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寂しがり屋と思考する転生聖女のお話。  作者: 池中 由紀
諦念する少年と森に住む者たち
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◇ 02 十五年ぶり

そして、わたしは十五年ぶりに光を認識した。


「―――え?」


 十五年ぶりの発声。

 ……まぬけだけれど、声の出し方を忘れてなかったんだね。……そんなことより。


「え? え?」


 仰向けのわたしの目の前に広がるのは、赤や茶色の混じる緑の木の葉でできた樹井と、その間からのぞく真っ青な空だ。


 なんてあざやかなんだろう。


 わたしは思わず空に見とれ、手を伸ばす。

 ああ、十五年ぶりに体が動く。

 ひんやりとした、ちょっとがさがさした地面。伸ばした掌にあたるあたたかい日の光。ほんのわずかな風が指の間を通り抜け、わたしのからだをなでる。


 たぶん、これは何でもない風景だ。

 それに、もしかしたら死ぬ直前の幻覚かも。

 それでも、わたしは気づくと涙を、……十五年ぶりの涙を流していた。


 液体が瞳の横を流れる感触。

 感情に連動した体の動き。

 心拍とか血圧の変化。

 

 そのすべてが、なんだかいとおしい。


 一度ゆっくり瞬きをして、涙を抑える。

 そうして、わたしはゆっくりと立ち上がってみた。

 周囲を見渡すと……―――どうやら森の中だ。

 鬱蒼とした感じではないけれど、そこまで視界がよい森でもない。葉っぱの色とかを見ると秋っぽい感覚がある。温度も結構肌寒い感じだ。


「ちょっと寒いかもね」


 確認のためにしゃべってみる。なんだかちょっと幼いような気もするけど、もともと自分の声がどんなんだったかは忘れてしまっているからよくわからない。少なくとも三十歳の声ではない気がするけど。

 そう思って自分の手を伸ばしてみてみると、なんだかちっちゃい気がする。というかそもそも目線の高さが低い気がする。

 首を曲げて胸と足のほうを見てみると、


「ひゃぁああ!?」


 思わず身体を抱いてしゃがみこんだ。

 …………一糸まとわぬ裸体だった。

 ついでに言うとたぶん少年と大差ない恰好で、あと少年じゃないことは見ればわかった。


「なんで裸なの……っていうかこれは何? 夢?」


 夢にしては鮮やかではっきりとしているし、十五年ぶりに働いている五感はわたしに感動を与え続けている。

 これがもしも夢だとしたら、五感をずっと求めていたわたしの脳みそが錯覚にしたって感じられなかったのは信じられない。

 本当に狂いそうになっていても感じられなかった感覚なのだから、死ぬ間際にこんな夢を見られるだなんてとても信じられないし信じたくないので、これはよくわからないけど現実だと思うことにする。


 ……現実っていうのもよくわからないけど。


 しゃがみこんだ状態からもう一度ゆっくりと立ち上がる。

 周囲はちょっとした森で、あまり視界はよくないけれど高低差はない。山ではない感じがする。木々から木漏れ日が差し込んでいて、暗澹ともしてない。

 たまにそよそよと風が木々をなで、赤とか黄色の混じった葉っぱがささやいているばかりで、虫とか鳥とか、そういう声は聞こえてこない。ちょっと残念。


 湿気た土からやわらかい泥を蒸発させたようなふわっとしたにおいと、かさかさに乾いた落ち葉が粉になって風に乗ったようなさらりとしたにおいに、まだ緑の残る葉っぱから香る独特の青っぽい植物臭が一緒くたになって漂っている。正直十五年ぶりに感じるにおいとしてはとても強烈で、嗅覚が混乱しそうになるし、ちょっとくらくらする。


 地面を踏みしめる足は、正直いってちょっとちくちく痛い。靴がほしい。あとさっきまで寝転んでたせいで背中に土とか枯れ葉とかついてて嫌な感じ。服がほしい。

 うん、服は本当にほしい。裸で歩き回るのは割と恥ずかしい……まぁそれ以上に恥ずかしいことを十五年間やられてきたけどさ、それはそれとしてわたしはまだ恥ずかしいと思いたい。


 あと寒い。ものすごく。さっきは目が覚めたばかりで興奮してたからそこまで気づかなかったけど、裸でいていい気温じゃないと思う。冬だと思うほど寒くないし、森の感じを見るとたぶん秋なのだろうけど、秋に裸でいたらやっぱり寒いよね? なんでわたしはこんな森の中に裸で立ってるの?


 そもそもわたしの体もなんだか変だ。

 手足とか胸とか、いろんなところを眺めてみると、どう見ても子供、それも二次性徴を迎える以前の女児の体つきだ。もっといえば、わたしの記憶にある視界の高さと比べて目に見えて低いわけで、もしかすると幼い、という言葉が似あってしまうかもしれない。手首当たりの、ぷにっとした子供っぽさが、なんだかわたしの自己認識と違和感満載でちょっと気持ち悪い。


「うーん……結局よくわからないけど…………これからどうしよう?」


 声が出ることがちょっとうれしくて、無駄に独り言をつぶやきながら考えをまとめてみる。

 死んだ、と思った瞬間に目が覚めて、よくわからない女児の体になっている、なんて経験は生まれて始めてだ。


「ここが死後の世界なのかな?」


 思ったことを口にしてみる。

 声が、ざざぁ、と木の葉のささやきに上書きされて、否定されたような気がした。


 死後の世界にしてはきれいでも何でもない。いや、死後の世界に期待しすぎなのかもしれないけど、今わたしの目の前に広がっている光景は、本当にただの森でしかない。

 それなら輪廻転生とか転生とかそういうのかもしれない。それにしたっていきなり中途半端な年齢で始まるのかな? とか、転生とかってよく神様とかが説明したりしないのかな? とか思うけど。


 もしかすると、胡蝶の夢みたいなお話かもしれない。つまり、わたしが隕石のせいで植物状態になった世界は、わたしの夢だったのだ。……それもないかな。現実感はちゃんとあったし。たしかにもう日本のこととか遠い過去の記憶でしかないけどさ。


「うーん……でも重要なのはそこじゃないかも」


 そう。たぶん考えるべきなのはそこじゃない。

 なんだかよくわからないけど、わたしはこのちっちゃい子供としてこの世界に存在していると、感じているのだ。考えるべきなのは、今わたしが認識しているこの世界で、わたしがどうしたいかなのだ。

 そして、その答えはそう難しいものではない。


 わたしは、生きてみたかった。


 美しいものを見て、いろんな人と会話して、おいしいものを食べて。

 親がいないとか、病弱な体とか、ましてや植物状態とか。

 そういう煩わしさから解放されて、自由に。

 思えば旅行などしたことなかったし、読書とかが割と好きだったのもそのせいなのかもしれない。


「あ……また」


 ちょっと考えたらまた涙がするりと流れる。……この体の涙腺ゆるくない?

 まぁ感情に対して体が反応するのも十五年ぶりだし、多少大げさに感情が表に出ても、それはそれでちょっとうれしかったりはするけど。


 とにかく、わたしはこの世界を感じてみたい。


 ……まぁ、実は夢でしたごめんね、とかいうオチで数瞬後に死んだり、審判とか無とかが待ってたりしてても別にそれはそれで割とあきらめはついてるけど。

 それでも、感じられるままに世界を認識して、わたしがずっとできなかったことができるという可能性が、目の前に、いや、わたしの、この身体として存在しているのだ。


 十五年ぶりにめぐってきた、わたしにとってのチャンスなのだ。


「よし。……ちょっと頑張ってみよ」


 意思を固めるように、つぶやきながら。

 まずは食べるものとか、水とか、できれば優しい人がいればいろいろ聞けるんだけど。


 そんなことを思いつつ、わたしは森へと歩き出した。

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