◇ 30 推測と推敲
「ロクシー、あなたはこんな小さな子供なのに面白い発想を持っているのね? まるで大人と話しているような……正直、かなり興味深いわ?」
「え? ……あ、え、っと…………」
さあ森が荒れている理由についていろんな推測を披露してみよう、と一言目を発する直前に、シャロンがよく通る声でそう言ってきた。なんだか目がキラキラしているような、ギラギラしているような、そんな感じでちょっと怖い。
わたしが硬直していると、イェルがするりと近寄ってきて少しだけ前に出てくれる。庇ってくれてるみたいでちょっと嬉しい。幼いという形容の似合うわたしに比べたら、イェルはずっと成長しているように見えるけど、大人と比べたらまだまだ子供っぽい外見だ。お姉ちゃんに庇われたりするのってこんな感じなのかな。
「だろう? ロクシーと話すのは面白い。だから森について存分に知恵を貸してやってくれ」
「それはいいが……正直に言っても、ドラゴンをどうにかするしか解決方法はないと思うぞ」
「ええと、まず前提としてですけど、はぐれたり呪われたドラゴンってどのくらい一般的なものなんですか?」
「そこのサヴィアくらいには見かけない珍しいものだ。悪さでもして人間に追い立てられたか、悪いものでも食べて同族から見捨てられたのか、原因は推測するしかないが」
「それならこの規模の魔力源が森に現れるのはどのくらい珍しいです?」
「それなりに珍しいけれど、ドラゴンほどではないですわね。そうねぇ……そろそろ季節の変わり目ですし、魔力源自体はありふれたものでしょう。これほどの規模になるのはそれなりに珍しいですけれど……研究したがるのはわたくしたちばかりではありませんもの」
「そうだろうな。遺跡にせよ源にせよ、そういう類のものは隠蔽されるがちだ、ロクシー」
イェルもシャロンの言葉を肯定する。だとしたら、やっぱり最初から二人が言っていたように原因の多くはドラゴンが負っているのかもしれない。
「ドラゴンは森で暴れてるんですか?」
「行儀のいいドラゴンではないな。俺たちよりも木霊たちの方が知っているだろう?」
「えと、その、必要以上に暴れまわりつつ魔物を狩ったり、無闇に火を吐いて火事を起こしたり……少なからず森を荒らしている、と思います」
「ドラゴンが森に来てからの方が魔力源の流量? が増えてたりしますか?」
「…………。劇的なものではないが、明らかに増えてはいる。お前の言うように森が傷ついたから癒すというのも理解できるし、あるいはドラゴンが魔力を撒き散らしているのかもしれん。強大な力を持つものは、ただそこにいるだけで周りに影響を与えるからな。呪われていればなおさらだ」
言葉を選ぶようにゆっくりとエゼルがいった。
別に非難する気は無いから安心して欲しいんだけど。
「そうなると…………やっぱりドラゴンは原因の重要な一端ではあるんでしょうね」
「……ぼくにはあまりにも当たり前に聞こえるけどね、ロクシー。多分、ここにいる全員がそう思ってるよ?」
「そうだろうけど、ちゃんと一から確認するのも重要だよ。前提条件を厳密にすることは大切なんだから」
さっきシャロンが言っていたようなことを言ってみると、ピクリとだけシャロンが反応した。うっすらと笑っているような気もするし、同調してくれているのだろう。
「確認ですけど、魔力源を止めたりしても森の状態の改善になるとは限らないんですよね?」
「俺たちが普通に考えれば悪化するとしか思えん。さっきも言ったが、魔力源自体は規模の大小こそあれありふれたものだし、それどころか森の恵みとして不可欠なものだろう。少し規模が大きいというところが、この魔力源の特筆すべきところではあるが、必要な事には変わりあるまい」
「じゃあやっぱり、ドラゴンをどうにかするしか無いですね」
推論の当たり前の帰結としてそう口にすると、少しだけシャロンが訝しげに訊ねてくる。
「ドラゴンを……どうにかですって?」
「知能は高いんですよね?」
「ロクシー、お前は知らないかもしれないが、平均的なドラゴンは他の種族のことを矮小であると見下しがちな高慢な種族だぞ。お前が何をするつもりか知らないが、少なくとも私には耳を貸すとは思えんぞ」
「そうね。それに、あなたも呪いを見たのでしょう? ……わたくしは呪いは専門では無いのですけれど、アレはあまりよくないものだということくらいは感じられましたわ。下手に手を出せば巻き込まれますわよ」
「呪い…………。呪いは、祓えたりするんですか?」
「俺とシャロンには無理だ。……むしろ、お前たちの方がそういうものは得意だろう?」
エゼルがわたしとイェルに向かってそういう。……別にわたしは呪いとか詳しく無いし、イェルにもそういう話をされた覚えはないけど。
イェルは軽く鼻で笑ってあしらうだけで、エゼルの言及について直接的な答えを口にはしなかった。
「遠目に見ただけでどのような呪いか詳細に判別がつくほど親しくはしていない。……それとこれは忠告だが、声は厄の種にもなるものだ、気をつけた方がいいぞ?」
「…………別に、喧嘩するつもりはない。だが少なくとも俺たちには呪いを祓ったりはできないとだけは言っておくぞ」
「イェル、わかる範囲でいいから呪いについて教えて? わたし、多分何にも知らないし」
正確には現実世界での呪いとかについては雑学として色々知って入るけれど、こちらの世界の呪いとは同じものではないだろうから。
イェルはかなり嫌そうな顔をした。……となりのハルも、なんだか呆れてるような感じでこれ見よがしにため息をついてるし、ちょっと不本意だ。二人とも、わたしがドラゴンの呪いを無理矢理にでも祓いにいくとでも思っているんだろう。
嫌そうな顔をしつつも、イェルはかなり詳しく教えてくれる。
呪いと一言に言ってもさまざまなものがあるらしい。魂のようなものを仮定してそれを直接縛りにいく呪法もあれば、契約魔術などを無理やり焼き付けるに近い方法、さらには肉体に直接作用する毒薬のような形のあるもの。共通しているのは魔力を使用しているということ程度らしい。
イェルの見立てによれば、ドラゴンには少なくとも魔力によって肉体を苛む呪法がかけられているという。ドラゴンはそういう搦め手はあんまり得意ではない傾向にあり、人間と争いになった時などはしばしば呪法を併用して調伏するらしい。ハルもそういう伝説はよく聞くとか言ってるし、それなりに有名なことのようだ。
呪いの歴史とかを話し出したイェルの話を遮り、わたしは一足飛びに核心をつく。
「祓えないの?」
「……やめておけ。祓えないことはないが、呪いの類は他の存在に写しとることはできても祓いきるのは難しい。原因、つまり呪いをかけた人物が誰かわかっていれば別だが、今回はそれもわからないだろう」
「……直接訊いてみれば誰がかけたかくらいはわかるんじゃない?」
「お前は話を聞いてなかったのか? ドラゴンは種族として傲慢であることが多い。はぐれてもいるということは、あまり温厚な個体とも思えんぞ」
イェルのすっぱりとした断定口調には、少し反発したくなる。
だって、イェルはこの話題で鮮やかな切り口を見せるべきだとは思えないのだ。
「ドラゴンという種とか、はぐれとか。それも肉体と同じように呪いだとは思わない?」
少女の肉体を呪いだと言い放ち、似合わないと自覚した口調を強いて使うイェルが、ドラゴンというだけで、はぐれというだけで断定することには違和感を感じて当然だろう。実際、はぐれ扱いとかにはイェルもあんまりいい気はしてなかったみたいだし。
わたしの言葉に、イェルはわずかに目を細めてから視線を横にそらした。わたしはその様子がはっきりわかる程度には、じぃっとイェルを見つめ続けた。
やがて観念したのか、イェルはそっと口を開く。
「……そうだな。そうかもしれん。だがロクシー、話しかけに行くなどやめておけ。呪いは魔力によって対象を侵食する魔法だと言っただろう? ……魔力に依存したお前とは相性が悪い。呪いは種類によっては移ろいやすいものでもある。接触するのは危険だろう。私とてこの身———遺跡を離れたこの身では、ドラゴンを相手にするのは難しいかもしれないのだから」
「だいたい、ロクシー、きみがそこまでする必要はないよ。森が荒れて困ってる木霊たちだって、ドラゴンが原因だったら諦めもするさ」
ハルが心底呆れたようにしていう。隣にいるミトすらも、その言葉に頷いてハルの言葉を肯定していた。
エゼルとシャロンはイェルが話している途中から訝しげな顔をしてこちらを見ていたが、とくになにかを言っては来ない。二人で何事かをぼそぼそと話しているのだけはわかった。
そんな周囲の様子を横目に、わたしは真っ直ぐにイェルに向けて訊ねる。
「ねぇ、イェル。わたしがドラゴンに話を聞きに行くのは、命がいくつあっても足りないほどに危険なことかな?」
「…………。———ふん。そこまで危険だとは、言えない」
あからさまに不満そうな低い少女の声色で、イェルは言った。嘘を言われたらわたしにはどうしようもなかったけど、この様子ならイェルの言葉は信用できるだろう。
だけど、折角なのでもう一歩だけ踏み込んでおこう。
「じゃあ仮に呪いがわたしに移っちゃっても、遺跡に戻ればイェルがなんとかしてくれる?」
「ロクシー、お前……———不本意極まりないが、あの程度の呪いを解けないと嘘をつくのも癪だな」
「じゃ、とりあえずドラゴンさんに直接話を聞いてみるのは決定だね。……できれば呪いも祓っちゃいたいんだけど、やっぱり何ともならないかな?」
「原因か手法さえわかれば、呪いを払うことは基本的には難しくはないものだ。生き物の在りようを歪める呪に対しては、生まれ持った抵抗力もあり成功することすら少ない。外部から魔力で呪いを無理やり払うイメージだけでも、十分対処できる可能性も十分にあるだろう。だが……ドラゴンが自力で対処できていない呪いだからな。あまり無茶はするな」
「無理やり…………それはすごくわかりやすいね」
「お前は本当に……まぁいい。だが原因か手法がわからなかった場合はやめておけよ。それがわかって呪いの全容を掴んだ状態でなければ危うすぎる。イメージも明確なものにはならないだろう」
「———この石を使うといいですわ」
イェルとわたしの会話を聞いていたシャロンが唐突に、鮮やかな青紫色の石を投げ渡してくる。
「わっ、たっ、と」
……ちょっと落としそうになってひやっとしたけどなんとかキャッチした。みんなの目がちょっと冷えてる気がする。そんないきなり投げられてもキャッチするのは難しいと思うんだけど。
投げ渡されたのは、扁平で光沢を持ったつるつるした石だった。少し細長く、全体的に透き通っているだけでなく、鮮やかな紫色からアジサイとかみたいな花の青色から乳白色へと、段階的にグラデーションがかかった石だ。透き通っているので原石だけれど宝石にすら見える。少し観察していると、ある程度の周期で淡く光っているようにも見えた。
「それは、代替品ではない本物のサロメアの石。安物とは違って、様々なものの根源を見通すのに役立つはずよ。……竜の鱗を魔法的に加工して作るのだけれど、少し因果を感じなくもないわね」
「……本物の石? 竜鱗? ……あれは確か、鷹の羽を加工したものではなかったか?」
「ええ、出回っているものはそうですわね。魔力の充溢した空間を探す程度の目的なら、あれで十分ですわ。本物はもっと強力というだけですもの」
シャロンがどこか誇らしげにそう言うと、イェルは僅かに目を細めただけで沈黙した。とくに悪感情を持った様子ではなかったが、そのままシャロンを見ている。
わたしがイェルの言動をあまり理解できないままに眺めていると、イェルは殆ど確信を持ったような、わざとらしい声で言った。
「なるほど。本物の石か。……シャロンと言ったか? なぜお前に、本物のサロメアの石だとわかるのか、聞いてやった方がいいか?」
「別に聞かなくてもいいですわ。……けれどそうね、そちらの可愛いお嬢さんにはわかっていないようだから答えてあげてもよくてよ。———わたくしがサロメアの石を作り出した本人、サロメア=スクロドフ=エイカーですから、その石についてよく知っているのは当然ですわね」
その発言を聞いて一番驚いたのはハルだった。殆ど唸るようにして、ぅわ、凄い有名人、だとかなんとか呟いておし黙る。
一方でわたしは驚こうにも驚けない。だって知らないから。異世界の有名人とか、脈絡なく出てきてもあんまり驚けないのはしょうがないと思う。いやまぁ、あからさまに研究者然としてたし、色んなことも知ってたし凄そうな人だなぁとは思っていたけど、実感がないのは仕方がないと思う。
わたしがあまり驚かないことにがっかりされたりしたらやだなぁとか思っていたが、シャロンは特に気にした様子もなく話を続けた。
「わたくしが何者かよりも、その石があなたの役に立つということが重要ですわよ。……竜種を打ち負かす呪いをどうにかしようだなんて大それたことを考えているみたいですけれど、準備も考えもなしにぶつかって行くのは得策とはとても思えませんもの。せめてその石を利用できるようになってからにしなさい?」
苦言の割には親切なことを言っている気がする。……そもそも部外者に自分の出自を明かすのはそれなりに凄いことかもしれない。なんでもないことのように振舞っているけれど、イェルですら気にしていたように、二人ははぐれとか呼ばれている魔法使いなのだ。ハルもなんだかさっきからそわそわしてるし…………わざわざこんな石を貸してくれる時点で、シャロンはこう見えてお人好しなのかも。
実際、シャロンの隣にいるエゼルはシャロンが自分の名を明かした時に取り繕っていない驚きを見せたし、その後で盛大にため息をついていた。……エゼルが振り回されてるっぽいなっていう直感は間違ってないね。
わたしのそんな大きなお世話っぽい感想がバレれたのかもしれない。
エゼルがわたしの視線に気づき、じろりと一瞥をくれたあと、たっぷりと不満を含ませた刺々しい声を投げつけてきた。
「こうして協力してやるんだ、迷惑はかけてくれるなよ。精々その石をうまく使ってドラゴンをなんとかするんだな」




