◇ 06 初めての会話
次に目が覚めた時、わたしは冷たい石畳の上だった。
熱っぽい体を起こしてふらふらと周囲を見ると、意識を失ったときと同じ場所のようで、ただし石の扉が復活している。……もしかしてあれ、時間とかで勝手に戻るのかな。凝った作りだね。
(あれ、というか左手痛くない……て!?)
怪我で意識を失ったのだから当然の疑問は、二の腕を見たところで驚愕に代わる。
傷がきれいさっぱり消えていた。
正確に言うと傷の周りがきれいに元通りになっていて、二の腕より先のほうには流れて固まった血液がついたままだった。……血液が固まってるってことはあれから結構時間がたったのかな。とか思いながら左手を握りこむと、ぱりぱり、と音を立てて固まった血液がぽろぽろこぼれた。
右手できれいになっている二の腕をさする。
感覚もある。引っかかれて噛まれた後すら残っていない。
……治療するにしてもこんなきれいになるかな? しかも時間がたっているとはいえ、血の凝固の具合を見る限り一日もたってないよね多分。まだ間接の部分とかべたっとしてるし。そんなことってあり得る? はやりの幹細胞とか? いやいやいやいや。
というか誰が治療してくれたんだろう?
周囲には誰もいない。気配もしない。
ただ奥に続く廊下が、壁に埋め込まれた水晶型の蛍光灯でぼんやりと照らされているだけだ。
わたしは立ち上がる。
なんとなく自分の体の様子を見ると、土とか血液とかのしぶきが飛び散ってて、お風呂に入りたい気分だ。お風呂ないかなぁ。
とりあえず、しまった扉をもう一度開けるのは、外でオオカミが出待ちしてたりすると嫌なので奥に進んでみることにする。治療してくれた? 人とかがいるかもしれないし、お礼くらいはしたいし、あわよくば助けてほしい。
そんな感謝と打算を半々に胸に抱えつつ、一歩を踏み出したところで、
『おい、お前。待て』
こもったスピーカーみたいな放送が、廊下に反響する。
わたしはぴたりと足を止め、一応軽く周囲を確認してから次の言葉を待った。
『聞き分けがいいな。……さて、まずはそこで私の質問に答えるがいい』
「ええと……はい」
口調はすごくきっついけど、敵意みたいなものは感じない。声が女性っぽいというのもちょっと安心材料にはなるかも、とか思いつつわたしは答えた。
『ではまずお前はなんと呼べばよい?』
「わたしは……呼ぶならロクシーでいいですよ」
聞かれたことに素直に答える。
……素直に答えたのに、なぜか沈黙が続く。あれ、もしかしてこれ答えるの変だった?
というか待って、この人日本語しゃべってるよね? しかも日本語わかってくれてるよね? ってことは日本人? うわ、これすごく運がいいんじゃない?
『そうか。ではロクシー、お前は何が目的でこの遺跡に来た?』
「目的……すみません、オオカミに追われて怪我してて逃げてきたんです。部屋の中なら安全かなって」
『逃げてきた……? この遺跡にか?』
不思議そうな声。……というか、ここ遺跡? まぁ確かに遺跡っぽいけど……だとしたら血で汚したこと怒られたりするかな……。
「ごめんなさい、ダメでした?」
『いや……いい』
何かをごまかすように短い返答が響く。
『では、お前はどこの国の人間だ? さっきから聞いたことのない言語だが』
「え? 聞いたことないって……今、日本語しゃべってますよね?」
『ニホンゴ? なんだそれは。それとこの音声は、自動翻訳しているだけだ』
いやいやいやいや! 日本語でそんなこと言われても意味わかんないよ! と思た直後に自動翻訳! 自動翻訳ってこんな精度高いっけ? いやわたしが寝転んでる十五年で発達したと思えば自然かな? ほらディープラーニングとかいうやつとか人工知能がどうとかよくテレビでやってたし。というかまぁそもそも転生とかそういうのだったら関係ないか。
あ、でもこれが転生とかだと話はややこしくなるなぁ。
まぁわたしの心はまだ日本人のつもりだし、知識もそうだし、日本人と答えてしまおう。
「え、っと…………とりあえずわたしは日本からきた、日本人です。こんな見た目ですけど」
『聞いたことのない国だな。どこにある?』
「その前に、ここ、国でいうならどこですか?」
『ここか? ここは神聖ザナブレボス教国と呼ばれているらしいが……なるほど、お前は事故にでもあって記憶喪失にでもなったか』
ザナブレボス教国? ……聞いたこともない。まさかわたしが寝てる間に……というのもないと思う。さすがに国が増えたりしたらテレビで触れるよね? 下の階のテレビ、結構大音量で十五年間聞いてたけどそんな話なかったと思うし。
ということはやっぱりわたし、転生とかしてるのかな。夢でない限り。
「それなんですけど―――」
わたしはいっそのこと、と思い切ってわたしの主観で起きたことをすべて話した。 ずーっと植物状態で寝ていたと思ったら、突然この体で目が覚めて、この森で数日生き延びてここに来たことを。
途中で声の主は口をはさみかけて自分で自制していた。まぁ確かにこういうのって一気に聞いてから質問したほうがいい時とかあるよね。わたしもそう思う。
わたしが話し終えてから、
『転生……? そんな、荒唐無稽な…………』
すみません、わたしもそう思います。
『まぁいい。お前が転生した人間であるにせよ、精神病にせよ、事故で偽の記憶を持っているにせよ。いずれにせよお前は身寄りも居場所もなければ服すらない状態で行く当てもないのだな?』
「そういわれるとすごくひどい状態に聞こえるけど……そうですね」
『食べ物と、寝床と、服をくれてやる。ここで暮らすか?』
「ええっ! 本当に? いや本当ですか!? …………でもなんで……」
願ってもない申し出にわたしは飛びつく。でもそれだと相手に利益がない気がして怖い。気づかないうちに何か利益を得られたりするというのは基本的に恐ろしいことだと思う。損失と気づけない損失は、たいてい気づいた時には手遅れのものばかりだから。
『気まぐれだ。が……そうだな、この世界で生きるすべを教えてやろう。嫌になったら出ていくがいい』
んー……あんまりわかりやすい答えではない。
でもどうかな。善意な気がする。会話こそしていなかったけど、十五年間わたしは聴覚だけでいろんな人の声を聴いてきた。多少なりとも判別が正しいといいな。
それにどうせわたしに選択肢なんてほぼない。騙されてひどい目にあっても、最悪死ぬだけだ。だったら大して怖いことなんてない。
「ありがとうございます! あ、そういえば左腕の怪我もきれいに治してもらったみたいでそれもお礼を!」
『怪我……? それはお前が直したのではないのか? そのために安全な場所が欲しくて逃げてきたのだと思っていたが違うのか?』
「え……?」
わたしが思わずよくわからないよ、という意味のつぶやきをすると、ふむ、とか何とか言って何かを考えだしたようだった。
しばらくして、
『そちらに行こう。あと、そうだな、×××××、×××××―――』
いきなり意味不明な音声が流れだす。英語っぽいような、イタリア語っぽいような、そのどれでもないような異国の言語。
自動翻訳を切ったのだということは分かるけど……何のために?
せめて何語かわかるように頑張って聞き取ろうとする。子音と母音がペアになるような日本語とかイタリア語とかとは違ってやっぱり英語っぽいかな?
とか考えながら聞いていると、ずきっ、とした頭痛の直後、
『―――てもいいんじゃないか? ああいやもしかしてきちんと意識的に聞き取ろうとしてないのか? 翻訳能力なんて全員に備わってるのだから意識すれば聞き取れるなんて当たり前だと思っていたが、お前は転生などと言って記憶があいまいだったな。仕方ない、一度元に戻して―――』
すごい。なにこれ。
ぜんっぜん知らない言語が、勝手に頭の中で翻訳されたように意味が分かる。そんなことってあり得る?
聞き取った感じ、わたしの反応を待っていたようなので答えておくことにする。
「あ、えっと、聞き取れました」
『―――説明してから―――そうか。手間が省けてよかった』
声の主は一言だけ残して、ぶち、と音声を切った。マイクを切ったんだろう。
わたしはそれからしばらくその場で待った。
転生かぁ……転生。
そういうのって伝説とかでは聞いたことあるけど、まさか自分がそうなるとは思っていなかった。というかそんなこと期待する人間は頭のねじが吹っ飛んでるに違いない……ってこともないか。宗教とかで死後の世界があるパターンは、要は死後の世界への転生だともみなせるしね。
それにしてもどんな世界なのだろう。
少なくとも人はいるっぽいし、マイクとかあるなら結構文明も発展してそうだ。
あ、もしかしてこれタイムスリップとかだったりするかな? 未来か過去か。ほら、最終戦争後の荒廃した世界とかだったら知らない国があってもおかしくないしさ。
あと魔法とかそういう少年少女向けの小説みたいなものがあったりして。そもそも転生だよ? 転生とかあるなら魔法くらい朝飯前感があるよね。物理法則とかどうなってるんだろ。
そういえば名前訊くの忘れたなぁ。なんて言う人なんだろ。少なくともこの遺跡? の主か関係者っぽいし、面倒を見てくれるとか言ってるし、悪い人じゃないといいなぁ。わたしの見る目は十五年ぶりだけど、聞く耳は一応ほかの人より発達してたり……ってこの体がどうかはわかんないか。
なんてことを考えていたら、かつかつ、と反響する足音とともにまっすぐ伸びる廊下の奥から人影が近づいてきた。
その人影が近づくにつれて容貌が見えてくる。私は思わず、
「かわっ…………きれい」
とつぶやいた。
いや本当にかわいい。
可愛すぎてずるいくらいだ。何あれ、派手ではないけどフリル付きのゴスロリ? っぽい服に、ふさわしいような人形のような容貌。腕が見えない、俗にいう萌え袖? になってるのはあざとすぎないですか? とか思いつつ、子供の私から見るとちょっと大きいけど、ちょっと大きい程度の身長は大人っぽい威圧感とかもなくて安心する。同性から見て、子供の時とかだとすっごくうらやましい感じだ。……っていうかまって、こんな子がさっきみたいな口調でしゃべってたの? いや、見た目はきりっとしてるし似合わないことはないだろうけど珍しいな。
わたしがそんな観察と感想を脳内に走らせていると、彼女は驚いたようにしてから、ふっと笑って、
「かわいいでもいいぞ。褒められるのは悪い気はしないからな」
うわーずるいずるい! 何そのうっすらうれしそうな顔! 映画を見てるときみたいに綺麗すぎてうらやましいとすら思うのもおこがましい、みたいな卑屈な感想がわいてくるよ!
「まぁいい、とりあえず見せてくれ」
「見せてくれって、なに、を…………―――うひぃいい!」
ばっ、とわたしはしゃがみこむ。
そうだったわたし裸なんだった! さすがに同性とは言えその、きれいに整った服の子に見られるのは恥ずかしい!
「何をいまさら恥ずかしがってる? 堂々と立って話しておっただろうに」
見られてた! 音声だけじゃなかった! そりゃそうか……死にたい!
「そんなことより、左腕を見せてみろ」
すでにすぐそばに近づいてきていたその子に、ずい、っと顔を近づけられ、わたしはしゃがみこんだまま、しぶしぶ左腕を前に出す。
その子は、ふむ、とかつぶやきつつ袖に隠れた手でわたしの腕をつかもうと、
「あの! 汚れるよ? ますよ?」
慌てて身体をよじりつつ声をかける。こんなきれいな服に血をつけるのは嫌だ。というか見た目があまりにも子供っぽくて思わず敬語が外れてしまう。いけない。
対して、その子はきょとん、とした表情を見せた。一瞬視線を上に逃がした後、右下に泳がせ、そしてわたしを見る。そしてまた、ふっ、と笑う。ずるい。
「あとで綺麗にできるから大丈夫だ。洗浄用の魔法くらい知ってるだろう……―――ってそうか、いや、とにかく大丈夫だから見せてみろ」
魔法…………あるんだ。
わたしはそれならいいかな、なんたって魔法だし、と思いながらもう一度左腕を前に出した。
「あとあれだ。もっと気楽にしゃべってくれていいぞ」
言いつつ、左腕を袖ごしに手にとる。つつ、と滑るその子の掌。さらさらとした、肌触りの良い絹っぽい感触がくすぐったい。
その子は目を細めたり、ちょっと手を動かしたりして観察を、ってそうだ。
「えっと、名前を教えてくれ……ないかな?」
「私か? ああ、そういえば名乗らなければいけないか。ふむ……そうだな、イェル、と呼んでもらおうか」
いいつつ、その子、……イェルはわたしの腕を興味津々に、まじまじと眺めている。……ちょっと恥ずかしい。
しばらくイェルはわたしの腕の観察を続けていたが、やがて緩やかに手を放してくれる。
「傷は治っているが、毒が入っているな。治してやろう」
「毒!?」
「犬にかまれたのだろう? よくあることだ。放置すると死ぬぞ」
そういてイェルはわたしの手を、今度はちょっと強く握る。そのまま待っていると、ちょっと暖かさを感じたかな? と思ったところで、ガラスの鈴を割ったようなキィン、という短く小さな音とともに一瞬だけイェルの握った手のあたりが光る。これが魔法かな? 何が起こってるかよくわからないけどぱっと見だけでもすごいね。
というか犬にかまれて毒、って狂犬病ウイルスとかだったりする? だとしたらぞっとしない。イェルにあわなかったらわたしは将来、水とか風にショック症状を起こして死ぬ結末だったってことになる。……ああそれならもうイェルに会ったことはどう転んでも運がよかったってことだよね。というか、もし本当に狂犬病ならあの犬畜生は余命いくばくもないってことだね。かわいそうに。
「ついでに汚れも落とすか。……それと、そんなに恥ずかしいか?」
「まぁ…………」
「ならとりあえず布をやろう」
ばさり、とかぶせられた布は、イェルの着ている服とおんなじ手触りの白色の生地だった。ってどこからこんなもの取り出したのかな? これも魔法? でも質量をいきなり出すとかトンデモもいいとこだよね。さすがの私もアインシュタインの英知くらいは知ってますよ? 布はありがたいけど。
わたしはありがたく布を頂戴して、……結構大きい布だし世界中にある一枚布パターンの服の着方ができそうだけど、もちろんわたしにそんなことは分からないので適当に肩から被った。ずるずる床をするのがちょっとあれだけど、隠れてはいるのでわたしは問題ない。布が汚れるの怒られるかな、とか思ったけど魔法できれいにできるとか言っていたので大丈夫だろう。
とか考えていたら、イェルが腕をわたしの方へ向ける。掌っぽい部分が袖越しに光り、また小さくキン、と音が鳴った。
すぅ、と風が通るような感覚が全身をなでる。ちょっとぞくっと鳥肌が立った。でもその瞬間に全身にべっとりついていた不快感の塊みたいなものが消える。……すごい、これもしかしてものすごく体綺麗になった?
ばさ、と布の中を覗くと、左手に付着していた凝血した血液はきれいさっぱり消えていた。……魔法すごい。
わたしが驚いているのを見て、イェルは満足そうに言う。
「よし、とりあえずお前に衣食住を与えてやろう。ついてくるがいい」
ちょっとうれしそうなその声に、わたしは安堵を覚える。
なんだかいい人っぽいな。いい人だったらいいな。
仮にこれからイェルにひどい目にあわされても、まぁ、たぶん、許してしまいそうな気がするなぁ、なんて思いつつ、すたすたと歩きだしたイェルの背中を追いかるのだった。