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八月の嘘  作者: 夏音(kayn)
第6章
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第二十話 「聖辺」




 結果から言うと、プリウスに張りつく尾行はなかった。よって自動的に捜査は継続となり、俺たちは海沿いを二時間ほど走行した後、富山市中心部に車を進め、繁華街のど真ん中にあるパーキングに停車した。


 弓長から得た聖辺のたまり場という場所は、店名をグーグル入力すると該当する地図が出て、俺たちは複雑な繁華街を迷うことなく目的地に辿り着くことができた。素晴らしきかな情報社会。ところが肝心の店を見ると、それは大河と再会したバーの地上にあった。

「偶然だな。このレストラン、行きつけのバーとオーナーが一緒なんだ」

 俺は「マジかよ」と言うが、驚きはべつのところにあった。


 大河たちは一昨日のバーを能力者たちの拠点と言っていた。経営者が同じならこのレストランも関連した施設なのか。俺が問いを口にすると、大河は真顔で返してきた。

「最初のカウンセラーはソーニャと同じくバーテンだったな。でも他の連中のことは正直よく知らん。相互交流もほんとんどないし」

 疑問は解消されないが、深追いしても答えはない。予約はなく入店できたので、俺たちは店内をぐるりと見回した後、一階のフロア全体を目視できる二階席へ向かった。


 二階席は全てゆったりと独立したテーブル席。幾つかは予約で埋まっていたが、空いている席も運良くあって、俺たちは店の隅々まで見渡せる最高の位置に陣取ることができた。ちなみに席につくまでのあいだ、聖辺らしき人物(有希に容姿が酷似した男)とすれ違うことはなかった。

 念のため大河を経由して明日奈に確認をとったのだが、彼女も「聖辺はいない」と答えを返してきた。俺は「それらしいやつを見かけたらすぐ教えて欲しい」と言い、ソファ型の椅子に体を沈ませた。


 入店して何も頼まないわけにはいかないので、冷水を持ってきたスタッフにビール二つとマルゲリータを注文し、再び三人だけの空間に戻る。三人とあえて言ったのは、ここに霊としての明日奈がいることが確かな存在感をもって感じられたからだ。人間の適応能力というのは、本当に侮れないものがある。


 やがて注文した品々が運ばれてきて、俺と大河は小さな動作で乾杯をする。喉が渇いていたのでビールは美味かったが、まだ業務中であることも手伝って互いに労をねぎらうという感じでもなかった。

 それにターゲットが現れるまでの間、俺は時間を無為に過ごすつもりはない。頭にのぼった話題も捜査の延長線上にあるものだった。

「明日奈さん、一つ訊いていいかな。少し訊きにくいことだけど」

 ひそめた声だったが、大河はそれを拾い上げ、短いやり取りの末に明日奈の発言を引き取って俺に伝えてくる。「彼女、『何が知りたいの?』って言うとる」


 俺の質問は、前置きしたとおり気軽には訊けないものだった。けれどそれは俺にとって、当事者の意見を聞かない限り、解消しがたい疑問でもあった。

「君はセルリアン女学園の生徒だろう。なのにどうして売春なんて真似をしたんだ?」

 大河は俺の問いかけを聞き、もの静かに黙っていた。きっと俺の発言は、直接明日奈の耳に届いたのだろう。


 彼女は先の尋問で、自分がやっていたのは援助交際だと言っていたけれど、俺はそういうごまかしを排したわけで、この発言が明日奈の口に鍵をかける怖れもあった。だが彼女の返答は、俺の石橋を叩くような心配を消し去るものだった。

「学園内、特に彼女がいたクラスには『処女だと見下される空気』があったんだと」

「お嬢様ばかりの通う学校なのにか?」

「そういう学校だったからこそ、免疫がなくてドハマりしていったみたいだ」

 大河による代弁は、俺の抱いた疑問に一定の答えを与えてくれた。


 人間は閉鎖的な環境に身を置かれると、同調圧力によって倫理を超えた行動を容易にとってしまう。コミュニティの内部において同類だと認められるためなら、人間はどんなことでもやってのけるし「その程度の」理由で殺人を犯すケースでさえあるのだから、売春に手を染めることくらい造作もなかったのだろう。


 だが俺の知る限り、同調圧力が成立するためには閉鎖的な環境以外に、集団という名の羊たちを飼い馴らす羊飼いが必要となる。前者がセルリアン女学園という世俗と乖離した箱庭だとするなら、後者は一体誰なのか。


 聖辺がどれだけすぐれた羊飼いだったとしても、やつは女子校に潜り込めないし、つまりもう一人べつな人間が女生徒たちのあいだに介在しているはずなのだ。

「ちなみにどのくらいの生徒が売春していたの?」

「『正確な人数は知らない。自分のいたクラスでは最低でも六人』だと」

 明日奈の即答を大河が伝えるが、俺はそれを受け「その六人の中に、メンバーを束ねるような娘はいたのかな? 率先して売春をして、君たちにやり方を教えるような娘が」と問いを重ねる。


 次の返答は、やや長考となった。おそらく明日奈は、途中で息を挟みながら、たどたどしくも答えているのだろう。聞き手である大河が「へえ、そうなんだ」と頷いていることから、その辺りの呼吸が伝わってくる。何度かビールに口をつけた頃、待ち望んだ返事が俺の耳を打つ。

「クラスでもっとも発言力のある女子がいて、その娘が明日奈たちと顧客をつないでいたようだ。彼女は一見すると聖女みたいに清楚な娘らしくて、客をとっていたとも、聖辺の彼女であるとも言われていたけど、真相は闇の中なんだってさ」


 俺が「なるほどね」と相づちを打つと、大河は発言を続けた。「その娘はセルリアンの鑑のような女生徒だったから、仲間たちは性交渉をどこか神聖な行為のように感じてたらしい。もっとも今振り返ってみれば、愚かしい錯覚だったと反省しているみたいだが」


 明日奈が教えてくれた情報により俺は、その聖女のような娘が「羊飼い」だとほぼ断定することができた。グループでの立ち位置に関して諸説あるようだが、現時点でそれを確定させることに意味はなく、ここからさらに踏み込んで訊きたいことが二点あった。その一つは、絢花のことだ。

「話は変わるけど、その六人の生徒の中に鷲津絢花って娘はいなかった?」

 捜索員としての直感に従えば、絢花が売春グループと何らかの接点があったのは勿論のこと、俺は彼女がその一員である可能性にも気づいていた。絢花本人の霊視が曖昧なままだったことから見過されてきたが、事態を正しく俯瞰するなら、その可能性は濃厚と見るべきだったのだ。


 しかし際どい質問を投げた俺をよそに、明日奈は速やかに回答したらしく、大河は天井を見上げ、彼女の発言を少し早口で伝えてくる。

「絢花ちゃんは客をとってなかったってさ」

「本当か?」

「ああ。嘘なんてつかねえよ」

 このとき感じた安堵は、筆舌に尽くしがたい。自分でも驚くことだが、俺は絢花のことを頑なまでに純粋な存在と見ていたのだ。


 臣人と恋愛関係になっていたという証言はあったが、最悪の状況は回避されていた。忠久に二人の関係がバレた後も、俺は長野で定期的に逢い、絢花はその度ごと「いつか元の関係に戻りたい」と言っていた。その一途さは、汚されていなかったわけだ。

「よかったよ、本当に」

 大河にだけ聞こえる声で、俺は心から感謝した。大河はどこかバツの悪くなったような表情を浮かべ、ビールを口にしながら視線を遠くに移す。


 俺は手にした安堵を何度も確かめつつ、急激に冴えた頭でもう一つの疑問を口にした。

「君たちを導いていた娘の名前、教えて貰えるかな?」

 この質問は答えづらいと踏んでいたが、案の定、テーブルにわだかまる空気は、比重の重い沈黙に支配される。俺は依然、冷えきったままのビールに口をつけ、答えを待つ。


 しかしこのときまるで気づいていなかったが、明日奈の発言が遅れたのは、答えあぐねていたわけではなかった。彼女の沈黙の意味は大河の動作が教えてくれた。やつはビールジョッキを片手に、背後を振り返ったのだ。それは誰かに指摘され、慌てて姿勢を変えた動きだった。誰かとは言うまでもない、明日奈の霊である。


 大河の視線を辿って目を凝らすと、数人の若い男女が(半分個室のようになっている)テーブル席に忙しなく腰をおろす様が見てとれた。そこには予約を示すボードが置かれており、彼ら彼女らが来るべくしてきた客であることを教えてくれた。


 その集団の中にもの凄い美人がいた。飛び抜けた美貌は周囲から浮いていて、真っ先に目にとまったのもそのせいだった。他の女の子が夏らしいミニスカートなのに比べ、彼女は一人だけ踝まである漆黒のロングスカート姿で、しかもそこにはスリットが入っており、白い肌が見えるどころかどんな下着をつけているかまで視認できてしまった。

 半袖の上着から足の先まで全身黒づくめな修道女のごとき装いなのに、太ももに見えたラインは紛れもなくガーターベルトであった。


 衝撃におののきながら視線を戻すと、大河はテーブルの一点を見つめていた。

「あの娘、凄かったな」と俺が感想を述べると、曖昧に頷いてくる。きっと明日奈の霊と会話をしているのだろうと思って黙っていると、確かにその想像は間違いではなかったが、俺の思惑の埒外なことを大河は口にした。

「明日奈の話によると、あいつが黒川姫乃って娘らしい」

「黒川……誰?」

「ああ、すまん。明日奈のクラスを仕切っていた女生徒、黒川姫乃っていうらしいんだが、それが向こうの席に座ったお嬢さんなんだってよ」

「マジかよ?」

 衝撃が追い打ちをかけたが、それはセルリアンの育んだ浮世離れした聖女の顔と、欲望に磨き上げられた娼婦の体が完全に同居していることへの感嘆だった。


 彼女が明日奈たちの羊飼いだったことは、偶然と言えば出来過ぎだが、不自然だと感じさせない魅力が彼女にはあった。そして他人の視線を嘲笑うように、ストッキングに包まれた脚を上品に組むのだから、こちらは見たくなくても目を奪われてしまう。

「じゃあ、あの連中が売春グループのお仲間なのか?」

 急いで邪念を打ち消すと、大河が頷き返してくる。真夜中まで張り込みする労が省けるかもしれない。それは願ってもいない状況だが、満足げにビールを口にした途端、大河のやつが「べつの連中がやってきた」と言う。俺はやつが目を向けたのと同じ方向を見る。


 すでに腰を下ろしていた面々は、黒川という娘も含め、一〇代の若者特有の無邪気さを感じさせたが、たったいま階段を昇ってきた男たちは明瞭に大人の風格を漂わせていた。


 一人は二〇代くらいで、グレーのパーカーを羽織った男。もう一人は視認する限りでは三〇歳前後と思しきスーツ姿の男。パーカー男のほうはフードを被っていたため、素顔を確認することはできなかったが、少し童顔に見えた。他方でスーツ男のほうは、ちょうどこちら向きに座ったため、容姿や表情がよく見てとれた。


 だから気づけたのだが、スーツのほうは細長いキツネ目をしており、捜索過程で以前にチェックしたある人物を想起させた。鞄のタブレットからファイルを呼び出すまでもなく、俺は自分の記憶と目の前の光景を一致させる。スーツを着たキツネ目は、弓長のバックにいた男に酷似している。中国系のやくざ、柳田三英。


 弓長という接点があったとはいえ、柳田は売春グループとも交流があったというのか。べつべつの捜査線上にあったファイルを一枚に重ね合わせたとき、テーブルに置いた俺の手を大河が叩いてきた。やつは「恭介、恭介」と低めた声で連呼し、なぜか鼻息荒く興奮していた。俺は思わず「どうした?」と訊くが、答えはうっすら読めていた。


 また霊視によって俺の関知しえない発言を手に入れたのだろう。ビールを喉に流し込みながら返事を待つと、大河は予想に違わぬことをこっそり耳打ちしてきた。

「明日奈の話だと、あそこにいるパーカー着た野郎が、聖辺らしいわ」

 これが売春グループの会食であるなら、元締めが不在とは考えにくい。そしてパーカー男が聖辺である証拠に、やつは一番上席に腰を滑り込ませ、早速運ばれてきた赤ワインをグラスに注ぎ、乾杯の音頭もなく水のように流し込んでいる。


 そのふてぶてしい態度は、年長者であるだろう柳田にたいして無遠慮きわまりないものだったが、俺が注意深く観察したのはそこではなく、聖辺がフードの下に隠したやつの容姿だった。


 しかし決定的瞬間は訪れる。ワインを一気飲みした聖辺は、その勢いでフードを乱暴に外したのだ。フードの下から現れたのは、さらさらとした綺麗な金髪で、前髪から覗いたのは、意志の強そうな眉毛だった。全てがさらけ出されたとき、鼻筋の通った小づくりな顔を、俺はこの目ではっきり確認することができた。疑う余地はない。聖辺というターゲットの顔は、次兄である鷲津有希の生き写しと言ってよかった。

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