◇ 21 森と信条
次に目が覚めたとき、わたしは激痛を感じて立ち上がることができなかった。
とりあえずイェルの提案で、わたしたちはここでしばらく休憩……というか、わたしの回復を待つことになった。
イェルはやっぱり身体を無理やり動かしていたことに気づいていたようだった。せっかくなのでわたしはイェルに、痛む身体を直してほしいと頼んでみたが、
「わたしは回復はできる方だが、お前のソレくらい深刻なものには余計な手を加えない方が良いだろう」
と残念そうに拒否した。
それでもこの傷? というか体の不自由は数日で治るとイェルが言ってくれたので、わたしはおとなしく休憩している。イェルは空を飛べるだろうしわたしたちを運んで村で休憩しないかという案もあったのだけれど、わたしが少し身体を動かすだけで痛みを感じるために断念した。
そうして数日を過ごすと、痛みがなくなってきて、徐々に身体が動くようになり、一週間もすると元通りになった。
それにしてもどこからともなく肉とかキノコ? とかを調達してくる2人には感嘆するしかない。わたしなら確実に毒キノコを引き当ててくる自信があるし、仮にそうでなくても味が壊滅的になることは保証できる。適当な鍋料理で、大した調味料の準備もなしにここまで美味しいのは素直にすごい。そういえばイェルが作った料理をこれで食べたことになるのかな。自信ありげな振る舞いはフラグとかでもなく、普通に料理が得意だったらしい。
それにしてもやっぱりこの体は便利だ。まぁ左腕がちぎれても魔力とかいう不思議能力で回復するんだから今更かもしれない。それでもあまりにも不思議だったのでイェルに訊いてみると、
「魔法的な構造さえ無事で、魔力が十分にあれば、死なない限りお前の身体は回復するだろう。だがそれは絶対的な回復ではないし、不死なんかでもない。特に今回お前は無理やり魔力で身体を動かしたな? あれは体に魔力的な負荷がかかる。よほどでない限りはやめておけ。自力で動けなくなるぞ」
とのことだった。
ハルの方はというと、遺跡の真ん中に立ったわたしがいきなり消えてものすごい動転したらしい。 まぁそりゃそうだよね、人がいきなり消えたらびっくりする。
しかもハルはおそらく、大きなオオカミとかに襲われたらひとたまりもないだろう。わたしがいれば、一応逃げるくらいはできるのだから大きな違いだ。まさか奴隷商人がこんな森まで追ってくるとは思わないけどさ。
そういえば、大体なんでイェルがここにいるのか? とか思ったけど、ハルに訊くとしばらくして、わたしが空から落ちてくるちょっと前あたりに、ものすごい勢いで飛んできたらしい。
あまりにも突然で隠れる暇もなかったハルを見つけて、他に人がいたはずだ、と詰め寄った。
ハルがかなりの剣幕だったイェルにたじろぎつつも、わたしのことを話すと、イェルが不機嫌さを隠そうともせずに悪態をつき始めた———あたりでわたしが落ちてきたということだった。
その理由をイェルに訊くと、遺跡なんてろくなものじゃないから、とそっけない答えが返ってきたのでそれ以上訊くのはやめた。
さて、それはともかく回復したわたしたちは次の目的を決めるために会話をしていた。
といっても、わたしからの提案は一つだ。
「森が荒れてるらしいんだけど、どうにかできないかな」
「どうにかって、どうする気さ」
「狼が外に出てきたりしないように、いつも通りの森に戻せないかな? 何か原因があるはずだよね?」
まぁその原因が人間たちが開発をしすぎた、とかだと厄介な話になってくるけど、村の様子とかから人間の発展度合いを予想するに、それはなさそうだ。
「ロクシー、お前がそれをする必要がわからんぞ」
「必要性……はなくても必要性を感じられれば必要なんだよ、とか?」
「無意味でも意味があるようにか? ……ふざけてないで真面目に答えろ」
「ふざけてはないけど……ほら、わたしはなんだかちょっと頑丈な体みたいだし、自分が簡単にできる範囲で困ってる人がいたらどうにかできないかな、って思うのは普通の感情じゃない?」
わたしが率直な感想を吐露すると、ハルがあきれたように軽い笑いを浮かべて言う。
「きみのいう、自分が簡単にできる範囲っていうのはずいぶん広いみたいだけどね」
「どういうことだ?」
「ああ、イェル、きみは知らないかもしれないけど、ロクシーは大きなオオカミを魔法で撃退したんだ。その時も大けがしてたけど……それも簡単な範囲らしいね」
いや、そういわれても。
だって身体が治るんだよ? 大けがだろうが何だろうが治るなら一緒だと思わない? 逆に治らないようなら小さな怪我だってわたしも嫌だ。わたしだって治らないようなけがをするくらいなら逃げると思うけど、でもこの体だと腕がなくなっても生えてきたりするんだからさ。
「腕がなくなっただと? ロクシー、お前は何をやっていたんだ?」
イェルにそう訊かれて、わたしはイェルとはぐれたときからのことを話した。思えば水場に行ったときにいきなりオオカミに襲われてから、群れに襲われ、大オオカミに襲われ……結構無茶もしたような気もしてきた。
一通りイェルに伝えると、イェルもため息をつきつつ、まぁいい、とつぶやいてから、
「すでにそんな行動を起こしているということは……ロクシー、お前は割と向こう見ずなやつだったんだな」
「ええ? 無理だと思ったら諦めたりするよ?」
「今のところその傾向はないみたいだけどね」
「そう簡単には諦めはしないけど……」
「なぜだ?」
イェルは純粋な疑問を割と鋭く研いだ口調で訊いてきた。
その質問に対して、わたしはまっすぐに答える。
「わたしは、他人を尊重したいから」
「他人を尊重したいだと?」
「…………」
一度似たことを話したからだろうか。ハルは貝のように沈黙している。
「正確に言うと、……わたしは知性を尊重したい。わたしだけでなく、他人に宿っている知性も等しく尊いものとして」
わたしの発言に、イェルはわずかに眉を動かした。わたしにはそれが面白がっているようにも、わたしの主張に対する肯定のようにも見えた。
「その結果が自分を顧みず、他人を尊重して守ることか?」
「別に顧みてないわけじゃないんだよ? 自分のことも、他人のことも、同じように尊重してるだけでさ。命を天秤にかけてるわけじゃないけど、公平に考えてわたしは他人に宿っている知性も自分のものとおんなじように尊重したいと思うよ」
わたしがそういうと、イェルはかなり露骨に眉をしかめた後、ため息に少し笑みを混入させたような息をついた。
「お前が意思や知性を大切にしていることは聞いたが、まさか自分と他人との区別もつかないほどだとは思ってなかったぞ」
「うーん……でも、意思や知性自体には自分も他人もないんじゃないかな。それにわたしだって自分が確実に死ぬとかだったら別の行動をとると思うよ? ただわたしの体が妙に丈夫なのと……」
チラリと横目でハルを視線で示す。自分の身をあまり顧みない行動をするのは、転生したから死ぬのも実はあんまり怖いと思っていなくて、せいぜいイェルとは話しが合うから死にたくないなぁと思い始めている程度だという理由もあるのだ。転生したという事実はあんまり公に話すような内容でもないような気もしたので言葉を不自然に切ってイェルに察してもらうことにした。
ほんの僅かに眉毛がピクリと動き、わたしはその試みがうまく言ったことを察する。
「まぁいい。お前の主義信条に文句をつけようとは思わないし、それなりに好感や共感を持てないわけでもない。……だがお前は自分のための目的を一つ持つべきだな」
「あ、それは賛成。ロクシーは自分の欲求とか持ってないの? 正直、人のためにばっかり動いてて見てて危ういんだよね」
話を聞いていたハルまでそんなことを言ってくる。
「……自分のための目的? ただ生きていろんなことを見たり聞いたり経験したいとか、そういうのじゃダメなの?」
「別にいいけど……」
「…………。そういった自由で自然な態度もいいが、この場合はそのまま自分の身を顧みずに行動し続けるだけになる気もするな。知的好奇心は高いようだから、世界旅行でもするといいかもしれない。各地の文化や環境、あるいは書物や伝説、衣類や料理……なんかは、お前がそれなりに興味を持ちそうだ」
「かもね。あんまりそうやって明言したことはなかったけど、わたしはそういうことしたいなぁとは思ってたよ。……というか、イェルはそれがわかってたからついてくるって言ってたんじゃないの?」
「……なぜそう思った?」
「何故って……だってほら、口調の話をした時とか、ついてくるって話しした時とか、楽しそうだったでしょ? 自由に諸国漫遊なんてイェルも好きそうなことじゃない?」
どうしてあんな遺跡に住んでいるのかは知らないけど、多分面倒な理由があるんだと思う。村の人とかハルとか見てればわかるけど、魔法とかも平均よりずっと使えるみたいだし、もしかしたら魔女狩りとかそういう面倒くさい文化があるのかもしれない。……というか魔女狩りとかあったらわたしもまずいかも? あ、もしかしてそういう面も含めてハルとかが苦言を呈してたりするんだろうか。
イェルはそんなわたしの発言に少し驚いたような顔をした。わたしとしてはそこで驚かれる方が驚きだ。
「あ、でも別にイェルのためだけに色んなところに行きたいなぁって思ってるわけじゃないからね。わたし、いろんなものを見て聞いて楽しみたいっていうのは本当だから」
「だったらもっと自分の体を大切にした方がいいと思うけど」
「う。で、でも治るから……」
「限界はあるぞ。……特にその、無理やり体を動かしたり自分から身体を傷つけるのは、あまり良くない。今回もお前はあまり深刻に捉えてないのかもしれんが、一週間ものあいだ動けてないんだぞ? 次から本当に気をつけろ」
たしかに一週間くらい暮らしに不自由していたのは確かだ。純粋にわたしのことを考えてくれているっぽいし、素直にはぁいと返事をしておく。
ただその、正直それでも自分が助けられるときは全力で手を伸ばしておきたいなぁとは思ってしまう。わたしは15年間も孤独だったけれど、親戚の人とかが手を差し伸べてくれたりはしたのだ。転生前のわたしには誰かの役に立てる身体はなかったけれど、今はある。だったら、それを活用したいと思うのは、単なる自己奉仕精神ではないとも思えた。むしろ自分の欲求の一つで、自己満足に近いものだ。
話がひと段落したところで、ハルが次の方針に関して口を開く。
「それで? 今の話の後でも、やっぱり森が気になるわけ?」
「今の話の後だからこそ、気になるよ。森だってわたしの知らない世界で、見て聞いてみたい範囲に含まれてるからね。それとも森はそんなに危険だったり、わたしの知らない文化的に何か問題があるの? だったら教えて欲しいけど」
ハルはわたしの返答に少し呆れたようにため息をついた。イェルの方はというと、予想通りとでもいうように軽く笑って、
「いや、ここ最近の森の荒れ具合は私も気にはなっていた。前回の狼の時とは違い、今回は私もいるからな。特に危険もないだろう」
「じゃ、決定だね。ハルもそれでいい? もし早く遠くの街に行きたいとか、希望があったらわたしにできる範囲で手伝うよ?」
ハルはわたしやイェルよりも、行動に制約がある。わたしはたまたま魔法がすぐに使えるようになったけれど、村を見る限りそれはかなり幸運なことなんだと思う。だから、わたしたちが行動を決めてしまうと、ハルに選択権がなくなってしまうことは十分にあり得る話で、それはわたしが嫌だった。
そんなわたしの心配を知ってか知らずか、ハルはなんでもないことのように言う。
「いいよ、別にぼくにいく場所なんてないしさ。むしろきみ達についていっていいならその方がありがたいよ。安全だし、多分、ひどい目にも会わないしね」
……じっとわたしを見つめながらの言葉からは、まだ少しイェルに対しては不信感があるのかもしれないとも感じたけれど、特に問題にはならなそうだった。
「じゃあとりあえず森の調査? をするのは決定だね。具体的にどうすればいいかは正直よくわからないけど……?」
イェルに視線を向けて助けを求めれば、予想していたように言葉が返って来る。
「とりあえず奥に入るぞ。村のことは人間に訊けば良いように、森のことは森に詳しいやつに訊くべきだ。道すがらお前の好奇心も満たしてやろう。それでいいか?」
「もちろん! イェルは色んなこと知ってるから期待してるよ?」
ふふん、と冗談めかして笑うと、イェルはまた緩やかに笑いの混ざったため息をついて、
「それならば私はお前の素晴らしい発想と未知の文化を楽しみにするとしよう」
「うぇっ、それはあんまり楽しみにしないで正直自信ないので……」
「へー、ロクシーってそんなに話がうまいの? 僕も期待してるね?」
「や、やめて期待値上げるのはやめて! ただの戯言だって聞き流してくれないと困るから……」
これは本心からそう思う。私の知識はいくら読書が好きだったとはいえ15歳時点で止まっている。それから15年ずっと記憶を頼りに考えただけで、外からの情報はせいぜいテレビ音声だったことを思えば、間違った知識を大量に仕入れているはずなのだ。
……そういえばその辺の事情はまだイェルにも詳しくは話してないかも。そのうち機会があったら話そうかな。
「まぁ、いい。いずれにせよここから目的地までは少し距離があるが、あまり目立つのもよくないな。少し歩くか」
イェルがそういって、遺跡のある少しひらけた空間から森へと歩を進める。
わたしとハルはそれに続いて森へと入っていった。




