◇ 23 サヴィアと一つの論争
目を凝らすとかなり遠くに少女のような人影があるように見えた。……気のせいかもしれないけどやたら露出の多い格好してるな。なんだろう、妖精とかなんだろうか。妖精とか神的な存在って結構な頻度で裸だったりするよね。あれって別に芸術家の趣味ってだけでもないんだけど……とか考え事をしているうちに、こちらに気づいたかと思った瞬間に森の奥へと走って行ってしまった。
「……なんだか逃げられた気がするんですけど、大丈夫なの? 森に住んでる存在って、よく考えなくても人間が会いに行っていいものなのかな?」
森に住んでいると言うのは、少なくとも人間と友好的に居住環境を共用できないと言うことじゃないだろうか。
そんなわたしの心配など問題にもしないように、イェルが軽く笑い飛ばす。
「ふん、そんな心配はいらないぞ。あれもどうせわたしが現れたと言うことを集落に伝えているだけだからな。同じ森に住むもの同士、面識がないわけでもないし敵対しているわけでもない。……ただ少し珍しくはある」
「珍しい?」
「見てわかっただろうが、あれは木霊の特徴を持っていなかった。話を聞きに行こうとしているのは木霊、ここの者は女性体だからアルラウネか? 彼女らの集落だからな。迷い子や捨て子を拾ったのか、あるいは…………」
「まってまって、こだま? とかいうのもわかんないし特徴なんかもっとわかんないよ、イェル。教えて?」
というか見ればわかるって、そんな注意深く見てないよ。だいたいアルラウネってなんか半人半植物みたいな魔物とかの名前に使われるやつじゃなかったっけ。元ネタがなんだったかちょっとど忘れした。まぁ向こうの知識は必ずしも役には立たないはずだけど。
わたしが慌てて止めると、イェルもハルもきょとんとした様子でこちらを伺ってくる。……え、なに、アルラウネってそんなに常識に近いことなのかな?
「半人半植物の生き物で、人間のことを食べたりしないのがアルラウネじゃんか。体の一部が植物だったり頭に花が咲いてたりするって言うのが特徴だってことはぼくでも知ってるくらいのことなのに、ロクシーはいろんなこと知ってる割に変なところを知らないんだね?」
「……わたしの知識は偏ってるから。ちなみに男性体とか、食べたりするのは?」
「男の格好してるのがマンドレイクで、食人種がドリアード…………だよね?」
「ああ。人間は、ドリアードとは険悪だが、他の木霊とは良好ではない程度で、そこまで険悪ではない。多少生き物としての構造は違うが、それだけだ。意思疎通もできる上に、森を重要視しているからな。森についての話を訊くにはちょうどいいだろう」
まぁたしかに、その土地のことはその土地に住む人に聞いた方がいいって言うのはだいたい正しいかもしれない。調査隊が現地の人に受け入れられないかもしれないという問題は常につきまとう気もするんだけどね。だいたい、良好ではない程度ってあんまりいいわけじゃないってことだし。
せっかくなので少し木霊という種に関して2人に教えてもらった。
……教えてもらった結果、あんまりいい話ではなかった。人間とあまり友好的でない理由は完全に人間側の問題だった。曰く、最近まで人食い木霊のドリアードを駆除するために結構強引で無理矢理なことをしてきたらしく、その過程で人畜無害なアルラウネとかマンドレイクなんかの反感を買ったらしい。ふつうの村とか街とかだと、未だにドリアードと混同されて住めたものではないともいっていた。まぁそりゃ、あまり友好的でないよねぇ……むしろあまり友好的でないだけで済んでるのがすごいかもしれない。
「だけど、さっきの子は木霊の見た目の性質を一つも持ってなかったんだよね? ってことは人間かもしれないってこと?」
わたしが疑問を投げかけると、イェルが少しもったいぶった沈黙を返してくる。……イェルは人間以外に心当たりがあるようだ。
「かなり珍しいことでまさかとも思うが、今どき森に赤子を捨てるというのも、それを木霊がわざわざ拾って育てるというのもまさかと思うからな。……あれは、サヴィアかもしれん」
「サヴィア!? あの!? まさか!」
かなりもったいぶったイェルの発言に、ハルがほとんど飛びかかるように反応する。なになに、そのサヴィアとかっていうのはそんなに珍しいものなの? というか、あの、ってなんだろう。うう、わたしだけおいてけぼりっぽい……とか思いつつ、ああこれが異世界の知識に触れるということなんだな、とか改めて思う。わたしが当たり前に知っていることをイェルやハルが知らないように、イェルやハルが当たり前に知っていることを、わたしは知らないのだ。
わたしの反応からその程度のことはお見通しなのだろう、イェルが、ふん、と笑みをこちらに向ける。
「典型的神学論争などで枕詞のように使われる者だ。5日で湖を呪い殺す厄介者であるサルヴィという植物が稀に残す果実より産まれる、とされているものがサヴィアで、木霊と違い花を持たず、見た目はほとんど人間に等しい上に同等の知性を持つ。しかし親はただの植物だ。……さて、5日で湖を毒で汚染する植物を、人間と区別のつかない存在を産むからと言って大切に保護すべきだろうか?」
「……つまり、どの段階で、知性を尊重し保護すべきか、と。———まぁたしかに論争っぽい感じだね。でもそういうのって、適当に、植物もサヴィアも人間とは違うから赤子だって保護しなくたっていいのだ、とか言って終わりそうでもあるんだけど」
「よっぽど博愛主義な人じゃなければそうだよ。ぼくは植物は別に特別扱いしなくてもいいと思うし、サヴィアは特に悪いことしないなら普通に扱えばいいと思ってるけど」
「……一般市民はそう考えるものが多いのか。だが支配階級や宗教家の公的な態度は、ロクシー、お前の言った通り、植物も人型のサヴィアも特に保護する必要性はないと考えている。まぁ……珍しさ故にそれも見た目が完全に人間であることを実感として知らないから、というのもあるかもしれないが」
貴族や神父がそういう行動をとるのは無理のないことなのかもしれない。政治的な判断とか宗教的な決定とか、大抵は個々人の明確な熟慮の結果として動くものではなく、漠然とした空気のようなものに流されてしまいがちだと、わたしは思う。漠然と植物は邪魔だから、なんとなく人間とは違うと思うから。そういう理由にもならない理由で行動が決まることはよくあることだとも思うのだ。それらしい理由は、行動を決めた後に後付けできるものだしね。
イェルの言う通り、サヴィアが稀な存在ということも大きな理由だろう。人間は自分と似ていても少し色が違うだけとかで簡単に差別する一方、自分たちと区別のつかないような存在に対してはそこまで苛烈にあたらないように、歴史を振り返る分には感じる。勘違いかもしれないけど。そういう見た目が同じ異民族とは、非対称性はあれど融和しがちだと思うのだ。だからイェルもハルも、木霊の特徴にすぐ目が向くんじゃないかな? けれど、厄介者の植物の印象が強すぎる上に、サヴィアが稀であればそのような問題に直面すること自体が少ないと言うことだから、あまり人型のサヴィアを尊重した結論が出ないのは理解はできた。
「ロクシー、ちなみにお前はどう考える? やはり知性の可能性たる植物も保護すべきだと考えるか?」
「んー……でも毎回、人型を産むわけでもないし、植物も多分、逆にサヴィアが産むというわけでもないんだよね? だとしたら、もっと調べて、どういう条件でサヴィアが産まれるのかを明らかにすべきなんじゃないかな? それが明らかになるまでは、ハルの言ったような態度でいいと思う、かな」
わたしが特に取り繕うことなく思ったままを口から垂れ流すと、イェルは軽く笑い、なるほど、と軽く呟いた。
「ねね、イェルは?」
訊ねると、楽しそうに笑いながら端的に答える。
「私は、お前と同じだが結論が違うな」
「…………! それって条件を知ってるってことでしょ? どんな条件なの?」
「人間と同じだ。十分な栄養と魔力、そして広さを持った湖で成長した植物だけが、稀に人型のサヴィアを産む。人型が植物を産んでいるというのは聞いたことがないし、サヴィア自身も植物を大切にしたりはしない。そもそもこの植物は1週間もすれば枯れ果てるのが常だからな。一瞬で湖を覆い尽くし毒で汚染し、そのまま枯れてさらに毒漬けにすることで嫌われている植物だ。……いずれにせよ、基本的には植物を特別扱いする必要性はないように思う。一方で、森の奥などの環境で植物が根を張っている場合、駆除すべきではないようにも思うが」
あー、この植物って湖を覆う藻か何かみたいな植物なのか。蓮とかああいう感じの。向こうの世界でも、栄養があるとぶわーっと成長して枯れて湖を汚す、みたいな話があった気がする。そこからいきなり人型の果実をつけるとかいう話になるあたりがファンタジックだけど。
「……ってちょっと待って、生みの親がすぐ枯れ果てるって、サヴィアはどうやって生きてくの?」
素朴な疑問は致命的なものだったらしく、イェルが少し苦い顔を見せて言う。
「……普通、サヴィアは他の果実と同様の末路を辿る。生まれたばかりの赤子が生きるすべはない。だからこそ尊重する必要はないのだという主張もあるくらいだ。……稀に生まれたサヴィアは、稀に木霊や人間に保護される。普通、サヴィアを見られるのは、そういう保護された個体だ。野生で生き延びた話は、まず聞かない」
産まれもって孤児、ということらしい。……少し思うところがなくもない。わたし自身も孤児だったし、それ以上に保護してくれる人物も社会も保証されていないのだ。現代日本だったら赤子は流石に社会が保護するだろう。一方で森のど真ん中に捨てられた神学論争の種にもなるような赤子が、うまく生き延びていくのは想像以上に奇跡的なことであるように思えた。
と、いうか……それがサヴィアがあまり尊重されない理由になっているようにも思える。同種の個体で群れることがないということだからだ。基本的に、他の社会の一員としてしか立場を与えられず、木霊や人間の構成する社会に組み込まれるサヴィアは、もはや成長とともにサヴィアを代表するような存在にはなれなくなるだろう。現実に存在するのは、人間と共に情緒を育んだサヴィアや、木霊と共に森で平和に暮らすサヴィアでしかなく、植物から生まれる人型であるサヴィアという存在ではない。
「あ、案内人が帰ってきたよ」
ハルがそう言って指差した先には、先ほど走り去った少女のような人影が徐々に近づいてきているところだった。みんな目がいいね。正直あんな遠くの人影とか気づけないよ。
近づいてくる人影は、とてとてと少し危なっかしく走り寄ってきている。その危なっかしさに比べると身長が高いな、と一瞬思って思い直す。自分がギリギリ就学児くらいの身長だったことを忘れていた。そりゃ、ちまっとしたわたしの体から見たら誰でも大きく見えるよね。
黙って近づくのを待っていると、少女は3人の前で立ち止まる。少し息を切らしているが、それほど慌てた様子はない。ちょっと安心。
少女は数十秒で息を整えてから、言葉を口にした。
「ようこそ、遺跡の主よ。今日の要件はなんでしょうか? ……とのことです」




