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第十九話 「コインロッカー」




 忠久いわく、この国の人びとは羊である。昨日と同じ今日、今日と同じ明日を保障してやれば、大人しく従う柔順な羊。やつにとって社長業とは、いわば羊飼いなのだ。それは大日本電子レベルの大企業でも、どんなに零細な中小企業でも、違うのは羊の頭数だけで、本質は変わらないのだという。


 そして忠久の恐るべき点は、自社の羊ばかりか、他社の羊たちも己の都合のいいように操ってきたことだ。

「サラリーマン相手に稼ぐ方法とは何だと思う?」やつは俺たちに言った。「まず殴れ」

 日本人はどんなエクセレントカンパニーに勤めていても、自分の意見がなくて、個人で意思決定ができず、その代わり「殴れば」新しいカードを出してくる。そうしないと時間稼ぎをして、まとまる交渉もまとまらない。無論、やつが「殴る」のは相手の面ではなく、むやみに重い腰なわけだが。


 ただ、そこまで思考を進めると、兄妹のなかで有希だけは、力を使って他人を支配する人間だったと思わざるをえない。忠久のような羊飼いではなく、人間社会の生態系で羊を食い散らかす狼と呼ぶほうがふさわしい気はするが。彼がどれだけ血に飢えていたかは、いまや思春期の蛮行から推し量るより他ない。


 同じことは俺たちが探り当てた黒幕、聖辺郁弥においても妥当するだろう。売春グループを組織し、幹部である弓長を恐怖で縛った人物。やつが柔順な羊たちにたいしどんな餌を与えたのかはわからないが、羊を支配する狼だったことは容易に想像がつく。そしてこうした相似性と容姿の酷似から、俺は聖辺という存在を有希が身にまとったカバーではないかと疑るようになったのだ。


    ***


 河川敷での尋問を終えた後、俺たちはそれぞれプリウスとアルファロメオに乗り込み、大河が住居としているマンションへ向かった。


 入口前で車を停めると、俺は衣弦に捜査を外れ、ソーニャと待機するよう命じた。理由は今朝の尾行だ。弓長の隠したコインロッカーの鍵を回収し、聖辺の懐に飛び込む行為は、俺たちをマークした連中を刺激するものだろう。やつらは聖辺本人とその関係者、弓長のバックにいた柳田のどちらかと思えたが、危険なことに変わりはない。

「本当は同行したいのですが、先輩の指示とあればそれに従います」

 生真面目な衣弦は、不本意さを押し隠しながら承諾した。今朝の尾行は彼女も目撃しており、「会社」の仕事の範疇を超えていると理解したのだろう。


 もう一人の後方支援要員であるソーニャも、俺たちの意図を汲み取り、衣弦の身を自分が守ると宣言した。その言いぐさが実に心地よかった。

「安心して。完璧な知性はときに卓越した力を凌駕するんだよ」

 不敵な笑みを浮かべた彼女を見ると、五感を研ぎ澄ませた俺の目に、それは過信でないだろうことが窺えた。


 二人をマンションの前で見送った後、俺と大河は継続させた捜査へと戻る。まずはコインロッカーの鍵を回収し、しかる後に聖辺が頻繁に利用する店で張り込みをする予定だ。店の存在を知りえたのは弓長の残した最後の証言による。聖辺のことを洗いざらい吐いたやつの中で、どうやら恐怖より私怨のほうが上回ったらしい。


 いくら聖辺が「悪魔憑き」でも食事や酒を摂るだろうし、何より弓長の霊が、聖辺はたとえ警察に狙われても、自分の行動を絶対変えない人間だと断言した。その傲慢さに隙があると俺は見た。

 弓長宅に到着した頃には夏の日差しは傾き始めていた。長くなった影を踏み、在宅中の同居人に断って屋内に上がり込むと、やつの部屋は家捜しされたときのまま、荒れ果てた状態を保っていた。


 昨日訪れたときと目立った変化がないことから、ここ二四時間以内にコインロッカーの鍵を探しにきた連中がいなかったことを確信する。

「排水溝ってどこだろ」

 洗面所のほうを見て、大河が疑問をこぼした。

「普通に考えたら、キッチンか風呂場か、どっちかだな」

 答えを返しつつ、それが両方とも共用部分であることに俺は警戒心を持った。俺たちが「念入りに探した」痕跡を残すのは憂慮があったのだ。けれど悪材料に尻込みするばかりでは、目当てのブツを回収することはままならない。ここは心の強さが問われる場面だ。


 俺は大河と手分けして、同居人に丁寧な断りを入れながら、キッチンと風呂場を探ることにした。俺は後者をチェックする分担になったが、排水溝の金具を外すとパイプの隅に針金で固定された網状の袋があった。


 針金は細く、袋はパイプの中に埋没しており、少し見た限りでは物が隠されているとはわからない。いずれにせよ家捜しのときに「スイッチ」の在処を探る連中のチェックを免れていたことだけは確かだ。

 俺がコインロッカーの鍵を回収したのと、大河がキッチンから歩いてきたのはほぼ同時だった。

「見つかったみたいだな」

「ああ」

 成果はデカいが、やり取りは短かった。必要以上に同居人を刺激しないよう、声をひそめたので結果的にそうなった。


 俺は、自分が手にしているコインロッカーの鍵が、一億もの大金につながっているということに実感を持てないでいた。ともあれ所定の目標を達成したため、長居は無用だ。退去前、もう一度同居人に挨拶をしようとして、弓長の部屋に戻ったとき、大河が妙なことを言い出した。

「弓長のアホったれ、スイッチを無事売却できたら半分は自分によこせって言っとる」

 俺たちは苦笑を禁じえなかったが、問題は捜査にケリがついた後も弓長の霊が現れたという点である。

「ここに弓長がいるのか?」

 俺が詰問調で言うと、大河は首を縦に振って「まだ成仏していないんだ、現世に残ったきりさ」と言う。だが、俺が訊きたいのはそういうことじゃない。さきほどまで河川敷にいた霊が、まるでワープでもしたかのように自宅にいることを不思議に思ったのだ。


 あらためてそう訊き直すと、大河はようやく合点がいったらしく「霊は遺体や関係したブツみたいな依り代に取り憑くんだ。河川敷のときは遺体の一部、ここでは自分の生活の断片。やつらはいわば、そういった依り代のある場所に遍在する存在なんだと思っている。だからここで弓長の霊が見える。たぶん同じときに河川敷でも見ることができる」


 遍在、という単語を聞かされたことで、俺の中で謎は解かれた。それとともに一つの考えが浮かんだ。クリティカルな疑問と言ってもいい。

「ということは、明日奈の霊も見えるのか?」

 俺は、弓長の部屋に散らばったポラロイド写真を選り分け、明日奈が撮影されたモノを拾い上げる。大河の答えはイエスだった。

「その写真が依り代になってるな。彼女の霊もこの場で見られるぜ」

 明日奈の霊に関しては、秘密の死守と聖辺の逮捕を条件にてっきり成仏に到ったのではないかと考えていたが、弓長同様、現世に留まっている。


 一体なぜなんだ。俺は心に浮かんだ疑問を、明日奈の霊に向けた質問に変えた。大河がその問いを口にし直すと、返答はすぐに戻ってきたようだった。

「ハハ、傑作だぜ、恭介」返答を聞いたと思しき大河が手を叩いて笑う。「明日奈のやつ、聖辺の破滅を見届けるまでは成仏できないってよ」

「それはよほどの覚悟だな」

 覚悟、なんてことを言ってしまったが、呪い、と言い換えたほうが適切かもしれない。どれだけおぞましい殺され方をすれば、彼女のような強い執着心を持つのだろう。俺は気づけば、霊の側に立った物の考え方をしてしまっていたし、昨日頻発した「オカルト」という単語も鳴りを潜めている。


 だからだろうか、これから今晩にかけて聖辺の身辺捜査をするつもりだが、そのときに明日奈というカードは使えると思ったのだ。人相書きから聖辺の「顔」は把握している。明日奈に識別させれば、その補強になる。


 善は急げとばかりにそのアイデアを伝えると、大河のやつも「そいつは悪くないな」と言い、何もない空間に声をかける。

「一緒についてきてくれるか?」

 息を潜めて答えを待つと、大河は「問題ないってよ」と返事をよこした。


 破滅を見届けるまでは成仏できない、と言ったくらいだ。聖辺を不利な状況に追い込む手伝いなら、明日奈は快く協力するだろうという読みが当たった。

「とりあえずこいつは連れて行こうか」

 俺は誰にともなく言い、明日奈のポラロイド写真を胸ポケットにしまった。コインロッカーの鍵は回収したし、弓長宅にやり残したことはない。


 俺たちは同居人に邪魔したことを詫び、口止め料として一万円札を渡しておく。「スイッチ」を狙う連中が懲りずに訪れないとも限らないし、その程度で住人の口が固くなるなら安いものだった。

 弓長宅を出ると、日はさらに傾いていた。夏の夕方は長い。しばらく経たないと夜は訪れないだろう。

「暗くなるまで少し流すか」

 運転席に乗り込んだ俺が独り言のように言うと「そうだな」と大河が返してきた。車を発進させ、農道を抜けると、すぐに街道沿いに出た。


 バックミラーを見上げると、後方についてくる車はなかった。しかし今朝のことがある。もし「敵」と称する相手がいるなら、弓長の遺物を回収した俺たちは格好の餌食だ。そんなときは、薄氷を踏むくらいの心構えでちょうどいい。

「確認のために言っておくが、尾行があったら今晩の捜査は諦めるからな」

 再び口を開いた俺に、大河は無言で頷き返してきた。

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