◇ 47 呪いと鏡
怪鳥、という文字列から想像できるような甲高い鳴き声とともに、ハーピーが突っ込んでくる。上半身部分は完全に女性だし、あまり似合わない声だ。速度はかなり出ているとはいえ身体強化をしておけば難なく躱せる程度なのでそこまで恐怖感はない。それよりも、その体を黒いモヤモヤが覆っているのが気になった。
頭から突っ込んできたハーピーを躱しつつ、イェルに訊く。
「あれって、ドラゴンと同じ?」
「……似ているな。黒いモヤはドラゴンと違って随分と薄いが。だが機敏で小さい。より面倒だぞ」
イェルのいう通り、確かにハーピーは体長は人と同じで小さい。ドラゴンの時みたいに簡単に攻撃が当たる状況ではないというのはわかる。魔法弾を投げても躱されそうだ。
「でも、知性はあるんだよね」
「……そうだな」
心底呆れたようにイェルが返す。……まぁほら、一回決めた基準を放棄するのって、なんだか無責任な気もするしさ。許してほしい。
視線の先には、躱されたことで再度上空に舞い上がったハーピーがいる。広げた翼は体長よりも大きく、猛禽類が空を旋回しているような緊張感を少し感じた。ドラゴンにせよハーピーにせよ、どういう原理で飛んでるのかちょっと疑問に思ったりするけど、魔法が浸透した世界でわたしの世界の常識を当てはめるが筋の悪い方法なのかもしれない。
「あの突進、正面から受け止めたりできると思う?」
「やめておけ。攻撃を正面から受け止めていいのは、攻撃の威力が推測できる時だけだ」
「じゃあ……」
「流石にその弾は当たらないと思うが。クパの実で魔力を補給しているとはいえ、また血を吐くぞ」
わたしが鏡からクパの実を取り出して食べながら魔法弾を準備するのを見て、イェルが呆れたように咎めた。
「素早さタイプにはカウンターが定石かなって」
「……きちんと躱せ」
もちろん、とイェルに了解を投げつつ、ハーピーの降下を待つ。イェルは少し離れて木々に隠れるようにして、狙いをわたしにだけに絞らせてくれた。……まださほど危険ではないらしい。
ハーピーが旋回をやめて降下を始める。滑らかな曲線の行く先は、わたしだ。
ギリギリまで引きつける。障壁があるので掠めるように躱すことにそこまで恐怖感はない。……そこまで、なのでゼロじゃないけど。勢いがすごいし。車を生身で躱すのは、できるだろうけど怖いよね。
目前に迫ったハーピーに、魔力弾を投げつけながら横っ飛びしつつ障壁を間にねじ込む。パンッ、と弾けるような音を残してハーピーは———通過しながら再度上空へと飛び去った。
「あれ……?」
「ロクシー、あれには嘴がない。にもかかわらず体当たりを頭からしている理由を考えるべきだ」
「……魔法で嘴の代わりのものを作ってる?」
「よくある攻撃方法だ。よく見れば見えるが、流石に早すぎて見えなかったか。視覚強化の理由が増えたな?」
イェルがそんなことを心底楽しそうに言ってくる。うう、まぁ正論だけどさ。
じゃあどうすればいいだろう。正直、この魔法弾以上の攻撃手段はわたしにはない。魔法剣は物理攻撃をしないのなら効果が薄いし、物理攻撃したら真っ二つにするか剣が折られるかのどちらかだろうし。
そもそも気絶させるのが目的ではないから、あのモヤモヤを払ってあげればいいだけな気はする。知性があるのならいきなり問答無用で襲ってくることは……まぁ可能性はゼロじゃないけど、あんまりないと思いたい。ドラゴンも暴走してただけだったし、黒いモヤモヤが悪さをしている可能性は十分にある。
そんなふうに考えて、実行する前にイェルに訊いてみる。行動する前に報告しろと何度も何度も言われたのでちょっとは学習したのだ。褒めて欲しい。
「クパの実を突っ込んできたところに合わせてぶつけたら、黒いモヤが取れると思う?」
「魔力弾の方が貫通力があるのにか? あのモヤモヤは漂っているだけに見えて、根付いたものから漏れているだけだと思うが」
「じゃあ食べて……貰えるわけないよね。うーん……そもそも何で襲ってきてるのかもわからないし」
「……鏡は使わないのか」
「えっと……?」
「あれはドラゴンよりは薄い呪いだろう。……そういえばちゃんとサロメアの石で確認したか? いや、今はいい。だから鏡で映し取ってしまえないか」
鏡で映しとる。……何だか呪術みたいなこと言い出した。呪いの話だから呪術みたい、というか呪術そのものなのかもしれないけど。確かに鏡には人の形が映るわけで、人形に呪いを移すみたいなのは結構ありふれた発想かもしれない。かもしれないけど———
「———っ」
つきん、と頭に痛みが走る。直後に知識が……ちょっと気持ち悪い。でもありがたい。この何でも収納できる鏡は、確かに魔力を使って軽度の呪いくらいなら払える光を出せるらしい。何というか……使い方が最初に頭に流れ込んできた時も思ったけど、割と得体が知れないし気持ち悪いよね。あの遺跡、わたしに無理やり魔力流し込んできたし、印象が良くない。呪われてないといいんだけど。見た目とか効果は聖女っぽいけどさ。
わたしがちょっと顔を歪めたのを見咎めてか、イェルが、
「どうした?」
「ううん。確かに、うつしとるわけじゃなくて光で祓えるみたい。やっぱりこれ、聖女認定されるやつなのかなぁ」
「今更か。少し聖女に関して話をしておくべきだったか。色々な面倒ごとはある程度は避けられないだろう」
イェルの言葉にちょっとだけため息が出てしまう。まぁ、魔法があれば適当に逃げ回ることとかはできそうだしそこまで不安には思ってないけど。自由に観光ができなくなったりするのは嫌だなぁとは思うよね。
そんなことを話していると、ハーピーが再度降下してくる。急いで鏡を中空に出現させ……そういえば鏡だけは体から離して使えるな、なんてどうでもいいことが頭をよぎりながらも、ハーピーが近づいてくるのを待ち構える。ある程度近づいてきたところで全力で魔力を叩き込んだ。
カッ、と瞬間的に暴力的な光が当たりを満たす。真っ白に染まる視界に少し驚かされつつ、そのまま再度横っ飛びをしてハーピーの体当たりを躱した。
ギギャァ、と人の顔からは想像できない甲高い声が響く。体の構造が人っぽいのに鳥のような鳴き声を出すの、どんな原理なのかさっぱりわからない。
単純な目眩しの効果もあったのか、ハーピーはバキバキと木々の枝を弾き飛ばしながら、再度高空へと飛びさった。
そのまま旋回をしているけど……みた感じ、モヤモヤは晴れているように見える。イェルに言われたようにサロメアの石で魔力的な視野でもみてみたけど、特に違和感はない。呪いは歪むし黒っぽかったりで目立つし、多分、祓えたんだろう。できれば一回降りてきてもらって意思疎通をしたいんだけど…………。
しばらくハーピーは旋回を続けていたので待っていたけど、そのまま明後日の方向へと飛び去ってしまった。
「あー……でもとりあえず祓えたからいいかなぁ。変に誤解されて恨まれたりしないよね?」
「どうだろうな。だが飛び去るときに敵意は感じなかったが」
やや呆れたようにしつつも、イェルはわたしを安心させる言葉をくれた。あんな距離で敵意とか感じれるんだね。すごい。でもなら安心かな。
躱すために気疲れはしたものの、終わってみれば特に何もなかった。一部の木々の枝がハーピーに吹き飛ばされたくらいの被害だ。大蛇は変わらず横たわっているし、早くこれを適当に処理して持ち帰る必要性がある。獲物の処理ってなるべく早くやった方がいい気がするし。
それからわたしはイェルに助言を求めつつ、適当な大きさの胴回りの肉をかなりの量と、頭の部分を分離させて鏡の中に突っ込んだ。……ちょっと調子に乗って入れすぎたせいで容量オーバー気味になって体調が悪くなったのはイェルには内緒だ。いや、胡乱げにみてくるしバレてる気もするけど。
適当な部分で輪切りにして入れたので、血がダラダラ出て絵面がひどいことになったけど、聖女の服は汚れない。……何だろう、汚れるはずのものが汚れないままに捌く様子って、なんかちょっと不気味な気もするけど気のせいだよね。うん、気のせい気のせい。
わたしがそんなふうに蛇と格闘している間に、イェルは魔法陣を書き上げていた。その中にいるわたしは事故で燃やされないか心配してたんだけど、この魔法は燃やすためのものではなく、野生動物を忌避するためのものらしい。わたしの知らない間にギルドに聞いて、持ち帰りきれない獲物を回収させることができることを知ったとか。もちろん、こうして野生動物とかを遠ざけるとともに、ある程度素材が傷まないような処理をしないと意味はないらしいけど。
森の一角に大蛇が横たわっている状態を放置していくのは少し忍びないけど。すぐにギルドから別の冒険者が呼ばれるとのことなので、わたしはイェルと共にその場を立ち去った。




