第十三話 「スイッチ」
次兄である有希は、スポーツ万能で喧嘩がやたらと強いだけではなく、はっきりとした知性を備えている男だった。高校の頃、所属するサッカー部が全国大会出場を決めた際、関係者しか読まない学校新聞の記事において、彼は己の知性をいかんなく発揮していた。
――チームメイトとの連携は?
【鷲津】「抜群にとれている。いつも言っているのは、プロ選手になりたければ何も考えずに僕にパスをよこせ、ということ。そうすればアシスト王にしてやるとね」
――あなたの「俺様」キャラが女子生徒に大人気なようですが。
【鷲津】「僕は気難しい人間じゃないよ。確かに非凡だけど、現実的で正直な人間だ」
――もし鷲津有希を一つの言葉で決めるとしたらどんな言葉になりますか?
【鷲津】「本物」
自分で自分を「本物」だと言い切れるのには感心したが、地元の弱小高校を国立競技場に導いたサッカー少年の発言だけに妙な重みがあった。人を引きつける力があると言ってもいい。やつは忠久と並んで、俺に負い目をおわせる天才だった。俺が真剣に打ち込んだ剣道で、片手間に遊んだ有希は無類の強さを発揮した。競争相手だった臣人とは桁外れで、どんなに稽古を積んでも敵わないと思わせたのはやつ以外いない。有希という人間に正面から向き合うと、自分の弱さが浮き彫りになる。その恐怖は今も俺を掴んで離さない。
***
弓長翔太ことバスケマンの住居は戸建ての一軒家だった。城森町と富山市の境にあり、経済特区からのアクセスもよく、絢花が飛び降りたマンションからも近い場所にあった。衣弦との電話によって得た情報によれば、その戸建てはルームシェアされており、バスケマンが一人で住んでいるわけではなかった。
問題はシェアしている同居人のことで、衣弦が「会社」の権限によって聴取したところによると、彼ら彼女らは大日本電子で働く中国系で、身分証を見た限りでは正規の移民であるとのこと。大日本電子が台湾のTSMCに対抗できた要因の一つが安い移民パワーにあったことは周知の事実なので、同居人が中国系であることに疑問点はないが、一緒に住んでいたのがバスケマンであることを考慮すると事情は変わる。
やつは偽造身分証を持った帰化中国人「張凱」として行動をしており、ひょっとすると中国系コミュニティの手厚い支援を受けているのかもしれない。仮にそうだとすれば、バスケマンの捜索は一筋縄ではいかなくなる。
臣人のマンションを出たアルファロメオは俺の指示により、一五分ほどで目指す戸建てに着いた。臣人のアリバイについては警察が捜査に向かったから、俺は「会社」の業務に専念することができる。目的地に着いて早々、俺は衣弦を屋内で待機させたことを申し訳なく思っていたので急いで車を降りた。
俺の背後に連なったのは、車を停めた大河とソーニャ。「ここが恭介さんの捜す失踪者の住まいなんだ」と問うソーニャに俺は「ああ、そうだよ」と頷き返す。
バスケマン案件に二人を連れてきたのにはわけがある。一つはケチ臭い話だが、報酬を日当で支払っているため、俺が仕事をしている時間が無駄になること。もう一つは捜索の協力をさせるためだ。
探偵と言われても当初はピンとこなかったが、先ほどの捜査ぶりを見るからには、警察の下請け的な働きをしているという話は本当らしく、くわえて大河は一つ大事件を解決しているから、現場の刑事からの信頼感も高いようだった。場合によっては警察との連携が必要なこともあるだろうし、そのときに大河のパイプは有効活用できる。
幸い大河も日当を貰っているため不満はないらしく、衣弦と合流するとやつは丁寧に自己紹介をした。
「鷲津君の古くからの友人の荒木大河と言います。わけあって探偵をやっています」
「こちらこそ。穂村衣弦です。お話は鷲津先輩から伺いました」
衣弦も礼儀正しく答え、サッと片手を差し出した。初対面同士の儀礼的だが力強い握手。一見クールなのにこういう動作を自然にできるところが、衣弦が衣弦である何よりの証拠だ。
同じ動作をソーニャにたいしてもくり返した後「先輩、一番奥の部屋です」と言って彼女はリビングを跨いで室内を突っ切る。リビングには同居人がいたので軽く会釈をして通る。話はすでにつけてあるのだろう、彼らは大人しかったが、静かなのは同居人たちだけではなかった。
バスケマンの部屋は静寂に包まれている。すでに衣弦から状況は聞いていたが、あらためて確認した。やつの部屋は無人だった。
「弓長は不在でした」
衣弦は大河たちに向かって言い、もぬけの殻となった部屋に目をやる。
「同居人に聞き取りした限りですと、もう三日ほど自宅には戻っていないようです。移動手段にはバイクを使っていたようですが、そちらもありませんでした。どこかへ外出したまま戻っていないか、新たな逃亡先を得て姿をくらましたと見るべきではないかと」
俺は「なるほど」と独りごち「ところでこの物件の所有者は誰だ?」と問うと、衣弦は「柳田光英です」と答える。てっきり物件の所有者は中国系だと思っていたので「それは本名か?」と問い直す。その質問を予期していたのか、衣弦は「通名です。本名は劉興英という帰化中国人でした。警察のデータベースに問い合わせて見つかった情報ですので間違いはありません」とすらすら述べたてる。
俺は小さく息を吐き、もう一度「なるほど」と独りごちた。警察のデータベースに載っていたということは、犯罪者か、過去に犯罪をおかしたか、堅気ではないかのどれかだ。データベースのアクセスにはレベル制限があるため、その柳田光英なる帰化中国人の詳細なプロフィールを衣弦は把握できなかっただろうが、推測を立てることはできる。
こうして物件を所有できたとなると、それなりの金と立場を持っていることになり、俺の出した見立ては柳田は中国系のマフィア、すなわちやくざの構成員もしくは準構成員(通俗的に言えば企業舎弟というやつだ)というものだった。そんな男とつながっていたのだとすれば、バスケマンの長きにわたる失踪にも合点がいく。
自分が不在の間に、衣弦がやるべきことをやってくれていたことに感謝しつつ、俺は次のアクションを考えねばならなくなった。相手に犯罪組織が絡んでいるとなると「会社」の捜索員は警察に比して脆弱だ。銃器を携帯しているわけでもなく、武装した連中に丸腰で挑むようなものだからだ。もしこの案件にぶち当たったのが俺の上司なら、迷わず撤退の判断を下したに違いない。
だが俺は、バスケマンの案件から手を引くつもりはなかった。消極的判断を下すつもりなら、大河を引っぱりこんだりしない。やつは警察向けの駒であり、得体の知れぬ能力を持っているし、言い方は悪いが俺は大河の異能力を使役できることに興奮していたのだ。
ところが静かに打ち震える俺にたいして衣弦、そして大河たちは、バスケマンの部屋を見回して呆然としている。表現する言葉がないといった様子だ。
それもそのはずだろう。バスケマンの部屋はやつの不在という謎以上に謎めいていた。なにしろやつの部屋は、バケツをひっくり返したような有様だったのだから。まさに台風一過。何をどうすればこんな部屋になるのだろう。バスケマン自身がやったとは思えない。やつと接点のある誰かが、この部屋を徹底的に家捜しした跡に思える。
そしてもう一つ、異常なものがあった。足の踏み場もない床をかき分け、衣弦がそれを拾い上げた。彼女が手にしたのは写真である。それは家庭用のプリンターで打ち出したと思しきポラロイド写真だった。映っているのは女子高生くらいの少女。制服を着ているものもあれば、半裸ないし全裸のものもある。
異常さが際立って見えるのは、彼女らがみな一様に恐怖の表情を浮かべていることである。そういうワンパターンな写真が膨大に散らかっている。
「部屋はこんな具合でして」
明らかに変態趣味の産物である写真を一瞥し、衣弦は吐き捨てるように言った。
「同居人の聴取は?」
「済んでいます。不在のときにおこなわれたらしく、誰がやったかわからないそうです」
なるほど、と心内で独りごち、襲撃者がどうやって不在の家へと入れたか、俺は考える。
合鍵を持っていたのか、バスケマン所有の鍵を使ったか。確率の高い選択肢は後者だった。だとすれば、バスケマンと近しいか、接点のある人物の行動となる。そして今現在、バスケマンは行方知れず。やつは悪魔憑きだが、その不在は何らかのトラブルに巻き込まれたことを示唆しているのか。
ここは大河に霊視をさせるべきだ。そう結論づけたとき、先に口を開いたやつがいた。ソーニャである。
「恭介さん。ここはタイガに霊視をさせるのが妙案ではないかと」
奇しくも同じ結論に到っていたことで、俺はソーニャへの評価をさらに高めた。探偵である大河が「その手があったか。でもこの部屋の住人はまだ生きているんだろ?」などと能天気なことを言っているのにたいし「本人の鍵を使って入室した可能性があるよ。もしそうであるならば、本人が無事とは限らない」と答え、主張を的確に裏づける。
「大河。この部屋の居住者を霊視してくれ。居住者の名前は弓長翔太だ」
俺が指示を出すと「霊視?」と言って真っ先に食いついたのは衣弦だった。彼女を混乱させるのは得策ではないが、悠長に説明している暇はない。「詳しいことはあとで教える。いまはあるがままを受け止めろ」と言うと衣弦は首を縦に振った。俺は視線を大河に戻し先ほどの指示をくり返した。
「……弓長翔太だな。わかった」
指示を受けると大河は、一拍置いた後、例のごとく手元に意識を集中させる。
ここには絢花が飛び降りたマンションのときのように警察の視線はないから、直感推理などという隠れ蓑は必要なく、思う存分霊視できるだろう。
その割に緊張した顔つきを気にかけたが、それもほどなく忘我の状態に変わる。全身が小刻みに動き出し、ソーニャの口寄せの出番だった。彼女は表情一つ変えず大河の体に寄り添い、やつの口唇からこぼれる言葉に耳を傾け「弓長翔太の霊が見えたようだ」と俺に言う。
彼女の温度の低い発言を引き取り、俺は「弓長は偽名を持っている。それを尋ねてくれ」と言い、バスケマンの本人チェックを開始した。三〇秒ほど間が空き、大河の言葉をソーニャが代弁する。「霊は『張凱』だと答えているよ」ビンゴである。またしても霊の実在は確認できた。
立て続けに俺は携帯電話と身分証の在処を訊いた。三〇秒ほどして「携帯は奪われたみたい。身分証のほうは机の引き出しに入っているよ」とソーニャ。引き出しの中身は机の上へとぶちまけられており、俺はその中からパスポートを発見することができた。名義は張凱。バスケマンを追っ手から遠ざけてきた偽造身分証だ。
やつの背後関係を把握するために、この偽造パスポートをいかなる組織から入手したか興味があった。
「こいつの入手元は?」
俺がソーニャ&大河を通じて尋ねるとバスケマンの答えは「柳田から買った」だった。
柳田光英。本名は劉興英。偽造パスポートを手配できたというからには、この中国系は裏社会の人物と見ていいだろう。事前に予想したとおり、バスケマンは非合法組織によるバックアップを得て「悪魔憑き」を続けてこられたわけだ。
それにしても部分的に証言拒否していたと思しき絢花と違い、バスケマンはえらく舌の回りがいい。話したいことがあってうずうずしているかのようだ。俺はやつの安否を確認するための問いをソーニャに投げた。大河との短いやり取りを終え、彼女は言った。
「本人の弁によれば、弓長はすでに死んでいるみたいだ」
あっさりした回答だが、ショックは小さくなかった。
「弓長は殺されたのか? 殺されたとすれば誰に?」
俺がやや強い調子で訊くとそこで大河が挙動不審に陥った。口の動きから霊と会話をしていることは伝わってきたが、顔色は真っ青で怯え方が半端ではない。
恐慌をきたしつつある大河を見かねて、やつの厚い胸にソーニャが抱きついた。大河は喉を小さく震わせる。やがてか細い呻き声を聞き取ったソーニャが俺たちを振り返りこう言った。
「弓長は女子高生を殺害した後、何者かによって殺害されたようだ。弓長を殺した相手はわからないと大河は言っている」
霊視を通じて弓長が述べたのは、半分はこちらの意図どおり、もう半分は尋ねてもいない問いへの答えだった。バスケマンが殺されたこと、その犯人は不明であることがわかり、やつの死を取り巻く謎は一つの壁に行き当たった格好だが、問題はバスケマン自身が罪を犯していたという証言である。
女子高生を殺害。それを聞いた衣弦が思いきり眉をひそめる一方で、俺はまたしてもドイツ製ハンマーで頭を殴られたような衝撃を受けた。
殺害。女子高生。
その二つの単語は、絢花を襲った事件を想起させるのに十分だった。俄に色めき立った俺は「殺した女子高生について尋ねてくれ」と早口で言った。
その指示がソーニャを伝って大河の耳まで届くと、やつは霊に意志を伝えるべく血色の悪い口唇を上下に動かし始めた。俺は無駄だと知りつつも「大河。もう一押しだ」と声を発した。それを追いかけるように衣弦が唾をのみ込んだ音が聞こえた。
やがて大河はゆっくり体を起こすと、床に散らばった女子高生のポラロイド写真に手を伸ばし、その内一枚を指でつまんだ。写真にうつっている少女は、髪型の違いから絢花でないことはわかった。バスケマンは絢花の件に関わっていない? 一瞬見えたはずのリンクは切れてしまったが、その写真の少女こそ、バスケマンの殺害した娘だと推察できた。
しかし被害者はおろか加害者まで殺されているとは、バスケマンの背後には一体どんなトラブルがあったというのだろう。俺は色んな失踪案件に携わってきたが、人の死がここまで連続する案件は初めてであり、警察に委ねる選択肢も頭をよぎった。だがこの悲劇の輪の中には、最愛の妹が含まれているかもしれない。被疑者の筆頭は臣人だが、可能性は全て潰したい。ゆえに大河がつまみ上げたポラロイド写真を奪い取り、目に見えぬバスケマンの霊に向かって「この写真の娘は誰だ?」と低い声で言った。
俺の問いはソーニャによって大河へ伝わった。大河の返事は、彼女が教えてくれた。
「弓長の霊は、証言を拒否しているようだ」
なるほど逃げるつもりか。けれど俺は許さない。
「なめ腐ったこと言ってんなクソボケが!」バスケマンの答えにキレたふりをし「言え! 黙ってれば逃げられると思ったら大間違えやぞ!」と声を張り上げた。
ここで血なまぐさいやり取りに耐えきれなくなったのか、口許を押さえた衣弦が洗面所へと駆け込む姿が見えた。しばらくして、げえげえと嘔吐する音が聞こえてくる。
俺は彼女の失態をカウントには入れず、大河の動きを見守った。一〇秒足らずで何かしらの言葉を聞き取ったソーニャがこちらを振り仰ぐ。彼女は待望の名前を口にした。
「写真の少女は戸野口明日奈。私立セルリアン女学園高等部の生徒だと言っている。殺害場所は城森町の閉鎖したスーパーやおかんの屋上」
戸野口という娘に覚えはなく、場所が廃屋だったことに疑問な点はないが、問題はセルリアン女学園のほう。絢花が通っていたのと同じ高校だ。
明白な共通点。やはり二つの事件には同一の背景があったのか? その疑念は濃密さを増すが、ソーニャがさらなる伝言を送ってくる。「弓長は『俺は殺したくなかった。仲間の命令で逆らえずやった』と弁明しているよ」
「は? 仲間って何のことだ?」
俺が問いを発すると「弓長は富山市と城森町を股にかけた不良グループと関わっていたみたいだ」と返してくるソーニャ。
やくざの構成員ではなく不良程度か。俺はその情報を重視せず、一番訊きたいことを尋ねる。
「鷲津絢花って知ってるか? 戸野口って娘と同じ高校に通ってて、同じように殺されかけたかもしれない娘だ。こいつは俺の妹だ」
例によって伝言を通じ、ソーニャが無感情な声で言った。
「鷲津絢花という少女のことは知っているけど、彼女を殺してはいないと強く主張している。また、絢花さんと接点を持った理由に関しては証言を拒否した」
「なんでや?」
「『言えない』の一点張りだ。言ったら死んでしまうと怯えてる」
「アホか、もうとっくに死んどるやろがい!」
今度は本気でぶちキレ、部屋のどこかにいるバスケマンの霊に向かって罵声を浴びせた。
「誰に殺されるんや、誰に! てめえの仲間か!」
声を荒げた俺に、ソーニャは機械のような正確さで答える。
「仲間を売れない以前に、弓長は戸野口明日奈の霊に呪われているみたい。その呪いとは、霊にとっては死と同様に恐ろしいものであるらしいね。大河によれば、冗談を言っているようにしか聞こえないかもしれないが、弓長の怯えぶりは大変本気であるようだ」
霊に呪われる? 冗談もいい加減にしろ。俺の怒りは収まらなかったが、洗面所から戻った衣弦が「ご迷惑をおかけしてすみません、先輩」と呼びかけたことで、若干なりとも頭が冷えた。
霊には霊にしかわからない事情があると考えるのはくそったれな話だが、一方的に生者の都合を押しつけても証言を拒絶されれば捜査は立ち行かなくなる。
「弓長。おまえの事情はよくわかったから。戸野口明日奈って娘の霊は俺たちが代わりに弔ってやる。それで呪いってやつが解けたら、知ってること全部話せ」
霊の弔いとは成仏のことだ。それができないから、やつらは現世に止まってしまう。
俺の見立てが正しかったかどうかはわからないけれど、大河の口寄せをしたソーニャが「弓長は納得したみたいだ」と言ってくれた。
俺はその回答を聞き、額に溢れた汗を拭った。かなりの計算違いがあったものの、バスケマンが死に到った事情を問いつめ直す。
「弓長。おまえさっき、てめえを殺した相手はわからないって言ったな。殺したやつがわからなくても、心当たりくらいあるだろ。思い当たる理由はないか?」
不可視の霊に問いをぶつける。けれど返答は俺の期待を裏切るものだった。
「弓長は答えられないと言っている」
ソーニャが口にしたのは、何度目かの証言拒否だ。俺は人間を脅かすのと同じ手段で、床に転がっていた椅子を振り上げ机の天板を叩き割った。
「言え、弓長。おめえが殺された理由はなんだ?」
通り魔や交通事故に遭って偶然死んだわけではあるまい。
「おめえが黙ったままだと、戸野口って娘の霊は放置せざるを得ないな」
そのひと言が効いたのか、いきなり部屋の空気が変わったように感じた。意識を集中させると喉から絞り出すような男の声が俺の耳を打った。
――スイッチ。
ほぼ同時に、大河の口からも同じ単語が漏れた。スイッチ。一体何のことだろう。想像をめぐらそうとしたが、情報が曖昧すぎてエラーを起こした。
「スイッチってなんだ。おまえが殺された理由とどういう関係がある?」
畳み掛けるように放った言葉はソーニャたちを通じてバスケマンに届いたようだったが、やつがよこしたのは木で鼻をくくった答えだった。
「売れば大金が入る。一億円。弓長の返答はそこで止まってしまった」
メッセージを伝えるソーニャに「止まってる? なしてや」と即答してから「一億円」という途方もない金額が思考の中心に上ってきた。金銭トラブル。そこだけ見ればありがちだが、謎を掘り下げることは叶わなかった。
「弓長の霊は消えたよ。最後に自分の死体が遺棄された場所を残して」
ソーニャが無感動な顔で見上げていた。俺は確認の意を込めて訊いた。
「死体が遺棄された場所ってどこだ?」
「東川の河川敷。今市橋の下だと言い残していた」
えらく精緻な回答だが、遺棄された本人のコメントなのだから格別おかしいことはなく「なるほど」と言って衣弦を見た。彼女は依然顔色こそすぐれないが、通常モードに復帰してタブレットを叩いている。重要な情報を口述筆記しているのだろう。
ふと見れば、霊視を終えた大河がソーニャに抱きすくめられていた。
「お疲れ、タイガ。今日は体力の消耗が激しいようだけど、平気かい?」
彼女の気遣う声に応え、大河が何事か呟いた。その発言を聞き届ける前に、隣に立っていた衣弦が小声で呼びかけてきた。
「荒木さんは、とんでもない力を持っているんですね。いまだに心の整理がつきません」
霊視を目の当たりにした彼女は当惑を隠さないが、現実をある程度受け容れている口ぶりでもあった。
その証拠に、彼女は迷いのない面持ちでこう訊いてきた。
「ところで弓長の捜索ですけれど、これからどうされるつもりですか?」
「続けるよ」俺は平然と言った。「やつが殺された理由は必ず洗い出す」
無論、最大の関心事は、絢花の墜落事件の真相を明らかにすることだ。セルリアン女学園の娘が同時期に、二人も事件に巻き込まれた。背後には、絢花を悲劇へと陥れた理由がきっとある。その何かを解き明かすことができれば、彼女は目を覚ます。バスケマンの死をつまびらかにせねばならない。戸野口明日奈なる少女の鎮魂も必須条件だ。
懸念材料は、おそらく衣弦も不安に感じているように、俺たちが「会社」の業務を離れ、不慣れな領域へと足を踏み入れていることだろう。霊視だの成仏だのに巻き込まれ、基本リアリストの俺たちは調子が狂っている。しかし今は前だけを見据えたい。
「衣弦。戸惑いがあるかもしれないけど、この案件は自分たちの力で解決するぞ」
心に忍び寄る弱気を払うように、俺は捜索の続行を念押しした。