10.作品の面白さとは
作品の面白さとはなんだろう。きっとそれは、求める方によってそれぞれ違うのだと思うし、それぞれがきっと光輝いているものなのだろうと思う。何かを書こうと思うとき、私は、魅力のないものを描こうと思うだろうか、否、そんなことは無い筈で、きっとそのようなことを求めてもいない。作品を描くのは、それを描いた時に、きっと得るものがあるからなのだと思う。それがどんなに小さな満足であっても、今まで見れなかった世界、今まで考えなかった世界に触れる喜びや、もしかしたら、自らのそれを描きだして広げた時、読まれた方への共感が広がる喜び。そういったものを得たいと思うからこそ、作品をよりよくしようと思うのだと思う。一つ一つの産みだすものに愛情を持って、海へと放つのだと思う。それはきっと、自分の心の成長を見つめるのにも似てる。
挑戦したこと、自らが見つめようとしたもの、そして、見つけられなかったもの、挫折や失敗でさえ、色鮮やかな物語となる。海へと放った時に、自らの心が成長をしていれば、それはきっと、今ではないずっと先に、必要な糧となるのだと思う。それは、文章が上手くなるとか、小説のプロットがぱっと思いつくとか、そういったことだけではなくて、今よりも少し、内側の心が成長する手助けになると思う。何かを書き、客観的に見つめようとし、それを整えようとする小説を書くためのこういった行為は、全て、自らの心を磨く訓練にも似ていると思えるから。それは、想像し、シミュレーションをし、物語上で人物を動かしながら、きっと描こうとしている作者も悩みながら進んでいるから。きっとそういったものだからこそ、小説を私は面白いと思いながら読むのだろうと思う。興味や発見や喜びは、きっとそういったものの上に表層的に乗っかているだけに過ぎないんだとそんな風に思う。
世界がもし、文字だけで構成されているとするならば、もっともっと言葉に対して貪欲になれたかもしれないが、生憎、私が今居る世界は、文字だけで構成されているわけではないんだ。音があり、色があり、質感があり、生身の感情があり……そういったもののなかに、日常にひっそりと、本当に息をひそめるように、文字があり、思いを吐き出すツールとなる。文字は、ひっそりと潜み、心の内を吐き出すものであるからこそ、私には、きっと特別なものに思えてしまうのだと思う。
密やかに文字をうち、密やかに、秘密と対話する、そうしてそれを、表出する。密やかなそれが、積み重なって、やっと他者に見せられるまとまったものへと成り代わり、まるで羽根が生えたように他者の共感を呼ぶ全く別の存在へと変容していくものとなるのだろうと、そんな風に思う。
そんな風に思うんだ。