小学生から,中学生にかけての出来事、フェアリィとの出会い
それから、数年の月日が経ちました。彼はあの事件の直後、遠いところへ引っ越していきました。私はその数年間、学校やその他のところで、赤面癖をからかわれたり、内向的な性格を笑われたりはしましたが、それなりに『平凡』な年月を歩むことを許されていました。ただ、ふとした瞬間瞬間に、彼のことを、彼とあの白百合のことを、思い出してしまっていました。あの事件を思い出してしまうと、もう駄目なんです。私は、ぼうっとしてしまって、何事にも反応をしなくなってしまうのです。彼がどんな風に成長しているのか、彼は『遠いところ』でどんな生活をしているのか、そんなことばかりを考えてしまうようになってしまいます。
あれは、決して、特別な意志を持って自分だけに行われた行為ではない。
そんな当たり前で、ありふれた結論に至るのは、分かり切ったことでした。それでも私は、何度も、何度も、性懲りもなくその妄想を繰り返すのでした。
それを紛らわすため、だったのかもしれませんし、もっと他の理由だったのかも知れません。私は勉学に励むようになりました。殊に、語学に関しては、日本語だけでは飽きたらず、最も身近な外国語であった英語にまで手を出す始末でした。その点においては、私は、本来の私ではない、驚くべき行動力を発揮した、と言っても過言ではないかも知れません。手前味噌になってしまって非常に恐縮なのですが、小学校も終わり頃になると、日本語と英語、両方で物事を考えることができるようになっている始末でした。
それから、もう一つ、私としては驚くべき行動力を発揮したことがあります。それは今でも続いていることです。
白百合を、欠かさなくなりました。
季節の時は花そのものを自室の花瓶にいけていましたし、名前がそうだからという理由だけで親にねだり、小学四年の頃、ミッション系の私立へと転校しました。季節が終わっても尚、私は、身にまとう服のどこかに、白百合をあしらっていました。
それはとある転機が訪れても、変わることのないことでした。
ミッション系の私学へ移ってから初めて、白百合が聖母マリアの象徴であることを知りました。私は、そのような大それた存在ではありません。そのように偉大な女ではありません。ただの、内向的で、妄想癖があり、すぐ顔を赤く染めてしまう、取り柄と言えば勉学だけの、馬鹿な女です。
それでも、白百合を欠かすことは、できませんでした。
小学校の卒業が間近に迫り、ただ薄ぼんやりと、このままこの学校の中等部に上がるのだろう、と考えていた頃でした。私が屋上で一人(こんな性格です、言葉を交わす程度のお友達はできても、食事を共にするほど深い仲の友人ができるはずもありません)、昼食のお弁当を食べていると、浜坂佳織は職員室に来るように、との放送がありました。
職員室に呼び出される、というと、小学生にはひどくおどろおどろしい物に思えてしまいます。当時の私も同じくそう感じていました。何か悪いことをしてしまったのか、身に覚えはないけれど、自分は悪いことをしてしまったのではないか、そんな風に感じてしまい、空腹感は消え失せ、お弁当は一切喉を通らなくなり、そのままお弁当箱とお箸を包み直すと、すぐさま職員室へと向かいました。
先生からかけられた言葉は、意外な物でした。
てっきり立ったままお説教を受けるのかとばかり想っていた私を、担任の男性教諭は、少なからず職員室に入ったことがあるにもかかわらず一度も誰かが腰掛けているところを見たことがない黒い革張りのソファのある辺りへ、案内したのでした。
言葉の詳細は覚えておりません。今になって考えれば当然の内容ではありましたが、当時の私は、あの事件とは全く別種の驚きに撃ち抜かれ、言葉の詳細を覚えていられるほどの平静さを保てなかったのです。
イギリスの北部、スコットランドに、グラスゴーという都市があります。そこに、この学校の姉妹校があり、そこへ留学しないか、というのが大まかな内容だったと記憶しています。家にもその連絡は行っており、後は私の決断のみである、とのことでした。
担任の教師は、四年の頃からずっと私のことを見てきた男でした。ですから、私の決断力のなさも、熟知しているのでした。ですから、時間をかけて決めるように、敢えて、卒業まで時間のあるこの時期に声をかけたのでしょう。
私は、聖母マリアへの、自分なりの祈りを、心の中で唱えました。これはある種の呪文のような物で、もういい加減大人になり始めた自分なりの、自分に平静さを取り戻させるための手段でした。
私は、一つだけ質問をしたように記憶しています。そこの学校にも、白百合はあるのか、と。
なんと馬鹿げた質問でしょうか。聖母マリアの象徴が白百合であるから、この学校の名前にも百合が冠されている。その姉妹校なのだから、当然白百合がある物なのでしょうに。
先生は、(恐らく笑っていたと思いますが、定かではありません)ある、と答えました。それなら、私の答えは一つです。プロテスタントの国での、カトリックの学校がどういう扱いなのかなど知らず、分かろうともせず、先生のその提案を受け入れるのでした。
幸い、私の家は裕福でした。少なくとも、一人娘の服装や趣味に力を貸したり、その変わり者の一人娘を私学へ入れたり、留学させたりすることが可能なくらいには。
ですから私は、その数ヶ月後、グラスゴーへと渡りました。
幸いに幸いが重なり、この留学は、所謂交換留学でした。ですので、グラスゴーの郊外にある寮では、見知った顔も数人おり、当然のことながらそこは女子寮でしたし、その見知った顔や、勿論先にグラスゴーに来ていた先輩達もおりましたから、その先輩達も交えて、昼は英語を、夜は日本語を、という生活を送ることができました。
食事も聞いていたほどまずくはありませんでしたし、両親からの仕送りも、毎月200ポンド、それに本が必要であるですとか、夏休みで食事が出ない、等と言うことがあれば500ポンドまでは貰えましたから、生活に不自由することも、所謂『不慣れな環境』に戸惑うことも、さほどありませんでした。
ただ、私は、そんな、外国のような、国内のような妙な生活においても、白百合を欠かすことが出来ませんでした。当然と言えば当然の話です。このグラスゴーに来た理由もまた、白百合にあるのですから。
また私は、白百合のことを、偶に、英語のLilyではなく、ラテン語のLiliumと言ってしまうことがありました。当然のことながら、スコットランドの人間にラテン語が通じるはずもありません。ですが、学校の神父様には、その単語が通じました。神父様の前で、どのような人間になりたいか、と問われたとき、私はただ、Liliumのような人間になりたい、とだけ答えました。勿論、聖母マリアのような存在になりたい、等という大それた考えなど、持てうるはずがありません。あの事件の時に彼から手渡された、一輪の白百合のように、せめて人間らしくありたい、そう思ってのことでした。そのときも私は、百合のことを、LilyではなくLiliumと言ってしまいました。神父様は柔和に微笑まれ、精進せよだとかそのような激励の言葉ではなく、あなたの内に聖母マリアがあるように、とだけ言われました。
そうしていつしか、私は、寮でも学校でも、リリウムというあだ名で呼ばれるようになりました。
それは、私にとって好都合でした。外国の人は、臆面もなく、少しでも親しくなると下の名前で呼びます。私にとって、下の名前で呼ばれることは、とても特別なことなのです。家族以外には、あの彼にしか許したくないことなのです。グラスゴーにいて一番苦痛だったのは、それです。町の形や、食事の味などは、慣れればどうと言うこともありませんでしたし、私は元来、そう言う物をなんだって受容してしまう傾向にありました。しかし、下の名前で、ただカオリとだけ呼ばれる、これだけは受け入れがたく、しかしそれを言い出せるほど我が強いわけでもありません。しかし、そうしてリリウムというあだ名が、浜坂佳織という本名よりも、その学校と寮においては私という意味を成す言葉になっていき、その苦痛は段々と薄れていきました。
私の妄想癖は、しかし英国に行っても尚、治まるところを知りませんでした。授業と授業の合間、食事の後、寮でのひととき、そんな無数の『一人でいる時間』は、自動的に彼のことを考える時間となりました。
そしてあるとき、愕然としました。
英国にいて一番良かったと思えるのは、珈琲も紅茶も、日本とは比べものにならないほど美味しかったことです。事前にあった、英国人は珈琲を軽蔑し紅茶だけを愛する、という偏見は、グラスゴーに着いてから三日ほどで霧散しました。寮の先輩が歓迎会で出してくれた珈琲は、驚くほど美味しかったのです。当然のことながら、紅茶というものは、日本においてはまがい物しか置いていないのではないのか、と思えるほどのおいしさでした。
私は紅茶の柔らかな香りよりも、珈琲の鮮烈な苦みの方を愛していましたので(それは今も変わっていません)、先輩が愛おしそうに淹れる珈琲を後ろから観察しながら珈琲のドリップというものを学び、なんとか自分で、かろうじて自分が納得するだけの味の珈琲を淹れることができるようになり、そしてそれは習慣となり、授業が終わってまず何をするかと言えば、寮の自室へと戻り、苦みのきいた珈琲を淹れることでした(言うまでもないことですが、それはあの妄想のためでもありました)。
寮で暮らすようになってから半年と少ししてから、フェリシティ・ヘンダーソンという名の白人の同輩と同室になることになりました。彼女は私に似て無口で、けれど私と違って現実主義的なところがあり、それでも私と同じように内向的な性格でしたが、人の心というものをさっと感じ取ることができる、という特技を持っていました。
私がいつものように珈琲を淹れ、彼のことを考えていたときのことです。静かに部屋のドアが開かれ、フェリシティが入ってきました(彼女は何をするにも殆ど物音を立てない、という特技も持ち合わせていました)。珈琲の固い香りに混じって、嗅ぎ慣れない、柔らかな、甘い香りが漂ってきたのを、よく覚えています。
フェリシティは、手持ちの小さなCDプレーヤーで、小さく、昔のロックをかけはじめました。私は当然のこととして、彼のことをずっと思い続けます。一定のリズムを刻みながら、男の人が、『君を失えない』と歌っていました。
そこで、私は、彼の顔が思い出せなくなっていたことに気付いたのです。
あの事件は、私の中で、稲妻であり続けたのは確かです。白百合のことや、彼の言葉、『友達の友達』が一緒にいたこと、彼が微笑んでいたこと……それは思い出せるのに、彼の微笑みは、どんな形だったのだっけ? 彼は一体、どんな形の微笑をたたえていたのだっけ? それが思い出せないのです。
何度となく思い返していたことでした。それこそ『失えない』物でした。
けれど、どんな思い出も、どんな記憶も、風化し、劣化していく……その事実に、愕然としたのです。
『失えない』物が失われていることに、私は酷く動揺しました。そうして、白百合のことを除けば恐らく生まれて初めてではないでしょうか、人に、自ら進んで頼み事をしたのです。フェリシティに、自分は何を失ったのかを、教えてもらおうとしたのです。
なんと自分は幸運なのでしょう。フェリシティは、こんな夢見がちな少女、妄想癖のある馬鹿な女の言葉を、きちんと受け止めてくれました。そして、こんな言葉を与えてくれました。
「奪われたんじゃなかったら、私は別に悪いことだとは思わない。奪われない限り、きっとリリウムはリリウムのままでいられる」
私は涙を流すほど、彼女に深い感謝を覚えました。西洋では、人は遠慮無く人に抱きつきます。フェリシティは、それはそれは愛おしく私を抱きしめてくれました。人の体温は、とても尊い。人の言葉は、とても尊い。フェリシティに、何度も何度もお礼の言葉を言いました。フェリシティは、優しく、私の背中を撫でてくれました。
けれどそれは、今思えば、とても怖ろしい予言でした。
フェリシティという名を、いつしか私は略して、妖精と呼ぶようになっていました。彼女もその名は気に入ってくれていた様子で、自分の故郷では、妖精のことはFairyではなくElfやPixieなどと呼ぶ、とはにかみながら教えてくれ、それでもそのとても人の良さそうな笑顔で、何度も何度も「自分は妖精だよ」と歌うように言ってくれたのでした。実際、私も彼女のことは、本物の妖精のように思っていたのです。他の人は私たち二人を、無口な、何を考えているのか分からない、妙な女二人だと思っていたことでしょう。ですが、私と彼女では、違う点の方がずっと多かったように思います。愛らしい口元や、はしばみ色の瞳、本物の赤毛、人形のように整った顔、小さな体、それから、それから……。それらを思うに付け、彼女は『幸運』などではなく、幸運をもたらす『妖精』なのだ、と思うに至ったのです。
フェアリィがあの時、あの予言を私にもたらしてくれたときの香りの正体は、すぐに分かりました。彼女には恋人がいたのです。彼と会うために付ける香水の香りだったのです。私がその香りの正体を何気なく思案していると、フェアリィは、笑っているのかそうでないのかよく分からない表情で、「自分には恋人がいる」、と、何の恥ずかしげもなく、私に告げてくれたのです(しかし、私はフェアリィの恋人に、帰国してもなおいちども会ったことがありません。もしくは、フェアリィの恋人とは、父なる神だったのかもしれません)。
スコットランドと言って、まず最初に浮かぶのは、エディンバラの立派な城壁ではないでしょうか。かくいう私も、恥ずかしながら、グラスゴーの名前を知ったのは、あの男性教諭からの言葉が最初だったのです。
また、女子校の女子寮と聞いて、最初に浮かぶのは、色恋の話ではないでしょうか。私には縁遠いことですが、先輩も同輩も、みんな何という先生が格好いいだとか、あの先生はきっとゲイに違いないだとか、そんな話にかなり興味がある様子でした。
その二つが、見事に合致することが、二年目の夏休みにありました。私の先輩に、西野やよいという朗らかで快活な方がおります。西野先輩には、私もお会いしたことがある、背の高い金髪の恋人がおりました(断らせていただきますが、男の方です)。西野先輩も、またこの恋人の方も、私や、勿論フェアリィにも、とても良くしてくださった方達でした。私が珈琲豆を切らしてしまいそうになると、どこからともなく手に入れてきてくださいましたし(勿論お代は後できちんと支払いました)、英国にいるだけで手一杯の私に対し、日本にとどまったままの家族に対する気遣いという物を教えてくださったのも、また西野先輩と恋人の方でした。
ある時、私がいつものように珈琲を飲みながら彼のことを考え、フェアリィもいつものように古いロックを聴いていた時のことです。部屋のドアが、三度、二度、三度とノックされました。この癖を持った方は、寮の中では西野先輩だけでしたので、すぐさまに私は彼女を招き入れました。
「今度、恋人と霧の町に行くんだ。外出許可は取ってある」
そう、彼女は切り出しました。
「そこで提案なんだけど、フェリシティ、リリウム借りていいかな。エディンバラを経由して、お城見て、それからロンドンに行くんだけど、リリウムにエディンバラのお城を見せてあげたいの」
私はまず、フェアリィの言葉を待つことにしました。彼女の言うことは、私にとっては、いつも正しいことばかりだったからに他なりません。折しも、フェアリィは次のCDをどれにしようかと思案げに棚を見ておりました。彼女は顔を上げると、あの予言を私にもたらしてくれたときの顔で、じっと西野先輩の顔を見つめました。そして、次に私の顔を、同じようにじっと見つめました。西野先輩は少したじろいだように思いますが、私は彼女の霊感を信じておりましたので、全く身じろぎもせず、まっすぐにその視線を受け止めました。
フェアリィは、また再びCDの棚に視線を戻すと、
「リリウムが、何か条件があるっていう顔をしています」
と、短く答えました。
条件。まったくその通りです。私は、フェアリィに見つめられたその瞬間に、ある考え、ある条件が浮かんでいたのでした。しかし、それは中々、フェアリィに伝わる形で口にしたい言葉ではありませんでした。しかし私のあの悪癖はそのままでしたので、恐らく赤くなりながら、うつむいてしまいました。
それを、フェアリィが見たのかどうかは分かりません。けれどフェアリィは、
「日本語で良いよ」
と言ってくれたのです。ああ、フェアリィ。あなたは、本当にいつだって正しい……。
「フェリシティがそう言うなら、そういうことにしようかな」
西野先輩は、いつもの快活さで、そこまでを英語で言い、そこから先は、二人の内緒話、即ち日本語での会話となりました。
「で、条件って? フェリシティの直感は外れないからね。リリウム、なんかあるの?」
内緒話と言っても、言葉が通じないだけで、感情は伝わってしまいます。私は、フェアリィに、それすらも見抜かれていると知りながら、いえ、だからこそ余計にうつむき、何も言えなくなってしまっていました。けれど、フェアリィの言葉は、やはり正しかったのです。
「ぶっちゃけた話さ、あんた、いつも部屋にこもってるじゃない? それは良くないと、先輩としては思うわけ。だから夢見がちなあんたに、夢みたいな現実っていうのを見せてやろう、とか、そういう事ね」
「だったら、先輩」
私はようやく、口を開くことができました。西野先輩の朗らかさ、人柄、それからフェアリィの言葉、それらがあって、ようやく私は何かを言う力を得られる、それほどまでに小さな存在なのです。
「フェアリィ……フェリシティも一緒に、というのは、いけませんか?」
「妖精って」
西野先輩は、これまた快活そうに、少し声を上げて笑いました。
「確かに妖精みたいに可愛いけどさ、フェリシティは。うん、良いよ、それでリリウムが良いっていうんなら。あ、当然フェリシティの許可は取りなさいよ? それにしても白百合と妖精かぁ。おとぎ話の国はここじゃないっつーの」
それだけ言うと、うつむいたままの私の背中を、少し乱暴に、先輩は叩きました。私が、おずおずと、少しだけ顔を上げると、先輩は満面の笑みを浮かべてらっしゃいましたので、私はとても安心し、少しだけ表情を和らげることができました。
「内緒話、終わったよ」
再び英語に戻り、西野先輩がそう仰います。フェアリィは、私たちの話が終わるのを、CDも変えず、ベッドの淵に腰掛けながら、じっと待っていてくれました。
「リリウムは、フェリシティも一緒じゃなきゃ嫌だって言ってるよ。あなたもそれで良い? フェアリィ」
「私のことを妖精と呼んで良いのはリリウムだけ。それ以外のことは、構いません」
CDを一枚お座なりに抜き取りながら、フェアリィはそう言いました。なんということでしょう。私が、私の佳織という名を彼以外に呼ばれたくないように、彼女もまた、フェアリィというあだ名を、私以外に呼ばれたくないだなんて。私に、いえ、私たちに、そんな大きく太い物が、いつ産まれたというのでしょう。
私はへなへなと腰が砕け、自分でも何が何だか分からない感情に押しつぶされそうになり、同時に酷く叫びたくなりました。
「まったく、多感な子なんだから、リリウムは」
西野先輩の物とおぼしき手が、私の頭を、くしゃくしゃとなでてくださいました。
「なにも泣くほど嬉しいことかな、これ」
私は、そう、泣いてしまっていたのです。哀しみなどではありません。嬉しさの余り、感動の余り、泣いてしまっていたのです。叫びたいからなのは、瞳から、後から後から涙があふれてくるからでした。
「リリウムは、何故泣いているのですか?」
そんな言葉が、耳に入ります。
「嬉しいからだってさ。あ、さっき日本語で言っちゃったか。まだまだ駄目だね、私も。英語でどう言って良いか分からなかったんだ」
そんな言葉も、耳に入ります。
「それでは、私はリリウムの分も外出許可を取ってきます」
言って、フェアリィは優しく私を抱きしめてくれました。
グラスゴーからエディンバラへの道も、エディンバラその物も、西野先輩とその恋人さん、それから西野先輩が、彼女の言葉を借りるなら「調達してきた」男の人にも非常に申し訳ないのですが、退屈なことこの上ありませんでした。
男の人は、私と同じく日本から留学してきた、高校生くらいの人でした。何かと私のことを気にかけてくれるのは有り難いのですが、白状してしまえば、それは有り難迷惑を通り越して、私にとってはただ、退屈さと冗長さを上塗りするだけにすぎませんでした。
ただ、救いだったのは、フェアリィがいたことです。あるいは、彼女は、自分を連れて行くように、何らかの超常的な力で私に訴えかけてきたのではないか、と思えるほどに、彼女がいてくれることは、私にとって救いになりました。
フェアリィと、それから西野先輩の恋人さんもいらっしゃいますから、当然会話は英語になります。その男の人(確か飯山さんとおっしゃったかと思いますが、誠に失礼なことに、記憶は定かではありません)は、つたない英語で、何かと私に声をかけます。そのたびに思い出されるのは、彼のことでした。しかし私は、いつものように彼のことを考える時間……いえ、許しは与えられようはずもなく、可能な限り失礼がないよう、しかしお座なりに彼に答えます。けれどその英単語が難しかったり、いつしか身についてしまったスコットランド訛りが強かったりすると、彼には理解できない様子で、私は西野先輩やフェアリィや、それから西野先輩の恋人さんの助けを得ながら、何とか彼との意思の疎通を図るのでした。
退屈だった、というよりも、苦痛だった、と言った方が正しいかも知れません。私にとって、男の人は、彼と、『友達の友達』、それから教師くらいで構わなかったのです。あの鮮烈な事件の洗礼を浴びた私にとっては、その事件の関係者以外の男の人は、全く魅力的に映らなかったのです。
フェアリィが、私にだけ聞こえるように、そっと、敢えて訛りの強い英語で、こう言いました。
「こんなのは、ジェントルマンとは呼べないし、そうなれるはずもない」
紳士。彼は紳士だったのでしょうか。五歳の頃、私だけが白百合を独占することを許してくれた彼は、私にとっては最高の男性に思えます。それは紳士的な行動だったのでしょうか。分かりません。いつかフェアリィに彼の話をしなければ、その決意が固くなったことだけが、この小旅行の収穫でした(しかし、その決意は、未だ達成されていません)。
エディンバラの城趾へ行く道すがら、さしもの西野先輩も見かねたのか、うんざりした様子で、こう日本語で仰ってくださいました。
「君さぁ、いくらリリウム……浜坂が可愛いからって、それはないよ。もう飽きられてるっていうか、第一印象最悪で、それをずっと上塗りし続けてるってことにいい加減気付いたら? 言いにくいけど、もう帰った方が良いよ、お互いのために。エディンバラまで来させといてなんだけどさ」
私は、ただただ、フェアリィとの、無言の会話の内に、彼への思いを強くしていくばかりでしたし、フェアリィは勿論それを察してくれ、慰めてくれていました。そこへ差し伸べられた、暴力的な光が、西野先輩のその言葉でした。
男の人が西野先輩になんと言ったか、私は全く記憶しておりません。ただ、男の人は、私に一言わびると、西野先輩の言葉通り、その場を後にしたのでした。
「それじゃあ、私はダーリンと仲良くするから、リリウムもフェリシティと仲良くしなよ」
男の人がいなくなると、西野先輩は、いつもの朗らかな笑みを浮かべて、そう仰いました。そして、恋人さんの首もと(西野先輩も背が高い方でしたが、恋人さんはもっと背が高かったので、背伸びをしてもそこまでしか届かなかったのです)に口付けました。
「退屈な時間作らせちゃってごめんね。帰ったらケーキと珈琲でお詫びするから」
それから、私たちは二組に分かれました。私はフェアリィと一緒にグラスゴー郊外の寮に戻り、お二人はロンドンへと向かわれました。
それからの私は、西野先輩の言葉を借りれば、より『内向きに』なりました。学校と寮を往復し、珈琲を飲み、彼のことを思い、彼のことを考えるばかりの日々が続くようになったのです。最低限、西野先輩をはじめとした付き合いはありましたが、彼女が日本へ帰ってしまうと、私はよりいっそう、フェアリィと、そして彼との事件だけを大切にするようになりました。小学生の時と比べても、それは、とても酷く、と己ながら思うほどです。寮にいる夜はおろか、学校にいる昼間ですら、フェアリィと以外は、勿論あの神父様とでさえ、ろくな会話を交わさなかったほどなのですから。
三年目、つまり卒業し日本へと帰る年になって、フェアリィは、驚くべき告白を、私にしました。
「恋人のことは大好きだけれど、私も日本に行く。日本語は、これから習うから、大学に一緒に行こう」
そう言って、いつかのように、優しく私を抱きしめてくれました。私は、強く、彼女を抱き返しました。
そのときのフェアリィのぬくもりも、息遣いも、何もかも、今でも鮮明に思い出せます。