第十八話 「今市橋」
出発前に大河と連絡を取り合うと、やつはもうすでに現場へ向かっていて、今朝は最初から今市橋に行くという。それでいいのかと返す俺に、明日奈は弓長に取り憑いているのだから、今市橋で問題ないと断言した。
なるほど、そういう考え方になるのか。
俺は通話を切りながらホテルを後にし、最寄りのパーキングで衣弦とともにプリウスへ乗り込んだ。今市橋は幹線道路が通っている比較的名の知れた場所なので、俺はナビを使わず記憶だけを頼りに、東川を上流へ遡る形で目的地へと向かった。
途中、気になることがあった。ホテルを出てすぐのことだが、プリウスの後方に一台のレクサスがどこからともなく滑り込んできた。富山市は経済特区なので、レクサスが背後についたこと自体は懸念材料にならないけれど、一〇分以上走っていてなお後方に張りついたままとなると、さすがに妙に思えてくる。
ゲートをくぐり城森町に入ったとき、試しにスピードを上げて前の車を二台ほど追い越してみた。するとレクサスもこちらの動きに倣い、付かず離れずの距離を保ってきた。
「尾行だな」と呟いた俺は、衣弦にレクサスのナンバーを書きとめるように指示を出し、ナンバープレートが見やすい位置になるよう車を右車線に動かした。
「先輩、わかりました」と言って、メモをとった衣弦が番号を読み上げる。落ち着いたアルトボイスは、後方のレクサスが『わ』ナンバーであることを告げ、俺はすぐに納得した。その番号はレンタカーにしか使われない。つまり相手はナンバーから登録者を特定されたくない連中ということになる。
くわえてもう一歩踏み込んだ推測を働かせれば、運転手である俺が、データベースに照会可能な人間だと知っていると見ることもできなくはない。弓長をつついたことで、やつのバックにいた中国系のやくざが動き出したのか。もしかすると昨日のうちに尾行されていたのかもしれないが、投宿するホテルを知られてしまった以上、後の祭りだ。
それにいまは尾行をまいている余裕などなく、こちらの狙いをそらすべく目的地を変更することもできない。神経戦のような走行の末、今市橋に到着した俺はプリウスを河川敷に突っ込ませた。後方にいたレクサスは、こちらを一瞥することなく、幹線道路を走り抜けていった。ウィンドウ越しに人体を確かめたかったが、夏の日差しに遮られて視認することはできなかった。
現場に着くと、警察関係者の中に背脂はいなかった。数人の制服に囲まれ、大河、そのすぐ側にソーニャがいた。
弓長の件は箝口令が敷かれたと言っていたから、俺はてっきり背脂に邪魔されるものと踏んでいたのだが、大河は制服の連中と仲良く談笑している。
「よう、恭介。背脂のやつだけど、別件でかり出されたらしいわ」
何でも大河によれば、昨晩富山市内のホテルで殺人事件があったらしく、刑事は朝からそちらの捜査で出払っているとのこと。情報の出元を尋ねると、現場にいた制服から得たという話だった。
背脂を筆頭に、刑事の連中が聞いたら卒倒しそうな情報漏洩だが、それだけ大河という探偵と制服たちの信頼関係が出来上がっていると見ることもできる。
「そんじゃ、ぼちぼち始めるか」
制服たちに手を振ると、大河はキープアウトのテープが張られた場所から歩きだした。バスケマンこと弓長の遺体があった場所から離れる形になるが、本当にいいのだろうか。率直に尋ねると大河は「もう遺体は片づけられているし、どこで霊視しようとあんま関係ないんだ」と答えてくる。
昨日の大河は、霊視するにあたってかなりの精神統一を必要としているように見えた。しかし今日のやつは、肩の力が抜けているというか、どことなく余裕のようなものを漂わせている。それが思い過ごしでないことは、昨日は常に大河の補助をしていたソーニャが離れた位置にいることからも窺い知れた。俺は衣弦と共に歩き、やつの動きを見守った。
遺体発見現場から三〇メートルほど離れたところで、おもむろに大河はタバコを吸い始めた。それで精神統一は終わったようで「恭介、戸野口明日奈の霊が見えたわ。訊きたいことがあったら言ってくれ」と呼びかけてくる。勿論、白目など剥いていない。俺は一番知りたいことを後回しにし、大河の横から外堀を埋める質問を口にした。
「明日奈さん。君が殺された理由を知りたい。わからないとしたら、想像がつくことだけでも教えて欲しい。何かトラブルに巻き込まれたのかな?」
目の前に霊がいることをイメージし、明日奈本人に語りかけるように心がけたが、それは奏功したのか、大河は俺の言葉をくり返さず、大人しく聞き役に回っている。
どうやら霊と人間は直接交信することも可能らしい。昨日とは雲泥の差だ、などと感心していると、大河は俺のほうを振り向きながら煙を吐き出した。
「トラブルがあったのは事実だが、詳細を話すのには抵抗があるらしい。絶対世間に漏らさないと約束できるなら教えるってよ。約束できるか?」
やつの問いかけに考えるまでもなく首肯する。大河という交渉材料がある以上、警察はマスコミ発表の制限に同意せざるをえないはずだ。メディアは怒るかもしれないが、そこで神経をすり減らすのは担当の事務官であって俺たちではない。
「話してくれないか、明日奈さん」と、大河が穏やかに尋ねた。明日奈の提示した条件は飲んだので、発言への期待が高まる。
大河はしばらく耳を傾ける様子を見せたが二、三回頷き返したところで、俺に視線を送ってきた。
「グループの元締めみたいなやつを『親にバラす』と言って脅したらしい。本人は客とのあいだに起きたトラブルについて謝罪して欲しかっただけなのに、脅迫が効きすぎて逆に殺されたようだ」
大河の、正確には明日奈のよこした返答は率直である。だが、依然としてオブラートにくるんだ印象も受ける。客とは誰か。グループとは何か。とはいえ焦って尋問が台無しになってしまっては元も子もない。
「グループって、どんなことしてたの?」
落ち着いた口調で、怯えた子どものように扱う。すると明日奈は、大河の伝言を通じて「いわゆる援助交際」と答えてくれた。なるほど、世間に知られたくないわけだ。
援助交際と言うと聞こえはいいが、ようするに売春である。しかも貞淑なセルリアン女学園の生徒が体を売って金に替えてきた。行為の善悪はさておき、明日奈が極度に防衛的だった理由もこれで得心がいく。俺は質問の矛先を変えた。
「君を殺した弓長ってやつ、グループとどういう関係にあったの?」
明日奈の返事は、今度はやけに機敏だった。
「グループの幹部みたいな扱いだったらしい。元締めと四六時中つるんでいたってよ」
紫煙を吐き出す大河を尻目に、俺は戸野口明日奈殺害というジグソーパズルをほぼ完成しかけていた。
売春婦が客との揉め事でボスに謝罪を求めたが、幹部がその口を封じた。おそらく警察もいずれは目撃情報等から辿り着ける絵だと思えたが、残ったピースが二つほどある。一つはグループのボスが誰かということ。もう一つはなぜ明日奈殺しの実行犯である弓長が殺されたのかということだ。
「君を殺した弓長だけど、彼も死んだ。理由は思いつく?」
グループの内情に通じていることを期待したが、大河の答えは「見当がつかないってさ」だった。見事な肩すかし。俺は弓長殺しと売春グループとの関連性について評価を下げ、ボスの正体に的を絞った。
「代わりに訊くけど、グループを仕切ってたのはどんな人?」
このピースさえ埋まれば、パズルの絵は完成されたに等しい。けれど俺の問いをくり返した大河は「どんなやつだ?」と言った口のまま、ブロンズ像のように固まってしまう。
その様子を見かねたのか、離れた場所にいたソーニャが大河の側に寄り、小声で激励らしきものをかけた。直後に大河が絞り出した声は、ヒステリックに空気を切り裂いた。
「本当は弓長なんてどうでもいいの。そいつに取り憑いてやりたいのに、なぜか取り憑くことができない。呪い殺してやりたいのに、そうすることができないの」
明日奈の霊が乗り移ったような声音に、俺は真夏だというのに背筋の凍える思いを味わってしまう。昨日と同じ。また霊視が不安定になり始めた。「大丈夫、タイガ?」というソーニャの呼びかけにもやつは応じない。
「あんたの力になりたいんだ、ボスのことを教えて欲しい」
俺は霊に直接話しかけるように言った。大河は悲壮感漂う声で切り返してきた。
「力になりたいって本当?」
「ああ、嘘じゃない」
「なら、わたしのために人が殺せる?」
俺の本気を試すような叫び。明日奈は大河の声でさらに追い討ちをかけてきた。
「あいつは人間の顔をした悪魔だよ。それでもわたしの代わりに殺してくれる?」
熟慮にかける時間は二秒もあれば十分だった。俺たちは私刑執行人ではないから人殺しなんて請け負えるわけがない。
結論をストレートに伝えると、大河に乗り移った明日奈は「そうだよね、無理だよね」と言って寂しそうに笑んだ。けれど俺はそこで話を終わりにするつもりはなかった。
「人殺しはできないけど、そいつを逮捕することはできるよ。法に裁かれるという結末をもって君の復讐に代えることはできないかな?」
提案したのは最大限の譲歩だった。大河は虚ろな目をして黙り込み、ソーニャや衣弦の視線も彼の体に注がれているのがわかった。動け大河。動け。念じるように呟く俺の前で、やつは顔を上げ、俺の提案した譲歩をくり返す。
「必ず捕まえるから、そいつのことを教えて欲しい」
明日奈が殺したいほど憎い相手とは誰か。固唾をのんで見守る俺が緊迫した空気を吸い込んだ瞬間、その名前を大河はくぐもった声で代弁してみせた。
――ヒジリベフミヤ。
俺はその回答を聞き逃さない。荒く息を吐いた大河はソーニャを振り返って「背格好と容姿がわかりそうだ。スケッチブックに書きとめてくれ」と指示を出す。絢花の現場でも霊視をスケッチにし、臣人が一緒にいたことを示す証拠になっていたが、問題は俺自身が「ヒジリベ」という名前に聞き覚えがあることだった。
「衣弦、失踪者のデータを出してくれ」
後方に控えた彼女にそう言うと、五秒も経たぬうちにタブレットを渡された。勘のいい衣弦のことだから、名前を聞いた瞬間、ピンときていたのだろう。表示されたファイルは俺たちが「会社」から与えられた富山案件最後のターゲットのものだった。
その悪魔憑きの名前は、聖辺郁弥。戸野口明日奈殺害事件の黒幕と同姓同名だ。珍しい苗字であることから考えるに、同一人物と見て間違いないと思われる。
「なんてこったい」
別件で進めた捜索が、顔写真ひとつなかった労働義務違反者に行き当たったことに軽く天を仰いだ俺だが、それごときで意識を「聖辺」なる人物に振り向けることは生憎許されなかった。本調子に戻った大河が近寄ってきて、俺に耳打ちをしてきたのだ。
「明日奈のやつなんだが、秘密を守る上に主犯を捕まえると言ったから、えらく感激しているみたいだぜ。このまま成仏しても悔いはないとさ」
「まだ幕引きってわけじゃない。成仏には早すぎるだろうが」
事件は未解決だ。少なくとも「聖辺」という男を捕まえるまで捜査は終わらない。そんな意志が伝わったのか、大河は「彼女、納得したみたいだぜ」と言い、形容しがたい笑みをこしらえた。
明日奈本人の笑顔は見られないが、俺は「納得した」というひと言を得ることで、彼女の霊に慎ましい慰めをもたらせたと実感できた。
そうなると次は、もう一人の霊を相手に尋問を続けねばなるまい。
「なあ、弓長はどこにいる?」
大河の精神統一を待つまでもなく呼びかけたが、心を研ぎ澄ます必要はなかったらしく「そこにいるよ、すぐそこに」と言って河川敷の片隅を指差す。何のことはない、こちらが気づいてなかっただけで、ずっと目の届く範囲に潜んでいたようだ。
俺は霊を直に見ることはできないが、これまで得た情報から、牢獄で怯える弓長のイメージが頭に浮かんでいた。自分を呪う明日奈の霊、自らに殺人を命じたボスの名前。その二つが鉄格子となって弓長を苦しめている。
それが正解かを確かめる術はないが、無色透明な物体を相手にするよりもずっと尋問しやすいのは間違いない。視線を横に動かすと、ソーニャはスケッチブックにかじりつき、衣弦はタブレットとにらめっこという状況。
数の圧力という点では物足りないが、逃げも隠れもできない弓長と向き合うのは自分一人で大丈夫だと思えた。
「呪いとかいうモンは解けたか?」
俺は、世間話をするようにくだけた調子で声をかけた。大河は律儀にも同じ台詞をくり返すが、すぐに打てば響くような反応がかえってくる。
「自由になれたってさ。俺たちに感謝しているよ」
「わかった。そんじゃ弓長、今度こそこっちの質問に答えて貰うぞ」
明日奈の霊視を経て、やつらの背後に売春グループがあることは掴んだ。それ自体は本来衝撃的な事実だが、複数の殺人を前に些か霞んでいる。
前回おこなった弓長への尋問で、やつは絢花に関する証言を拒否した。それと同時に、スイッチとかいう「金目のブツ」を仄めかしていた。いくつか切り口はあったものの、真っ先に訊きたかったのはやはり絢花のことだ。
売春グループと関係があるとは思いたくなかったが、捜査を進めるうえで避けては通れない。
「このあいだも訊いたが、鷲津絢花って娘とおまえはどんな関係にあったんだ?」
慎重に声を発すると、大河を経由して弓長は答えた。
「彼女、うちのボスが気に入っていた娘なんだよ。無理やり犯されたって話だけど」
悪びれた様子もない返事のわりに内容はヘビィで、代弁した大河の両目は泳いでいる。俺もうっかり聞き間違いかと思ってしまう。だが頭の中で何度反芻しても、確かに弓長は絢花が売春組織のボス、つまりは聖辺なる男に強姦されたと証言した。
絢花はレイプされたのだ。間違いなく。その事実を受け容れるのに抵抗はあったが、不思議なことに俺はその話を聞いたのが初めてではない気がした。絢花の事件を知ったとき、トラブルの背後に強姦事件があると予期していたからだろうか。答えは瞬時に出なかったけれど、気づいたときには煮えたぎる怒りが溶岩のように湧き出てきた。
過去最大級の殺意。それは俺から平常心を奪い尽くした。
「なるほど、聖辺って野郎が絡んでたわけだ」
表面上は冷静さを取り繕うも、凶悪な声が出た。「だとすれば、鷲津絢花を殺そうとしたのもおまえらってことでいいか?」
すると大河のやつは「弓長は『俺は関係ない』ってほざいとる」とくそったれな発言を伝えてくる。図体はデカいくせに逃げ口上ばかり達者なやつだ。俺は弓長のなめくさった言いぐさを聞いてついに激高し「誰のおかげで呪いが解けたと思ってんだ!」と怒鳴り、見えない霊に向かって飛び膝蹴りを喰らわせた。
「落ち着け、恭介!」
気づくと大河が背後に回り、俺の肩を掴んでいた。憤怒に支配されていては尋問どころではないというわけだが、そんなことくらい言われなくてもわかっていた。
しかし自制を失った俺にべつの視線が突き刺さる。衣弦が俺を見ていた。職業意識を取り戻さなければならない。絢花の魂を救うためには捜査を進展させるより他ないのだ。
弓長への怒りからかろうじて脱した俺は「聖辺と絢花の関係について、知っていること全部話せ」と言い放った。
やつの発言を引き取った大河は、霊の立つ場所をまっすぐ見つめながら「聖辺に内緒にしてくれるなら、本当のこと話すってよ」と言う。俺が「聖辺がレイプしたことバラしたんだから、毒食らわば皿までだろ」と詰め寄ると「レイプが表沙汰になる前に絢花ちゃんのこと殺すよう命令されていたんだってよ」と大河が代わりに答えた。
錆ついたシャベルで不安定な足場を掘り返しているようなものだったが、ついに真実という鉱脈を探り当てたと思った。明日奈殺しと同様、絢花もやつらの手によって葬られるところだったのだ。その殺意と、主犯の存在を隠すために、弓長は証言を拒否し続けてきたのだろう。しかし明日奈が告白してしまったことで、やつの隠蔽は意味をなさなくなっていた。
「随分、ボスのことを大切にするんだな、オイ?」
率直な感想を口にすると、視線を霊に釘付けにした大河が「純粋に怖いんだってよ」と言ってくる。死んでなお生者が怖いという感覚はまったく理解不能だが、その一方でこれまで漠然と感じていた弓長の死因を明らかにできるとも感じられた。俺のなかでは候補は二つある。その一つ目をまずは口に出す。
「弓長。おまえが殺されたのは、絢花を殺し損なったのが原因か?」
「違うらしい」と答えたのは大河。えらく即答だったので驚いたが、気を取り直してもう一つの可能性を問いただす。
「やっぱりスイッチってのが原因か?」
即答を期待したが今度は時間がかかった。俺は注意深い聞き手に徹し、やつが心を開くのを待った。十二分に焦れただけあり、弓長の発した証言は事件の本質に迫るものだった。
「『俺は聖辺の目を盗んでスイッチを横領した』と弓長は言っている。元々スイッチは、馴染みの店で調子こいていた台湾人が持っていたモンを、そいつと喧嘩になったときボコボコにして奪ったらしい。価値があるのかどうかもわからなかったから、聖辺はそいつを放置していた。ところが崔炳瑞という朝鮮人が接触してきて、スイッチを一億で譲渡するよう働きかけてきたんだと。弓長は大金欲しさに聖辺を裏切って、アジトからスイッチを盗み出したはいいが、崔と会う寸前、聖辺のやつに拉致され、おそらくは彼に殺害されたと言っている。そしてスイッチの在処を知っているのはこの世で自分だけだと嘯いとる」
大河はひと息に話し、咽喉を休めた。俺は衣弦に指示してメモらせながら、弓長の死因と崔炳瑞なる朝鮮人の存在から、事件の全体像に迫った気になる。金目のモノをめぐって裏切り者が横流しを企む。俺は四年に及ぶ捜索歴の中で、暴力団組員が覚醒剤の横流しを謀った事例に携わったが、今回はヤクの代わりが「スイッチ」だったわけだ。そして弓長の言うとおり、殺したのは聖辺と見て間違いないだろう。問題はやつと聖辺との関わりを今後どのように扱うかである。
聖辺という主犯(と同時に絢花の仇)を突き止めたところで、俺たちのイレギュラーな捜査は終了。あとは富山県警に引き渡してお役御免という流れも想定できたし、常識的に考えればそうするべきだったとも思う。けれども俺の行動原理は、事件に鷲津家の人間が関わっている時点で、単なる捜索からその先にある真実に辿り着くことへと変容していた。
絢花のマンションからの墜落が自殺にせよ、殺人未遂にせよ、関与した人間はまだ解明されていない。そして聖辺という黒幕は「会社」が俺に与えた最後のターゲットと目される人物だ。今ここで手を引くのは、公私にわたるノルマの完遂という点で不十分だと言わざるをえない。
ゆえに捜査を継続させることを前提に、俺はバスケマンに問いただすべきことを頭に思い浮かべていた。
「弓長、スイッチってなんだ? そいつは今、どこにある?」
二点に絞って尋ねたが「スイッチのことだけど、売ると金になること以外、よく知らんようだ」と大河が代弁する。もっとも重要な問いは後者にあるので俺は声を荒げて言う。
「おまえの部屋は家捜しされてたが、つまりはスイッチを探しに来た連中がいたってことだろ。一体どこに隠した?」
迫力に押され観念したのか、弓長はスイッチの隠し場所を滑らかな口で語り始めた。
「『スイッチ本体は富山駅構内のコインロッカーに置いてある。そしてその鍵を網状の袋にしまって自宅の排水溝の中に隠した』って言ってるぜ。家捜しで見つからなかったのはラッキーだったとよ」
すでに死んでいる状態でラッキーもくそもないだろうと思うが、ともあれ排水溝は案外盲点だったかもしれない。俺はこの尋問が済んだらすぐにもコインロッカーの鍵の回収に向かうことに決めた。聖辺という野郎がスイッチの価値を理解しているとしたら、必ずや奪い返そうとするはずだし、その動きがやつを拘束することにつながると思ったのだ。
捜査のベストルートを思い描きながら、俺は一つだけ慎重に取っておいた質問を、頭の隅から浮上させる。それは有希に関する疑問だ。
「弓長、おまえ鷲津有希ってやつのことを知らんか?」
忠久はこの街に有希が舞い戻ったという噂を根拠に、絢花に害を加えた輩を有希が殺したと見立てていた。だが弓長は、大河の霊視を通じ「聞いたこともない」と回答した。
俺は正直なところ、忠久に良いところを見せたいという気持ちはゼロではなかったので、やつの見立てが空振りに終わったことに少なからず落胆してしまう。たぶん心のどこかで有希が関わっている可能性に傾きかけていたのだ。しかしそれは当てが外れた。事件の主役は売春グループと聖辺であり、人知れず帰郷した有希ではない。
弓長の尋問はここでひとまず幕引きだった。後ろを振り返ると、衣弦が「お疲れ様です」と言ってきたので、俺は感謝の言葉を返す。視線を動かすと、ソーニャが大河に歩み寄っているのが目に入った。手にしているのはスケッチブックだ。確か聖辺の人相書きをしていたはずで、俺たちが二人の霊を尋問をしているあいだに完成したのだろうか。
ソーニャの顔つきは相変わらずの無表情だったが、スケッチブックを受け取った途端、大河は眉をひそめて表情を曇らせた。人相書きに思い当たる節でもあったのか。俺の張りつめた神経が揺らいだのと、大河がこちらを振り仰いだのはほぼ同時だった。
「恭介」
やつの呼びかけに応じ、スケッチブックを受け取った。一番新しいページをめくりながら、俺は言葉を失う。そのショックはやがて無防備な声となった。
「嘘だろ」
ソーニャが素描した人相書き、そこに描き出された聖辺郁弥なる人物の容姿は、あろうことか俺の兄、有希に瓜二つだったのだ。勿論、写真ではないし、素描ならではのラフな点もある。しかし明らかなる類似を否定できるだけの材料かと言えば、そうは思えない。
唯一異なる点は、有希が黒髪なのにたいし、聖辺は金髪ということにあったが、それとて染髪すれば済む話だ。
「聖辺が……有希?」
もう一度心の声が漏れたとき、困惑は俺の中で最高潮に達していた。