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寂しがり屋と思考する転生聖女のお話。  作者: 池中 由紀
諦念する少年と森に住む者たち
38/56

◇ 38 痛みと希望


 次に目が覚めた時、わたしは地獄にいた。

 

 痛みは伝搬するんだな、と思う。

 

 薄暗い部屋のベッドで寝かされていたらしいわたしは、痛み以外の感覚を奪われた状態で目を覚ました。ないはずの右手に無数の針が内外から絶え間なく突き刺さっているような感覚は、普通に耐えがたい。にもかかわらず叫び声を上げたりしないのは、むしろ痛みに脳が支配されているからだろう。

 痛みは右手に収まらない。そのまま肩口から肺や心臓、脳にまで痛みが食指を伸ばしてきていて、じりじりどころではない侵略を受けている。痛みを伝える根が、そのまま全身を侵してきている。喉も痛みで侵略されていて、むしろそれで声すら上げられないというのが正しい。

 

「———っぁ………ぅ……」

 

 脂汗がだらだらと流れるが、それを不快だと感じられる感覚器は残っていない。それどころか全身が寒い。自分の熱量を全て痛みに奪われているような錯覚。呼吸が無駄に安定しない。深く息を吸っているはずなのに、何も肺に吸収されないような感覚。

 目を閉じて痛みに耐え……いや、余計なことをいろいろ考えた方が痛みを紛らわせる気がする。そう思って仰向けの状態のまま首と目だけを動かして周囲を見る。

 

 薄暗いが清潔そうな部屋。ベッドの感覚は悪いものではないから、きっとシャロンの部屋か何かなのだろう。ものは極端に少ないから、自分たち用のものではなく客人用、それも即席で作ったのかもしれない。……わたしが突然倒れたりしたからかな。だとしたら少し申し訳ない気もする。

 

 ……脳にまで痛みが侵略している感じが辛い、聴覚も支配されているような、それどころか全身感覚も危うい。痛い。ないはずの右手が、あまりにも強い主張をしてきていて辛い。それどころか寒気がする。温度が痛みとして発散しているような感覚。辛い。寒い。はぁはぁと断続的な呼吸音が耳障りだ。耳障りな音がそのままガンガン響いて脳味噌が痛い気がする。脳に痛覚なんてないはずなのに。

 

「……苦しいか」

 

 いつのまにか部屋に入っていたイェルの声がした。一瞬幻聴かと思ったけど、入口の方をなんとか見るとちゃんと人影があった。表情を見るほどの余裕はないけど、一応は心配しているような声色だ。もしかすると心配とかしてくれてるのかもしれない。

 でも返答する余裕はなかった。横を向いてると首や頭の痛みが増える気がして、ゆっくり仰向けで天井を眺めた状態に戻る。お腹が上下するのすら気持ち悪くて、息が浅くなる。

 

「これでもまだお前の考えはかわらないのだろうな」

 

 イェルがゆっくりと近づきながらそんなことをいう。少女らしいてくてくとした足音がベッド越しに響いた。

 

「もち、ろん」

「…………」

 

 喉からなんとか返事を絞り出すと、ベッドのすぐそばまで来ていたイェルはため息をついた。呆れたようなため息だが、さほど嫌味なものではない。

 そのままゴソゴソとイェルが何かを懐から取り出す。わたしはイェルが何をしているかを見る余裕がないので天井を見つめたままだ。

 

「魔法は使わないが、魔力はいるだろう。…………口をあけろ」

 

 そう言ってイェルがわたしを覗き込むようにして天井を隠す。イェルは真紅の実を摘んでいる。パッと見だとクパの実に見えるけど、人工的にすら見えるほど深い赤でちょっと違和感がある。

 

「毒ではない。魔力を詰め込んだだけのクパの実だ。色は……お前の為だ。つべこべ言わず口をあけろ」

 

 わたしの思考を読んだような返答だ。特に何も言ってないのに。まぁ喉を使わずに済むのはとてもありがたいけどね。でも、わたしのためってどういう意味だろう?

 仕方ないのでそのまま口を開ける。他人の魔力を詰めたってことはあの死ぬほどまずい味なんだろう。クパの実だと染めると苦くなるのに、狼肉だとジューシーになるのって正直よくわかんないよね。その辺どうなって———ん?

 

 飲み込むには大きすぎたクパの実を仕方なしにかじろうとした瞬間、歯が立たなかった。激苦な実をなめるのはやだなぁと思った次の瞬間、じんわりと染み込むような味に驚く。

 

 甘い。めちゃめちゃ甘い。

 

「お前の魔力を解析しておいた。味は大丈夫だろう。あとは痛みに耐えて一週間過ごすんだな。わかってるとは思うが、安静にしておけよ」

「……ありが、と」

「…………。お前の主義信条の一部は理解できないし言いたいこともなくはない。が、病人にする話でもないな。寝た方が治りもいい。一日一回魔力は供給してやるから、それ以外は寝ていた方がいいだろう」

 

 イェルはそう言い残して部屋を去っていく。

 言いたいことをほとんど何も言わずに去っていくのは大人だなぁと思う。魔女、魔法使いってどのくらいファンタジックなんだろうね。イェルが見た目通りの年齢ではない可能性ってどのくらいだろう。それなりに高い気もする。

 

 わたしは甘い飴玉を口の中でころころ転がしている間に、そんなことを考える。

 同じ森に住んでいたサヴィアのミトがイェルを知っているのはまだいい。でもよそ者っぽい研究者エルフのエゼルやシャロンまで反応していたことや、ドラゴンも何か反応していたのを見ると……多分、イェルはそれなりに有名人だ。


 わたしはイェルについて、まだ何も知らない。

 

 ただあの遺跡に住んでるっていうこともないんだろう。村で普通に人が暮らしていたから、遺跡に住むのはきっと普通じゃない。遺跡の管理人とかいう可能性もなくはないけど……どうだろう。普通に考えると魔女として追いやられたとか、元貴族で幽閉されてるとか、そういう可能性の方が高いと思う。

 

 まぁ、だからといって何か問題があるわけじゃない。

 わたしはイェルが魔女だとして、悪いことをしているところを見たことがない。他人が妙な反応をしているところを何回か見ただけで人の評価をすることは難しい。それにほら、少なくともわたしには親切だし会話も楽しいし。友達だからなんでも許すわけじゃないけど、自分の知らないことで怖がったり避けたりするものでもないよね。

 

 イェルは自由を尊ぶ。

 割とことあるごとに自由であることを肯定しているし、喜んでいる。そもそも遺跡からわたしが出るときに一緒について行くというのも、なんというか、今の暮らしから自由になりたいみたいな意志が透けて見えている気すらする。

 

 まぁほら、わたしも十五年も不自由な生活をしていたし? 転生した今、自由に色々してみたいという気持ちは変わらない。旅行をするだけでも楽しい。ご飯は点滴と比べるべくもない。音楽も芸術もあるだろうし、魔法を学んだりするのも楽しそう。体を動かすのも。そしてイェルはわたしより遥かにそういったことを知っているし、この世界を知っている。

 

 だからほら。これからイェルと自由に旅ができるとしたら、それはとても楽しいことだろう。

 

「…………あはは」

 

 少しだけ笑みが溢れる。こんなことを考えている理由は一つで、痛みを耐えるための精神力を作り上げてただけだ。

 正直死ぬほど痛い。耐えがたいほど痛い。これ以上詳細に想像したり表現したくないくらいの痛みだ。だから、それに耐えるために飴玉以上の飴がいる。……いや、飴玉も同じなのかな。イェルがわたしのこと心配してくれている証拠みたいなものかもしれないしね。

 

 痛みに耐えて回復したら、きっと楽しい旅が始まるはず。

 危ないことに首を突っ込みたいわけじゃない。また痛かったり辛かったりすることもあるだろうけど…………多分、それ以上に楽しいことがあるはず。大体、体が動くだけで転生前よりは楽しいしね。

 

 わたしは楽しい未来予想図を想像しながら、痛みを無視して飴玉を舐め続ける。

 

 それから口の中が味がしなくなったあと、痛みから逃げるように眠りについた。


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