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寂しがり屋と思考する転生聖女のお話。  作者: 池中 由紀
諦念する少年と森に住む者たち
15/56

◇ 15 諦念する少年と馬車


 がたごとと不快な揺れで、わたしは目を覚ました。

 薄暗い空間。クリーム色の布ごしにかなり遮られた光がわたしの水晶体を刺激する。


「生きてる……―――って、うわ……」


 思わず確認した左腕を見て言葉を失う。

 元通り綺麗な左腕がそこにはあった。

 指も動くし、ちょっと砂っぽい木の床の木目まで感じられる。


 治ったってこと?


 さすがに逃げてるときに混乱のし過ぎで腕がなくなったと思ってたとかはあり得ないよね?


 いや、治ったのならうれしいけど、でもちょっと自分の身体がよくわかんなくて……ってまぁそもそもこの体で生まれてきたわけでもないし当たり前といえば当たり前か。わたしだと思える存在はここにいるわけだしそれでいい……けどやっぱ気になる。


「やっと起きた?」

「―――だれ」


 薄暗めで狭い空間の隅の方からの声に驚きつつも平静を装って答える。

 声の主はわたしと同じくらいの年齢だろう少年だった。変声期はまだだろう、ソプラノに近い声だ。


「四日は寝てたよ、きみ」

「ここは……?」

「残念ながら、奴隷商の馬車の中。つまり、拾われた君は奴隷になったってことだね」

「奴隷……あなたもそうなの?」


 わたしが訊ねると、少年は少し拍子抜けしたように答える。


「あれ、泣いたり叫んだりしないんだ。さすが四日で腕を回復させる奇跡の体現者は違うね」


 あ、腕はやっぱり回復したんだ。別にわたしが何かしたわけじゃないけど、それだけはうれしい。四日で腕が生えるってもうそれは人間ではない気もするけど、便利である分には文句はない。正直、もう一度植物状態になったら正気を保つ自信はない。一度救済された精神は脆いものだ。


「ぼくは新人奴隷のハルファス。ハルでいいよ。これからよろしく。……といっても、売られる先は別だろうから、それまでの付き合いだけどさ」

「えっと…………わたしはロクシー。よろしくね」


 奴隷とか言いながら妙に明るい。この世界の奴隷はそこまでひどい制度じゃなかったりするんだろうか。高等遊民的な。……いやあれは別に奴隷じゃないか。むしろニートに近いわけで。


「何か変なこと考えてる? 逃げようとか思わないほうがいいよ?」

「どうして?」

「ほら、これ。この首輪、奴隷の所持者から離れすぎると激痛を与えるし、念じれば苦痛を与えるどころか奴隷を壊すこともできるらしいから」


 ハルファスと名乗った少年は自分自身の首を指さして説明してくれる。同じようにしてわたしが自分の首に手を当てると、かつん、と固い感覚が爪にあたった。首をさすると確かに首輪がある。魔力的な感覚も少しあるかな―――


 ―――ぱき。


「え?」

「ん? どうかした?」

「ううん、なんでもない」


 どんなものかな、と首輪をさすったり魔力をちょっと流したりして確かめていたら、首輪がぽろりと外れてしまった。え? これってこれで逃げれるってこと?

 ハルにはまだ気づかれてない。そもそもハルは妙に明るいし、ちょっとよくわからない。

 一応、さっと自分の背面に外れた首輪を隠す。


「ぼくも逃げられる方法があったらとっくに逃げてるけど、この首輪はやっぱりやっかいでさー。ま、奴隷もしょうがないかなって思うし、もう大体諦めてるけどね」

「奴隷がしょうがない?」


 犯罪者とかそういうこと?


「気になる?」

「ハルが話したくないわけじゃないなら」

「別に大した理由じゃないよ。ぼくは神父さんに売られた哀れな子羊なんだ」

「神父に…………?」


 必ずしもそうだとは言わないけど、神父とか宗教家って、普通は恵まれない子供に手を差し伸べるんじゃないんだろうか。それとも奴隷環境のほうがましな状況にいたりするんだろうか。


「ぼくのいた教会は資金難で。これは幼いぼくができる数少ない孝行の一つだよ」

「でも逃げたかったんでしょ?」

「最初は寝てる間に勝手にこの首輪をつけられたりしたから逃げたかったけど、結局無理だし」

「勝手にって…………なんでそんなに落ち着いていられるの?」


 思わずわたしが質問すると、するりと表情をどこかに忘れたかのようにしてハルが答える。


「憤っても何にもならないときは何にもしないって、ぼくは決めてるからさ。ぼくたちはまだ子供だし、いろんなことができないのはしょうがないよ」

「もうちょっと頑張らないの? 諦めが良すぎるよ」

「やっぱり無駄にあがいても文字通り無駄だし、なるべく無駄なことはしたくないんだよね」


(無駄、ね……)


「抵抗して無駄だったら傷つくから最初からあきらめればいいってこと?」


 わたしが思わず少し非難の声色を混ぜて訊くと、ハルはあからさまにおどけて答える。


「ひどい言い方をするなぁ。抵抗して傷つくのは何も心だけじゃないしさ?」


 かつかつ、と首輪を爪でたたく。薄ら笑いがわざとらしい。


「……首輪が外せられたら今すぐにでも逃げるの?」

「外せたらね」

「それじゃ、みて、これ」


 わたしはそういって、すでに外した自分の首輪をハルファスに見せてみる。


「なっ………!」


 ハルが、あからさまに驚愕した表情を浮かべる。


「触ってたら外れたからわたしは逃げるよ。ハルはどうするの?」


 訊かれて、ハルは自分の首輪をつかんで、でもすぐに放した。


「…………きみは人体損傷を回復できるような奇跡の人だからね。ぼくには外せない」

「なら、わたしが試してみようか?」

「……やってくれるなら」


 許可を得て、わたしは揺れる馬車内でハルに近づき、首筋に手を当てる。首輪を少し撫でて、少し魔力を流してやると、ぱきん、とあっけない音を残して割れて外れた。

 ハルは自分の首筋を右手でひたすらなでている。結構肌にぴったりな感じだったし違和感があったのかもしれない。


「それで、どうやって逃げる?」


 わたしがいうと、ハルは少し迷った後に答えた。


「きみこそどうやって逃げる気?」


 うーん、どうしようか。


 これは馬車らしいけど、後ろ側に勝手に逃げられるような構造にはさすがになってないよね。ましては奴隷用の馬車なわけだし、逃亡対策くらいはされてるはずだと思う。実際、少なくとも布の天井をのぞいて木の板になっているし、天井もよく見ると縞模様になっているあたり、採光のために布があるだけで向こう側には木の板とかが檻のようにはまっているような気もする。


 じゃあ逃げられないか? というと、そうでもないはずだ。だって、奴隷につける首輪ってどう考えても奴隷を奴隷として扱うのに一番大切なものだと思わない? だとしたらそれがこんなに簡単に外れるっていうことは、ここからも結構簡単に逃げれるってことだったり。大してやり手の奴隷商人じゃないのかも。……いやもしかしたら、抵抗して逃げるような奴隷は売った後に問題を起こしかねないからわざと逃がしてるとか? いやさすがにそれはないか。


「参考までに、ハルはどうやって逃げればいいと思う?」


 わたしよりはこの奴隷商人に詳しそうなハルに訊いてみると、ハルはため息をついて答えた。


「ぼくひとりじゃ、逃げるのは無理。大体この馬車の出入り口は前にしかないし、出入りを知らせる音もなる仕掛けがついてる。走って逃げようにも、商人は犬を飼ってるからすぐに追いつかれてつかまるし、最悪かみ殺されるだけだよ」


 犬。オオカミがちらついていい印象はない。


「犬って、どのくらいの大きさの?」


 イェルは自分の肩幅より大きめに腕を開いて、


「これくらい。見た目はただの犬だけど一応訓練されてるし、丸腰でどうにかなる相手じゃないよ」

「……首輪が外れたら逃げるって言ってたけど逃げる気がなさそうなんだけど」

「まさか本当に外れるとは思ってなかったし。外れたから逃げることも考えてみたけど、どう考えても無理だしさ」

「いいよ、とりあえずわたしは魔法使って空を走って逃げるつもり。ハルも一緒に逃げる?」


 わたしがそういうと、ハルは少し怪訝そうな顔でわたしに訊いてきた。


「空を? 魔法で? そんなことがきみはできるの?」

「できるよ。それでわたしは逃げる。ほかに質問か問題は?」


 質問に答えると、ハルは軽くてわざとらしい表情をひっこめた。一度視線を明後日の方向に流した後に、まっすぐわたしを見つめて言う。


「もしできそうなら、荷物を取り返したい」

「荷物?」

「……あいつのすぐ後ろに置いてあるはずの袋のこと」


 うわべを取り繕うような表情を脱いだハルの視線はまっすぐにわたしを射貫いている。真剣なまなざし。


「……いいよ。たぶん、大丈夫。でも無理だったらごめんね」

「わかってる」


 いうと、ハルは進行方向へと向かう。がたごと揺れる馬車の上でも特にバランスを崩すことなく歩けるのにはちょっと感心する。

 わたしはバランスを崩さないように慎重に歩こうとして、めんどくさくなって空中を歩いた。……これ慣性の法則とかどうなってるんだろ。いや確かにちょっと後ろに滑っていく感覚がするかも……?

 ハルの横、布で閉じられた入り口の前にたつ。


「ほら。……あれが袋で、犬はその横。………いけそうかな?」


 言われて布の隙間から垣間見るみると、三メートルくらいの木の板の先、太った男性が馬を操っており、その後ろには確かに牛の胃袋みたいなボロボロの革袋と、その横にドーベルマンみたいな怖い犬がいた。


 ……ちょっと怖い。


 でもたぶん、逃げたいといいながら取っていきたいというほどのものなのだから、ハルにとってはそれだけの価値があるものなんだろう。

 それはそうと、変な形の馬車だね。こんな無駄な木の板のスペースとか、普通の馬車ってついてるかな?

 そんな疑問を放り投げつつ、一応、一つだけ確認しておく。


「あれは、ハルのものなの?」

「もちろん。あれは、ぼくが神父からもらったものだ」

「そう。じゃ、いこ」


 わたしはあまり考えることなく突っ込む。

 こういうのって考え事してると踏ん切りがつかないままに犬にばれたりするのがありがちだと思ったからだ。


 布の扉を飛び出した瞬間、ビー、とブザーのような音が鳴る。身体強化をしたままに突っ込み、犬が驚いているのを横目に袋を拾い上げる。がちゃり、と鉄のぶつかり合うような音がした。意外と重くてびっくりするけど、中に入っているものを袋越しにつかんでそのまま後ろに飛び退る。


「な、なんだ―――!?」


 馬を操る商人らしき人物が振り返り驚いているが、わたしはそのまま入り口まで戻る。……鍵もない扉とか不用心過ぎないかな? あ、いや首輪があるのか。


 布の入り口の前にはハルが立っていて、わたしはその手を握ってそのまま空中に飛んだ。といっても、身体強化をしているのはわたしだけなのだから、あまり高く飛ぶわけにはいかない。大体わたしは浮力を謎の力で産んで飛んでるわけじゃないから、ハルを引っ張り上げないといけないってことだからね。身体強化のおかげでできるはずだけどさ。


 一階建てくらいの距離ごとに飛ぶと、意外とハルが痛そうな顔をしていたので、仕方ないのでイェルの真似をしてみることにした。


「なっ、ちょ、何――!」

「暴れないで、重いんだから」


 つまりはお姫様抱っこだ。……男の人が女の人にやられるのって屈辱だったりするのかな。わたしは女の人でもやられるのは恥ずかしいな、って思ったけど、まぁ逃げるためだからいいよね。


 背後では商人さんが逃がすか、とかなんとか叫んでいるけど、特に意味のあることはしゃべっていない。……彼が善人だったりする可能性もあるのは結構気になるんだけど、そうじゃなかった時が怖いので迷わず逃げる。

 結構余裕があったので振り返ったりしつつ逃げると、水晶玉を手に何かを叫んだ商人が驚いたりしていた。あれで首輪を発動させたりするんだろうか。


「……おろしてくれない?」

「地面に?」


 抱えたことで結構自由に飛べるようになったので結構な高さ、結構な速さで逃げている。馬車の進行方向の真逆だし、すぐに追いかけてくることはないと思う。


「いや…………もういいや、それで君はどこに逃げる気?」

「最悪は森……だけどどこかに町とかないの?」


 この世界の文明がどのくらいか走らないけれど、人がいるということは人が集まる場所だってどこかにあるはずだ。


「一応、この先には村があるよ。あいつが追ってくるような気もするけど」

「ということは、奴隷って結構価値があるんだね」

「まあほら、教会の資金繰りになるくらいには価値があると思うよ」


 自嘲気味にハルがつぶやく。


「そ。それより村ってどのくらいの距離? このまま走って飛んでいったとして、どのくらいでつきそう?」


 空中を身体強化したまま飛ぶように走ると、風の抵抗と釣り合う程度までは加速できる。足場をうまく操ってわたしと同じような慣性系にすれば……結構なところまで加速できるのだ。少なくとも公道を走る車くらいなら追い越せそう。なんとなくの体感速度だしどのくらい正確かはわかんないけど。


「あの馬車の速度で、村を出た直後くらいに君を拾ったから……馬車で四日。この速度でずっと走り続けられるなら、今日中にはつくんじゃないかな」

「…………馬車って遅いんだね」

「あたりまえだよ? 馬車は別に早く移動するためのものじゃあないから」

「それもそっか」


 馬車は速度を早くするためのものじゃなくて、運ぶ量を多くするためのものだ。極論、馬車で追いすがるのなら走る人に追いつくかも怪しい。


「とりあえず村に行くってことでいい? わたしたちが泊まれるような場所があるかはわかんないけど……あ、ハルってお金持って……るわけないよね」

「それも、あたりまえ。奴隷がお金なんか持ってるわけない。それも売られる前のさ」

「じゃあわたしたちは宿とかには止まれない…………森に逃げたほうがいいかな?」

「きみは死の森にいる魔物に勝てるの?」


 言われて、思わず身体が震える。

 森の魔物。それはたぶん、あのオオカミも含むんだろう。

 全力で魔法弾を当てても傷つくことのないような生き物に、しかもどうやら捕食対象として目をつけられるのが森だ。

 イェルが一緒にいればどうとでもなるのかもしれないけれど、今のわたしではどうしようもなく危険なのが森なのだろう。


「……多分、勝てない。わたしが気と左腕を失ったのも、馬みたいな大きさのオオカミに襲われたからだし」

「森の大狼に襲われたの!?」


 わたしの腕の中でハルが叫んだ。


「その大狼なのかは知らないけど、大きなオオカミには襲われたよ。必死で反撃もしたけど……多分、途中まで追ってきてたし勝てる気はしないかな」

「……アレに襲われて生きて帰ってくるやつは殆どいない。森の外で気絶したのは運がよかったと思う。あいつらはあまり森の外には出ないから」

「そう、なんだ」


 ちょっと安心しつつもぞっとしない話ではある。だってわたし、ほとんど自分じゃどうしようもないほど唐突に魔力が尽きて、そこに落下したのだから。あとちょっとでも早く力尽きてたら今頃オオカミにむしゃむしゃおいしく頂かれていたかもしれないなんて、愉快な話なわけがない。


 あと、その……魔力が切れたのも森の境界、オオカミが生息するのも森の中。まさかとは思うけどイェルが関係してたり……しないよね? たぶんしないと思うけど……。


「運が悪い時は素直に諦めればいいけど、運がいい時は素直に喜べばいいと思うな」


 妙な考えが浮かんだあたりで、軽々しい声がすっぱりとその妄想を断ち切った。ちょっとありがたい。


「……うん。そうかもね」


 わたしはそのままハルを抱えて街道上空をひたすら走る。

 途中で高度を上げようとしたらハルが魔物に狙われたら危ないからやめろ、と静止してくれたりはしたけれど、特に困ったこともないまま長い間走り続けた。


 そして、そのまま夕日が現れるまで、わたしは走り続けたのだった。


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