◇ 35 供儀魔法
「それで、どうなったのかしら?」
イェルが最低限の治療をしてくれたあと、放り投げた呪いの核を探しにいくと、シャロンがやってきた。側にはエゼルも、ハルもミトもいる。多分、みんな纏まっていた方が安全だという判断だろう。情報を仕入れるという目的もありそうだ。
ひとまずドラゴンを無力化して、呪いの核があったので処理を死にいくことを伝えると、
「呪い……とても面白そうだわ?」
「研究してくれるのはいいことですけど……先に安全確認してからにしてくださいね?」
瞳をわかりやすく輝かせたシャロンの様子に少し釘を刺しておく。意味はないかもしれないけど。でも、こういうタイプは話を聞いていないようで聞いていることが多いと思う。論理性を大切にする人間には、論理を無視することは難しいことだと思うから。……わたしの推測が正しかったかどうかはわからないけど、わずかにシャロンの眉が動いたような気もした。
「ドラゴンの前に、先に処理しにいく。恐らく……砕いてから適当に浄化しておけば、危険性はないだろう。研究は好きにするといい」
イェルが投げやりに言葉をなげて、すたすたと先に行ってしまう。わたしが慌てて追いかけると、みんなもついてくる。
と、するりとハルが近づいてきて、わたしに拗ねたような不満をぶつける。
「結局きみのことはわかりそうにないよ」
ハルはよほど利他的な行為とかが好きじゃないらしい。
「そんなにかな? できる範囲で頑張る。無理そうだったら諦める。……変なことだとは思わないけど」
「きみの無理そうって、どこにあるの? ぼくは理解できないよ。……そんなになってまでさ」
言われて自分の身嗜みを見直すと、……確かに服はぼろぼろな上、吐血とか返り血とかで服も肌も髪の毛も汚れている。最後に地面に墜落したせいか、土まみれでもある。確かにこの様子を見ると、ぱっと見わたしが無理したように見えるかもしれない。
正直右手は魔力を使わないと動かないのだけど、変に心配されないようにヒラヒラと両手を動かしつつ、特に血で汚れている左手をアピールしながら、
「そんなっていうけど、ほら。全然傷はないよ。ちょっと汚れてるだけ」
「…………。思いっきりドラゴンに叩きつけられてたくせに」
「終わりよければそれでいいでしょ? 誰も大怪我はしてないよ?」
「……そうやって頑張ってうまく行ってる間はいいけど」
あからさまな不満と拗ねた態度はハルの歩き方にも現れていて、わたしの横に追いついたり適当に地面を蹴ったりして遅れたり。子供っぽい態度に少し和まなくもない。
「ロクシー。その右手をわざとらしく動かすのはやめろ」
「あ、イェル、えと、あはは……」
いつのまにか近づいてきていたイェルにぱしりと右手をつかまれる。治療とかできるくらいだし、そもそも前に無理やり魔法で体を動かしてた時も一目でばれてたし、魔法使いなら見ればわかるようなことなのかもしれない。シャロンは……こっちにはあまり興味なさそう。こちらを見ずに普通に研究対象を楽しみにしてそうだし、エゼルは横でため息をついている。
イェルの追及に特に適切な言い訳を準備していたわけではなかったわたしは、軽く笑うことしかできなかった。ハルの視線の湿度が上がる。
「大体、魔法使って血とか土とか落としてない時点で、キツかったのはわかるし」
「う、……なるほど。忘れてた」
「待て、余計なことで無駄づかいするな。後でいい」
「え? ……はい」
でもまぁ、身嗜みを整えておくというのは余裕を見せるのに重要だということは失念していた。今度から気をつけよう。
「この辺りかしら! ああ、早く核を眺めてみたいわ!」
「頼むから危険はないようにしてくれよ、シャロン」
「わかってるわよエゼル!」
前方からシャロンとエゼルが想像通りのテンションで会話をしている。近くでミトが困ったようについて行っているが、あの勢いを止められはしないだろう。シャロンのあれはきっと全然わかってない顔だ。それを見かねてかイェルが二人の方へと歩いていった。
「まぁ別に? ぼくが何をいっても無駄だろうけどさ」
「ハルは優しいね?」
「はぁ? いきなり何?」
「素直な感想として。ようは心配してくれてるんでしょ?」
「別に。ぼくの価値観から理解できないから文句言ってるだけだけど?」
なるほど。確かにそれは露悪的な表現だけど、優しいという形容は似合わないような気もしてくる。自分の価値観にそぐわない相手を強制するのは別に優しい人間ではない……ってそうでもないかな? 優しさと独善とはいつだって表裏一体である気もするし。
「まぁそれでもさ。わたしはハルとかイェルからは優しさを感じるし、感謝してるよ。ありがとう」
「ふーん……」
素直に感謝を音にすると、ハルは同じように素直な不満を口にした。多少は照れ隠しも混じってるような気もする。希望的観測かもしれないけど。
それからしばらく歩いて、周囲を探索したりした。わたしが吹き飛ばされた時に咄嗟に投げ飛ばした呪いの核は、そこら中にブレスとかと一緒にドラゴンが呪いを撒き散らしたせいで一瞬で見つかるということはなかった。散らばった呪いをシャロンが興奮しながら見つめたりイェルが適当に払ったりしつつ探し、最終的にそれは地面に突き刺さっている状態で見つかった。
「で、イェル、どうするの?」
「そうだな……」
わたしが訊くと、イェルはじっと核を見つめる。呪いの状態を確認しているんだろう。……気になる。わたしもほんのちょっとだけ魔力を使ってバレないように魔力視をする。呪いの核は……まだ黒いもやが燻ってはいるけど、体内にあったときほどではない。あれなら砕いたり浄化したりすることはできそう。……あ、イェルが一瞬こっち見て不機嫌そうだ。バレたかな? 何か言われる前に先手をとっておこう。
「ちょっと気になって……」
「…………。まぁいい。そこで待ってろ。あとは砕きつつ浄化するだけだ」
ハルはそう言って、地面に刺さった核を中心に魔法陣を描き始めた。あれ、適当に物理で砕いて魔力で浄化するわけじゃないんだ。まぁでも暴発とかが怖いし丁寧にやった方がいいのかもしれない。横でシャロンが目を輝かせて興奮しながら見つめているのがみえた。
特にやることもないのでそれを眺めつつハルと一緒に少し遠巻きに眺めている。わたしが近づいたところで魔力も少ないし体もボロボロだしやれることはないだろう。構造がどうとか、魔法がちゃんと使えるわけでもないしね。呪いを見ても黒いもや以上のことがわからないわたしは、こういう場面では役に立つわけもなかった。
やたらと興奮しているシャロンを横目に、イェルは魔法陣を素早く書き上げていく。基本的には規則的な模様や文字が並ぶが、その中に対称性よりも何かを重視するために繋げられた配線のような構造がみえて少し面白い。あれは多分、電子回路とかと同じなんじゃないかな。何かを突き詰めた結果として立ち現れる規則性には、一見すると乱雑な部分が混ざったりするものだから。デザインだけが原因でない秩序には、一見乱雑な部分が存在するというのはありがちだ。
と、そんなことを考えていたのは油断だったのかもしれない。
「———! 全員離れろ!」
イェルが叫んだのと、唐突に核が大量のもやを放出したのは同時だった。
一瞬爆発的に広がった黒いもやは、直後に起動したイェルの魔法陣によって半球内に閉じ込められる。が、最初の一瞬で吹き出たもやが辺りに立ちこめ、空気が異様だ。呼吸が少し苦しい。有毒ガスのような感覚。
「霧の範囲から離れろ! 呪いの影響を受ける前に!」
「イェルは!?」
「私はいい! それよりお前たちが呪われると面倒だ!」
イェルが叫んだ直後には近くにいたシャロンやエゼル、ミトはいそいで空間から離脱している。わたしは一瞬だけイェルが気になって訊ねてしまったが、自信満々に大丈夫だと断定するなら大丈夫なんだろう。
そう信じてハルと一緒にイェルから離れる方向へと進み出したのと、目の前のハルが視界から消えたのはほぼ同時だった。
「うわっ!?」
「ハル!?」
ずぼん、とありえない勢いで陥没した地面、その大穴にハルが落下した。べしゃり、という音が空洞に響く。慌てて覗き込むと、植物の根や蔦が大穴の中を、地中から飛び出す形で動き回って蠢いていた。ハルは———ひとまずは大怪我はしてなさそうだ。が、蠢く根や蔦には黒いもやがまとわりついており、落下したハルにその食指を伸ばしている。落下して体勢の崩れたハルの体に纏わりつき始めている。多少抵抗しているがあまりうまく行っていない。そうこうしている間に穴が狭まり始めた。蠢く根や蔦が意思を持ってハルを捕食するかのように。
ハルがこちらを向いて、少し諦めたような笑顔を浮かべる。
わたしはその様子に腹が立って、衝動的に穴に飛び込んだ。
「ロクシー!?」
「何?」
「きみまで一緒に捕まる必要はない!」
「そうやって一人で達観して結論出すハルに少し腹が立ったわたしが、やりたいと思ったからやってるの。早く剥がして……」
いいつつ、ハルに纏わり付く触手を力づくで剥がしていく。抵抗するようにのたちながら黒いもやを吐き出す根に当てられないように、残り少ない魔力を込めながら素早く取り除いていく。
根っこ自体にはさほどの強度はなく、難なく剥がすことができた。が、その間に光が完全に消え去る。入り口が完全に塞がれたからだ。
わたしはマッチの魔法をつか———いや、火は危ないかな。魔法弾はそこそこ光るし、それをだして視界を確保する。ハルの不満げな顔が見えた。
「なんできみまで来たのさ!」
「いったでしょ、わたしの感情のせいだって」
「理解できない! もうぼろぼろのくせに、そうやって無茶ばっかり……」
「ねぇ、ハル。それはトラウマか何か?」
わたしは前から思っていたことを口にする。ハルの怒りはいつもどこかピントが外れている。わたし越しに何かを見ているかのような主張が多い。だから口に出して見たのだけど……それは正解だったのだろう。ハルは怒りと呆れを落っことしたみたいに表情を固めた。
わたしはその間に頭上を見上げる。出口はまるで見えない。周囲に触手が蠢いていて、いつからめとられるか少し怖くはある。少し吐血、をバレないように我慢して———うぅ、これやると肺に血液が染み込むみたいな痛みがあって嫌なんだけどハルに何か言われたくないので我慢して、イェルが魔法陣で作っていたような半球を想像して周りに展開した。薄膜のようにひかるそれは、一応は障壁になっているはずだ。
停止していたハルがそれを見て呆れや怒りを思い出したかのように、静かに話し始める。
「……ぼくはきみみたいなお人好しが馬鹿を見る様子をよく知ってるから。うまくいっている間はいい、でもきっといつか破綻する。それが理解できてないきみみたいなやつは、嫌いだ」
「だから、最初っから諦めた方がいいってこと?」
「……そうだよ! 諦めないで頑張ってもどうしようもないことはいくらでもあるんだ! それなのにきみは傷つこうとする。結局そんな努力がなんの役にも立たないことを知らないからそんなことができるんだ! 世の中にはどうしようもないことが沢山あるのを知らないから!」
ハルは堰を切ったように吐露し出す。
……どうしようもないことが世の中に沢山あるのは、一応わたしもよく知っている。天涯孤独に近い出自や、十五年間の植物状態はその典型ではある。でもわたしはそれを理由に共感を得たいとは思えなかった。
わたしが一見して無茶な行動を取りがちなのは、確かに、長年の植物状態とか、転生のせいで死への恐怖が希薄なことが原因の一つではあるんだろう。でもそれはわたしを構成する一部であって、すべてではない。
わたしはハルのように諦める態度は好きじゃない。だって、
「どうしようもないことがあるから、諦めていいってこと? それは知性への冒涜だよ」
「知性? 冒涜? ……そんなもののために頑張って最後は死ぬなんて、そんなくだらないことはない!」
「くだらなくないよ。全然、くだらなくない。……わたしにとって知性はとっても大切なものだし、限界まで頑張って得られることや成功することも知ってるから。最終的に失敗して悲しかったり辛いことはいくらでもあるけど、でもそれは最初っから諦めていいことの理由にはならないよ」
「なるよ! 最初から諦めてれば傷つかない! こんな下らない世界にまじめにつきあう必要なんかない!」
「諦めてれば傷つかないなんてこと、あるわけないよ。それはただの逃げじゃない? ……まぁいいよ、わたしは別にハルを説得したり洗脳したいわけじゃないし。でも、わたしはそうやってすぐ諦める態度は好きじゃないよ。……きみがいつも想像してる人も、きっとわたしと同じじゃない?」
「…………っ」
ハルは押し黙る。きっとわたしの推測は正しいんだろう。過去に、ハルのいうお人好しが身近にいて、何か太刀打ちできないようなことがあった。正直ものが馬鹿を見る様子を見てきた。だから最初から諦めるようになったというのは、辻褄の合う説明だ。
わたしはハルの様子をそう観察した上で、言葉をつぐ。
「諦めないで頑張るのは、もちろん傷つきはするよ。でも、それは大切なことだよ。知性云々もあるけど、プライドにも近い。……せっかく自由に動く体があって、いろんなことを考える知性もあるんだったら……できるだけ頑張ってみることは全然悪いことじゃない。そうでしょ?」
ハルは黙ったままだが、嫌悪感などは感じない。その瞳にわたしが写っているのか、わたしを通して誰かを見ているのかも、わからなかった。
「自由に動くからだと頭があるんだからさ、そんなにすぐに諦めないでよ。踏みにじられたくないからって、最初からプライドを捨てないでよ。諦めないで。どうしようもないことは沢山あるけど、でも、だからこそ頑張るんでしょ? そういう下らない世界を、全力で笑い飛ばして見返してやりたいってさ。そうは思えない?」
ハルはわたしの言葉に少しくらいは共感してくれたのだろうか。怒りや呆れが霧散していく様子が見てとれた。……わたしを通して見ている誰かのおかげかもしれないけど。
そうして少しだけ肩の力が抜けたハルは、それでも諦念をにじませた力のない声でいう。
「でも、ほら。出口は完全に塞がれたし……きみもそんなぼろぼろだし。もうダメなんじゃない?」
「…………そんなすぐに諦めないでいいよ。いろんなことを考えて、学んで、知っておくことはいつだって役に立つんだからさ」
確かに出口はもう見えない。手元のあかりがわりの魔法弾を打ち込んでみるが……パン、と弾けただけで効果があるようには見えなかった。
魔法弾が消え去り周囲は半球上の薄膜がぼんやり照らすだけになる。緩やかな光源のせいで、ハルの諦めが増幅しているように見えた。
わたしはそんなハルに向かって、知性や経験を背景にして、強く言い切る。
「頑張るのはもちろん辛いよ。でも、頑張らないでも結局傷つく。だったら……だったら、わたしは頑張りたい。頑張れる間は。知性の可能性、経験の可能性はいつだって開かれてるから。だから………わたしは、諦めない!」
それは決意表明みたいなものだ。
魔法は呪文で増幅する。わたしが一番得意な魔法は、きっとこの魔法だ。
本当に強い魔法は堅苦しい言葉で呪文を唱えたりするらしいことも知っている。だから、わたしは出来る限り堅苦しい言葉を紡ぐ。……多少恥ずかしくても、それが効果があるとわたしの知性は知っているから。
ハルのすぐそばに寄って———動かない右手に魔力を無理やり集めて、わたしは紡ぐ。
「———来たれ、我が身を侵す供儀以って顕現せよ! 殻の呪いを刹那超える光よ!」
自分の体を供儀に———犠牲にする魔法。
呪文の効果は覿面だった。
右手そのものを分解するような激痛を伴いつつも、扱かったことのない膨大な魔力がそこで処理されているのを感じる。
突き上げた右手そのものを犠牲にして、全てを切り裂く光が眼前の障害を取り払う。
呪いや触手なんてなかったかのように、すべてを消し去る。
頑張ってどうにもならないことがあるように、頑張ればどうにかなることだって沢山ある。
ぽっかりと切り取られた眼前の穴から光が差し込んでいるのを確認して、わたしは動く左腕でハルを抱えて脱出する。
「頑張れば何とかなることだって沢山あるよ。だからさ……もう少し、頑張ってもいいと思うな」
わたしの言葉がハルに響いたかは、わからない。
でも、脱出した時に聴こえたため息は、トゲのない柔らかいものだった気がした。




