◇ 11 真夜中の議論
なのに、目が覚めてしまった。
昼間必死になって魔法の練習をしてたせいで身体の興奮が夜に来たのかな? とかちょっとよくわからない想像をしたりしてみるけれど、二度寝を試みたところで身体が拒否する。
仕方ないので目を覚ましたけれど……やることがない。まぁベッドしかないしね、この部屋。
眠りやすい飾りっ気のない服から、シスター服に着替えて、部屋を出た。
なんとなく、夜空の星や月を見てみたいと思ったからだ。
思えば、天体観測なんて十五年ぶりどころか二十年くらいやってない気がするけど。
視力が悪いのに眼鏡をしてなかったのが理由かな。眼鏡って結構高いし、買えなかった。まぁ授業なんか見えなくてもテストの点数は取れるから問題ないのだけど、夜空に輝く星は見えなくなるからね。友達に眼鏡を借りて夜空を見たのは……いつだったかな。あれが最後なら二十年は言いすぎかも。でもその時、久々に見た夜空には、ちゃんと星が輝いていた。裸眼では何も見えないのに、きちんと輝いている星は、なんとなく神秘性というか、不変性というか。むしろ自分のちっぽけさみたいなものを感じたような覚えもある。わたしの存在などお構いなしにただそこに漂う星々。
別にその感覚が懐かしいわけではなく、単にやることがないからやりたいだけだけれど。
私は遺跡の外に出る。ちょっと肌寒かったので、身体強化をして身体を温めた。……たぶん使い方間違ってる気もするけど気にしない。あたたかい生姜湯とかお汁粉とかを飲んだ感覚でいい感じ。そのまま空を見上げて、
「うわー…………二つある」
思わずつぶやく。
月が二つあった。
正確には、地球で見慣れた月とうり二つのものと、その半分以下程度の月が夜空を白く切り取っていた。つまりこれは地球ではないってことになる。やっぱり転生かー……ファンタジックだなぁ。魔法とか使った後じゃあ今更感もあるけど。
なんとなく、わたしは、とんとん、と透明な階段を上る。魔法で透明な足場を想像するとちゃんと中空でも歩けるのは面白いし、なんだかわたしが、この魔法とか不思議に満ち溢れた世界に許容されているみたいで安心する。地に足をつけないことで安心感を抱く。
前の世界じゃ、突然植物状態にされたり、生まれもあれだったり、あんまり歓迎されてない感じだったからなおさら許容のイメージに、感動のようなものを覚えた。
適当にらせん階段っぽいイメージで、中空をてくてくと上りつつ、わたしは月や星を眺めて感傷に浸る。人工の光がなくてさぞきれいだろう……と思ったんだけど、ちょっと上ると森の所々がぼんやりと光っていて意外と明るかった。あれも魔法かな。なんだか街灯が、ぽつぽつと森に飲み込まれているみたい。光る植物とか結構珍しい気もするけど、こっちだと魔法を適当に使うだけで光る気もするからその辺が原因かな。
夜空を見上げる。星が瞬く。ああ、わたしのこの体は視力がいいんだね。
そうしてわたしは感傷的な思考を続ける。
わたしは割と物事を考えるのが好きだ。いろんなことに興味を持つと思うし、いろんなことを憶測し、推測する。イェルはたぶん、そういうところを面白いと言ってくれたりしていると思う。とてもありがたい。
ただ、こういう夜、外圧のない状態。
植物状態になった後も、なる前も。
わたしはどうしても、いろんなことを考えてしまう。
世界の意味とか価値とか。死生観とか。そういう話を他人に振ると、馬鹿にされるか心配されるかが多かったので、わたしは辟易としていたものだけれど。
星を見つめる。瞬きはわたしの感傷を一顧だにせず、頼もしい。
星の動きはわたしたちの行動など関係ないものだ。それは物理法則に従ったもので、わたしたちの気持ちだとか、意思だとか、知性だとか、そういうものとは一切関係ない。
わたしは常々思う。
世の中はなんて無意味なんだろうと。
いろんな本を読んだり、勉強したりすればするほど、世の中には意味と価値とか、そういうものはないと感じるようになった。まぁわたしはまともな勉強とかは義務教育レベルだけど……。
ただ、これは別に植物状態になる前からそう思っていた。なってからは特にその思いを強くもしたけれど、それが理由だと思われるのは割と心外だ。
世の中には、物理法則や、別に物理じゃなくてもいいけど科学的な法則性があって、基本的にはわたしたちの意思だとか価値だとかとは全く関連のない場所で現象が起きているだけなのだ。そこに意味とか価値とか、そういうものは原理的に存在してないように思う。
本質的に無意味で無価値な世界。
でも、わたしはそれをもって絶望したりすることはない。
もともと無意味で無価値であることが、わたしの感じる意味や価値を損なうものではないと考えているからだ。
わたしは、わたしという存在は、わたしという意識は、わたしという知性は。無意味なものに意味を見出せる。無価値なものに価値を定義できる。そして、そういった意思が存在すると、わたしという意識は感じられる。それ以上の何が必要だろう?
意識や知性は、白黒で無味乾燥とした世界を鮮やかに塗り替えるだけの力と可能性を持っているのだ。それで十分だと思う。コギトエルゴスムとかいう必要性も本来はない。むしろ、世界が無意味であることがいとおしい。無意味なのに、そこに、わたしは意味を感じられるのだから。ちょっと特別な気がするでしょ?
「何をしている?」
突然かけられた声に少し驚きつつ、現実に意識を戻す。イェルがふわふわと空中を飛んで……って、いつの間にか結構高い……まぁいいけど。
「天体観測と考え事かな……? ほら、夜って色々なことを考えたりしない?」
一歩一歩惰性で歩きつつの返答に、イェルは、すいー、とすべるように飛んでついてきつつ、軽く息を吐いて笑って、
「お前の天体観測はそんな風にぼーっとしながら空に向かって歩いていくという意味なのか?」
「今は考え事がメインだったかも。……そういえばイェル、女の子にしては結構珍しい口調だけどなんで?」
夜の感傷をエンジンにして、わたしは少し気になっていたことを訊く。もちろん、言いたくないことなら言わなくてもいいよ、という言葉を添えて。
イェルは、ふん、と少しあきれたように息を吐いてから、
「呪いだからだ」
「…………」
触れづらい返答で閉口したわたしに対して、イェルがにやりと笑う。
「別に魔術的な呪いでそうさせられている、というわけではない。これは私がそうしたいからやっているが…………ロクシー、肉体は呪いだとは思わないか?」
質問に虚を突かれる。
肉体が呪い?
……なるほど、確かにそれはそうかもしれない。わたしは世の中の法則で動くことを無味乾燥としているとか表現するけれど、意識はある程度それに依存せざるを得ない。それは一種の呪いのようなものかもしれない。
「それは例えば……子供の肉体だと考えまで子供っぽくなったり、身体が不調だと考えまで鬱になったりとか、そういう?」
「そうだな。生まれ持った能力だとか、あるいは体の構造が性格や意思に与える影響……そのどれもが、自由な意思に対する呪縛だとは思わないか?」
ああ、なるほど。
自由意志があるかどうかは別としても、その考えには結構共感できる。
生まれとか、あるいは植物状態になったからだとかはその最たる例だろう。
それは紛れもなく呪いで、わたしにはどうしようもなかったことの一つだから。
「少し話したけど、わたしは生まれも祝福されたわけじゃあなかったし、身体も後半は動かなかったわけだから、その考え方は理解できるよ?」
「私はそういう、私のこの体とはちぐはぐな言葉を使うという、そういうちょっとした抵抗をしてみたくてな」
「ふぅん…………」
つまり、イェルは身体が意識に影響することそのものが嫌なのか。
……むこうじゃ中二病だとか揶揄されそうだけど、たぶんそんなのは気にしないだろうな。
「自分の体が嫌いなわけじゃないんだよね?」
「まぁ、別に好きでも嫌いでもないが?」
「嫌いなわけじゃないけれど、その身体が自由を束縛することには反抗したい。結構面白いこと考えるね。わたしは割と好きかな。そういうのって、知性や意識がある存在にこそ、って感じがしてさ」
「ふん? お前は、知性や意識がある存在が好きなのか?」
「正確には、知性や意識そのものが好き。なんだろう、概念そのものが、わたしにとっては奇麗で素晴らしいものだと思えてさ」
「人間個々人が好きなわけではなく、知性そのものが好きということか。だからこそ私の主張がお前の琴線にかかったと」
的を得た返答。おお、すごく楽しい。いつも夜の考え事って自問自答でいろんな価値観を自分で準備してたから、なんだか新鮮。
「ではなぜお前は知性そのものが好きだという?」
「可能性だから」
「…………」
短くしすぎて意味を伝えないことで、さっきのイェルの言葉を真似するという意図は伝わったらしく、イェルはちゃんと閉口してくれた。
「まずね、わたし、世界そのものとかに意味とか価値は、本来ないと思ってるんだ。別にあってもいいんだけど、感覚としてね。少なくともわたしの世界には、いろんな法則があって……ほら、宇宙のこととかも結構詳しく話したでしょ? ああいうのが、ほぼすべての事象に対して、かなりの精度で分かってた。だからいずれ、わたしたちの感情とか、意思、知性なんかも、そういうきちんとした法則と数式で表せられるものだっていうような考えを持つのって、そんなに珍しいことじゃないと思うんだよね」
「……ふむ。別に森羅万象に意味があるとは言わんが…………また極端で味気のない世界認識だな。そんな世界認識で生きるのはつらくないか?」
「そこで思考が終わってたらつらいかもね。でも、わたしはそういう意味のない世界でも、むしろ意味のない世界だからこそ、わたしたちという知性や意識が特別なものにも思えてさ。特別というか……いろんなことを理解して、いろんなことを知って、いろんな問題を解決できる可能性かな。だから、知性や意識はそれ自体が可能性だと思う」
「意味がない世界だからこそ、というのはよくわからんな。理解する対象とか、解決すべき問題に意味があるから特別だと思えるんだろう? それはやっぱり世界に意味があると思ってるんじゃないか?」
「だからこそ、っていうのはちょっと誇張表現だけど、でも間違ってるわけじゃないよ。重要なのは、対象にはもともとは意味とか価値はなくていいの。でも、意味や価値を感じてもいい。見出してもいい。そして、そうやって意味を付与するのは意識や知性だってことかな」
ふむ、と一つつぶやいてイェルが沈黙する。そのまま明後日の方向に目線を流して考えるそぶりを見せた。適当に空に歩きながら話しているせいでかなりの高度になっているから、視線の先は樹冠の絨毯だった。
しばらく言葉を待っていると、イェルはいう。
「世界そのものに意味がなくとも、意思や知性で意味や価値を見出せばそれでいいということか。それならロクシー、お前は意思や知性には意味や価値があると思っているということだな?」
「そうなんだけどそうじゃないというか……また割と無駄に複雑なんだけど」
「いいから話せ」
「最初はわたしは、意思や知性に本当に意味があるかどうかはどうでもよくて、わたしが意味があると感じられるからそれでいいと思ってたんだ。自己言及的で自己矛盾をはじめから内包している気がするけど、それでもわたしが感じることを否定できるものなんてないやって。で、実のところ今もこういう考えが根っこにあって、だからわたしは意思や知性には意味や価値があると思ってるってことだと思うよ。それも裏付けとか根拠なしにね。ただ……」
「ただ?」
「やっぱりそれじゃ、ほかの人には伝わらないし、特に論理的なことが好きな人は絶対共感してくれないと思うんだよね。イェルはどうかしらないけど」
「私はそもそも世界にも意思にも意味があると思うから立場が違うが、意思や知性に意味があるかと思うかという点ではお前の主張と大差ないな。いっそ、ことさら理由がいるほどのことでもないようにすら思う。もちろん、そういうことを考えることに意味がないわけではないが……そういう、根本に立ち戻るという作業は、割と無限に行えて徒労感があるからな。どうせ万人が納得できる答えなんてないのだしな」
「ああ、無限俯瞰ね」
「なんだそれは?」
「いや、わたしが勝手に言ってるだけだけど、そういう議論の対象の前提部分を次々と俎上に上げると、永遠にさかのぼっていけるでしょ? それがこう、今見てた景色を俯瞰する、っていう作業を永遠と続けてるだけな気がして。
……それはそれとして。どうせ答えがないっていうのにも通じるんだけど……そういうことをしていった先に本質があるっていうのが、そもそも素朴すぎるんだ、っていう主張をすれば、多少は論理的になるかなって。
つまり、いろんなものを分解していくと科学的な方程式とかで表せて、そのルールには意思とかが介在しないように見えるから世界にもともとは意味なんかない、っていう主張自体が、素朴すぎるんだっていう反論なんだけど……素朴すぎるっていうのは、まだまだわかんないことが多いのに結論が出るはずもないっていう意味で、結局まだ、わたしたちは……わたしの世界では、意思とは何か、とかそういう問題に関しては何一つわかってなかったから。こう、物質を分解して……あ、素粒子って知ってる?」
「ソリュウシ? なんだそれは。訳されてないぞ」
「物質の最小単位を素粒子っていうんだって。まぁわたしもよく知らないんだけどね。でも、大地も、空気も、水も、人間の身体も、光でさえ、あらゆる物質をものすごく拡大していくと、小さい粒粒になってて、しかもその運動を予測できるんだって。その辺になると粒子と波の性質が混じった量子力学がどうとか言い出すんだけど、その辺はあんまりわたしはわかんないかな」
「……似たような主張は聞いたことはあるが、ほとんど伝説というか、大昔の世田話だと思ってたぞ。にわかには信じられん」
「まぁわたしたちの世界の話だし、この世界が同じかはわかんないけどね」
「それで、お前の世界はそういう分割したらただのつぶつぶのソリュウシとかいうもので記述されてて、よくわからんがたぶん粒子だから意思とか知性なんかなくて、だから世界に意味なんてないという主張がはびこっているということか?」
「蔓延ってるわけじゃないけど、そういう還元主義的な主張は結構あると思う。……でも、そういう認識が素朴すぎると思うんだ」
「当たり前すぎる気がするが。川の源流下流を知らずとか、王は村長にはなれない、というような言葉がある。お前の言っていた俯瞰ではないが、みる範囲を変えれば見えてくるものが変わるのは、だれが見ても明らかなあたりまえなことだからな」
「そうそう。こっちだと木を見て森を見ないとかいうんだけど、要は、個別に分割したものが素朴な法則で動いていたとして、その集合まで同じ性質を持つと思うのはちょっと純粋すぎるかなって。わたしたちが意識について知りたかったら、まず意識というものを理解することと、それと素粒子とのつながりを理解することが必要で、素粒子の理解だけが進んだところで意識や知性の理解としては不完全なものにしかならないと思うんだよね。そのギャップは、わからないことに対する真摯さから来てると思うんだけど、そういうのって重要だよ、っていう主張なら、多少論理的かなって」
「まぁ……かもしれん」
「わたしの本当の感覚としては、わたしが意味があると思えるからそれでいいとは思うんだけどね。今のはちょっと論理的かもしれないけど、言い訳みたいな感じかも」
わたしがため息のようにいうと、イェルは笑って返してくれる。
「ふん、言い訳はたいてい論理的なものだからな。逆に論理的な発言が言い訳に聞こえることもあるだろう」
「でも…………ありがとう」
「どうした?」
「ううん、ちょっと。……こういう話をまともにして、通じたのが初めてだったからうれしくてさ」
そういうと、イェルはわたしを少しの間だけじっと見つめて……ふっ、とやわらかく力を抜いて笑った。
「お互い様だ。……それはそうと、お前、どこまで上るつもりだ? 寒くないか?」
「え?」
確かに話している間もずっと歩いてたけど高さとか温度とか忘れてた。途中で見たときはすでにかなりの高さだったけど―――
「―――って、うわ……」
さっきよりもずっと小さく見える木は、もうその詳細は見えないくらいだ。見回しても森の果てが見えないけど、かなり広い森だなぁと思う。多少なだらかな高低差はあるものの、ほぼ平らで、本当に絨毯のように見える。二つの月明りで多少明るくなっていて、所々にぽつぽつと間接照明みたいな明かりがともっている。あまり人の手を感じさせない、法則性のないあかりなので、自然のものだろうなあとか考えつつ。
真下を見ると、遺跡が見えるというよりは、ちょっとだけ木がない部分があるなぁという感じまで高いところに来ていた。遺跡はほぼ入り口しか地上には出ていないとはいえ、一瞬足がすくむ。
「言っておくが、夜空を飛ぶのは気持ちがいいかもしれんが、それは割とどんな奴でもそうだからな?」
「わたしは飛べないから別に気持ちよくはないけど…………危ないってこと?」
「まぁ怪鳥とかドラゴンとかがちょっかいをかけてきてもおかしくはないな」
「なにそれ……もっとはやくいってよ」
言われてたらこんな風にのんきに空中散歩なんかしなかったのに、と抗議の視線をびしびし当ててみると、イェルは気にした様子もなく飄々と答える。
「私のような素晴らしい魔法使いがいればその程度はどうとでもなるのだから、安心して感謝するがいい」
「わたしが外に出たから起きてきたの? すごく心苦しいんだけど」
「いや、たまたま起きてたからな。一応、遺跡を出入りする存在があればわかるようにはしているが」
「…………。まあいいや、ありがと。とりあえず早く降りよう?」
意識しだすと結構寒いし。
そういって、わたしは床を消して、すとーんと落ちていく。何の前触れもなく行動したので一瞬だけイェルが驚いた様子を見せた。やった。目標達成だ。
身体の強化をして保険をかけつつ、浮力を調節して透明な床を作ってブレーキをかければ、何十秒も立たないうちに地面にたどり着いた。
イェルもすぐに追いついてきて、一緒に遺跡へと入る。
「明日からも教えるのだから、早めに休んで回復しておけよ」
クパの実で回復すればいいのでは? というと、あれはあくまで応急処置に近いから身体を回復させるすべを知らないうちはちゃんと睡眠をとった方がいいらしい。
わたしは素直に言うことを聞いて、ベッドで特に無駄な考え事をしたりせずに眠りについた。




