◇ 39 相互理解の可能性
「おい、そこのお前」
毎日飴玉を舐めつつ痛みに耐え続けて十日ほど。ようやく右手が回復して、まだまともに動かせるわけではないけど痛みが引いてきた。シャロンの家の周りを少し散歩していると、魔法陣の上に陣取ったドラゴン、アムリーに声をかけられた。
「ロクシーね。どう? わたしはまだちょっとだめだけど、アムリーはもう怪我は治った?」
「ふん。脆弱な人間どもとは違い俺はドラゴンだぞ」
傍若無人との形容がぴったりな発言は、微妙に荒い鼻息と共に繰り出される。まぁでも悪意があるようには聞こえないし、可愛げがあると言えなくもない。
「そうやってすぐ他の人……とか存在を馬鹿にするの、やめた方がいいと思うよ。今回だって、わたしたちに勝てなかったでしょ?」
「俺が呪われていたからだろう。そもそもお前には負けることはない」
「まだわたし怪我してるからね? それに別に勝負したいわけじゃないし……この魔法陣もそうやって無闇に攻撃的なこというから設置されてるんじゃないの?」
わたしがそういうと、アムリーは不服そうに息を吐き出す。おそらく魔法陣はアムリーの行動を制限するためのものだろう。また暴れられたら困るもんね。イェルあたりが準備したのかな。
「大体、わたしはともかくイェルに勝てるの? 割と一撃で辛そうだったよね?」
「あの魔女……いや、アレは脆弱な人間ではない。俺は強い存在は尊重はするぞ」
「別に格好良くもなんともないけどね、それ。強い存在にはへつらって弱い存在には不遜にするのってどうなの?」
「ふん。お前に言われたくはないな」
「わたしに? …………どういうこと?」
わたし、別に人を馬鹿にしたりはしてないと思うけど……。
「お前のような人間はよく知っている。全てを諦めて自暴自棄になっている人間だろう?」
「…………。そんなことないと思うけど」
「いいや、お前はアレと対等に会話していただろう。それにお前の言動は本心だろうが、それを取り繕わず、自らを顧みず曝け出す人間が自暴自棄でないわけがない」
アムリーに呆れたように言われ、わたしは閉口する。
少し反論してみたくなったので、わたしは相手の呆れに少し上乗せして呆れた様子を装って、疲れを滲ませてため息をついた後に返すことにした。
「別に対等に会話するのは普通でしょ。誰とだって会話するのは重要だし、相互理解のために対等な状態での会話がとても大事だなんてこと、当たり前のことだしさ。大体、そのために自分のことをある程度曝け出したり、多少のリスクがあっても頑張ってみたりするのは当然でしょ? アムリーがもっと協力的だったらもっと楽だったけど、呪われてたならある程度しょうがないし。これはそういう理想論の話だし、別に自暴自棄ではないんじゃないかな?」
「ふん、随分と口が回るな」
からかうようなアムリーの声に思わず返答に詰まる。反射的に反論しようとも思ったが、それをした時点で図星であることを白状しているようなものだろう。
…………ここで返答に詰まった時点でも白状しているようなものだけど、どうしようもない。
それを見たアムリーは、あからさまなため息をついた。人を馬鹿にしたようなため息だけど、続く発言は妙に真面目で真っ直ぐにわたしを案じているような色合いを含む声色だった。
「……お前はアレとの間に契約があるようだ。俺はお前に恩がある。そのくびきを破ることに手を化してやることも吝かではない」
「契約?」
思わずそう返すと、アムリーの眼光が薄らと輝いた気がした。少し空気がピリッとして嫌な感じだ。
「妙に大きな道が通っているが……洗脳の類なら、俺はお前にこんなことを言ったことが間違いだったか」
「ああ、なるほど。イェルは何だろ、魔法とかの師匠? みたいなものでもあるから、それで利便性のために契約はしたよ。少なくとも洗脳はされてない……って、信じられないかもしれないけど。でも心配してくれてるの?」
「俺は恩知らずの恥知らずになる気はない。それがたとえ人間相手であってもな」
「いちいちそうやって人間を貶めるの、逆にめんどくさくないかなぁ……」
「まぁいい、洗脳の心配がないのならお前のその自暴自棄という性質を少し心配してやろう」
…………。何だろう。確かにアムリーは人間を小馬鹿にしたような発言をするものの、意外とツンデレというか、そういうドラゴンなのかな? いや、これまでの限られたコミュニケーションで判断するのが危険なのはわかるけど、少なくともそういう一面がある、もしくは理解はしていると言うことだし。
わたしの沈黙を驚きと誤認したのかもしれない。アムリーが少し得意げに話しだす。
「さて、愚かな人間よ。自暴自棄とはどう言うものか、お前は知っているか?」
「またそういう…………はぁ。誰かにとって、リスクとリターンが釣り合ってないと思われる時に、自暴自棄と評価されることはあるかもね。さっきもいったけど今回はそれでしょ?」
「違う」
「ふーん? じゃあ…………やっぱり自分の身を顧みないことかな?」
「いいや、それでもない」
突然の問答に、パッと浮かんだ回答を二つ返したが続け様に否定される。ドラゴンの顔色が伺えるほどわたしは視覚的観察力には秀でていないけど、声色や空気感からは特にからかっているようには感じられない。……多少、馬鹿にしたような感覚はあるけど、それ以上に素直に回答を待っている雰囲気があった。
「じゃあ何、単純に投げやりな態度ってこと?」
「ようやくか。———お前は自分の行動に信念を持っているか?」
アムリーの言葉に虚をつかれ、思わずきょとんとしてしまう。
図星を突かれて誤魔化しているわけじゃない。あまりにも予想外の疑念だった。
「もちろん。わたしはこれでも信念にしたがって行動してるよ?」
「だがお前は俺自体にはさほど興味がないだろう? 目の前で死なれるのは寝覚が悪い程度の淡い正義感で動いていたのではないのか?」
あぁ、なるほど。
アムリーの勘違いに気付く。
確かに、アムリーから見たわたしは、特別アムリーを助けようと頑張っていたようにはあまり見えないかもしれない。対話ができればいいなと思ってたけど、何が何でも助けようという類の熱意があったわけじゃないし。イェルとかには危険だとか言われるけど、多少死にづらいらしいということを念頭において、自分のできる範囲で助けようとしただけだしね。そういう態度から信念のない行動だと判断するのは、そこまでおかしなことじゃない。これも一つの信念ではあるけど、熱意があるかは確かに曖昧だから。
でも、そうじゃない。
「確かにアムリーの言ったような感覚はわたしの行動原理の一つだけど……でも信念はあるよ。わたしは意思の力を信じてるだけ。知性とかね。それは重要で大切なものだから。だから、誰かの意思とかが危険に晒されていれば、自分にできる範囲では助けようとは思うよ。できる範囲で、だけど」
「意思や知性を信じるだと?」
訝しがって探るような視線が肌を撫でる感覚。本心から疑問に思うような声だ。
「そそ。何かを考えたりすることって、それ自体が尊いことだと思うというか。アムリーは呪われていたけど、知性があることはわかった。だからできるだけ助けたかったんだ。それは未来への可能性だからさ」
「お前は……なんだ? 人間か?」
「人間のつもりではあるけど……」
人間のつもりではあるけど、実の所よくわからないというのが正しい。
何せこの世界では異世界転生っぽい出自なのだ。見た目は人間だけど、腕が吹っ飛んだりしても生えてくるような人間がスタンダードな世界だとは考えづらい。というかハルとかと話してれば自分が異質な存在だということはわかるし。
「でも、どうして?」
「お前のような考え方をする存在を、ドラゴンである俺はいくらか知っている。人間であれば死の間際にあるような老人くらいのもので、あとは……死の概念の曖昧な一部妖精や霊の一種のうち、平和ボケしたような奴らや、力を持て余して徘徊している道楽者か……。いずれにせよ人間では比較的珍しい。特にその幼さではな」
意外とこのドラゴンはいろんなことを知っているなぁなどと思いつつ、言われて自分の体を見直す。確かに明らかに幼いという表現が似合ってしまう自分の体には慣れてきたとはいえ、こんな子供が口を頑張って回したら変だというのはむしろ当然かも。
「まぁ確かに、わたしは自分のこともよく知らないし。人間じゃない可能性もあるかも。でも正直、そんなのどうでもいいよ。わたしは見て聞いて話せる。考えられる。それで十分だよ」
「…………ふん。ならば愚かな人間に一つ助言をやろう」
「別にいいけど、さっきからあんまり貶める言葉の種類がないよね。その偉大なドラゴンっていうの、流行ってたりするの?」
「お前、ドラゴンである俺を侮辱する気か?」
「別にそこまでいう気はないけど……人間のことを侮辱し続けて、やめたほうがいいって言っても続けてるし、誰かに言える話じゃないんじゃないかな」
「…………確かに、お前は人間ではないのかもしれないのだし、馬鹿にするのもよくないか」
「そういうことじゃないんだけど……まぁいいや。それで、助言って何?」
いいかげん毎回馬鹿にされるのも鬱陶しいなぁと思って反論してみると、アムリーは意外と冷静なままに返答してきた。その後の理解は明後日の方向へと飛んでいったけど、まぁメインの話題じゃないし追う必要はないだろう。そう思って、わたしは本論の方へと話を戻した。
「お前は先に自暴自棄に関して、自分の中ではリスクリターンは釣り合ってると言ったが、死を顧みないことの傲慢さは忘れるな。それが自己であれ他者であれ、死を軽視して生を貶めるな。生きていればお前は変わるだろう。それはお前のいう、未来への可能性だろうに」
別に死を軽視なんてしてないよ、自分がちょっと頑丈なのを知ってるから無茶に見えるだけでさ、くらいの言葉を軽く返そうとして思いとどまる。実際のところ、転生という妙なルーツのせいで死への恐怖感がなくなってしまっているというのは正しいから。そういう意味ではわたしが死を軽視しているというのは正しい。
微妙に開きかけた口を緩やかに閉じて、少し視線をズラしつつ、素直な返答をすることにした。
「……ありがと。恩だか知らないけど、心配してくれてるっていうのはわかる。今回、結構痛い目にもあったし、もうちょっと気をつけることにするよ」
わたしの素直な返事にアムリーが何を思ったかは、わたしにはわからなかった。
「そうか。ならばとっとと戻るといい。見ればわかるぞ、その腕はまだ治療がいるだろう」
それでもすぐ帰ってきた返答には不器用な優しさが含まれているように思える。イェルに殺されそうになっていたところを成り行き上助けただけなのだけど、割と本当に恩を感じているのかもしれないなぁなどと呑気なことを考える。
せっかくなのでもっと素直に言葉を返しておこう。
「心配してくれてありがと。じゃあ、わたしはもう寝るね。またね」
そういい残してわたしはくるりと体の向きを変える。
がふ、と驚いたような、何なら照れ隠しのように喉をならすアムリーを置いて、わたしは立ち去った。
アムリーは性格のいいドラゴンではないけど、破滅的な性格ではなかった。
相互理解の可能性はそれなりにあるんじゃないかな、このまま放っておいても人を襲ったりする心配はそこまでないんじゃないかなぁなどと打算的なことも考えつつも、素直にまともな自我をもった存在であることに安堵したのだった。




