5.噛み締める悪役のキャラクターとは(2)
世の中の全ての人が実は良い人ばかりなのだ!と考える方は、孟子の性善説、荀子の性悪説、どちらを大まかに考えてらっしゃるのだろうか。因みに私は、人はずるい生き物だ、という自分説を押します。
人は、とても複雑で簡単に説明できる存在ではないと私は思っているけれども、それを小説のキャラクターに当てはめてしまったら、キャラクター説明だけで膨大な量になるだろうと簡単に予想がつく。良くも悪くも、キャラクターは作者の中から生まれているのだと言えるけれども、作者が影響を受けた人物の性質も色濃く受け継いでいるともいえると思う。実際の現実世界の中で、どれだけの人と出会ってきたかということがキャラクターの影を作るのだろうか。
全てを説明することは、当然小説の中ではすごく難しい。だからこそ、余白の部分を小説では想像させるものなのだろうと私は思う。小説とは書かれていないものも想像させるものだと言えるのだと思う。
行間を読むとかいうのかな。そういう感じで。普段の生活で、こんなこと考えているのかなー?ということは、何となくその方の行動や好む言葉遣い、趣味や表情などその方の性質から推し量り、接しているものだと思う。当然、小説の世界でも、主人公視点の小説ならば、飽くまでも主人公がこう受け取ったということがわかるだけだ。本当のところはよくわからない。その中で出てくる悪役なんてものも、主人公のフィルターが当然かかっている。
飽くまでも主人公視点の悪役だ。……もしくは、大多数の方が不快感を感じる人物、悪だと感じる存在……そんなところかもしれない。
さて、そんな悪役を出す意味があるのかとぼんやり考えてみる。たとえば現実世界で全く嫌な奴に会わないかというとそうではない。私は、思い出したくないからほぼ記憶から消去して生きているが、会わないなどない。もしくはフィルターをかけてあんまり見ないようにしている。どこからどこまでが、現実としてのリアルなのかという問題もあるが、取り合えずはそこは置いて、小説世界のことを思考してみようと思う。
当然、小説世界には、ストーリーが展開されるものだ。起承転結があればなおよいだろう。途中わかりやすい悪役が出てくる勧善懲悪ものはやっぱり胸がすっとするものだ。小説は娯楽だから、人は、小説にそういったものを求めるのだ。そう、小説は現実とリンクしている必要はない。リアルに見えるだけで構わない。……というより、現実を小説にそのまま起こすとそれはそれで、創作っぽくなるものだ。一度試してみてほしい。意外とリアルをリアルで描くって難しいものだ。
整理が出来ずごちゃごちゃになっているが、まぁ無理やり纏めよう。そういった小説の中で、敢えて描かれる悪役のキャラクターというのは意味がとても大きい。何故なら、主人公に大きな影響を与える存在ともいえるからだ。影響が大きいからこそ、ストーリーにもくいこんでくるし、主人公のなにかを浮きだたせる格好の当て馬ともなりうる存在だと思う。そういった中で噛み締める悪役のキャラクターはどんなものかというなら、それは味のあるキャラクターだと言えると思う。悪役にも悪役なりの意図や意味があるなんてことが描かれてきたら、それはそれで小説のアクセントともなるのだろう。何を言いたいのかと言えば、共感出来てしまう悪役なんてものもいるのだということだ。
もちろん、そこまで書ききる必要は無いのだけれども、そういった魅力もあるということは、人という存在の深みを描くことにもつながるのだと思う。
人は、画一的ではないからこそ、色々な切り取り方があるのだとそういうことなのだと思う。