◇ 40 指針
それから数週間、わたしはゆっくりと体を癒しつつ研究者のエゼルとシャロンの工房で色々と遊びながら過ごした。
二人とも植物とか石とか、ようは自然に関連する研究を専門にしているらしく、温室で育成条件を解説してくれたり、文献の概論を教えてくれたり、結構親切だった。ありがたかったので素直にお礼を言うと、照れ隠しのように顔を背けながら、不安要素を排除してくれたお礼ですわ、とか言ってくれた。ドラゴンのアムリーもそうだけど、素直じゃない人が多いなぁなんて思う。
実際、それは偶然ではない気もする。だって、二人ともあまり多くの人とコミュニケーションをうまく取ってきてるとは思えないから。
……わたしが言えた話でもないけど、やっぱりこう、どうやってコミュニケーションを取っていいか分かってないからこそツンデレみたいなチグハグな態度を取ってしまうことは結構あるだろう。そもそもツンデレだって、好きな人にどういう態度をとればいいのか分からないからああいう感じになったりする、っていうことの抽象化みたいな感じもするしね。
イェルと一緒に色々と見てまわったり会話をしたりしているうちに、それなりに打ち解けてはきたと思う。
一緒にいて不快に思わず、いなかったら少しは心配する隣人くらいのそれなりに友好な関係性。
研究だとか魔法だとかについて色々話せるのは純粋に楽しい。
ちなみにハルは何か思うところがあったのか、単純に気質があったのか、あれからサヴィアのミトとよく行動をともにしているようだった。その視線は何らかの感情を乗せているけれど、具体的にどんな感情なのかまでは読み取れない。ただ、特にネガティヴなものではないことだけは分かった。
直接訊ねてもいいのだけど。でも、何となくそれは無粋な気もした。
何となく、その視線はあの時に話した、ハルの近くにいたお人好しにも向けられていたもののような気もする。ハルが一度、その視線をわたしに見られていることに気づいた時にいたずらのバレた子供のような恥ずかしそうな表情を見せたことから考えても、そんなに間違った推測ではないとは思う。
あの時にも口にしたけど、わたしは別にハルを洗脳したいわけじゃない。
だから、これ以上何かを積極的に口にすることはやめておくことにした。
「さてロクシー。お前もそろそろ本調子に戻っただろう。何か次の指針はあるのか?」
怪我を治療して以降も使っていた客室用の部屋。
ベッドに腰をかけていたところに訊ねてきたイェルが、開口一番そんなことを訊いてくる。
……見た目の幼女のイェルはこれでも割と目線があってしまってちょっと不思議な感じ。
「一応。ほら、アムリーに言われたんだけど、わたしはもっとアイテムとか武器とかを準備しておいて頼ったほうがいいって言われてさ。別にわたしは戦ったりするわけじゃないのに」
「…………。面倒ごとに首を突っ込む以上、自分の身を守る力くらいは準備しておくべきだろう」
「まぁ武器はともかく、道具は仕組みとか面白そうだし、集めるのは楽しそうだなって思うよ。なんだろ、諸国漫遊をしつつ特産品とかを集めるのに近いし、面白そうだしね」
「まぁいい。それで、どうするつもりだ?」
「アムリーはもっと人のいない場所に身を移すらしいんだけど、その途上にドワーフとかがいる街があるらしくて。聞いたけど、ドワーフってやっぱり鍛治とかができるんだよね?」
ドワーフはしばしば鍛治とかを専門に扱うという設定をされていることが多かった。
その印象通りに、この世界でも鍛治を専門にしている個体の多い種族らしい。
「何がやっぱりなのかは知らないが、そうだな。ということは…………あの街か? あまり治安がいいとは思わないが……」
「そうなの?」
「ヒントをやろう。そこのドワーフは排他的で、鍛治に人生を捧げたドワーフが多い。周囲にはハーピーをメインに多種族が住んでいるが互いに干渉しない。そしてドワーフの集落の近くに存在する人の街の起こりは、犯罪者の追放、収容だ。昔の話で、今ではドワーフの提供する質の良い武器を求めた人間が集まる街だが。治安が良い要素がないだろう?」
「うわぁ。聞くだけで厄介そう。でもドワーフが独立を保ってるってこと?」
それだけ有用な武器を作る集団なら、利用しようとする存在が懐柔したり支配したりしそうなものだけど。ドワーフって強かったりするのかな?
わたしがイェルに訊くと、イェルは少し何かを思い出すように軽いため息をついた後に、
「あいつらは程度の差こそあれ何かに命懸けの奴らが多い。鍛冶やものづくりだったり、家族だったり、色々だがな。そして頭が硬い。何より、仲間意識も強いしな。武器や兵器を得意とする奴らが多く、たまに常識はずれの兵器を作り上げたりすることすらある。積極的にどこかを攻撃しようとはしないが…………ドワーフを怒らせた街の近くの森が、一夜にして吹き飛んだことがあったくらいには反撃をする集団でもある」
「……ちょっと怖いね。まぁでも、それならちょっかい出さずに武器を買ったりした方が良さそうだし、独立を保ってるのも自然なのかな?」
とはいえ多少疑問はある。
だって種族ごとの性格なんて、どのくらい当てになるかわからないしね。
人間もそうだけど、国ごとだとか種族ごとだとか、文化の差とかで性格に大まかな傾向があったりすることはあるかもしれない。陽気な国だとか、真面目な国だとか、そういうエスニック系のお話はよくあるものだし、全てが的外れというわけではない。
ないけど、まぁ、アレって統計的な集団全体に対する物言いであって、個人に対するお話じゃないよね。全体的に陽気な人が多い国にも鬱々とした人だっているし、真面目な国だからといって犯罪がないわけでもないし。
わたしの疑問がどれくらいイェルに見透かされたかはわからない。
それでもイェルは少しだけ笑みを浮かべながらわたしの疑問に答えてくれる。
「そもそも交流が少ないな。排他的だが積極的に他の集団を攻撃しない。それどころか有用なものを提供してくれる。そもそも辺鄙で行きづらい場所にしか居を構えない。他の集団に参加している変わり者もいるにはいるが少数だ。将来も同じ関係が続くかはわからないが……今のところはな」
「なるほどー……まぁそんなわけで、そのドワーフの街に行って観光しつつ、便利な道具があったら手にいれたいかなって」
「……お金はどうする気だ?」
「それは……一応、野生動物の駆除とか未開地域の探索とかでお金が稼げるって聞いたんだけど…………本当?」
アムリーに聞いたはなしだと、俗にいう冒険者っぽい職業が緩やかに存在するらしい。
これには結構、驚かされた。だって冒険者ってファンタジー設定の、あると便利な空想の設定だと思ってたからだ。
人類の歴史で冒険者なんて呼ばれる存在は、海賊系を除けばほとんどいないと思う。近いのは傭兵とかなのかな。でもほら、ギルドがあってランクがあって、みたいな冒険者は少なくともなかったわけで、そんなのはないと思っていた。
でも、アムリーに聞くと近いものはあったりするらしい。そこまで大規模に組織化されてはいないらしいけど、魔物を駆除したり宝石とか珍しい素材を集めたりする需要が高いらしく、そういう討伐や収集をする集団をまとめて冒険者というんだとか。
まぁ確かに現実と違って魔法あるし、危ない生き物も多いらしいし、有用なアイテムも沢山あるのなら、むしろ自然なのかもね。一発逆転を夢見る人の受け皿にもなってるらしいし。常に危険なゴールドラッシュみたいなものだ。…………ということは、それを使う側の人間が儲かるわけで、だとしたらギルド見たいなものがある程度あるのも自然かもしれない。
そんな知識をつけた上でイェルに訊ねてみると、少しだけ目を細めて、
「本当だ。本当だが……危険ではある。いいのか? もう少し安全で楽しい諸国巡りでもいいと思うが」
「そうはいうけどさ、なんにしてもお金は稼げるようにならないと面白くないよ。今だってみんなから少し食べるもの分けてもらったりしてるのに」
「あれは正当な報酬だろう。竜の危険を排除した礼としてあちらがよこしたものだ。そしてロクシー、お前も私も食料は多少少なくても生きていける。アレだけあればしばらく生きていくのに困ることはないだろう?」
「そうかもしれないけど…………ほら、お金あったほうが色々できるでしょ? アイテムとかだってタダで貰えるわけじゃないんだしさ。お金で解決できることって、結構あるでしょ」
ほら、お金があればわたしはまだこの世界にはいないわけだしね。
「それに、そんなに危険なことをわざわざする気はないよ。でもほら、イェルのお陰でそれなりに色々できるようになったでしょ? なら、自分が危険じゃない範囲で手伝ってお金ももらえるのなら、それはそれでいいことなんじゃない?」
「…………。そうか。それで、次の目的地はその街ということだな?」
「そう。そこで何か面白そうなアイテムとかを手に入れる。まぁ普通に食べ物とかも気になるけどね。行きはアムリーに運んでもらえるらしいし、それなりに楽なんじゃないかな」
「あのドラゴンにか? ……随分と仲が良くなったのだな」
イェルが少しだけ驚いたように声色を変える。
……嫉妬とかの色がないかなぁとちょっと期待して探ってみたが、特にそういう様子はない。ちょっと残念。
「仲が良くなったってほどではないけど、恩を感じてるんだってさ。イェルが脅かしすぎたせいだと思うよ」
「私は別に脅かすつもりでやっていたわけではない。本気だったぞ」
「なおさらだよ。別に正当防衛とかを否定する気はないし、いざというときは仕方ないけど、そんなすぐ……えっと、殺したりはしないでくれると嬉しいかなぁ。殺されそうな時は別だけど」
「…………。ロクシー、お前は殺されそうだっただろう?」
「まぁ……でもまだ大丈夫だと思ったし、イェルは余裕そうだったでしょ?」
わたしがそういうと、イェルの目がもう少し細められる。多少の非難の色が感じられた。
……まぁそうか、わたしが危ないと思ったからこそイェルはアムリーを排除しようとしたのだ。わたし自身は別に殺されても残念だなぁくらいにしか思わないけど…………っていや、ってことはイェルは多少はわたしと会話したりすることを楽しんでくれてるってことなのかな? だとしたらちょっと嬉しい気もする。
とか考えてたら、イェルが声でもあからさまな不機嫌を感じさせて、
「ふん。お前はあれにも自らを省みろと言われていただろうに。いずれにせよ、私は私のやりたいように行動する。いたずらな殺生が面倒なことはよく知っているが、いたずらに相手を尊重したところで報われないことも知っているからな」
「うん、イェルにまでわたしの感情を無理に尊重させる気はないし、それでいいよ。ただ、わたしがあんまりそういうことをしたくないってことだけ知っておいてくれれば。ほら、それはイェルの自由だよ」
「…………。そうか。それなら、いずれにせよドラゴンに乗っての旅か。いつ出発する予定だ?」
「アムリーがもうすぐって言ってたから、それに合わせて行こうとは思ってる。あとハルとかにも話をしておかなきゃ。一応、行きたいところがあるなら連れてってもらおうかなって」
「ハル? ……あの人間の子供か。あれなら、ここで生活することにしているように見えたが?」
「そうなの? ……大丈夫そう?」
そこまでミトとかと仲良くなってたのは少し驚きだ。ただ、ハルはエルフでもなければサヴィアでもアルラウネでもない。異種族の集団に歓迎されるか、生活できるかがちょっと不安だ。
わたしの想像くらいはイェルに見えるのだろう。
少しだけ手を口に当てて考える素振りを見せる。イェルは袖に手が隠れるくらいのゆったりした長袖を着ているせいで、むやみに可愛らしい。
「大丈夫だろう。エルフの二人は偏屈だが性格は悪くない。アルラウネも臆病だがサヴィアを大切には思っているようだ。サヴィアは木霊と人間との間のような性質でもあるからな。ハルは何があったか知らないが捻くれてはいるが、これも悪意のある存在には見えない。これで人が集団であったら問題だっただろうが、人の群れからはぐれたハルが参画するだけなら問題はそうは起きないだろう」
「おー……すごい、イェルって結構ちゃんと人を見れるんだね……」
思わずそんな感想が口をつく。
「なんだ、私が他人に興味がないからと観察を怠ると思っていたか?」
「あんまり他の人とか好きじゃないみたいだったし、イェルは強いなら面倒ごとをサボっててもおかしくないとは思ってたよ」
「小さな面倒ごとをサボって大きな面倒ごとになってから苦労するのは愚かしい。問題を先送りにすることが常に間違っているわけではないが、この程度の観察はしておいた方が便利だろう」
イェルは当たり前のことを、なんなら諭すように言う。
少し非難の色が感じられるのは……イェルを侮ったから、というよりは問題の先送りの方かな。
わたしが自分を省みない理由や、その捻れから目を背けていることを見透かされているような気がした。
そんな直感を振り払いながら、話を本筋に戻す。
「そうかもね。でも、なら、ハルとはお別れか。それならそれでちょっと話をしとかないと」
「律儀なものだな」
「まぁ……雑な別れは、それこそ大きな面倒ごとになったりするでしょ?」
「それはそうだな。…………何事にも、絶対はない」
妙に実感のこもった言葉が飛んできて少し驚く。
イェルは引きこもりの? 魔法使いで、引きこもってたってことは何か過去にあったってことで。思うところがあっても何もおかしくはない。
わたしはまだそこに踏み込んでいいのかわからなかった。
「じゃ、そういうことで、とりあえず指針はそんな感じかな? あ、今日は何か面白い蜂蜜があるからお茶でもしようってシャロンに誘われてるんだけど。くる?」
「面白い蜂蜜…………あれか。邪魔でなければ見物しよう」
「見物……? まぁいいや、面白そうだし。じゃ、また昼過ぎにここにきてね。シャロンに低温抽出したお茶を出したら面白がってたけど、イェルも飲んでみる?」
「驚くことはないと思うが、お前がどれくらい茶を知っているかは見てやろう」
「うわ、性格悪い! まぁいいや、それじゃまたね」
わたしがそういうと、イェルは軽く手を振りながら部屋を後にする。
…………うーん、お茶を知ってるってことはイェルは貴族だったりするんだろうか。それともお茶の名産地に縁があるとか。あまり邪推する気はないけど、気にならないわけじゃない。
いつかイェルから話たくなったら話してくれるだろう、そうだといいなぁなんてことを考えながら、わたしは立ち上がる。
読みかけの文献を読み切ってから、ハルに話に行こう。そのあとはお茶会で……ああ、転生前と比べてなんて充実した日々だろう。正直言って、何もかもが楽しい。多少辛いこともあるけど、それだって単調な辛さじゃないだけまだ楽しむことができる。
いつまでもこんな楽しみが続けばいいなぁ、なんてことを思いつつ、読書に没頭することにした。
一日が短く感じられる日々は、確実に幸せであると言えるものだろう。




