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寂しがり屋と思考する転生聖女のお話。  作者: 池中 由紀
諦念する少年と森に住む者たち
41/56

◇ 41 空の旅


 あれからさらに数日が経って、アムリーが移動する日になった。

 

 あの日のお茶会は楽しかったし、その後にハルとかと話して、やはりハルはここにとどまることにしたらしい。

 前よりは前向きになっているようだったし、それは喜ぶべき変化だと思う。


 移動距離を考慮して、日の出を間近にした薄暗い早朝。秋っぽい季節なので割と肌寒いのだけど、便利な身体強化のお陰で寒さ対策は完璧だった。


 わたしとイェルはすでにドラゴンのアムリーの背に座っている。ちょっとした布をイェルがエルフの二人からもらったらしく、肌触りの良い布をドラゴンの背に引っ掛けた上で座っているおかげか、割と快適だった。アムリーも特に嫌がる素振りは見せていないし、大丈夫だろう。


 というか、ドラゴンみたいな鱗を持つ種族が感じる肌触りってどういうものなんだろうね。鱗に神経が通っているかは微妙だし……。だとしたら布が鬱陶しいとかいう感覚もないのかも。


「それじゃ、ハルはここで。またね?」

「……うん。ぼくはここにいるから。そのうち気が向いたらきてよ」

 

 ほんの少しだけ不貞腐れたような、そうでもないような感じでハルが言葉を返す。幼さを残しつつも、少年から成長を感じさせる微妙な塩梅。わたしは特にそういう趣味はないけど、母性本能とかをくすぐられる人はいそう。

 

「そのうちまた来るよ。ここでの暮らし、楽しかったし」

「歓迎するわ? あなたは飲食目当てでしょうけど?」


 エルフのシャロンが揶揄うようにして言葉を飛ばしてきた。

 こういうわざとらしい冗談が言えるくらいには距離が縮まったことは素直に嬉しい。

 

「研究の役にも立つんじゃないかな? ほら、わたし、これから色んなところを回って色んなものを集めたり見たり聞いたりするつもりだし。お土産は期待してくれていいよ?」

「まぁ。あまり期待しないで待っていることにしますわ。それよりも、余計なものを連れてこないでくださいね。わたくしたちは平和に暮らしていたいですわ?」

「……まぁ、それは気をつけるよ」


 そうシャロンに返して、他の人に視線を流す。

 シャロンの隣に立つエゼルは少しだけ息を吐いて、またな、とだけ返してきた。


 ハルの近くにいるミトは、軽く会釈をしている。……よく考えたら会釈の文化あるんだ。種族ごとの違いとかもあるだろうけど、色んな文化が色んなところに混ざっているのがふとした瞬間に見えるのは面白いよね。というかこうべを垂れる文化って———いや考え事は後にしよう。

 

 イェルは特に会話に参加する気はなさそうだけど、不機嫌そうにはしていない。ただ黙ってわたしの行動を待っているだけだった。

 

 イェルが特に何もする気がないことを確認したわたしは、ぽんぽん、と軽くアムリーの背を叩きつつ、。

 

「それじゃ———そろそろ行こう?」

「もう良いのか。それでは飛ぶぞ。落ちても知らんが、お前達なら死ぬことはないだろう」

 

 いうが早いか、ばさり、とアムリーが飛び立つ。

 一応、安全のために身体強化を使っているけど、それでも割とすごい勢いで上昇し、移動を開始したのに驚かされる。まぁ、呪われてたアムリーを思い出せば、割とすごい移動速度であることはみてたけど、それでも背中に乗って直接体験するとびっくりした。

 

 速度は早く、森が結構な勢いで眼下で流れていく。ただ、速度の割には風圧がないし耳にうるさくもない。恐らくは魔法だけど、その疑問の視線を少しだけイェルに向ける。

 

「私ではないが。そもそもドラゴン自身も移動する時には鬱陶しい風除けくらいはするだろう。恐らく、気づかったものではないぞ」

「……ふん。わざわざ嫌がらせをする必要性もないだけだ」

 

 アムリーが不服そうにそう呟く声がちゃんと聞こえてくるくらいには、乗り心地は快適だ。風景を楽しむ余裕すらある。

 

 アムリーは必要としてないかもしれないけど、それでもありがたかったので、軽くお礼を伝えるために、ぽんぽん、と無言で背中を叩いておく。お礼を口にすると求めてないとか言われそうだったから、というわけではない。……多分。

 

 せっかくなので風景を楽しむ。この森は意外と大きいものらしく、果ては見えない。ただ、遠くには山がいくつか見えていて、太陽も山に隠れているようだった。

 

 高速で流れる森と、空に縫いとめられたかのように動かない遠くの山。

 

 それ自体はさほど特別な風景ではないのかもしれない。ほら、新幹線とか、飛行機とか、近代的な乗り物に乗れば近いものは体験できるしね。


 でも、わたしはほとんどそれらを体験しないままに死んでしまった。

 新幹線も飛行機も、一回乗ったことがあったりなかったりでしかない。そもそも十五年前の体験なんて、覚えているかも危ういものだよね。

 

 でも今、わたしはこうしてこの風景を視認している。楽しんでいる。

 それに———この風景は、きっとこの世界だけのものだ。


 雲よりは低い、中途半端な高度で、生身で何かに乗って、それでいて風や騒音の心配のないフライトは、あの世界では不可能だっただろう。

 涼やかな朝露を含んだ朝の空気が肌をなでる。それはわたしの想像を肯定してくれているような気もした。

 

 と、次の瞬間には強い光が山の向こうから差し込んできた。

 

「わぁ…………」

 

 日の出だ。しかも……これは、先取りされた日の出だ。視線を下に向けると、日の光はまだ森にはさし混んでいない。朝焼けは薄めで、白っぽい光が輝いているが、森は未だに照らされていない。

 中途半端に高い高度にいるわたしたちだけに見える、早めの日の出だった。

 

「あ……」

「……どうかしたか?」


 割と強い輝きが眼に刺さったからかもしれない。……いやまぁ、それだけじゃないか。涙腺の弱いこの体と、少しだけ感傷的な気持ちが共鳴したせいかな。

 それに気づいたイェルに理由を訊ねられるが、不思議そうにはしていない。…………イェルは賢いし、これで人の機微を考えるのも得意なのだし、わたしの生い立ちを知ってるわけだし……予想はできてるんだろう。

 

 思わずこぼれた涙を拭って、感想をそのまま伝えることにする。


「満喫してるなぁ、って。ほら、わたしも自由に色々楽しめてたわけじゃないし、この風景は…………ここにしかないものだし。ほら、まだ森が太陽に見つかってない。それを穏やかに眺められるこの瞬間は、なんでもないものだけど特別にできるものだと思うよ」

「…………。なるほど、楽しめているのなら何よりだ」

「うん。だから、イェルも楽しめるように色々教えてよ? ついてくるのはいいけど、何がしたいとかあるでしょ?」

「私がしたいことはついていくことだから心配はするな」

「他にないの?」

「他に? 別にお前は私の行動を束縛する気はないのだろう? それで十分だ」

「そうじゃなくて……」

 

 それはそうだけど、自由であるだけで十分だなんて、少し寂しい気がする。何かやりたいこととか、趣味とかないのかな? 

 

「ほら、趣味とかやりたいこととかないの? わたしにはそういうこと勧めておいてさ。何かあればわたしも手伝うよ? わたしばっかりイェルに手伝ってもらうのもどうかと思うし」

「やりたいことか……」

 

 イェルはそこで言葉をきると、わざとらしく軽い笑いを含んだ表情を見せてくる。 

 これは何か揶揄ってくる気だろう。

 

「ロクシー、お前が楽しそうに話す内容は聞くのも議論するのも楽しいものだ。だからお前が楽しんで入れば私は満足だぞ?」

「……そんなわざとらしく言われても。それとも照れ隠しかな?」

「実際、私がお前についていく理由はそういう面もあるのだが。まぁ、それでも何か気になるというのなら、魔法だな。魔法の論文だとか、道具の設計図だとか、そういうものは見ていて良い暇つぶしになる。だから次の目的地は、それなりに興味はあるぞ」

「あー、やっぱりそうなんだ。それはよかった」

「やっぱり?」

「んー、イェルは理系っぽいなぁ、って思ってたから。理系っていうのは、そういう論理とか道具の仕組みだとかに興味がある人たちって感じかな。……向こうの話は、また今度にするとして」

 

 ちらり、とアムリーの方へと視線を向ける。

 一応、転生関連の情報はみだりに広めないほうがいいだろう。イェルも、実験に巻き込まれたと勘違いされたりすると、余計な面倒ごとが増える可能性があると言って、なるべく隠したほうが良いと言っていた。

 

 わたしの意図は正しく伝わったのだろう。イェルは、そうか、また今度、とだけ返してきた。

 

「でも、ほら、イェル。お礼を言わせて?」

「…………私も礼を言う立場だ。気にしなくていい」

「いいから。イェルがどのくらい自由を尊んでいるのかはまだわからないけどさ。わたしはどうしてお礼を言いたいかわかってるでしょ? そういう時は素直に受け取ってもいいと思うけど?」

「…………ふん」

 

 ふいっ、とイェルが顔を背ける。イェルにしては妙にわざとらしすぎる反応だ。演技かもしれないけど……演技ということにしたいのかもしれない。演技に乗ってこい、という挑発が見える。

 

「わたしはいま、楽しいよ。それもイェルのお陰。あのまま生きながらえるのは難しかったし。わたしも会話は楽しいし、そのために生きていたいとも思うし。だから、ありがとう」

 

 それでもわたしは素朴にお礼を言う。わざとらしくはしてあげない。

 

 これは本当に、大切なお礼だから。

 

 わたしは、私に関わった人たちに何も言えずに世をさった。

 親に何か恨言を———まぁ特に恨んでもなかったけど、何かいう機会はなかった。友人も、担当医にも、看護師にも、遠縁の援助者にも、マスコミにも。わたしは何も言えずに置いていかれ続けた。


 でも今この瞬間、私は何かにおいていかれる事はない。朝焼けを共有する目を、緩やかな風を共感する肌を、そして何より会話するための口や耳を、今のわたしは自由に動かせる。


 イェルに素直にお礼を伝えるという、なんでもない行為。それは、だから自由な行動を十五年間奪われていたわたしがずっとできなかったことの一つだった。

 

 ああ、そんな感傷をしながら言葉を口にしたせいだろう。涙腺の弱い体は不便だ。転生前のわたしは泣いたことなんて殆どなかったのに。

 まぁでも、涙が溢れるだけならそんなに問題はないか。適当に拭えばそれで終わりだから。涙と声色があまりリンクしない体で良かったと思う。

 

 わたしはもう一度涙を拭って、イェルを見る。イェルはまだそっぽを向いてはいるけど……眼下の森を眺めている。そこに、わたしへの共感があるような気もした。

 

 特に返事を求めていたわけでもない。それに、返事がないことを楽しめるだけの余裕も今のわたしにはあるのだ。そう思って風景へと視線を戻した。

 

 そのまま特に会話をせず、でも不快感のない緩やかな空気のまま、空の旅を楽しむ。

 

 やがて太陽が森を照らし、薄い赤を失った頃に、イェルがつぶやいた。

 

「ロクシー、お前はまだ自由になったばかりだ。満足するのは早いだろう」

「…………そだね。だから、これからもよろしくね?」

「それはもちろんだが、少しは自分を省みるんだな」

「もちろん。終わっちゃったら面白くないしね」

 

 わたしの返答にイェルがため息をつく。

 でも、そんなに心配しなくてもいいのになぁとは思うのだ。

 もちろん信念とかもわたしは大事だけれど。


 イェルと話すのは特別に楽しい。だから、それを楽しめなくなるようなことに慎重になるのは、当たり前のことだ。自分を直接省みてるわけじゃないかもしれないけど……、でも、外から見たら同じことだよね。

 それに、今のイェルのため息だけの返答は、わたしを喜ばせるものだった。

 

 油断したのかもしれない。

 あるいはわたしの錯覚か。


 イェルのため息には、確かに喜色が僅かに混入していたから。

 

 それはわたしだけが楽しんでいるわけではないという、安心感にもなる。

 

 わたしは久しく感じなかった緩やかな幸福を感じながら、空の旅を楽しむのだった。




 第1巻おわり。

 

活動報告に一巻の後書きがあります。

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