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第十一話 「捜査」




 大河とソーニャ、俺の三人が現場であるマンション屋上に出ると、隅っこにある鉄柵の周囲に黄色いテープが張りめぐらされていた。さらにその周りには、制服の警官と私服の刑事が数人突っ立っている。俺は大河のお手並み拝見とばかりに質問を一つ投げた。

「警察の連中はおまえの霊視を知ってるのか」

 理詰めの捜査を尊ぶ警察が、大河のオカルトを心の底から信じるとは思えなかったので訊いたのだが「やつらは霊視のこと知らんよ。俺の捜査は直感推理やと思っとる」という落ち着いた声が返ってきた。

「直感推理?」

「事件の筋道が自動的に見える推理だ。霊視だと説得力に欠けるからな」


 霊視と直感にどれだけの差があるのか。大差はないように思えたが、現に警察を納得させているからには直感推理は有効な捜査手段と認められているのだろう。


 俺の疑問に答えた後、大河とソーニャは迷わず警官たちのところへ歩いていった。逆に俺はここが絢花の飛び降りた場所であることを意識し、目に見えぬプレッシャーを感じて動きがぎこちなくなる。緊張しているのもしれないが、大河たちとは数歩遅れてしまう。


 そんな俺を置いてきぼりにし、制服姿の警官が大河に敬礼をしたのが目に入った。ついで私服刑事の中に見慣れた顔の男がいるのがわかった。背脂である。病気でもないのに頬のこけた面だちは高校生の頃から少しも変わっていない。


 視線を動かすと、背脂の反対側に明らかに年配の刑事がいた。いかにもベテランという雰囲気である。警官たちに囲まれてなお、堂々とした態度の大河を出迎えたのは、この場で一番キャリアが多いと思しき彼であった。

「捜査一課の吉岡といいます。よろしくお願いします、荒木さん」

 吉岡と名乗ったそのベテラン刑事は、大河に右手を差し出した。大河はそれを握り返し「さっそくですが、状況説明をお願いできますか」と問いただしていた。


 このやり取りから俺は、大河が探偵として警察と通じているという話はでたらめではないことがわかった。年配の刑事が下にも置かない扱いをするのだ。連続女児誘拐殺害事件を解決したというのも本当で、その結果大河が社会的地位を高めたのは一目瞭然だったし、俺としては疑念が一つ消えた。


「被害者である鷲津絢花さんがここから墜落したのが、昨日の一九時二〇分頃。目撃者がいるので、ほぼ確かだと思われます。絢花さんが墜落した場所には車が停められており、そこに激突したことで、いわばボンネットがクッション代わりになり、一命を取り留めたものと見られています」


 吉岡の指示で状況説明を始めたのは背脂だった。やつが大河に敬語で話すシチュエーションはたいそう不気味だが、背脂は平然としている。仕事慣れとは恐ろしい。自分のことを棚に上げて俺は鼻息を吹いたが、そのあいだにも背脂のレクチャーは続く。


「くわえて目撃者の情報によると、事件発生直後マンションから逃走する人物がいたことがわかっています。特徴は長身の男性であること。身長は一八〇センチから一九〇センチ。それ以外の人体に関しては、現場が暗かったことから詳細はわかっていません」


 ワイシャツ姿の背脂は、そこまで言ってハンカチで額の汗を拭う。今日は朝から暑い。俺は「会社」の縛りの緩さから軽装だったが、捜査一課の刑事ともなれば、ラフな格好をするわけにはいかないのだろう。


 俺は警察関係者の隠れた努力に敬意を払いつつ、大河のほうを向いた。やつは説明に頷くだけで、メモをとっているのはソーニャだった。探偵と助手。一見、役割分担ができている。

「現状、わかっている限りの情報は以上です、荒木さん」

 大河を苗字で呼び、背脂が説明を終える。ちなみに俺はここで、二つの感想を抱いた。


 一つ目は、背脂が目ざとく俺の存在に気づいたと思われることだった。説明のあいだじゅう、やつは大河の背後に佇む俺へ視線を送ってきたのだ。それが勘違いでなかった証拠に背脂は吉岡に断りを入れると、慌てた様子で俺と大河を黄色いテープの外へ連れ出した。

「なして大河と一緒に恭介がおるんや?」

 背脂は俺たちの背中に手を回し、こけた頬を上下させながら言った。


 俺が「大河に依頼したんやよ。ここから飛び降りた鷲津絢花ちゃ俺の妹や」と答えると「それは知っとった。やけど親族がしゃしゃり出るがちゃ具合が悪い」と背脂はふざけたことを言う。

 俺は頭にきて「具合もくそもねえよ。妹が自殺未遂した理由を知りたいだけや」と吐き捨て、大河を雇った経緯を説明し、俺が手を引けば大河もこの件から撤退すると言った。


 脅迫めいた言い方だったが、背脂は途端に顔を青くした。どうやら大河の協力は、警察にとって欠くことのできない切り札であるらしい。

「事情はわかったけに、大人しくしとられや」

 背脂が妥協を口にしたことで俺は「わかった」と言い、怒りの矛を一旦収めた。けれど俺にはもう一つ、やつを問い詰めねばならないことがあった。大河もまったく同じ感想を持っていたらしく「なあ。さっき絢花ちゃんのこと、被害者って言ったな。あれどういう意味や?」と尋ねていた。


 背脂は「その件な。すまん。ちょびっと説明不足やったわ」と答え「吉岡さん。例の件話しちゃっていいですかね?」と年配刑事に確認をとった。まだ話していない情報があったようだが、俺たちの会話が耳に入っていたと見え、やつの上司は首を縦に振った。


 それを受け、背脂は勿体ぶるような口調でこう言ってきた。

「実はな、殺人未遂の可能性があるんやよ。似たような事件が一週間ほど前にもあって。うちらとしては自殺未遂と殺人未遂の両面から調べてるわけちゃ」

 殺人未遂。すなわち誰かに殺されかけたということ。ロジカルに考えればその線はありえると思えた一方で、俺は激しい動揺を感じた。絢花の件は自殺じゃないのか。もし絢花の事件が殺人の延長線上にあるなら、俺の感情はドス黒さを増す。


「ほんまけえ?」と苛立ち混じりな声を漏らし、警察の連中を睨みつけた。「おまえにはつらい話と思うがやけど、ほんまや」と言ったのは背脂。俺はなおも食い下がり「争った跡とかあるがけ?」と問うが「特にないけど、争わんで死なすのちゃ、難しくないがよ」と答えてやつは俺にとどめを刺す。


 他殺の線は否定できない。警察の捜査方針に俺はドイツ製のハンマーで頭をぶん殴られたようなショックを受ける。だから「会社」の捜索員という公的な立場をかなぐり捨て、絢花の兄として大河に迫ってしまった。

「わかっとるな、大河。おまえが頼りながやぞ」

 気づけば俺は大河の胸ぐらを掴み上げ、やつの顔に唾を飛ばしていた。大河は「わかったから落ち着け」と言って泡を食っている。


 それでも荒ぶりは止まらない。やり場のない怒りをぶつける浅はかな行為だったが、自分ではどうにもならなかった。ストップをかけたのは、鋼のような冷静さを保っていたソーニャだった。

「二人とも捜査に戻るんだ」

 その声に反応して、大河も「恭介の気持ちはわかったから、もうその手を離してくれ。あとは俺に任せておけ」と息を荒げて言った。

「悪い。少しやりすぎた」

 俺がやつを解放すると、自由になった大河は俺を抱きしめてきた。抱擁。男同士のそれは気持ち悪い限りだが、俺は大河がそうする理由は痛いほどわかったので抵抗はしない。なすがままにされる。

「俺の霊視は絶対だ。きっと絢花ちゃんの仇はとる」


 大河は親族である俺を慮り、声に優しく力をこめて言った。そして俺が頷き返した頃合いを見計らって「そんじゃ行ってくるわ」と言い残し、大河は離れていった。俺はやつの心憎い思いやりを受け容れつつも、このときは霊視能力の実在をまだ十分には信じきれていなかったから、黄色いテープを乗り越えていく大河をソーニャと一緒に見守り、祈るような心境でやつを凝視する。


 俺がごくりと息をのむと、瞑目した様子で体の神経を一点に集中させるのが伝わってきた。眉間に指をあて、一〇秒から一五秒ほど経つ。すると大河は目をカッと見開いた。頭部は小刻みに揺れ、体がぶるぶると震えている。どうやら霊視が始まったようだ。俺は勿論、刑事と警官の視線もやつの瞳に注がれる。


 しばらくすると大河はこちらが聞き取れないくらいの小声で何かを呟いた。助手であるソーニャが素早く大河の傍に体を寄せ、やつの囁き声に耳を澄ませる。彼女の容姿が人間離れしているせいか、その口寄せにも似た行為はどこか神々しい。

 やがてソーニャは顔を上げ「事件の道筋が見えない。見えそうで見えない」と警察関係者に述べた。吉岡と背脂は小さく頷き返すが、俺は霊視のことを知っているのでいまの発言をべつの形で解釈する。大河の言わんとすることは「霊がおらん。おるのかもしれんが、見えん」ということだろうと見当をつける。


 その間も意識の集中は続いていた。俺の見ていない隙に一段と気合いを入れたらしく、大河の両目は上下に痙攣を始め、三〇秒ほど経つと完全に白目を剥いてしまった。そんな状態で霊が見えるのか心配になったが、やつはかろうじて陸にあがった魚のような呼吸をくり返す。


 その吐息にソーニャは耳を澄ませ「事件が起きたときの絢花さんの姿が見えたみたい。けれど周囲が暗くて他に人がいることは確認できない。また残念といえば、屋上から落下するイメージは大変不鮮明だよ」と説明した。


 彼女の言ったことを俺流に噛み砕くと、絢花は事件当時、現場に他人がいたかどうか、くわえて自殺未遂か殺人未遂か、明確な証言を拒んだと受け取れる。なぜ真実を話さない。それともやはり大河の霊視はでまかせだったのか。


 俺はソーニャの傍に近づき、確証を得ようとした。絢花にしか知りえないことを訊けば、白黒つけられると思ったのだ。咄嗟に質問を考えだし「絢花が見えるなら、大河に訊いて貰ってくれ。初めてキスをした相手は誰だ?」と早口で言った。ソーニャは黙って頷き、大河に耳打ちした。やつは白目を剥いたまま、口唇を小さく震わせた。


 霊視にせよ、探偵という仕事にせよ、俺はそれらをもっとスマートなものだと考えていたが、実際に目の当たりにすると洗練には程遠い。これ以上、正視に耐えうるのか不安を覚え始めたとき、大河が喘いだように何事か呟いた。ソーニャはその声を拾い上げ、俺に向かって無愛想に告げた。

「初めてキスをした相手は恭介さんだと言っているよ」

 ソーニャの冷淡な口調とは裏腹に、俺は「マジか」と強めな独り言を口にしてしまった。


 案の定、背脂が反応し「どうしたんや、恭介?」と身を寄せてきたので「犯人の手がかりになるイメージがつきつつあるらしい」と言って俺は質問をはぐらかした。けれどいまのやり取りでわかった。絢花の初キスを奪ったのは、俺だ。したがって大河の霊視は本物である。超常の力を目の当たりにしてやつに抱いていた猜疑心は払拭された。


 そうなると俺は絢花の生霊なるものを探し求め、周囲にめまぐるしく視線を投げかけてしまうけれど、その間にも大河の霊視は続き「ようやく犯人と思しき人物が見えたみたい。事件当時、屋上にいた人物。紙を用意して欲しい」とソーニャが背脂に指示を出していた。慌ててスケッチブックを取り出す背脂。俺は、大河のやつがついに絢花から証言を引き出したのだと理解し、高鳴る鼓動を押さえつつ、ペンを走らせるソーニャの手に注目した。


 いつしか刑事ばかりでなく、大河を取り巻いていた警察官もスケッチブックを覗き込む。昨晩の会話で「一〇代の頃は画家志望だった」とか何とか言ってたが、確かに彼女のペンさばきは素人のものではない。どうやらここが捜査のクライマックスのようだ。固唾をのんでいた俺たちの前に、やがて一人の人物像が精細なタッチで描き出された。


 その人物像を指差し、背脂が吉岡に何ごとか耳打ちをした。頷き返す吉岡。警察関係者はソーニャの描き出した被疑者に心当たりがあるようだったが、他方で俺も少なからぬ衝撃を受けていた。そいつはアカの他人ではなく、古い知り合いの一人だった。


 俺が唖然としていると、背脂は被疑者のスケッチを何度も指差し、やつの話し相手である吉岡は「マンションの住人の証言は正しかったわけだ。すぐに事情聴取するべきだった」とか言っている。どうやら警察は当初からその被疑者に関心があったらしく、吉岡はソーニャに「被疑者宅までご同行願えますか」と頭を下げていた。


 ソーニャは「わたしならば問題ないけどタイガ……いえ、アラキの呼吸が落ち着くまで待って欲しい」と言い、大河のほうを見やる。霊視をやり終えた大河はもう白目を剥いていなかったが、それでも疲労困憊といった様子。そして「タバコを一本吸わせてください」と言って立ち上がり「恭介、おまえも来い」と俺を灰皿が設置された場所へ連れて行こうとする。


 何か話したいことがあるのはわかっていたので従順にしたがうと、大河はタバコに火をつけながら「とんでもないものを見ちまった。やからこの仕事は嫌なんだよ」と泣き言を口にする。大事件を解決し、一躍名を上げた探偵にはふさわしくない嘆息だった。


 けれど俺はやつの心情を推し量れる立ち位置にいたから「ご苦労様」と言ったあと「絢花の霊がはっきり証言したんだな」と尋ねながら大河の答えを待つ。やつはタバコを思いきり吸い込むと「ああ。まさかあいつが関わっていたとはな」と言って煙を吐き出す。あいつとは誰か。俺と大河のあいだでは共通理解がとれている。羽生臣人。大河が霊視し、ソーニャが描いた人物像とは、俺たちと一緒に剣の道を歩んだ旧友、羽生臣人に他ならなかった。


 ソーニャの素描の精密さから言って見間違いということはなく、しかも吉岡と背脂のやり取りを聞く限りだと、臣人はすでに捜査線上へとのぼっていたらしい。その理由は大河の漏らしたひと言によって明らかになった。

「臣人のやつ、このマンションの一室に事務所を構えているようだ。絢花ちゃんの生霊がそう言ってた。それだけじゃない。恭介、おまえはあまり聞きたくないだろうが……」

 そこまで言って、大河は言葉を濁した。

「隠すな。俺はおまえの依頼人だぞ」

 俺が先を促すと、タバコの煙をまずそうに吐き出し、やつは灰皿を見つめながら言った。

「絢花ちゃんがつらそうにこぼしてた。臣人とは恋愛関係にあったってよ」


 昨晩捜査を依頼して以来、このときほど大河の能力がでまかせであって欲しいと思ったことはない。俺は「その情報、警察のやつらに教えてやらんとな」と言って自分の気持ちをはぐらかそうとするが、発言を噛み締めていると次第に、怒りの炎が噴き上がってきた。

 憤怒。俺は臣人が絢花を殺そうとした可能性に憤ったのか、絢花と恋愛関係にあったから怒ったのか区別がつかないが、どちらか一方でも事実なら、臣人のことをぶち殺してやりたくなった。


 特に前者が本当なら、そもそも絢花の霊が許さないだろうと思えた。

「もし臣人がクロだとして、絢花の霊はやつを呪い殺したりでっきんのか?」

 感情的に言い放つと大河は、落ち着けとばかりに声をひそめる。

「俺が見える霊は被害者だけやし、加害者になりうる力は持っとらん」

「ならその意志を汲み取って、探偵であるおまえが代わりに罰をくだせよ?」

「馬鹿んことぬかすなま。俺は霊を見ることしかでっきんし、やから県警と連携しとる。捜査に私情を挟むのは厳禁やぞ。気持ちはわかるけど冷静になれ」


 思いきり諭すように言って、やつは俺の肩に腕を回してきた。その動作が歯止めとなり、俺はどうにか怒りの炎を鎮め、震える声で言い返す。

「まあええよ。臣人への事情聴取、俺も同行できるんだろうな?」「当然だろ。恭介は依頼主だ」「わかった。おまえの顔に免じて感情的にはならんでおく」


 口ではそう言ったが、本当に気持ちをセーブできるかどうか正直なところ自信はなかった。けれど絢花の捜査を大河に頼んだ以上、やつの邪魔をしては意味がない。俺は自分にそう言い聞かせ、タバコを吸い終えた大河とともに警察関係者のほうへ戻っていった。

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