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寂しがり屋と思考する転生聖女のお話。  作者: 池中 由紀
諦念する少年と森に住む者たち
34/56

◇ 34 呪いと物理

 

 少しだけ息が整えたのち、尻尾で叩かれた痛みを意識的に無視した上で、わたしは唸るドラゴンに向かって跳んだ。

 ———また反撃されるかと少し身構えたが、特に反応されることなく背中にとりつく。尻尾も牙も届かないし、割と安全だといいな。

 

「グギャアァァ———!」

「———っ」

 

 取り付いたとたんにドラゴンが空に飛びつつ暴れ回る。右や左に振ってみたり蛇行してみたりと、背中が弱点であるという意識はあるらしい。

 わたしの身体の性能は想像以上に高く、ある程度簡単に背中にしがみつくことができた。割と首に近い位置に鱗の剥がれた部分があったので、足とか手を使って首に絡むようにして振り解かれないようにした上で、一瞬だけ意識を新しい眼に向ける。

 予想通りに、鱗の剥がれた部分からの方が内部が観察できた。といっても、黒いもやのようなものが魔力的な視界を通しても燻っているせいで、どこかに呪いの核のようなものがあるのかどうかはわからない。

 

 右手を当てて、魔力を流したりしてもやもやを追い出せないかどうかを試してみる。クパの実が効いたということは、魔力の流れなりで呪いを祓うことができるということじゃないかな。もやもやがドラゴンの体内から溢れているように見えるのなら……外から別の魔力とかで押し出せたりしないかな?

 

 暴れ回るドラゴンは、正気を失っているからか特にわたしを振り落とそうという賢さは感じられない。最初は人語を介してたのに叫んでばっかりだし、呪いが進行してたりするのかな。もしそうなら急いだ方がいいかもしれない。振り落とされそうにないのはありがたいけど。

 

 わたしは右手を鱗の隙間にねじ込むようにして押し当てる。

 そのまま魔力を流しながらサロメアの石で魔力の流れを———みた瞬間に魔力を止めた。

 

 自分の魔力がドラゴンの体内に侵入したそばから黒く染まっていた。

 

 慌てて手を離そうとして、やめる。外部から魔力を注入して浄化することが出来ないのなら、クパの実の結果から言って選択肢は他にないよね。多分、イェルは不満だろうけど。

 空の絨毯の上で赤子のように暴れ回るドラゴンにしがみつきながら周囲を観察すると、イェルはすぐに見つかった。妙に大きな魔力の流れを集めているけど、その瞳は予想通りに鋭い。

 

 ……わたしの体は魔力に依存してるって言ってたっけ。呪いにも強くないみたいなことも。わたしがある程度は無茶をすることも、イェルは知っている。それでもイェルは、遠距離で何かの準備をしているのだから。きっと大丈夫だよね。

 わたしはそんな身勝手な信頼を燃料に、行動を起こす。

 

 黒いもやを、思い切り右手で吸収する。


「———ぅう、うぇ」

 

 もやもやが体内に入る感覚は非常に気持ちが悪い。邪視の実を鏡の中に入れた時と似ているが、それよりも直接的に、体の中に虫が、みたいな、あからさまな生理的嫌悪感が辛い。掌をにゅるにゅる食い破って……———いや。想像しない方がいいよね。魔法はある程度は想像力も大事らしいし。だとしたら頑張って想像して、肘より内側に入ってこないように蓋をして。あとは……詠唱とか。

 

「吸収…………ぶんか、———っ!」

 

 折角なので、呪いをそのまま消し去ってやろうと分解を想像しつつ呟いた瞬間、取り返しのつかないことになりそうな悪寒を伴った激痛が走る。……本能的な恐怖に右手が震えるほどの悪寒だった。

 あまりのことに右手を引き剥がしたところで、肘先がだらりと力なく下がり、暴れるドラゴンに振り回された。そのまま呪いを右手に留めておくのが怖くなって、わたしは叫ぶ。

 

「え、と……放出! あと封印!」

 

 ずわっ、と右手からヒルのような虫が出ていく感覚。ついでにわたしの元々持っていた魔力も引っこ抜かれたような喪失感があったが、出ていった魔力でなるべく呪いを抑え込めるように追加で封印とか虫のいいことを叫ぶ。もちろんそんなことはできるはずもないけど、それでも暴走するドラゴンの動きに放出する呪いがついてくるようなことはなく、効果があったのかもしれない。

 

 呪いを放出した右手はまだ力が入らない。両足と左手でとりつくのは難しくないけど、右手を使わないと呪いに干渉できない。

 仕方がないので、魔力の骨格を想像する。ほら、緊急事態だし、イェルも許してくれるよね?

 そんな言い訳を考えながら、ぺたり、とドラゴンの体に右手を置く。……どうしても気になってイェルに咎められたような気がして上空を見る。

 あからさまに怒ったようなイェルが待機していた。

 

 バチバチ放電してる光の槍を構えながら。

 

 アレはきっと、ドラゴンを殺せる。


「待って! もうちょっとだけ待ってイェル!」

 

 直感から思わずわたしが叫ぶと、イェルは動きを止める。……というより、多分、わたしがドラゴンにとりついている間は手を出せないのかも。きっとわたしの声は届いてないだろうし。わたしが諦めて離れた瞬間に投擲でもする気なのか、イェルは上空で並走していた。

 

 わたしは急いで右手をうごかし、呪いを少しずつ祓っていく。……空中に放り投げてるだけともいうけど、後回し。きっと外に出せばイェルがなんとかしてくれるはず。

 

「…………けふ、ごほっ」

 

 ちょうどわたしが吐血した頃に、ようやく見当どおりのものが姿を表してきた。

 ドラゴンの体内、中心というよりは割と表皮に近い体内に、拳大の黒い塊が根を張っているのが、魔力的な視覚を通して見える。どう見てもこれが原因なんだろう。あとはこれをどうやって取り除くかだけど…………。

 魔力的に取り除くのは技量的にどう考えても無理。だとしたら選択肢はない。

 

 表皮に近く、ドラゴンの魔力構造を見ても重要な器官が近くにあるようにも見えない。

 ……だったら、物理で取り除けばいいよね?

 

 魔力で即席で短剣を作り出す。手首まで入れば取り除けそうだ。さっきとは位置が違うから、左手でやらなきゃいけないけど。まずは表面の鱗から剥がさなきゃいけない。クパの実とか殴ったり蹴ったりしたおかげか、目的の場所の近くにヒビ入りの鱗はすぐに見つかった。ヒビに向かって思い切り短剣を———

 

 ———パキン。

 

「———ああもうっ!」

 

 そうだった、この鱗はやたら刃物に強いっぽいんだった、ということを忘れていた苛立ちそのままに、折れた短剣を左手に吸収して拳で上から叩き割る。バキン、という音と共に鱗が砕けて飛び散った。暴れるドラゴンは無視だ。正気を取り戻したら後でお話しすれば良い。こっちもそれなりに傷ついてるしお互い様ってことで許してほしい。

 あとはもう一度短剣を作って隙間に見える皮膚を切り裂いて、手首くらいまで体内に突っ込んで原因っぽい塊を取り出して終わりだ。…………吐血も無視、無視。


 ———と、視界が不意に変わる。

 

 蛇行したりひっくり返ったりするドラゴンは、それでも大樹を目指していたのかもしれない。いつのまにかシャロンたちの住む結界内に侵入したようだった。

 呪いが大樹に移ったりするとまずいという話だったし、わたしは急いで短剣を突き立てる。

 

「グギャ———!」


 抵抗があると思って思い切り突き刺した短剣は、意外にもさほど抵抗なく、ずぶり、とドラゴンの体表に埋まる。ますます暴れ出したドラゴンから落下しないように、わたしはとっさに短剣を捨てて両手でしがみ付いた。グルグル回る視界にも慣れてきたけど、疲れと緊張と合わさって気持ち悪さもある。いや、多分これも意識しない方がいいやつだね。


 とにかく早く原因を取り除かないと、と、左手を傷口に突っ込む。生々しい肉の感覚も意識的に無視して、黒い塊を一気に握り込んだ。そのまま外に———引き抜けない。何、こんなところで瓢箪猿みたいなことが起きるわけ!?


 短剣はない。そもそも結界の範囲からして大樹との距離ももうあまりない。時間猶予も選択肢もないなら、ごり押しが正答になることは多い。多いはず。……多くあって欲しい。

 

 わたしは直感そのままに、右手と両足をドラゴンから離した。

 

 呪いや痛みから逃れるためか暴れ回るドラゴンは、もはや無意味にブレスまで吐いている。仕方のないことかもしれないけど迷惑極まりない。……というか直撃したらわたしが死にそう。いや、それよりも早くこれを取り除かないと大樹にまで影響が出る。それはきっと、避けた方がいい。

 

 ガッチリ根を張ってるのか単に傷口が小さいのか、左手は暴れるドラゴンを利用するだけではなかなか抜けない。仕方がないので自由になった右手や両足でめちゃくちゃに殴る蹴るを繰り返して、なんとか抜け出そうとする。


 わたしが暴れれば暴れるほど、ドラゴンは痛みからもっと暴れだす。それを何回か繰り返し、だんだんと左手が抜け出てきた頃を見計らって、魔力を使って一撃をたたき込む。

 

「ごめん! 我慢して!」

 

 振り子のように勢いをつけて思い切り膝蹴りを叩き込むと、ようやく左手が自由に、

 

「ぁっ———!」

 

 鳩尾に衝撃。

 息が止まる。

 左手のものは離さない。

 急速に離れるドラゴン、多分身を捩った時に尾が入ったんだ。

 というか吹き飛ばされて、視界に光る大樹が見えないってことは。

 わたしは左手に握ったものを慌てて投げ捨てる。

 地表方向に斜めに吹き飛ばされているので、大樹に直撃することはないだろうけど。

 地表が近い。

 

「っ———!」

 

 わたしを守って、と声を出そうとしたが出なかった。

 それでも光の爆風みたいなもので、墜落の衝撃は軽減してくれる。

 魔法は便利だ。

 それでもただの落下と違って墜落だったせいか、地表を数回ボールみたいに跳ね回る羽目になった。息が止まって声も出ない。

 ようやく静止したところで、急いで立ち上がろうとしたけど無理だった。内臓のダメージは辛い。……ドラゴンにもやったんだから因果応報かもしれない。

 立ち上がろうと頑張っても腰をくの字に折って頭が地面につくだけだったので、諦めて横に寝そべってドラゴンの方を眺めようとする。まだ別に致命傷を与えたわけじゃないし、呪いを取り除いただけだから攻撃してくるかもしれないから。

 そんなことを警戒していたわたしの視界は完全に裏切られた。

 

「よくやったな、あとは私に任せればいい」

「ぃェ———」

「後でいい。とりあえずこれを叩き込んでおとなしくさせる。呪いの核が取り除けた今なら問題ないだろう。残った呪いも祓って傷口も塞いでやるんだ、お前が苦しんだ分くらいは利子つけて返しておく。……殺す気はない」


 じっと見つめて引き出した言葉に対して、わたしはこくこく、と頷きで返す。バチバチと帯電していく魔法の槍は相変わらず割と簡単にドラゴンを殺せそうな威圧感があるけど。

 イェルがわたしから視線をきって、ドラゴンを見据える。

 呪いはほとんど解けてるはずだけど、ドラゴンは痛みや怒りで我を忘れているのかまだこちらに突進してきていた。

 

「後衛の大規模魔術は準備に時間がかかるのがネックだが。準備さえ終われば———」

 

 ついっ、となんの抵抗もなく槍を握った右手を動かした直後。

 雷が空に向かって落ちた。

 光と音で視聴覚が白に染まる。

 白の世界から徐々に現実へと復帰していくなか、


「……やはり、遺跡外での、調整は難しい、な」

 

 イェルが珍しく疲れたような様子で文句を言っているのが聞こえた。

 それからしばらくして、ドォン、と遠くから地響きが鳴った。ドラゴンが墜落した音だろう。

 

「魔力があまりない。が、ロクシー、お前を少し治療したら、話をつけにいく」

「そ……だね」

「治してから話せ。今のままじゃ無理だろう」 

 

 呆れたようなイェルの声。

 

 どこか怒ってるようでもあるその声を聞いて、わたしは少し安心してため息をついた。


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