最大の過ち
その秋は、それ以外に、二つのニュースがありました。
フェアリィは、その聡明さから、所謂飛び級をしていて、私が高校二年生であったその秋には、もう英国内では大学への入学資格がありました。
冬には日本に来ることが決定しており、その後一年掛けて、日本での大学入学資格を取得する予定でした。私は、当然のこととしてそのことを家族に報告しました。すると、母は柔和に、都心近くにアパートを借りなさい、そこでフェリシティさんと一緒に暮らしなさい、生活のことなら、使いの者をこちらで雇うので心配はいりません、と、まるで私の内面を逐一把握しているかのように、私に告げました。私は、いつしか身につけることが出来た、微笑する、という、人として当たり前の事をし、親からの、有り難い限りの申し出を、受け入れました。
また、彼の姿を、影を、一切学校で見かけなくなりました。理由は分かりません。私は、彼についての一切の情報を、知ろうともしなかったどころか、意識的に避けてすらいたのですから、当然なのですが、ともかく、彼は学校から姿を消し、影も形もなくなり、その後はかすかな気配だけを残していました。
その気配にすら、私は怯えていました。ああ、この時間は、彼は屋上にいる。ああ、この時間は、彼が友人達と話すために校舎を巡っている、この時間は、この時間は……。しかし、彼がいない、彼はいなくなったという、冷然とした事実を受け入れられないほど、私は愚かではありません。ですので、段々と、彼の気配にすら怯え、避けるという事はなくなり、そうして、私は、西野先輩の言葉を借りれば、「少し人間らしく」なり、井畑さんの言葉を借りれば、「良い意味で図々しく」なりました。それも当然でしょう、私は、彼がいないという事実、現実によって、学校の中に限れば、存在することを許される場所について、ほぼ制限がなくなったのですから。
いつしか、あの夢すら、見なくなっていました。当然、祈ることも願うことも、しなくなりました。それも当然なのかもしれません。彼を『発見』したことによってあの夢は現れたのですから、彼が「消え」れば、もちろんその夢もまた、彼と共に、『消え』るのが道理という物です。
私は、母親に言わせると、「活動的」になりました。一人暮らしへの不安は、多々ありました。しかし、それは時間が解決する物だと、私は英国での三年間で、嫌と言うほど学んでいました。ですので、私は、両親に、アパートを早く見つけてくれるよう、そして新しいメイドも早く探してくれるよう頼み、また、それらの手配が付き次第、すぐに新居へ移る旨を、伝えました。フェアリィを、万全の状態で迎えたい、万全の状態で迎えて、この町を、より良く知ってもらいたい、そう思ってのことでした。
しかし、私の行動は、それでもまた、過ちでした。
十月も末になり、北の方からやってきた紅葉が、この町の郊外にも徐々に訪れ始めた頃、ようやく二つのこと、つまり(両親が言うところの「私に相応しい」)アパートと、(同じく両親が言うところの「私に相応しい」)メイドの目処が付き、私は引っ越しの作業を進めることになりました。
新しいメイドとの、初めての共同作業は、それでした。これから何年もお世話になるのだから、と、私は、自分のことを『より知ってもらおう』と、彼女に服の好みや、好みの食材、珈琲の味について、寝室の家具の配置、そして何より、聖母マリアと白百合を欠かしてはならないことを、言い含めました。最後の二つについて、彼女は少しいぶかしがっているようでしたが、それも仕方の無いことでした。聖母マリアは良いとしても、白百合を欠かさぬと心に誓っている、ということは、ややもすればオカルトにも見えようというものです。私は、理解されることは早々に放棄し、ただ知ってもらおうとすることにだけ務めました。このような妙な女と、何年も一つ屋根の下住まうことになることを、私は、一日に一度は彼女に詫びていました。彼女は勤勉で快活な女性でした。そして、仕事に忠実な人でした。このような妙な女もまた、仕事だから、と、きちんと距離を取りながらも付き合って下さいました。また、無口な女性であることも、私にとっては嬉しい事でした。無用な言葉は、無用な会話は、私は、できる限り避けたい質であることは、ここまで読み進んでいただいた皆様なら、よく理解していただけていることと存じます。私にとって、理想の会話は、グラスゴーの寮での、フェアリィとのそれでした。沈黙という白い紙に、二言三言、言葉というインクが垂らされれば、それで良かったのです。ですので、彼女が、勤勉で、仕事に忠実で、尚且つ寡黙な方であることは、とても嬉しく思いました。
紅葉が、郊外から段々と町中へ移ってくる頃、即ち十一月半ばのある日、私は再び、実家から旅立ちました。いつ帰ってくるかも分からぬ旅でしたが、それは離別ではない、だから旅立ちなのだ、そう私は信じておりました。
引っ越しが終わり、荷物もきちんと片付いた日の翌朝、私は、都心近くに越し、一人暮らし(厳密な意味では違いますが、誤解を招かれぬようその言葉を使いました)を始めたことを、西野先輩と井畑さんに伝えました。当然、二人は大層驚かれて……そして、私の新居で、ささやかなパーティを開くことになりました。家にメイドがいる、ということをどう伝えて良いものか悩んだのもつかの間のことで、西野先輩が、「ゆりしーの家はお金持ちだから、何があっても驚くなよ井畑後輩」などと、おどけながら伝えて下さり、ああ、そうだ、西野先輩は、我が家が所謂富豪であること、そして、家にはメイドがいることを知っていたと思い至り、微笑しながら、「本当に、驚かないで下さいね」と、西野先輩の後に付け加えました。
授業が終わり、部活でそれなりの活躍を見せていた井畑さんも部活を欠席し、しかし制服姿での買い物は、『買い食い』に当たるとして校則で禁じられておりましたから、一度おのおのの自宅に戻り、私服に着替え、それから『パーティ』の為の買い出しをする、という算段、計画を、こういうことにはおそらく慣れているのでしょう、とてもすべらかな様子で、井畑さんが立案して下さいました。私はそれまで、メイドに言いつけ、簡単なお菓子と珈琲でもてなそうとしていたのですが、しかし、コンビニエンスストアやスーパーマーケットで売っている、あらかじめ作ってあるお菓子、悪く言えばさほど品質は良くなく、良く言えばすぐに用意できるそれらもまた悪くないと思い、そうですね、それも良いと思います、と、件の、仮面の微笑をたたえながら返し、じゃあ私は珈琲を淹れて待っています、と伝え、帰途へと着きました。お二人は上り電車で、私だけが下り電車に乗りました。
考えてみればおかしな話です。何故、パーティの中心にいるべき人物が、もてなしなどをせねばならないのでしょうか。そんな事を、新居の最寄り駅への車中、私は考えていました。このとき、私はもっとも『人並み』に近づけていたのだと思います。微笑という仮面、そしてこうして、自嘲気味の苦笑すら(心の中で)浮かべられる。これが『人並み』というものだ、『標準』『普通』というものだ、今の私にはそれが分かります。しかし……その後の私に待っていたのは、いえ、私が犯してしまった最大の過ち、罪は、それを打ち砕いて余りある物でした。
まだ駅から新居への道はおぼろげで、いえ、最寄り駅すら私は勘違いしていて、最寄りはH駅であるはずなのに、手前二つの所にあるK駅で、私は電車を降りてしまいました。
そこに、その駅のホームに、彼がいました。
隣に、女の人がいました。
二人は幸せそうに微笑んでいました。
二人は腕を組んでいました。
女の人は、お腹が膨らんでいました。
ああ、そうなのだ。私に単純な、しかし漠然とした理解が訪れました。だから彼は学校を去ったのだ、と。
そこからの記憶は判然としません。気付けばタクシーに乗っており、新居への道であろう道を、車が走っていました。
確実に言えることがあります。私は、願いは手に入れることができました。しかし、祈りは届くことはありませんでした。
届かぬのなら、壊してしまおうという願いは、かないました。
彼を私から救って欲しいという祈りは、届かなかったのです。
自宅に戻ると、私は、メイドに、体調が優れぬから、部屋にこもる旨と、それから、今日ここに来る友人二人に……いえ、もう既にそれは友人ではありませんでした。友人と呼べる人間など、もうこの私に、持てうるはずがないのですから。井畑さんと西野先輩に、今日は来て欲しくない事を、代わりに電話してもらうよう言い含めました。
もう、私には誰もいない。いや、誰も手にしてはならない。
翌朝リビングで、味のしない珈琲と共に、新聞をうつろな目で眺めていると、隅の方に、鉄道の人身事故の記事が載っていました。被害者の名前は伏せられていましたが、発生した時間と、そして駅は、紛れもなく、あの時で、あの場所でした。
私は再びメイドに、体調が優れないという旨を伝えて席を立ち、どうにも長引きそうだから、日に三度、私の部屋の前に食事と珈琲を置いてくれるよう、そして、一切声を掛けないよう、あの人が来るまで、寝室のドアも開けてはならない、と伝えました。彼女は私に医者を薦めましたが、断りました。
私は祈り続けました。いえ、願い続けました。はやく自分を、神罰によって殺してくれと。
しかし、理性がこう囁きました。『神は、神の御技によってなされたことは、神罰に於いて解決するが、人の為した業は、人の手で解決される』と。
それでも、彼とその愛する人が天の国で安らげるよう祈り続け、己を神罰によって断罪してくれと願い続けました。祈ることは、願うことは、やめられませんでした。
どれほどの日が過ぎたのでしょうか。私はただ食事を取り、味も分からず珈琲をすすり、ただ眠り、そしてひたすら聖母マリアに祈り、白百合に願う日々を過ごし続けました。
赦されることは、願いませんでした。赦されるはずもないのですから。
空調の低いうなりと共に、私はただ、祈り、願いました。
そしてあるとき、それすらやめ、死んでいるか生きているか、それすらあやふやな日々を過ごし始めました。祈りはなく、願いもなく、ただ、呼吸をし、物を食べ、珈琲を飲み、眠りました。
ある日、何時頃だったか、そして何日前だったかのも定かではありませんが、私はこの手紙を書き始めました。
手紙を書くために必要な物は、部屋に揃っていました。封をする蝋も、それを破るナイフも。
ですので、私は今、これを書いています。
やがてやってくるであろう、私の最大の理解者、そして偉大なる予言者に伝えるべき言葉は、ただ一つでした。
私を、呪ってくれと。
神によって断罪されないのなら、せめてフェアリィに、呪われたかった。
エゴに満ちあふれた、短い人生でしたが、最後に、これだけを願います。
フェアリィ、どうか、私を呪って下さい。