◇ 54 毒と
「ええと、それでどこに向かっているんですか?」
「毒の元凶かもしれないと疑っている場所がある。今日はそこを探索する」
次の日。約束通り昼前にはギルドで待っていたところ、昨日と同じような集団がやってきた。……出発してギルドを出たときにちょっと驚いたけどね。外にさらにたくさんの兵士っぽい人たちがいたから。
そんなわけで街をでて、集団に同行してイェルと歩いている。ただ、
「あの、山とは逆方向ですけど……こっちでいいんですか?」
「そうだ。……水源の噂を気にしてるのか?」
「まぁ……はい」
「そちらはすでに何度も調べたが、何も出ていない。雨も考えたが毒の出た範囲が流れこむ水と一致しない。そこで風だとあたりをつけたところ、疑わしいものを発見したのだ」
貴族のナイアさんが少しだけ誇らしげにそう口にする。風で毒が飛んできて農作物が汚染されることってそんなにないような気もするけど、まぁ水源とかじゃないならそういうところを疑っていかないとダメなんだろう。
そんなわけで、わたしたちは山とは逆方向へと歩いていた。ナイアさんは全身鎧を着てるし、他の人も少なからず金属防具を身につけてるせいで進軍速度は遅い。ついでにさっきから街道を外れて山がちな場所を歩いてるせいでさらに遅い。現地集合でも良かったんじゃないかとか思ってしまった。
「ちなみに、見極めるのに情報は多い方がいいんですけど……何が原因だと疑ってるんですか?」
「きのこだ」
「え?」
「知らないか? 基本的に森に生えるがどこにでも生える変な植物だ。毒を持つものも多い」
植物というよりは菌だし、割と生育の条件は限定的だったりする気もするけど……きのこ。きのこ? きのこが農業に害を出すの?
ちょっと信じられない。毒キノコが混入したというわけでなければ、胞子とかでダメにされたって疑ってるってことかな? そんなの聞いたことないけど……。
そんなことを考えていると、わたしの疑問に対する答えはすぐに与えられることになった。
「巨大なきのこが群生して瘴気……呪いの元を吐き出しているように見えた。あれが元凶ではないかと疑っている———よし、もうすぐ到着だ」
そう言われた直後、斜面をひとまず登り切ったところで嫌な光景が目に飛び込んできた。
局地的な崖崩れでもあったのか、地盤沈下でもしたのかはわからない。ぼっこりと半球上に抉り取られた場所に、どろどろしてそうな黒い霧が溜まっている。その中には、大樹のような風格すら感じさせられる赤い染みをかさに持つきのこが群生していた。
「……これ、見たまんま毒っぽいですし、呪いっぽいですけど。これで、この後どうするんですか?」
わたしの疑問に、貴族のナイアは応えることなく周囲に命令を下した。
「よし! やはりこれが原因のようだ! では採集するぞ!」
「え、あの、近づくのは危ないと思うんですけど!」
「もちろんロクシーとイェルはここで待っていてもらって構わない! よし、みんな行くぞ!」
わたしの言葉なんて意にも介さず、ガシャガシャと音を立てて集団が盆地状の斜面を降りていく。すぐに黒い霧に巻かれるが……即座に呪われるわけではないらしい。むせたりしてる人はいるけど、倒れたりする人はいないようだった。……こちらをチラチラ見ないで欲しい。
流石にわたしたちもそこについていこうとは思えない。わたしとイェルはそのまま高い位置で様子を見守っている。
割とゆっくりと歩く集団は、布だとか剣だとか、採集の準備をしながら近づいている。
そんな様子を見てイェルは完全に呆れたようにして呟いた。
「頭の悪いやつに付き合う必要性はないぞ」
「う……ん。そうだけど……」
「ナイアとか言ったか。あれは人の善意につけ込むタイプにも見える。今の状況すら意図的ではないか? ロクシー、お前がお人好しだとバレているとすれば、もしここであいつらが危険に晒されたら、可能な限り助けようとすることがバレているということだ。そうだろう?」
「…………まぁ、そうだね」
イェルの理解は、少なくともわたしに関しては正しかった。
目の前で危険に晒されたら、助けたくなる。できる範囲で。それはわたしの性分みたいなものだ。
確かに、ハーピーを助ける瞬間を見られていたとすれば、そういう自分の性質もバレている可能性は十分ある。というかバレてる可能性の方が高い。
ナイアを眺める。大木の幹のような毒キノコの白い柄の部分を、刃物で削って採集を済ませていた。一応、毒をどうにかしようという意思は感じられるけど……わたしを保険に置いておきたかったのだろうか? 表情を見てもわからない。この距離からだと何を喋っているかも大声でなければ聞こえないレベルだし、他の情報を得る方法もなかった。
……って、あれ?
「……だんだん霧が濃くなってない?」
「…………そうだな」
「魔法で風とか———」
「胞子が飛ばないか?」
確かに。いやでも、
「一気に全部吹き飛ばすとか、傘だけ守るとか」
「そもそも飛ばした先で悪さする———いや待て、お前には関係ない」
「あー……そっか、毒が飛んできてるって話だったのに飛ばしちゃったら本末転倒か……」
イェルが言ってるのは、だからわたしがまた封印とかするなよ、という話だろう。ドラゴンの時みたいに、自分の体を入れ物にして呪いをうつしとることはできるはずだ。鏡でもある程度は祓えるはずだし。
しばらくするとナイアと周囲の兵士たちが屈んで地面を掘って採集を始めた。土まで採集するのは徹底しているなぁとは思う。
というか何なら剣とかまで使って穴を掘っている様子はシュールですらある。黒い霧の中でのお話だけど。
と、次の瞬間、ぶわり、と地面から悪意が吹き出した。
「———っ!」
「ロクシー!」
わたしは反射的に駆け出す。地面から吹き出した黒い霧は全ての視界を遮ってきて、兵士たちの姿は全く見えなくなってしまう。慌てて鏡を出して、少しでも祓ってしまう方法を使ってしまうことにした。
「呪を払う光よ!」
黒い霧に突っ込んだ直後に、威力増強のために言葉を口ずさみながら鏡に魔力を叩きつける。
カッ、と強烈な光を放つ。……が、黒い霧はちょっとだけ薄くはなったものの晴れてはいない。
薄くなった霧はまだ見通しが悪い。それでもその中に立っているナイアを見つけ、近づいて要件だけ伝える。……周囲にバタバタと兵士が倒れていた。
「霧を薄くします。その間に倒れてる人を担いで離脱してください」
「すまない、助かる!」
言葉少なにナイアは倒れた兵士を一人担いで離脱していった。
せめて見通せるくらいの薄さにしないと倒れてる兵士も見つけられない。
……迷うことなく、右手を使うことにする。
いつの間にか隣にいるイェルが心底いやそうな顔をした。その直後、わたしの足元に水晶を投げつけた後で魔法陣を書き出した。……わたしの足元にも一人だけ兵士の人が倒れ込んでるのに、容赦ないね。
そんな様子を視界の端に捉えながら、わたしは右手、右腕に黒い霧を飲み込ませ始める。じくり、と這い寄る感覚。流石に全部祓うことはできないだろうし、また汚染されるとか無駄だとかイェルが言ってた気がするので、とりあえずここから離脱できる程度には祓う必要性があった。
案外右腕だけでもそれなりに霧を詰め込むことができた。一時退避で、後で放出してしまってもいいのだと思うと少し気が楽だった。
イェルが書き上げた魔法陣のおかげか、明確に苦しさが緩くなっている。もうすでに血の味はしていたけど。そのまま徐々に霧も薄くなり、全体が見通せるようになった頃に右手が一杯になった。
「よし、そいつで最後だ! 俺と一緒に離脱してくれ!」
やがてナイアがやってきて、わたしの足元で倒れている兵士を指さしてそういった。さほど長い時間ではなかったけど、ようやく終わったらしい。そのままナイアは近づいて来て、わたしの足元に倒れた兵士を———
ドスッ、と胸元に衝撃。
「ぁ———ぇ…………?」
「!? ロクシー!?」
ナイアがわたしに体当たりして、その手には小さなナイフが、
反射的にナイアを全力で突き飛ばす。ナイフが魔力に弾かれたようにして胸元から抜ける。からん、と音がなる。同時に傷口から、ぶしゅ、と血が出た。
あかい———いたい。
でも、痛いのに声が出ない。遠くでナイアが転がりまわるガシャガシャという音が聞こえる。自分の体も遠く感じる。うまく動かせない。これ、いやだ、いや、きもちわるい、またわたしの体がいうこときかなく、
「ロクシー、落ち着け! ———くそっ! 毒か!」
イェルはいうが早いか、傷口から口で血を吸い上げて吐き出す。
その後に手で触れて、傷口が塞がった。
でもまだいたい。それにうごかない。
「クソっ! 魔力を抑えるんじゃなかったのか!」
遠くからナイアの声が聞こえる。でも、意味を考える余裕は今のわたしにはない。
「ロクシー、とりあえず応急処置はした。毒は抜けた、死にはしないし、体もすぐに治る。だから落ち着け、私はあいつらを———」
イェルが言葉にする前に、何とか首を振る。単純にイェルに離れてほしくなかった。
イェルが動きを止める。何かを逡巡するかのようにわたしと別の場所に視線を泳がせる。
その後で、八つ当たりのように足元の兵士をナイアの方へと蹴り飛ばした。
「くそ、いいか! 何としても聖女か遺物を奪え!」
ナイアの命令に、兵士の動きはぎこちないものの盆地の周囲を囲うようにしている。
相手には魔法使いいないし、意味ないだろうけど。
イェルはわたしを横抱えにして、空へと飛び立ち、あっという間に全てを置き去りにする。
ドラゴン並みの速度で、ドラゴンより快適だ。
あっというまに街の上空。イェルが一度止まる。……舌打ちが聞こえた気がした。
「ドワーフ……いやハーピー……いや…………」
ぶつぶつとつぶやくイェル。
わたしが意識を保てたのはそこまでだった。
徐々に痛みは薄れてきていたものの、体がうまく動かせないままに、わたしの意識は暗転した。




