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寂しがり屋と思考する転生聖女のお話。  作者: 池中 由紀
諦念する少年と森に住む者たち
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◇ 01 意味のない人生

 享年、三十歳。


 ロクシーはゆったりと薄れゆく意識の中で、ちょっとだけ期待していた走馬燈のようなものが見えないことにわずかに落胆しつつ思う。


 ああ、ついにこの時が来てしまったか。

 いや、やっとこの時が来てくれたか、と。


 普通に考えれば平均寿命よりもずっと早くに訪れた死に抗うとか、まだ死にたくないとか思いそうなものだけれど。

 ロクシー、……わたしは普通に考えるべきではない、例外の一つだった。


 走馬燈は浮かばないから、自分で少しろくでもない人生を振り返ってみようと思う。


 まず生まれてから初めての記憶は、養護施設での記憶だった。全然おいしくないおかゆみたいなものを無理やり食べさせられていたような覚えがぼんやりとある。

 養護施設はちょっとした山の中にあって、目の前にはお墓があった。今思うと、あれはやっぱり土地が安い場所じゃないと困るだとか、周辺住民が嫌がるとかそういう理由があるのかなと思うけれど、一応食事は出たし、施設内でのいざこざもそこまでひどいものはなかった。別に良い思い出というわけではないけれど、悪い思い出というわけでもない。


 親は全くの不明。少なくとも子供のわたしに知らされることはなかった。でも、金髪碧眼なのでたぶん日本人以外の血が混じっている。運がいいのか悪いのか、遠い遠い親戚らしき人が後見人のようなことをして多少の資金的援助をしてくれていたので、厄介者あつかいもされてはいなかった。


 ただし体が弱かったので、その点では厄介者だったと思う。その辺は遠い親戚が資金援助をしてくれたおかげで厄介者扱いされなかったんだろうなぁとは思うけれど、それにしたって世の中不公平だなぁと、病院に行ったり入院するたびに思ったものだ。ちょっと気を抜くと咳に血が混じったりしたしね。呼吸するだけで息苦しいのは結構嫌なものだ。


 小学生とか中学生では、病弱であること以外は普通の子供と大差ない生活をしていた。

 友人と遊んだり、喧嘩したり。もちろん外国人っぽい容姿とか孤児とかそういうのをからかわれた覚えもあるけれど、いじめとして苦しむほど長続きはしなかった。


 そのまま行けば、まぁ一般的な人類として、それなりに苦しんだり楽しんだりして生きていくはずだった。特に使命感に燃える人間ではなかったし、かといってあまりにも愚かでだらだらとする人間でもなかったから。

 身の回りの幸福とかを気にして、老いて、死ぬような、そんな結構幸福でつまらない人生を選択できるくらいのそこそこの能力と、高くない理想を持っている人間だったと思う。


 中学三年生のその時までは。


 15歳の誕生日、もうすぐ卒業式も迫るころ。

 普通の家庭と違って特に祝われたりはしないし、そもそも誕生日といっても養護施設に拾われた日なので微妙にきちんとした日付ではないのだろうけれど、それでも多少は友人に祝われたりするので楽しかった誕生日の終わり、夕方ごろ。


 私は隕石にぶつかった。


 らしい。


 ……らしいというのは、わたしにぶつかる瞬間の記憶はないからだ。

 本当に何の前触れもなく、わたしの意識はブラックアウトした。


 そして、植物状態になった。


 わたしが次に目を覚ましたのはちょうど1年が経過したころだった。

 正確に言うと、意識が戻っただけで、聴覚以外のすべての機能を失っていた。

 五体は動かない。肌感覚もない。視界も真っ暗。しゃべることもできない。

 あたりまえだけど、ほとんど半狂乱のようになった。

 どうして身体が動かないのか。今どこにいるのか。そもそも何があったのか。

 何にもわからないまま、しかも体も動かなければ目も見えないので情報を得ることもできない。それなのに、意識だけはある。


 あの、目を覚ました直後が一番精神的につらかったかなぁ、と今になって思う。

 何もできないのに意識だけあるのは、本当に怖い。自分がどうなっているのか確認することもできなければ感じることもできないというのは、割と耐え難い恐怖を感じるのだ。人というか自我が外圧によって形作られ定義されている、みたいな主張を少しだけ正しいようにすら感じた。


 わたしにとっては運が良かったのか、目を覚ましたその日はちょうど1年が経過した日で、つまりはわたしの誕生日だった。

 それだけだったら別に運が良かったとは言えない。ただ、病院に入院していたわたしのもとに、テレビのカメラが入ったのだ。これはとても運がよかった。

 なんだか外がざわざわしてきたなぁと思ったら、扉が開いて、バタバタガチャガチャと騒がしく入ってくる集団。この段階で初めて自分がどこかの部屋の中にいることを確信できたし、すぐのちに集団が『病院なので静かに』と注意されていたので、ああ、わたしは今病院に入院しているのだなぁと理解することができた。


 そうしてテレビ取材がやってきたことで、わたしは自分のおかれている状況を正しく認識することができた。

 ロクサーナちゃんは不運にも隕石にぶつかって、植物状態になってずっと意識が戻らないこと。隕石にぶつかって今日でちょうど一年になること。しかもその日が誕生日であること。

 まず知らぬ間に一年過ごしていたこともショックだったけれど、何より意識が戻っていないといわれていることにショックを受けた。


 ちょうど今、意識戻ったんですけど!


 そんなことを思いながら、それでも何やら遠い親戚さんが取材を受けているようで、内容に聞き耳を立てているといろいろなことがわかる。

 隕石の直径がどうとか、人間にぶつかる確率はとても低いんだよ、とか今更どうしようもないような情報もあったけれど、どうやらこの遠い親戚さんがわたしの治療費を支援してくれているらしい。


 まあ正確に言うのなら、支援しているといいつつ、こういう風にテレビとかで募金やら寄付やらを募ってかなりの大金を集めている、ということはのちになってわかったことだけれど、それでもどうやらわたしの治療費を払ってくれる人なんているんだなぁとちょっと感動したのも事実だ。


 そんなわけで、運よくテレビ取材によって自分の現状を把握したわたしは、狂乱状態から絶望した鬱状態にまで回復することができた。

 最初の一年くらいは必死になって目覚めようとしていた。

 体を動かしたりしゃべることができるようになれば、わたしが実は意識を取り戻していることを伝えられるはずだから。

 意識レベルには何の問題もないのだ。だとしたら、この音声以外全くの無の世界は、わたしには孤独すぎた。

 聞こえてくる音も、基本的には看護師の人がわたしの、……いろいろなお世話をしてくれているときの音と、医師がたまーに診察に来る時の音、それと遠い親戚の人の独り言とか、あとは下の階から聞こえるテレビの音くらいのものだ。


 いずれにせよ一方的なもので、わたしは誰とも会話することができない。

 暗闇で五感を奪った場合、人間は正気を失うみたいな実験があったような気がするけど、わたしの状況はまさにそんな感じだった。


 そのまま正気を失うのは嫌だったので、必死に声を出そうとしたり、体を動かそうとしたり、あとは意識を暇にしないようにいろいろなことを考えたり勉強したり、想像の体を想像の世界で動かしたりしていた。

 体が動くって、しゃべるのって、こんなに重要なことなんだなぁと思いつつ、神経の一本一本まで想像しつつ、死ぬ気で動かそうとし続けた。

 これは今日の朝まで定期的にずっとやっていた、―――というわけで特に効果はなかったのだけど。


 目が覚めてから最初の一年で体が何一つ動かないことで、わたしは絶望の色を濃くした。実際、わたしには聴覚以外の感覚がないとはいえ、聴覚によってわたしの身体が看護師さんの手で一から十までお世話されていることを知っていたし、栄養とかは全部点滴とかで行われているようだったし、意識が戻って一年もするとわたしの人としての尊厳のようなものは粉々に砕けていた。いっそ聴覚も戻らなければ。いや、でも聴覚すらなければわたしはすぐに発狂していただろうな。そんなことを思いつつ、惰性で体を動かそうとしつつ、いろいろなことをぼんやりと考え続けた。


 一年、また一年と年月が経過していく。わたしは指一本動かせないまま、わたしの同級生は大学に入学し、就職していったのだ。

 大学入試当たりの時期までは、まだ今目を覚ませば遅れを取り戻してやろう、とか思っていたりしたのだけれど、それも卒業するころになると、今更目を覚ましてもなぁ、と思い始めるようになってしまっていた。それからさらに十年近く経過した今となってはなおさらだ。


 わたしの人生ってなんだったんだろうなぁ、とは常々思う。


 生まれからしてさして祝福されたものでもなく、体は病弱でしばしば入院したりしてだるかったし、成長とともに多少まともになってきたかなと思ったら植物状態でずっと病院のベッドの上で暮らさなければならなかった。


 神様が世の中にいるのなら、わたしは呪われているのだろうなぁと思うし、前世があるのならわたしは信じられないほどの大罪を犯したんだろうなぁと思う。

 いやまぁ、生きているだけでもましでしょう、という考えもあるだろうけど、それにしたってひどいなぁと思うくらいは許してほしい。


 別にロクシーという存在自体は特別悪いことはしてないのだ。

 もう少し人生に救いがあってもいいよね。

 今更どうしようもないけれど。


 長い年月はわたしにいろいろなことをあきらめさせるのに十分だったし、すでにわたしも三十歳だ。

 人生の大半を過去の彼方に忘れてしまって、もうわたしの人生に救いを求めるのも野暮というものだろう。

 そして、半年ほど前に、ずっとわたしを支援していた親戚さんもがんで死んでしまったらしい。

 死ぬ前に、わたしを利用して寄付金とかを集めて儲けたことを懺悔していたけど、いやいや最低限わたしの治療にお金を使ってくれてむしろありがとう、と声をかけてあげたかった。


 実際、親戚さんが死んで誰も支援者がいなくなったことで、わたしの生命維持は打ち切られることになった、ということをわたしは看護師の噂話で知っていた。

 何もわたしの部屋の目の前の廊下で話すこともないのにね、とも思うけれど、そもそも看護師というのは意識のない患者さんの前で結構いろんなことを話していくものだ。

 新人研修とかでわたしを練習台にしつつおしゃべりしているのも何度も聞いた。点滴の練習台にはわたしはもってこいだったらしいし、わたしの外国人的な容姿がもったいないとかうらやましいとかいう何の慰めにもならない感想とかはよく聞いた。体のお世話をすべてしてもらっている人たちにそういうことを言われるといっそ殺してほしいと思うくらいに恥ずかしかったりもした。まぁ最近はもうわたしの体はわたしのものでは無いような感覚になっていたけれど。


 いくら意識しても指一本動かせない身体が本当にわたしの体だという証明は難しい。自分の意識的にはもはやそれは自分の肉体だとは思えないし、わたしという意識はただ外の音だけが聞こえる真っ暗な箱の中にいるようなものだった。それなのに神経を意識して動かそうとしたわたしを褒めてほしい。

 

 さて、いずれにせよそんなわけで。

 

 わたしの生命維持装置はすでに打ち切られていた。

 といってもわたしは自発呼吸はできていたし、基本的には点滴の打ち切りでしかない。あとたまに透析してるけどあれはどうなんだろう。そんなに頻度は高くないし……よくわからない。

 いずれにせよ安楽死が許されていないので点滴を打ち切るだけで、つまりはわたしは多分、栄養失調で緩やかに死ぬのだ。


 幸運なことにわたしは苦痛を感じたりするのに必要な神経がうまく働いていないので、今までと何ら変わりなく、過ごすことができた。

 それでも、だんだんと音が聞こえづらくなって、今日の朝には聞こえなくなって。

 意識そのものが朦朧としてきたのが、まさに今なのだ。


 ……あぁ、こう思うと、今の思考って走馬燈っぽいよね。

 特に何の意味もない人生だったけれど。


 それでもわたしもこうして走馬燈くらいは準備できる人生だったのかなぁと思うと泣けてくる。

 もちろん、わたしの身体はいくら悲しんだって涙の一つも流さないのだけれど。

 悲しんだり絶望したりするのにはとっくに飽きてしまったわたしが、死ぬ直前に感情を抱けたのはもしかしたら幸福かもしれない。

 そんな自己欺瞞を胸に抱えて、ちょっとだけ幸せな感覚を錯覚しつつ。


 ロクシーは、心の中で目を閉じた。


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