◇ 18 お祭りともう一度
薄闇の中心、急造なのに5メートルはくみ上げられた木材が炎を上げている。
広場にキャンプファイヤーをあげ、周囲に適当な出店みたいな店舗が並んでいた。そのほぼすべてがオオカミ肉をうまく食べようとするものだ。
料理としては、まず串焼き。これが一番人気があるというか一番たくさんあって、あとはスープとか、鉄板焼きとか、こういうのって割とどんな文化でも共通だったりするんだろうか。あ、焼きそばみたいなのがある。麺って結構手間かかるし食べてみたいかも。
てくてく近づくと、周囲にいた村人さんたちはするりと道を開けてくれる。
なんとなくわかったことだけど、村人たちはわたしをやたらとありがたがっているというか、むしろ恐れている感じがなくもない。でも基本的には好意的な対応だからいいか、って思うけど……。
店の前に行くと、村人がじゃじゃ、と焼きそばパンを鉄板で……って、これ鉄板じゃない? うわ、すご、なにこれ木の板? 結構な勢いの炎がしたから当たってるのに燃えずに上でじゅうじゅうと野菜とかが焼けてるのはすごい違和感ある光景だ。上で混ぜてる大きめの四角い板? も当然のように木製だし。
そういえばイェルがこの星には鉄が少ないだとか言ってた気がする。それにしたって無理やり木を使わなくてもよくない? 石とかもっと使いやすいのがありそうなものだけど。
「木製の板が珍しいか、嬢ちゃん。木製の焼き板は魔法の補助が素材にもしみだしておいしくなる。ほれ、食べてみろ」
渡された器も当然のように木製で、この文明は何でも木で作るんじゃないだろうか、なんて思いつつ食べる。
んー……なんだろ、ちょっともちもちしてて強めの味。これもなんだか玉ねぎ? を炒めたときみたいな甘めの味だ。さすがに香辛料とかそういうのは高級品なんだろうか。
わたしの見た目を考慮してか、結構少なめによそってくれたもち焼きそばを食べ終え、おいしかったですと器を返す。もうちょっと見てみようと思い、別のところへ歩いていく。
なんだか観光してるみたいで楽しいかも。
思えば観光旅行なんてしたことないし、これが初めてかな? 修学旅行は一回だけ行ったっけ。でも自由に動けるのはこれが初めてかな。
そう思うとちょっと気分が高揚する。空中に飛びあがって落ちる直前みたいな浮遊感。このファンタジック世界を観光するのはそれなりに楽しそうだと思わない? 少なくとも真っ暗な植物状態よりは絶対楽しい。
ぱちぱち、と炎が爆ぜる音をききつつ、次のところに行くと、こっちは石の板でステーキを焼いていた。バーベキューというか焼肉はやっぱり万国共通の料理だよね。肉に禁忌があったりする場合は別だけど、大抵の文化では焼いた肉は食べられるのだし。
村人の親父さんは小細工なしの石版がうまさの秘訣だとか笑いながら言っていて、明らかに楽しんでる。わざわざ木製の板を使ってた焼きそばの人のほう見てたしね。
ステーキの味は普通。例のチーズっぽい味覚は下味というよりはもとからそういう味らしい。この肉はハーブというか香草で味がついていて結構おいしかった。全体的に香辛料とか調味料とかがなくて薄味気味なんだよね。
これも食べると満足して、わたしはキャンプファイヤーの上がる中央に近づいた。
炎を見ると落ち着くっていう人がいるけどどうなんだろう。科学的な理由をつけようとして、なんだっけ、自然のノイズとかに人間は安心感を覚えるのだ、みたいな話があるけどどうなんだろうね。ホワイトノイズとかが安らぎになるっていうあれだ。
でも気持ちはわからなくもない。落ち着くわけじゃないけど、観てて飽きない感じは分かる。
炎はなぜ赤く、青く、天に上るのか。そもそも炎とは何か。
絶えず姿を変えるものを見るとそういう素朴な疑問がわくものだからだ。
色は成分や温度が原因。天に上るのは重力と気流。炎は炭素と酸素との結合反応。
そんなことは誰でも知ってるんだろうけど、それでもそれ自体を掘り返すことは面白くもある。
古代ギリシャの世界観に思いをはせてみてもいいし、ミクロな視点における燃焼とは何かを考えてもよければ、炎という概念の本質を妄想してみてもいい。あらゆる思考の可能性は許容されている。
ふと、殆ど四角形にくみ上げられたキャンプファイヤーの真上からのぞいてみたらどういう光景が広がっているんだろうか、なんてことを考える。中央中心の色はどのようになっているんだろう。黄色? 赤? それとも炭で黒く見える?
「そんなに炎が面白い?」
ふいにハルからの声。
「どうだろ。わかんない」
「わかんないって……じゃあなんでこんなとこに突っ立ってるのさ。食べ物は食べた? 一応、きみがとった獲物なんだから食べたほうがいいんじゃないかな」
「どうせ食べきれないしそれはどうでもいいんだけど……」
なんてことを話していたら、ひょろ~、という頼りない笛の音が鳴りだした。
音源のほうを見ると、女の人が両手で何かを握って吹いている。オカリナの一種かな? いやオカリナは笛の一種であってこれは笛の一種といったほうがいいのかな?
あれってもともと南米かどこかで呪術的な意味を持ってたんじゃなかったっけ。それで十九世紀くらいに今よく見る感じになったとか……なんて考えていると、軽めの太鼓? の音が響く。たったったったったっ、たつたった、みたいなちょっとエスニックなリズム? いや正直音楽はよくわかんないんだけど……。でも四拍子じゃない。いやこれ四拍子? 三拍子と五拍子の繰り返し? ……てきとう言ったかも。やっぱりよくわかんない。四拍子から外れると途端に異国の音楽に聞こえだすのは、いかに日本に四拍子の音楽があふれているかの証左に……なったりするかも?
そもそも拍子ってなんだろう。定義を知らない。強い音がどこに来やすいかっていうことかな? 四拍子なら四拍子ごと、その四等分ごととかに強い音が来てると四拍子に聞こえたりとか。ってことは、ダッたったったっダったったった、は四拍子で、ダったったったったっダッたった、は五拍子三拍子ってこと? あぁ音楽の授業ちゃんと聞いとくんだった。
そんなことを考えつつ、やがて村人の一部がはやし立てたりリズムに乗ったりと騒ぎ始める。ああなんだか祭りっぽい。視界の端にお酒を飲んで顔を赤くしている人たちが入るのも、お祭りの象徴的な存在な気すらする。
そういえばわたし、お酒って飲んだことないなぁ。
この国の法律とかってあるんだろうか。未成年はやっぱり飲んじゃダメかな。だとしたらわたしは絶対飲めないだろうけど。
「きみはふらふら黙って歩いて立ち止まってまた歩いて、近くで見てるだけだとよくわかんないね」
「え? ……んー…………そうかな。そうかも」
いろいろ考え事するときに声にはしないからなぁ。
「ぼくはそろそろ眠いし、宿に戻ってるよ」
「あ、じゃあわたしも。もう十分見て回れたし」
ハルが宿に行くというのでわたしも行く。……道がわかんないとか、かといって空飛んだら目立って恥ずかしいとか、そういう理由ではない。
楽しそうな音楽を背に、宿屋に向かう。
割と大きめの声でみんなしゃべってるし、睡眠望外な気もするけど、まぁこういう小さな村で楽しめる祭りとかやってるんだから無礼講の特例なんだろうな。
たまに上がる楽し気な歓声を、なんとなく好ましいものだと感じつつ宿へ向かう。
このまま続くと眠れないかもな、なんて思い出した直後、
「オオカミだ―――!」
歓声を悲鳴に変える声が響いた。
振り返っても遠くのキャンプファイヤーが見えるだけ。わたしは殆ど反射のようにして空に飛ぶ。
空中に立って地面を見渡す。広場から漏れる光で人影が揺らめいていてオオカミがどこにいるか見づらい。結構小さいし夜行性だし見つけるのが難しい―――
「ぇ―――っ!」
眼前に突如として現れたオオカミの巨体。
地面から斜めに、直線で突っ込んでくるそれを、わたしは反射的に蹴り飛ばした。
運がよかったのだろう、バキ、とかなり痛そうな音を残して巨体は落ちていった。
―――まずい。
地上にはまだお祭り騒ぎしていた人が慌てて避難している最中だ。
というか前に見た馬くらいの大きさのオオカミから、さらに大きくなってる気がする。自動車と比べても……そこまで変わらないような気が。わたしが小さいからそう見えるわけでもないと思う。
慌ててわたしは地上に降りる。着地の瞬間、右足に痛みが走る。……さっきの音はわたしの足から聞こえたのだろうか。自動車にはねられたと思えばわたしが怪我するのは当たり前かもしれない。
オオカミとの距離は十メートル程度。運がいいのか悪いのか、オオカミはまっすぐわたしをにらんでいて微動だにしない。村の人たちを狙う気はないんだろうか。
「ロクシー!? 逃げたほうがいい!」
わたしがオオカミの方へと視線を向けて逃げるそぶりを見せなかったからだろう、すぐ隣のハルが声を荒げた。
「こんなのきみでもどうしようもない! 無理なことは諦めて早く!」
その声に反応したのか、オオカミがとびかかってくる。
自動車が突っ込んでくるような突進。
まっすぐわたしを見据えて突っ込むそれに湧き上がる恐怖を押さえつけて、肉体強化をかける。
「―――!」
そのままわたしは自分からオオカミに突っ込んで鼻づらをぶん殴った。
光弾を投げるときもそうだったけどちゃんと思ったところにあたるのはすごい。
きゃいん、と似合わない鳴き声を出しつつオオカミが仰角で吹き飛ぶ。そのまま倒れてくれればいいのにくるくる回って空中で立て直し、着地した。
殴った私はこぶしの先から肩まで鉄の棒を打ち込まれたみたいな深いしびれが残る。
オオカミのほうは大して痛そうにもせず、わたしをにらみつけたまま襲い掛かってきた。
どうしようもないのでわたしはオオカミからは目を離さず上空へと飛ぶ。
それでもなおオオカミはわたしにのみ執着しているようだった。……なんで?
でもだったら、と、わたしはそのまま町の外へ走って逃げる。
予想通りオオカミは村の人たちには目もくれずにこちらを襲ってくる。だからなんで……?
逃げるといっても全力疾走したところで簡単に追いつかれるので、ジグザグに走って何とか避ける。
しばらくして、町が遠くに見える、森の入り口あたりまで来たところで、困る。
どうすればいい?
こんな町の外にまで追ってくるということは何か理由があるはずだろう。
わたしを襲う理由……魔力かなやっぱり。
でもそれだったらハルに目もくれないのはなんで?
繰り返し近づく瞳に恐怖を覚える。一心不乱にわたしを食い殺そうとぎらつく卵型の瞳は悪魔のもののよう。まるで前のオオカミと―――
わたしの腕を食べたオオカミの目と似ていた。
つまり、そういうことなのだろうか?
もしかしたらこのオオカミは、わたしの腕を食べたオオカミで、本当にもしかすると、最初にわたしを襲ったオオカミでもあるんだろうか?
わたしはそんな考えに思い至り、絶望する。
だって、勝てるわけない!
全力で殴っても、魔法弾をぶつけても痛くもかゆくもないような生き物なんてどうしようもない。
……でも、逃げてもまた追ってくるんだろう。それに、わたしが本当に見当たらなくなったら村の人たちを襲うかもしれない。わたしにはその責任を負えない。わたしに責任はないのかもしれないけれど、わたしが何とか逃げ切ったときに村がオオカミに食い殺されたと知ったとき、わたしはわたしを肯定できるかがわからない。
馬鹿の一つ覚えのように突っ込んでくるオオカミを避けながら考える。
オオカミとわたしとの一番の違いはこの脳みそなのだから。
すぐにわたしは考えをまとめ、試してない攻撃を試すべきだという結論を得た。
つまり―――
「ごほごほっ、げほ、うぐっ………」
口から溢れてくる血液を右手で抑えながら、肺が痛み出しても無視して左手に剣を想像する。切るためじゃなくて、突くための剣を。
突き攻撃なら、貫通してしまえばダメージは入るはずだ。
空中に飛んで、犬からの攻撃の頻度を少しでも減らす。
持っているクパの実すべてを飲み込み、魔力を回復させて一気に作り出す。魔法を使ってなんとなくわかってきたのは、吐血するくらいだったら大丈夫だってことだ。苦しくて痛いけど、それだけだから。どうせ治るんだしさ。
「かふっ……」
また吐血。……なんか吐血を基準にするのって危ない人みたいで嫌だな。
限界はよくわからないのでここで止め、左手に握られた針のように細い剣を見る。
……わたしはその場の思い付きで口を押えていた右手を使って血液を垂らしてみた。ほら、血液って霊験あらかたっぽいし魔術的っぽいから。
でも期待したような大きな変化はなく、吸収されたところで魔力が増えた程度だ。
オオカミが突っ込んでくる。だんだん慣れてきて恐怖心さえ問題にしなければちょっと余裕をもってかわせるようになってきた。
この攻撃が効果なければ、わたしには正真正銘どうしようもない。
次のジャンプでカウンターで突き刺して―――
と、遠くで緩やかに落下していたオオカミが脈絡なく空中を蹴った。
瞬間的に接近する巨体。
「っ!」
咄嗟に障壁を貼る。ガラスの割れるような音がして障壁は砕かれたけれど、オオカミの勢いは殺しきることができた。
はじかれたオオカミが仰向けに、無防備に腹をさらす。
わたしはそのやわらかそうな腹に剣を―――突き刺そうとしたところで、折れた。
ぱきんっ、と小枝でも折れたかのようにくるくると空中に回る剣体。
右手のひらが傷つくことをいとわず、わたしはそれをつかんで吸収する。
とたんに膨張する視界。身体が熱っぽい。
掌をオオカミのおなかにあてる。吐血なんか気にならないくらいの身体の不調が熱を伴って一気に全身に回りだす、その前にわたしは全力で叫ぶ。
「――――――!」
わたしに残されたのはこの攻撃だけ。
手持ち以上の魔力を自分の右腕を使って打ち出す魔法。
多分、絶対、痛いけど、死ぬよりはマシなはず!
全力で魔力に方向性を持たせて、右手を銃身としてオオカミに弾丸を打ち込む。
イェルの時と違って剣体すべてを使った一撃は、オオカミの全身を飲み込む光の奔流となって夜を切り裂いた。
三秒に満たないそれがわたしの右手が抜けていったあと、オオカミは地面に墜落した。どぉん、と無抵抗に落ちた音が、さっきまでの殆ど音のない着地とはオオカミが違う状態にあることを示していた。その音に、飛び降り自殺の動画を思い出してしまうのは自分でもどうかとは思うけど。
右手は……皮膚がそこらじゅう縦にさけててグロテスクだ。おまけに……う、手の方の皮膚がなくなってて…………。
「う゛ぐ……」
思わず隠そうとしたところで信じがたい痛みが走って呻く。左手を噛み取られたときより痛いのは、中途半端に右手が残ってるからだろうか? だったらいっそ吹き飛ばした方がよかったかも……戻るんなら。
そーっと、そーっと右手を動かして、身体の右にだらんと垂らす。
そのまま、魔力が切れないうちに地面に降り立つ。
ふらふらとオオカミに近づき、確認すると……気絶しているようだったけど、息があった。
そうか。最後のあれも、魔力構造狙いの攻撃だった。というか単にわたしがそっちばっかり使ってたから物理攻撃を付与する方法を咄嗟に使えないからというだけの理由だけど。
「とど、め…………」
湯あたりで朦朧としたような意識でも、このまま放置はできないことは分かる。
でも、わたしは何も持ってない。
それにもう今にも意識が飛んでしまいそう。
町までは遠すぎる。
武器もない、魔力も少ない。
「う…………」
わたしは無事な左手で、オオカミの頭の後ろ、首と頭のあたりをまさぐる。固い頭蓋骨っぽい部分と、首周りの太い筋肉。その間に少し手が入る部分があって、奥は固い。……たぶん、これが首の骨だろう。
わたしはそこに、残りの魔力を身体強化に使って全力でひねり上げ、首の骨を折った。
ばぎん、と鈍いけれどあっけない音。
わたしは別に動物を殺すのが絶対だめだとは思わないし肉もおいしく食べるけれど、かといって後味の悪さを感じないわけでもない。
世の中には色々な考え方があって、そしてわたしは、そのすべてをわたしの価値観としても愛したいから。それが、知性の可能性だから。
動物愛護の心が悲鳴を上げ、それをより現実的な価値観が嘲笑する。弱肉強食が受け入れ、知性の有無を気にしだす。食料か否かを自然崇拝が…………そんな分裂がわたしの内側で始まりそうになったころ、わたしの意識は暗転した。




