◇ 29 弁明と追及
「……だとしたらなんだ? いや、なぜそう考える?」
勤めて平静を装ったような声でエゼルが聞き返してくる。割と冷静な対応だ。
「だって二人とも、魔力の多いこの環境に興味があって研究してるんですよね? 甘味を管理してる感じとか、ちゃんと工房というか風雨をしのげる設備があるところとかからして、ここに住んでるんじゃないですか? ぱっと見た感じ、お二人の性格なら面倒を嫌って隠すんじゃないかな、と思ったんです」
だいたい、いくら魔法といってもなんでもありではないのだとイェルに言われている。自然が勝手に隠すっていうのはつまり偶然とかが積み重なるってことだけど、それにしては変化が唐突だ。いや、勝手な妄想だけど、ほら、見えなくなった境界がくっきりとしていたあたりとか、すごく人工的な感じを受けたんだよね。
それに、自分が住んでいるところを目立たなくする気持ちは理解できる。だいたい、森の中には狼とかがいるのだからそういった存在から身を守るのは必須だろう。仮に魔法使いが強大な力を持っていると仮定しても、面倒ごとを嫌うのは知性を持つものに共通する性質に思える。特に、二人のような研究者気質っぽい人ならなおさらだ。
わたしの推測はそれほど間違ってはいなかったようで、シャロンが堂々とした声で答える。
「ええ、そうですわ。これほどの研究材料を目立たせてしまえば煩わしいですもの。だいたい、これほどの魔力の自然的な湧出に関する研究の意義を理解しない人間には勿体ないですわ。きちんと研究できるものが研究すべきですもの」
「……隠蔽したことが森が荒れた原因である可能性については考えないんですか?」
「影響が全くないとは言わんが、あの呪われたドラゴンほどの影響はないはずだ。第一、人間どもが発見すれば大挙して押し寄せ森を荒らす可能性すらある。あいつらは地味な研究には理解を示さん代わりに即物的で悪意ある研究を好むからな。それよりはマシだろう。———そこの木霊も、森を人間に荒らされるのは避けたいだろう?」
じろり、エゼルがミトを睨みつけると、ミトはわずかに身じろぎしつつもはっきりと、
「……は、はい。その、エルフのお二人に大樹を隠していただけた方が、安心できます」
……やっぱり二人はエルフなんだ。イェルとかハルとかを見た感じそれほど驚いてる感じもないし、割とありふれた存在なんだろうか。……いや、ハルはちょっと驚いてるような表情な気もするから、普通の人にとってはちょっと特別な感じなのかな?
そんなことを思いつつも、軽い敵意をにじませたエゼルの発言に素朴な疑問を投げておく。
「人間のことを嫌ってるんですか?」
「なんだ? お前たちもそうではないのか? そちらの遺跡に住まうものとお前ははぐれなのだろう? 強大な力を持つものが辺境で遊ぶ事にどんな理由があるかには興味がないが、はぐれが人間を好く理由など、俺は知らんな」
「……はぐれ?」
初めて聞く単語にクエスチョンマークを浮かべると、あからさまにイェルが不機嫌そうな声で挑発的なことを言い出す。
「人里に住まず森や洞窟、遺跡などで暮らす魔法使いのことだ。……そっちの二人もそうなんだろうさ、若いエルフが二人だからな、傷つきやすそうだし理由は聞いてやるな」
「別にわたくしたちに隠すべき理由なんてありませんわ? ただ研究を理解しない視野の狭い人間の社会で暮らしたくなかっただけですもの」
「……そうだ。俺たちは平穏な生活と刺激的な研究を望んでいるだけだ。必要以上に森が荒れるのならなんとかしようと思わなくもないが、今のところは研究対象としての興味の方が勝る。森をなんとかしたいというお前たちを止める気はないが、研究の邪魔はしないでもらおう」
堂々としたシャロンの声に比べて、エゼルは少し暗い色の声だ。イェルの発言にちょっと苛立っているのかもしれない。
それにしてもここまで想像した通りの典型的な研究者然とした態度には面食らってしまう。最初っからあんまりわたしたちに友好的な感じじゃなかったのも、研究の邪魔をするなという感情がそのまま態度に出ていた結果だったりするんじゃないだろうか。
「少し質問してもいいですか?」
「なんだ?」
「ドラゴンの出現と、この大樹から魔力が湧き出し始めたのはどっちが先なんです?」
「……大樹からの湧き出しが先だな。最近になってあのドラゴンが暴れて困っているのは俺たちも同じだ」
「湧き出しが最初なら、それが原因かもとは思わないんですか?」
先程からエゼルもシャロンも直接的な表現をしているので、わたしもまっすぐに訊いてみる。シャロンは特にマイナスの感情を持った様子もなく平然と、
「可能性はありますわ? けれど、それがどうしたというのかしら?」
「自分たちの責任である可能性は考慮しないんですか?」
「全くしていないわけではないわよ。けれどドラゴンの所業にまで責任は持てませんわ。あの種のドラゴンであれば知性は持っているでしょう。知性を持っているのなら、あなたがすべきなのはわたくしたちの説得ではなく、ドラゴンの説得ではなくて?」
強い悪意は感じないけれど、少し意地悪そうな表情を浮かべてシャロンがそう口にする。
「……魔力が湧き出しているにもかかわらず外部から探知できないということは、魔力を漏らさぬように溜め込んでいるということですよね? 人工的に高濃度になった魔力による影響が出ていない保証はありませんよね? たまに研究の邪魔をされてるってことは、たまにここに入ってきてるってことで、やっぱり関係があるとは思いませんか?」
「全く関係がないとは言わないわよ? 少しはわたしたちに責任のようなものを認めてもいいわ。けれどやはり、会話に応じることのないドラゴンが呪いを振りまくこと以上に森が荒れる原因は考えつきませんわ。あなたの言った通り、わたくしたちは魔力をある程度操作していますが、完全に溜め込んでいるわけではありません。きちんと外に放出はしているのです。それによる森への影響はもともと魔力源が与える影響と大差はないはずですわ」
思ったより周囲に配慮した研究らしい。正直なところ魔力のダムを作ったとなればあからさまに環境に影響が出ると思ったのだけど、流石にそこまで軽率なことはしてないという。ほら、現実世界のダムとかもものすごい勢いで自然に影響が出るし、これもそういう類の問題かと思ったのだ。
「それにしても、知らないって言った割には随分といろいろなことをご存知ですね」
「優先順位の問題だ。俺たちは研究がしたいだけで、森の異常には特に興味はない。むしろ変わったことが起きているのならば研究対象として興味深い。……だが面倒ごとは結構だ、早く出ていってくれないか?」
「ロクシー、やめておけ。この種の研究に目のない奴らには、研究よりも上位の行動原理を期待するだけ無駄だ。お前の想像通り、森が荒れた原因の一部はこいつらにもあるだろうが、説得するのは面倒だと思うぞ。……それと、正直に言えば私もこいつらの立場なら同じことを考えるだろう」
イェルまでエルフ二人に同調した答えをしてきた。……わたしはその返答に、少し嫌な気持ちが湧いてきてしまう。
だって、それは、知性を冒涜する思考停止に思えてしまうから。
わたしは少しだけ意を決して二人をまっすぐと見据える。イェルが少し同調したからだろうか、二人の表情は少し和らいでいるようにすら見えた。
「じゃあ、お二人は自分たちが馬鹿にする人間と同じように耳を塞ぎ思考停止するんですね」
「……なんだと? どこをどう曲解すればそんな理解になる?」
ぴり、とした声が肌に僅かに刺さる。わずかに視線を鋭くしたエゼルに対して、
「魔法使いのあなたたちにとっては重要ではないことなんでしょうけど、森が荒れるというのは森や周囲に住まう者にとっては死活問題です。それなのに自分たちの興味のあることを優先して周囲への迷惑を省みない。……お二人がどうしてここで暮らしているのか詳しくは知りませんけど、同じようにあなたたちも軽視されたからここにいるんですよね? お二人が森に住まうものたちを軽視するのと、似ている気がしますけど」
「……俺たちに責任と言えるほどのものはない」
「森が荒れた原因を断定できていないのに、どうしてそんなことを言い切るんですか? そういう断定はあんまり研究者っぽくないですよ」
「…………。お前は俺たちにどうしろというんだ?」
少し攻撃的で批判的な言葉になりすぎた気がして内心でどきどきしてしまったが、少しはなにかが伝わったのだろうか。エゼルが深いため息で時間を稼いだ後に、わたしの要求を訊いてきた。わたしの返答はもう準備できている。
「研究者としての知恵をもっと積極的に貸してください。最初は知らないって言ってましたけど、森が荒れた原因について結構理解してましたよね? お二人にとっては時間の無駄かもしれないですけど、少しだけ知恵を貸していただけるだけでも、とても助かるのです。———それに、森が荒れる原因も研究対象だとは思えませんか? ほら、魔力が湧き出す現象の原因も、森が荒れたために魔力の流れがいびつになった結果だとか、逆に森が荒れて傷ついているのを癒すためだとか、そういう理由があるかもしれないじゃないですか。森は複雑なんですから、全体の研究もした方がいいと思います」
単純に知識が欲しいのだ。わたしはいろんな無駄な知識とかを持っているけど、こっちの世界の常識すら知らない。いきなりサヴィアがどうのとか言われても困るし、森が荒れるのがどの程度のことなのかすらまだおぼろげにしか理解できてないくらいだ。イェルもかなり物知りで助かるけど、森が荒れている原因に関しては、多分、この二人のエルフの方が詳しいだろう。色々浮かんでいる思いつきを精査するには、エゼルとシャロンの方が適任なのだ。
わたしの言葉に多少の意味があったのか、……あるいは最後の一言が効いたのかもしれない。シャロンは多分そうだ。それまであまり興味なさげに聞き流しているような雰囲気もあったシャロンが、研究対象としての価値を頑張って提示して見た途端に興味深そうにしだした。エゼルはそんなシャロンを横目で見つつ、なんだか呆れたようにしているように見えた。
またしてもエゼルが長いため息で会話を区切る。割と常に不機嫌そうな割には苦労してそうな、重いため息だ。シャロンに振り回され慣れてたりするのかな。というか二人で暮らしてるってことは、結婚とかしてたりするんだろうか。
少し余計な事に思考がそれたわたしに向かって、エゼルは観念するようにして言った。
「……いいだろう。俺たちの知恵を貸してやる」




