9.向いている形式頼り
過去作品を幾つも振り返ってみて思うことは、やっぱり、私の作品は、形式頼りだったのかなということだった。どこに出しても見劣りしないものを作り上げられるのならば、どのような書き方であっても良いのだと思う。こういった場に出してみて初めて浮かぶ張りぼてさと、張りぼてでありながら、浮かぶその時の真剣さ。そういったものが文章に滲み出ていることが解る。今、書いている小説のとっかかりになればと、過去の詩などを幾つも広げてみたけれども、その結果解ったことは、私には書く経験が足りていないということだった。兎に角、きっと、書きなれていない。その時の熱情走りの思い付きのものたち。だから、そこで満足してしまっていて、終わってしまっている。それはそれで、好きな作品たちだけれども、それじゃ、小説は書けるようにはならないのだと思う。小説は良くも悪くも、積み重ねだから。
文字を書かなければ、作品は進んでいかないんだ。書けば書くほど書き慣れるものだと思うし、文章を磨こうと思うほどにそれは根気のいるものなのだと思う。小説は、思い付きだけでは書けないということなのだと思う。否、書けなくは無いのだけれども、思い付きだけで進むと、今の私のように早々に壁にぶち当たるんだ。自らの作品を魅力的に出来ないっていう、そんな壁だ。
過去作品の詩を提示してみたのは、今まで魅力的に見えていたものを同じ形式の場に置き換えてみて、自分にはどのように見えるのかを知りたかったからだった。それをしてみれば見る程に、見えてくるアラ。
私は、今まで、このアラに気付かないふりをしていたのか、それとも、それでも良いと思ってきていたのか、そういったことを思った。どのような方にも見てもらえるような魅力的な作品作りは、きっと根気が無ければ為せないものなのだと思う。書き慣れるとはどういうことか、きっと矛盾のない話の造りや、きっと練られたキャラクターや、そして、一番大事なのは一貫性のある作者の姿勢なのだろう。
今の私には、そのどれもが足りていないのだと思う。これから、なにをどう磨けば、自らの納得のいくものを産み出せるのだろうとぼんやり悩む。
書き出しの冒頭だろうか、話のテンポだろうか、それとも、お話の面白さだろうか、
そして、お話の面白さとは何を指すのか、そういったものをぐるぐると考える。
私がお話を面白いと思うとき、そこには興味が満ちている、其処には発見があり、其処にはきっと楽しさや喜びがあるのだと思う。それはどのようなものだろうか、じっとそういったことを思う。
そういったことを思うんだ。




