◇ 31 サロメアの石
それからわたしは、エゼルとシャロンの工房でサロメアの石の使い方を練習していた。
新しいことを学ぶのはとても好きなことだと言ってもいいので練習自体は楽しいものなのだけれど、これを早く習得しないと森が荒れっぱなしというところはいただけない。ミトも全然落ち着いてなくて、たまに木霊の集落に報告しつつもわたしと一緒に泊まり込みを敢行していた。……微妙にエルフ二人がミトに意味ありげな視線を送っていたのは、気のせいだと思うことにする。
練習自体はそれほど派手なことはしなくてもよかった。
発明者のシャロンが言うには、石を第三の目として扱うのだという。
もう少し厳密に言えば、魔力の流れとかをうまく捉えるための外部器官として利用できるらしい。外付けの、見えるものが違う目のようなものだから、石という名前はむしろ誤解を招くものだとか、路傍の石にも魔力や知性を感じられることこそ魔法使いとしての云々などとイェルと楽しそうに話していたけれど、わたしには流石にそこまではよくわからない。
まぁ別に、そこまで深く理解しなくとも、とりあえずドラゴンにかけられた呪いを看過することさえできればいいだろう。理論的な? 理解とかは時間のある時の楽しみにとっておこうと思う。全てを最初から完璧に理解する必要性は、必ずしもない。
大体、ドラゴンが暴れている振動っぽいものがたまに感じられる環境で悠長に理論を学ぶ気にもなれなかった。
思考を区切って、危険の少ない植物園の隅で目を閉じる。
光を失えば、十五年間お世話になった暗闇がすぐに現れる。この植物園には目を閉じてもとくに危険はないものの、多くの生き物が存在していて魔力の流れを見るのには適している、とシャロンが言っていた。
石を握り込んで、石を通して周囲を伺う練習を続ける。
光を媒介した瞳ではないから、強く握り込んでしまっても問題はない。
とはいえ、正直にいえば石を通して周囲を伺うとかちょっと想像しづらい。そのせいかもしれないけれど、漠然と魔力の空気のようなものはギリギリ感じられるかも? くらいにはなったものの、それ以上の鋭敏さはまだ実現できていなかった。
「……ふ、そろそろ諦めたらどうだ?」
とても楽しそうにイェルが声をかけてくる。
からかうような口調は、恐らく私がすでに一週間の間かかりきりになって練習しているにもかかわらず上手くいっていないからだろう。前回もそうだったけど、魔法に関してはできるものはすぐできるようになる一方で、できないことは中々出来ないらしい。才能とかの存在を感じてみたくもなる。
「もうちょっと頑張るよ。……それよりイェル、聖女とか遺跡のこととかが知りたいかな」
「ハルから聞いたのは、遺跡の遺物を手にした存在を聖女として国が認めている、だったか」
「確かそんな感じだったと思う。でも普通に考えてバレたら面倒なことにならない?」
「…………。お前のいう普通がどういうことかはわからんが、面倒なことにはなるだろうな」
「でしょ? 国が認めるってことは国が利用してるってことだし、遺跡とか遺物とかも多分、管理は主張してたりするんじゃないかな? ってことはわたしが勝手なことをしたとか、遺物を持ってることとか、多分あんまりバレないほうがいいよね」
国家に目をつけられるなんて、考えたくないレベルで嫌すぎる。遺物を返却できたりすればいいのだけど、想像するだけで虚空から取り出せる鏡型の収納魔法器具? は、手放すという概念があるようにも思えなかった。……その辺の知識まで含めて遺跡で無理やりインプットされたことを思い出して、少し嫌な感じ。
わたしの発言に少し思うところがあったのか、イェルがわずかに目を細めたように見えた。
「まぁ、そうだな。政治的にも宗教的にも重要な立ち位置であることに疑いはない。お前が聖女としての生活を望むというのなら別だがあまり軽率に考えないほうがいいとは思うぞ。自由は、失ってから取り戻すのは難しいからな」
「じゃあやっぱり隠す方向でいいよね。……バレたりはしない?」
「遺物さえ使わなければ聖女だとバレることはまずないだろう。ただ、もう気づいているだろうが大多数の者にとって派手な魔法は身近なものではない。ロクシー、お前が使える程度の魔法であっても目立つだろうから気をつけた方がいい」
「それは気をつけるよ。……ちなみにイェルはどうなの?」
「どう、とはなんだ?」
「ほら、言ってたでしょ? 遺跡から離れたら弱くなるって」
イェルはわたしの言葉に少し驚いたような表情をわざとらしく作って、
「覚えてたのか?」
「もちろん覚えてるけど?」
「いや、覚えていたのに隠蔽された空間に突撃したり竜の呪いを払う事にしたのか、とな」
「……取り返しのつかないレベルで危ないなら今からでも諦めるよ」
じっとイェルを見つめて言うと、イェルは緩やかに息をはいてから言う。
「…………それは、ちゃんと途中で危険だと判断した場合に諦められるのなら大丈夫だろう」
「判断はわたしにはできないからお願い。……その前にこの石が使えなきゃだけど」
「そうだな。使えるようにならないのならやめておけ」
「———ロクシー、きみはまだ諦めないんだ?」
不意に後ろ側からハルが話しかけてくる。いつのまにか近くにいたらしいハルは、イェルのようにからかうような様子でもなく、どこかちくちくとした棘を感じる声だ。
その棘が妙に耳に刺さり、記憶を刺激する。わたしは浮かんだ記憶のままにハルに言う。
「理解できないから諦めてほしい?」
わたしの声に面食らったようにハルがたじろぎ、すぐに目に見えて不機嫌になった。
「きみは結構、他の人を強く責めるよね。あの二人の時もそうだったけどさ」
「責める気は無いけど…………言ったでしょ、わたしは知性を大切にしたいの。だから、絶対に死んじゃうとかじゃない限りはギリギリまで努力するのは嫌じゃないよ」
「ぼくには分からない。死ぬかもしれないだけでも、できないことがあるだけでも、諦める正当な理由にはなるんだから」
「そうかもね。でも、わたしはそれよりも自分の価値観を大切にしたい。そもそも……早々に諦めるメリットってそんなにあるかな? 自分をなんとなく納得させる、とかじゃなくてさ」
「……ギリギリのところの見極めなんていつか間違えるから。間違えれば、ぼくやきみが傷ついたり死んだりするんだ。早めに諦めるくらいがちょうどいいよ。それに……どうしようもないことっていうのは、やっぱり世の中にはあるんだからさ」
明度の低い声。
たしかに世の中にはどうしようもないことはあると思う。それはわたし自身、十五年をなんの脈絡もなく奪われるという経験から身に染みてわかっていることだった。
「……心配してくれてありがと、ハル。本当に危なくなったらイェルが教えてくれるし、大丈夫だよ」
「…………。まぁ、きみがどう行動するかは、きみの勝手だからね。好きにすればいいや」
「ロクシー、私はお前の価値観は嫌いじゃないし面白いとも思うが、無謀なことをするということも知性を放棄した行動だろう? 限界まで努力するのはいいが引き際は常に考えておけ」
「わかってるよ?」
……本当はわかってない。
別に死んでも価値観が大事とは言わないけど、ふとした瞬間に死んでしまうことを、やっぱりそんなに怖いとは思えない。イェルともっと会話したいという気持ちはあるけれど、それだけだ。十五年も意識があるままに死んでいたようなわたしには、死がどうしても回避したいものだとは思えなかった。
そんな考えを見透かしたわけではないと思うけれど、少しだけ暗くなった空気をわざとらしく振り払うような、軽薄な声色でハルがいう。
「ま、ぼくがきみに文句言うまでもなく、できないなら諦めちゃったほうがいいんじゃ?」
「諦めないけど、コツとかがあったら教えてくれてもいいよ?」
「ぼくはわかんないけど?」
「ふむ。……第三の目のようなものだという話は聞いたのだろう? つまり、それはお前の持つ身体の延長になりうるものだ。原理が理解できるのならそれでもいいが時間もない。心臓を動かすのに心臓の知識はいらないし、ものを見るのに眼球の構造は知らなくて良いのだ。その瞳も、きちんと眼球として繋げさえすれば十分に使えるようになるだろう」
かなり具体的なような、そうでもないような助言だ。でもありがたい。
「目……ってことは視神経…………瞳……水晶体———」
ぶつぶつとつぶやきながらイメージを固めていく。重要なのは、眼球として繋げるというところだろう。本当に神経を作って繋げるとかいうわけじゃないけど、魔法的な何かで石を眼球として繋げる想像をする。障壁とか魔法弾とかも、想像するだけで大抵のことはできるのだ。これもできないはずが———
「———あ、できた」
ちくりとした瞬間的な頭痛の後、視界が少しだけ変化する。
ぱっと見では大した違いも感じられないが、意識を集中して瞼を上げる想像でサロメアの石の効力を発揮できるらしい。ふわふわとした魔力のようなものが薄っすらと見えているような感じだ。植物も種類によっては魔力を溜め込んでいたり、ハルはそれほど魔力を持っていないように見える一方、イェルはかなり不自然にもやもやが見えた。とろりとしたものがまとわりついているような、不自然に隠されているような、そんな感じだ。
じろじろと周囲を眺めているわたしに対して、イェルが柔らかさをわずかに含んだ笑みで、
「あまりそういう視線で他人を見ないほうがいいということだけは教えておいてやろう。そもそも魔法使い同士であっても嫌がることもある上、種族によっては貞操観念にも関わるようなことだ」
「へー……? 忠告ありがと」
つまり何、魔力を見るのが裸を見るのと同じような感じっていう種族もあるってことだろうか。ちょっと変な話……いや、別に変じゃないのかな? わたしのことを魔力に依存しているとか言っているくらいだから、魔力とかに強く依存している種族もあるんだろう。人間が肉体に依存しているからこそ素の肉体を晒すことに抵抗感があるのだとしたら、同様のことが魔力に対しても言えるのかもしれない。
わたしがそんなことを妄想していると、ハルがちょっとだけ不満そうに言ってくる。
「それにしてもロクシー、そんなにすぐにできるようになるなんて、きみはすごいんだね」
「イェルの助言があったからだよ」
「詠唱もしたしな」
「え? 詠唱?」
予想外のイェルの言葉に思わず訊き返す。
あれはぼそぼそと呟いだけで、詠唱なんて大したものじゃない。考え事とか集中とかしてる時に思わず口をつくような独り言のようなものだ。
わたしの認識に反して、イェルが続ける。
「魔法の形を整える型として言葉は手軽で効率的だ。ロクシー、お前にも一応話はしたと思ったが、忘れたのか?」
「……呪文とかの詠唱って、もっと格式張ったものだと思ってたんだけど。ほら、ハルの持ってる短剣も使う時に結構硬い言葉使ってたしさ?」
「ぼくの短剣は、起動するための言葉が限定している代わりに魔力を節約してたりするからね。理論は知らないけど」
「イメージや理論を補助するものとして、何も格式張った言葉を詠唱する必要性はない。堅苦しい言葉の方が効果が高いことも多いが、想像や集中をしていて口をつくような言葉でも十分に呪文として働くだろう。むしろ、そのような賢人より漏れでる言葉こそが呪文の起源だという説もあるくらいだぞ?」
へー、呪文の詠唱ってそんなに自由で、その割に効果があったりするんだ。イメージの補強とかが大事なんだったらもっと積極的に使ったほうがいいと思うけど、どうなんだろう。いや、逆にここ一番の時のために温存しておくべきだったりするのかな? ほら、毎回言葉にしてイメージにしてたら普段の魔法が弱くなっちゃったりするのかもしれない。
例によってわたしの疑問を見透かしたように、イェルが肯定してくる。
「呪文を常用しないのは、普段使いすれば効果が薄れるからということと、言葉に縛られる可能性があるからだ。魔法は本来、ある程度は想像力でどうとでもなるものだというのに、言葉に縛られてしまえば発声なしでは使うことすら難しくなる。それはつまらないだろう」
「へー……ぼくは知らなかったけど、そんな理由があったんだ。派閥争いとかそういうのだけじゃなかったんだね」
「派閥……ってことはメリットとかもあるの?」
「言葉のおかげで発動自体が安定することや、威力も底上げされることを重視して常に呪文を唱えることも理にかなっていないわけではない。私はあまり勧めようとは思わんが」
まぁイェルは魔法を思い通りに使うほうが好きそうだよね。
わたしもどちらかといえば自由に使える方がいいと思うので、適当詠唱を常に頑張ってひねり出す、というのはやめておいた。
「でも、じゃあ言葉なしで使えるようになったほうがいいってことだよね?」
「それは恐らく難しくはないぞ。一度繋がった魔法が使えなくなることは殆どないからな」
「———ほんとに? ———あ、ほんとだ」
一回石から視神経のような感覚を離して、わざわざイェルに持ってもらってから返してもらう。サロメアの石をもう一度握った上で意識したところで、明確に第三の目が体の末端に戻ってきたと感じられた。
「……それで? すぐ行くのか?」
「えー、ぼくはそんなに慌てなくてもいいと思うけどな」
「その前に、遺物のことって調べられないかな?」
「遺物って、遺跡の?」
「そうそう。……なんか便利でものがしまえるってことは何となくわかったけど、それ以上のことは調べてないし」
一応は遺跡の遺物な訳で、結構便利なものだと思う。実際、なぜか理解できることとして鏡の中の異空間にものをしまえるということがわかっている。
気になるのは、どういう状態でしまえるのかとか、どのくらいの容量なのかとか、人は入れるのかとかそういう細かいところだ。なぜか使い方がわかる謎の遺物のくせに、そういう細かいところがわからないのは不便だなぁと思う。サービスが行き届いてないよね。
わたしがそういう感じのことをイェルとハルに伝えると、
「お前はその実験をする前に思い出すべきことがあるようだが?」
「え? なんだろ……ドラゴンが暴れてるんだから急げとか?」
わたしが言うと、イェルにわざとらしいため息を返される。イェルはそのまま滑るように自然な動作でわたしの手からするりと石を奪ってから、呆れたように言い放つ。その言葉の端っこには、呆れを通り越した怒りのようなものがちょっとだけ引っかかっているようにも聞こえた。
「違う。言っておくが、石などの道具を使用するのにも魔力は使用しているのだから、休息をとったほうがいい。……集中していて気づかないのかもしれんが、そのうちまた血を吐くぞ」
「えぇ、そんな酷いことはないんじゃ———って……、ぅく、けほっ」
イェルの言葉を変に意識したからか、言ってる途中で喉奥の方から血の味が広がってきた。ちょっと耐えようとしたせいで血液が胸に流れて行くようなすごく嫌な感覚がある。流れちゃダメなところに赤い液体がしっとりと侵入していくような感覚とともに、しくしくとした痛みと吐き気に近い気持ち悪さがないまぜになっている。
「———けほっ、ごほっ、うぅううぅぅ……も、もうちょっと早めに教えて…………」
「物事に熱中するのもいいが視野は広く持つべきだな。いい薬になるだろう?」
「体は大切にしたいよ……」
「ロクシーが? ぼくにはきみが自分の体を大切にしてるとは、とても思えないけど」
「それは優先順位とか天秤の問題でしょ? わざわざ体を痛めつける必要性はないよ」
「まぁそうだよね。その点、イェルは意地悪だね」
ハルがわたしの感想に同調してくれる。一方でイェルはそんな非難を気にした様子もなく、
「本当に気をつけろよ。その石程度を使う魔法であれば問題も起きないが、そういう安全なものばかりでもない。ロクシー、お前は好奇心に恐怖心とかが負ける類の人間に見えるからな。そのくらいの痛い目はみておいた方がいいくらいだ」
イェルの言葉はなんとなく否定してみたくなるものだったけど、理性的に考えればとてもまっとうなことを言っているように聞こえるので批判は難しい。実際、ドラゴンが暴れているのとかが気にならないわけではないし、実際に近くで少し暴れていた様子も振動などとしては知っているのでなおさら気が急いてしまっていた。
……だから逆に、体は血を吐いてから労ろうとか考えていたのだけど、それが良くなかったらしい。今までとは違って、なんだか嫌な感じの吐血だ。イェルが落ち着いているから多分、それほど問題はないのだけど、痛みと気持ち悪さがまだら模様になって肺に伝染するような感覚は、二度と感じたくないと思うのに十分なほど不快なものだった。
わたしはイェルの言葉を受け入れて、今日はゆっくり休むことにする。
遺物の調査自体はドラゴンの呪いとかに対処する為に有用かもしれないので先に調べて起きたいところだから、明日か明後日くらいに対峙しに行くことになるだろう。……遺物を使うのも魔力とか使いそうだし、明日調べたらまた少し休んで明後日とかになりそうな気もする。
そんなことを考えながら、わたしはイェルとハルと共に植物園を後にしたのだった。




