◇ 24 森の生き物
遠目で見た時とは違い、今度はきちんとわたしたちの前にまで走り寄ってきた案内人さんは、どうやらわたしたちを集落にまで案内してくれるらしい。木霊、……じゃなかった、推定、植物から生まれた人型サヴィアは、完全に伝達係のようだ。
というか、遺跡の主、ってイェルのことだよね? じゃあわたしは黙ってたほうがいいかな。
「森の様子がおかしいようだが、調べてなんとかしたい。集落で話を聞いいてもいいか?」
「えっ……?」
予想だにしなかったように目を丸くする。イェル〜、普段どんな近所づきあいしてたの? 話聞いてもいい? って言ってされる顔じゃないと思うよ?
わたしがそういう、からかいを含んだ視線をびしばし横から当てつけてると、イェルは少しだけ顔をそらしつつ、
「問題があるか?」
「い、いえっ! えと、ご案内しますっ!」
ちょっと、そんな不満を相手に当てつけないでよ! この子、どう見ても決定権とかもってないんだからちゃんと丁寧に扱わなきゃダメだよ!
そう思い、さっきよりも厳しめの視線をイェルに刺す。……少し大きく顔をそらしているあたり、自覚はありそうだ。自覚があるだけじゃダメだけどね。
3人を先導するようにちょっとビクビクしながら歩き出した少女を見て、わたしはちょっといたたまれない気持ちになる。少しの間、黙ってイェルのフォローを待っていたが、そんなことをするつもりはないらしい。仕方ないので雑談でもすれば気が紛れたりするかな?
「えーっと、始めまして。わたしはロクシー。あなたは?」
「あ、す、すみませんっ! ミト、といいますっ!」
う、別に自己紹介がなかったことを咎めたわけじゃないんだけど……。
「ぼくはハルファス。ハルって呼んでね。それで、集落ってぼくらもついて行って大丈夫なところなの?」
「は、はい、その、遺跡の主様のお連れの方なら、大丈夫です」
どういうことだろう。……単に緊張してるだけなのかもしれないけど微妙に怯えてるような感じもする。ほんとにイェルはどういう立ち位置なんだろうね? まぁ遺跡に篭った魔女みたいな何かだとしたら、わたしの現代知識的にもちょっと恐れられてたりしてもおかしくはないとは思うけど。薬師としての魔女のような何かは特に中世ヨーロッパに限定した文化ではないけれど、どれも似たような扱いではあるから。
わたしがそんなことをふらふらと考えていると、イェルは少しだけ安心したのか満足したのか、息を緩やかにはいた。
「とにかく、この森について話を訊きにきた。場合によっては助けになることもあるだろう。私としてもあまり煩わしいのは好きではないからな。……道すがら、お前の知っていることを話すがいい」
「あ、は、はい! あの、でもその、わたしはあんまりーーー」
「いいから話せ」
ひっ、と引きつけを起こしたようにミトの喉に空気が引っかかる。……なんだかイェルの機嫌が悪いように聞こえるけど気のせいかな?
あんまり機嫌の悪い人の行動は好きじゃないし、なんとなく不器用さからくる勘違いのような気もするので少し言葉をつけておく。
「イェル、別にそんなに慌てなくってもいいでしょ? 森の調査と問題解決も目的の一つだけど、ほら、諸国漫遊も目的なんだから。旅物語は辛く苦しいものじゃなくて、楽しく情景描写溢れるものの方がわたしは好きだよ?」
「む……だがお前はほぼ面識のない存在が困っているというだけで森の様子が気になるほどに、居ても立っても居られないのではなかったか?」
「いやいやいや、そこまで切羽詰まった感情じゃないよ。わたしが、わたしたちが役立って、簡単になんとかできる範囲だったらどうにかできないかな? って軽い気持ちで思ってるだけで」
「けどロクシー、君の簡単の定義はぼくたちとは違うみたいだし、正直ロクシーよりもイェルの気持ちの方が良くわかるよ、ぼくは」
ハルにまでそんなことを言われてしまって驚く。あれ、別にわたしそんなにお節介お人好し型の主人公みたいな行動はとってないと思うんだけど。どうなってるのかなって気になることとか、どうにかできないのかなっていう知的好奇心みたいなものがメインだし、別に何か強烈な主義信条があるわけじゃない。そりゃ、知性とかは重要だとは思ってるけど、それだって自分に無理ない範囲だと思う。本当にできないと思った時に信条に殉じることは流石にないと思うし。
わたしのそんな思考は視線や表情からバレバレなのか、イェルはわざとらしいため息をついた。横でおろおろしているミトが少しかわいそうだけど、今はちょっとどうすることもできない。
「自覚がないのか。まぁいい、お前はそういう自覚がなかったり軽率な行動をとりがちだが、ただ黙るだけで嘘もあまりつかないように思う。お前の発言は常に一応の本心ではあるんだろう。だとしたらそこまで急かす必要性もなかったな。……何か気になることがあれば彼女に訊ねてみればどうだ? 遺跡の主などと呼ばれるほどに閉じこもっている私よりも面白いことを知っているかもしれんぞ?」
イェルにめちゃくちゃ分析されてて恥ずかしいと思う間も無く、無造作に話を振られたせいでミトが混乱していた。わたしたちを先導して歩いているのにつんのめって転びそうになっている。
「ダメだよイェル。よく知らないけど、イェルはそれなりに凄い人なんでしょ? だったらそうやって提案するだけで命令みたいなものになっちゃうんだから。それに……」
正直、何がタブーかわからない世間話よりは少しでも事務的な? 内容の方がいいと思う。この世界の常識のないわたしが『この森で1番綺麗なところはどこ?』とか訊いたとして、実はそれは木霊の聖地で部外秘だということが常識で……とかそういうことがありえないとは言えない。そもそも、イェルが結構敬われてるか恐れられてるっぽいし、一緒にいるわたしが言っても命令みたいになっちゃうかもしれない。
「……とにかく、普通にいま森で起きてることを聞けばいいと思うよ。……いいかな?」
ついっ、とミトを見上げつついう。……相手はまだ子供なのだからという意識がどうしても働いてしまうのだけど、外見的にはわたしの方が幼く見えるくらいだということをすぐ忘れちゃうね。実際どうなんだろう、こんな森の奥だからいいけど村とかではもっと普通に子供っぽく擬態すべきなのかな?
「は、はいっ! あ、でもその、森が騒がしくなったということがわかっているだけで、原因はわかってないんです……」
「騒がしくってどういうこと? ぼくたちは森が妙に光ったりするっていうのは知ってるんだけど」
「光る……のも気になりますけど、それよりも害獣とか魔物がすごい増えてて……みんな困ってます。集落の外に出るのもちょっと怖いくらいで……」
だから走ってきたりしたんだろうか。行って帰ってきた時間を思えば、かなり集落は近いはずだ。
「害獣や魔物か。……ロクシー、お前も心当たりがあるな」
「心当たり、は……狼のことでしょ? だからここにいるわけだしね」
「狼、って……まさか、毒狼ウルパスじゃないですよね……?」
「そうそう、そのウルパスだよ。十字の模様が見えた時点でぼくは止めたのにロクシーは勝手に突っ込んでくからね」
先を行くミトがぐるりと振り返ったかと思うと、ざざっ、と距離を置くようにしてわたしから離れた。……え、なに、毒とか言ってるけどあれってもしかしてただの狼じゃなかったの?
みんなふつうに焼いて食べてたから毒とか言われても違和感しかないんだけど……。
わたしが困惑していると身構えるようにしているミトに対してハルがおどけるようにして、
「大丈夫大丈夫、ロクシーはなんと自分の数倍の体格のウルパス相手に傷つけられることなく倒しきってたからね。噛まれてたらひとたまりもないところだったと思うよ」
そんな危ない相手だったの……と、少し血の気が引ける音が聞こえた気がした。まさかあの体格で毒を利用するような生き物だったとは。だってふつう毒を使うのって他の武器がそれほど優れてない生き物だって気がしない? まさか素早く動いて鋭利な牙と爪を持つような生き物が毒を持っているとは思わなかった。感染症とかならまだわかるけど……———ってちょっと待った。
じぃ、とイェルを見つめると、視線を払うように手を横に払いつつ視線を外してきた。
「どうせロクシーには毒は効かないから安心しておけ。一度、私が噛まれたところを治療しているからな。向こう数年は安心だろう」
……思った通り最初に噛まれたアレはウルパスとかいう謎生き物だったらしい。ぱっと見狼に見えたし、十字の模様とか見えた覚えがないけど、慌てていたし見落としたんだろうか。
イェルの言葉は投げやりな発音だったけれど、内容にミトは安心したらしい。そうですか、なら大丈夫ですね、とだけ言ってまた歩き出した。
小さなミトに連れられて、集落にはそれから数分でたどり着くことができた。到着までに聞けた話でわかったのは、森にはよくわからない生物、例えばスライムだとか巨大な虫だとかが元から少なからず生息していて、最近それが増えたり活発になったりしていて困っているらしいことだ。
……うへぇ、これ、わたしがイェルの遺跡に行く前に出会ってたら死んでたんじゃない?
だってスライムは信じられないほど多様な種類がことがいて、しかも毒を持ってたり擬態能力があったり色々面倒くさいらしいし、大きい虫とかもはや生態を知りたくないという感情すら湧いてくる。だってものによっては今のわたしより大きいらしいんだよ? わたしは特別虫が苦手というわけじゃないけど、それにしたって単純に怖い。 こう、巨大な蝶々に体液をすすられるとか———やめやめ、そんなの想像しないほうがいい。
とにかく、わたしは転生直後の不運を少し恨んでいて、まぁでもイェルに会えたし許してあげよう、みたいなことを考えていたのだけど、割と幸運だったのかもしれない、なんて思い直しつつ、木霊の集落へと足を踏み入れたのだった。




