食べる文化は根付くだろうけど、その場合あんまり積極的に食べはしないだろうし」
「ああ、それはありそうな理由だな。……ロクシー、お前賢いのだな」
そんなこと初めていわれた。日本での記憶は、無駄なことばっか考えてるな、とか言われていた記憶しかない。読書とか好きで知識を集めても、みんなその内容のことを話すとつまんないって感じの顔をするんだよね。教師ですらそうだったのはどうかと思う。まぁ今更だけど。
「わたしのは思い付きを当て推量で話してるだけだから、たぶん半分以上間違ってるよ」
「そうか。だが私は面白い。思いついたことはどんどんしゃべってくれ」
「いいけど……話半分で聞いてよ? 本当に間違ってると思うし」
わたしがいうと、イェルは分かってる、と呆れたように答える。でも重要なことだ。変に信じられてあとで嘘つきだとか騙されたとか言われたりすると嫌だし、こっちも別に嘘をついたり騙したりしたいわけじゃないのだから。
さて、気を取り直して遺跡の入り口だ。
遺跡の入り口はちょっとだけ開けている。相変わらず平らな地面に、簡素な石造りの門のような入り口があるだけだ。ちょっと見た目はさみしいかもしれない。
森の方はというと、特に特筆するような部分もない。三日間くらい嫌になるくらい見た森だ。あ、イガどんぐりがある。あとで食べようかな。
そういえばイェルの服装もちょっと変わっていた。といっても、長い袖がなくなって普通に掌が見えるようになっているだけで、わたしと違って動きやすそうな格好ではなかったけど。でも袖が普通の長さになっているだけでもなんとなく印象が違うものだ。
「さて。曇っているうちに森の中に入るぞ」
イェルに言われて、一緒に森の中へと歩を進めていく。
ちなみに靴ももらった。これも簡素な革靴? のようなものだったけど、また一つ私の慣れ親しんだ人間らしい生活を取り戻してうれしい。歩くたびに足の裏が痛くならないことがうれしくて走り出したくなる。イェルがいなかったら走り出してた。
少し歩いたところで、例の偽サクランボが見えてくる。
イェルはそちらに向かってすたすたと迷いなく、……って、え、まさか?
わたしの疑念をよそに、イェルはいう。
「これは魔法の木とかルナの木とか呼ばれている木だ。あとはクパの木だったか。果実はクパの実と呼ぶことが多い割に別名が多いのはよくわからんな」
「……それだけ人に親しまれているってことじゃないかな?」
「ああ、そういう意味なら親しまれているだろうな。名前からわかるように魔法関連でも用途があるし、何より甘くておいしいしな」
「甘くておいしい!? その実が!?」
信じられない! その実、この世のものとは思えないほど苦かったよ!?
ありえない、それは想像を絶するほど苦渋の味がしたと全力で伝えると、イェルはまた笑う。
「ふふっ、お前、これを生で食べたのか? そりゃあ…………って待て、苦くて渋かっただと?」
イェルがちょっと怪訝そうな顔を表情になる。
「あとで遺跡でお前の身体を調べるぞ。付き合えよ」
「いいけど……生でってことは、焼いたら甘くなるの?」
体調べるとかより、そのそこら中になってる実がおいしく食べられるというのならものすごく興味がある。しかも甘いって。甘いって!
「焼いてもまぁそこそこ食べられる味になる。が……」
イェルがすっと手を前に出す。と、ひとりでに上からぽとり、と赤々とした偽サクランボ――クパの実が一つだけ落ちてきた。イェルがそれを軽く握って開くと、
「うわ! 色が変わった! 手品? ……いや魔法かな? 魔法だよね?」
赤かった実が鮮やかな黄色、つやつやしてて黄金ともいえるかもしれない。黄色のリンゴって黄金のリンゴとか言うよね。あんな感じに変化していた。
わたしの興奮した質問に対して、イェルは楽しそうに答える。
「こうして色が変わるまで魔力に浸すと甘くておいしくなる。……食べてみるか?」
「食べる! 食べるます!」
ほれ、と渡された黄色い実を躊躇なくそのまま口に入れる。イェルがそれを見て驚いたようにした後、ふふっとふき出すように笑う。……笑う?
次の瞬間、
「―――にっっっが!」
ぺぺっと吐き出す。……騙された! あの苦くてえぐくて焦げた味が、むしろ強烈になっていた。ついでにものっすごく辛い。ハリセンボンってこんな味だったりしません? あれわたし何思ってるの? ―――とりあえずかけらも甘くない!
わたしは精一杯抗議の意思を込めてイェルをにらむ。イェルはそれでも楽しそうに口を手で軽く隠しながら笑っていた。思わず、
「騙された!」
「騙してはない。ただちょっと言葉が足りなかっただけだ。正しく言うなら、『自分の』魔力で実を染めると甘くておいしくなるのがクパの実だ。早く魔法を覚える動機ができたな?」
「そういうのは騙したっていうから! もう……」
「謝るよ。ただ染めるという調理法は最も便利な調理法だからな。多くの毒を消し去る上に、たいていの場合は味もよくなる。できるようになっておくといいぞ。人間社会でも結構重宝されているようだしな」
染める、という調理法といわれると違和感あるね。焼く、煮る、揚げる、染める、茹でる。いや調理法じゃないでしょ! って突っ込みたくなる。
「試しに頑張ってみるか? ほら、手を出せ」
イェルに言われたとおりに手を突き出すと、上からまたぽとりとわたしの手にクパの実が落ちてきてつかみ損ねて地面に落ちた。……わたしはジト目で見てくるイェルの視線を華麗にスルーして地面から赤い実を拾い上げた。
ぐっと握りこんで開く。
「変わってない……」
「最初からそんなにサクッとやるな。魔法を使った記憶すらないのだろう? これも魔素を操るという意味では紛れもなく魔法の一種だぞ。もうちょっとこう、身体の中の魔力を意識してその実に叩き込むような意識くらいしてみろ」
「身体の中の魔力、ね…………」
そういうのは得意だ。だって動きもしない身体に張る神経を意識して動かそうと努力してたからね。まああれは結局最後まで動かせはしなかったけど……でもほら、妄想で動かしてた身体とか結構楽しかったし想像の強度も結構強かったと思う。
とか適当に自分を説得して、魔法は使えるに違いないと信じさせる。やっぱりほら、魔法とかそういうのって信じる力が大事だと思わない? 少なくともわたしの知ってる物語とかはそうだったし、神話とかだと力を疑って失うとかよくあるパターンだしさ。神とかそういうのは疑うと離れていくものなんだよね。わがままなことに。
身体の隅々にまで意識をいきわたらせてから、そこに無形の魔力が満たされていることを想像して、その魔力をすべて集めて一気にクパの実に叩き込む。
―――さんざん不味い思いをさせやがって!
私怨こみで思い切り魔力の流れを妄想してやって、握りこんでいた掌を開く。するとそこにはなんと黄金のクパの実が。すごい、本当に黄金色に輝いてる! やった、これたぶん初めてでうまくいっ―――
パンッ!
はじけ飛んだ。え? 何、どういうこと?
わたしは飛び散った果実と果汁でちょっと汚れた顔をぬぐう。あれ、そういえばクパの実ってこんなに水っぽかったイメージはないけど魔力でこうなるのかな?
とりあえずなんか爆発したんだけどどういうこと? という疑問の視線をイェルに向ける。イェルのほうはというと、いつの間にかわたしのほうへ手を向けていた。驚いているような、感心しているような、納得しているような、そんな表情……要はわたしにはよくわからない表情だった。わずかに開いた口は驚いているようにも感心しているようにも見えるし、そのあとにちょっと目を細めたり口を閉じたりしたのは納得にも思える。あぁわたしの表情を読む力はさび付いてるのは分かってるけどさ。
って、あれ?
かくん、と糸の切れた操り人形のようにその場にくずおれる。
足腰が立たない。ぎりぎり腕は動くけど、オオカミに追いかけられたときみたいにぷるぷる震えて力が入らない。身体に動かす命令を拒絶されているような感覚は、植物状態を否応なしに想起させて背筋が凍る。
「えっ、と……―――かふ、げほっ」
イェルに何が起きたか聞こうとしたところで、吐血した。思わず左手で抑えて、……また血で汚れた。てらてら蠢くような血液は、オオカミに追われた時のような興奮状態でもないと気持ち悪い。トライポフォビアっていう、俗にいう蓮コラとかに対する恐怖心に近い感覚だと思う。わたしは別に蓮コラに耐え難い不快感は抱かないけどさ。
「ロクシー、お前……そんな全力全開でこんな小さな実に魔力を注ぐとは思わなかったぞ。私が抑えてやらなかったら怪我してたはずだ。ちょっと考えればわかりそうなものだが……いや、まぁいい。とりあえずこれを食べろ」
イェルが呆れたようにしてわたしに差し出したのは、イェルが新しく染めたらしいクパの実だった。
えっと、自分で染めないと苦いんじゃないんでしたっけ?
「魔力を回復させるために食べておけ。うすうす感じていたが、その吐血を見るに、お前の身体は魔力にかなり依存しているらしいからな」
「…………ほとんど噛まずに飲み込んじゃっていい?」
ほら、薬だと思えばそれで行けそう。
わたしの質問に、イェルは別にいいと答えた。それならたぶんいける。さすがにビー玉くらいの大きさの実を一飲みはつらいだろうから一回くらい噛むとして。
正直身体がいうこと聞かないのはものすごい怖いので早く治ってほしい、という一心で黄色い劇薬を口に入れて、一回だけ噛んで即座に飲み込む。うぅうう、ひどい味…………あ、でもさっきよりひどくない。具体的には辛くない。なんでだろ。自分の魔力じゃないとだめとか言ってたから、イェルがちょっと気を使ってくれたのかな? ほんの少しだけ、イェルに毒を盛られたかなとか思ってたのが申し訳ない。
というかこの体、魔力とかいう謎物質? が切れたら吐血するような身体なのか……まぁ逆に言えば魔力とやらが切れなければ動くって便利な気がしない? 少なくとも植物状態よりは便利だよね。もしかしたら普通の身体よりも便利かも。
とにかく早く身体を動かしたい一心で、飲み込んだ果実を目を閉じて意識する。
ほら、クパの実に魔力叩き込んだときの感じが魔力の流れなら、逆に取り出すこともできそうじゃない?
というわけで集中してみると、確かにクパの実が濃縮されてドロッとした魔力を持っている気がする。別に視覚的にはっきりと見えてるわけじゃないけど、わたしの想像だとちょうどシュリーレン現象みたいな感じ。ほら、塩とか砂糖とかを水に溶かした時にゆらゆらするあれね。
塊じゃなくて揺らめいているほうを、全身に送り出す―――とかやっていたらふいにイェルに抱き上げられた。
「ひゃ! なに!?」
「回復するまで待つのは面倒だ。先に戻ってお前を調べる準備をするぞ」
「す、すぐ回復するから!」
「それを待つのが面倒だといっている」
わたしが慌てて回復させた左手をバタバタさせたが、イェルは特に取り合う気がないようだ。俗にいうお姫様抱っこだけど……重くない? 大丈夫かな? というかこれ、別に異性にやられてなくてもちょっと恥ずかしいね……しかも見た目は華奢な女性だし……。
さすがに足とかバタバタさせて抗議するほどでもないので、がまんしてわたしはイェルに運ばれる。というかまだ足はバタバタできないんだった。
なるべく早く身体が動かせるようにしたいという一心で、わたしは目を閉じて魔力をクパの実から引き出すのだった。