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ブラックシャウト

作者: サニー

 気がつくと目の前に由希の顔があった。


「遅くなってごめん。先に食べててよかったのに」

「あっ、うん」


 奈月の前に置かれたドーナツは手つかずのままで、いつの間にかアイスコーヒーの氷がほとんど溶けかけている。


「どうしたの、ぼんやりして。あれっ、何これ?」


 由希は奈月のトレイの横にあるチラシを取り上げた。


「妖かしの宴って、これビジュアル系でしょう。奈月、こんなんに興味あるの?」

「ううん、別に。さっき西通りでもらっただけ」


チラシは今日のライブの告知だった。三つのバンドが写っている。中のひとつは女の子三人のバンド。


――杏子


 三人の真ん中に、女子高のクラスメイトにそっくりの、黒いロリータ風のワンピースを着た女の子が写っていた。


――でもあたしは杏子のことが大嫌いだったんだ


     


     * * * *



 高校時代の奈月はクラスの女王。大勢の友だちに取り巻かれて「セレブなお嬢様」を演じ続けた。しかし杏子は一度もそこに加わったことがない。体が弱くて、いつも長袖のブラウスを着て、学校にはたまにしか来ず、教室にいる時はひとりで本を読むか、手帳に詩のようなものを書いていた。


 だからほとんどしゃべったこともない。それなのに奈月はたまに杏子と目が合うと、自分の嘘が全部見透かされているようでイラついた。


「杏子、あんたリスカしてんだって」


 昼休みの教室に恵梨の甲高い声が響いた。恵梨は奈月とは無二の親友、というより奈月の家来。


「カッコいいじゃん。ちょっと見せてよ」


 杏子がよける間もなく、恵梨は杏子の手首をつかんでブラウスの袖を無理やりまくりあげた。真っ白な両腕に、縦横に走るいく筋もの傷痕に教室中が息を呑んだ。杏子は真っ青な顔をしてうつむいたまま唇を震わせていたが、しばらくすると黙って教室を出て行き、二度と戻ってはこなかった。


 高校を卒業して半年ほどたって、杏子が死んだという噂が流れたことがあった。けれど真相は分からないまま、誰もが彼女のことを忘れた。



      * * * *


 

 夏物のバッグが欲しいという由希に付き合って二時間ほど天神のショップをぶらついた。七時に岩田屋の前で由希と別れ、西通りを歩いているうちに、チラシにあった「ラルヴァ」というライブハウスのある古いビルの前に来ていた。チラシを配っていたおとなしそうな長髪の若者が立っていた。


 「お金がいるんでしょう?」と奈月が聞くと若者は「今日はイベントですから、ご自由にどうぞ」と小さな声で答えた。階段を降りたところに「OPEN」という木札の下がったドアがあって、ドアを開けると中は暗かった。


 もう演奏が始まっているらしく、重いベースの音が響いている。ボーカルは低い声で詩のようなものをつぶやいていて、室内には夜の海を思わせる暗いうねりのような音が満ちていた。十人ほどの客が、その音楽に合わせてわずかに体を揺らせていたが、彼らはみな白い仮面をつけている。


――変なの


 奈月がすぐに飽きて帰ろうと出口のほうを向いた時、女性の歌声が聞こえた。振り返るとステージの中央に黒いロリータ服を着た杏子が立っていた。すすり泣くような震える細い声。なにを言っているのか歌詞はほとんど聞きとれない。


 しばらくして、ひときわ甲高いギターの音が響きわたった。その音に合わせて突然杏子が叫んだ。奈月の頭の中に突き刺さる悲鳴。そして奈月は見た。


 ビルの屋上から落下していく女性の姿を。もう一度杏子が叫ぶ。人が死ぬ間際の、それまで抱え持ってきたすべての思いを絞りだすような悲痛で無残な叫び。奈月は思わず耳をふさいでその場に座り込んだ。


 隣りに立っていた黒いTシャツの若者が、仮面の奥から奈月を見てつぶやいた。

「今宵は死者たちの祭り。あなたはどうしてここへ?」

「私が招待したのよ」


 ステージの上の杏子がしゃべった。


「奈月、久しぶりね」

「杏子…」

「奈月、私ね。すっかり傷が治ったのよ。ほら、もっと近くに来て見て」


 杏子はそう言うとワンピースの袖をまくりあげた。奈月は杏子の言葉に吸い寄せられるように、一歩また一歩とステージに近づいた。最前列へ来ると、真っ白なきれいな両腕がはっきりと見えた。


「そ、そう。よかったわね」

 

 白くビジュアルメイクされた杏子の顔は、唇だけが血のように赤い。濃いアイラインで縁取られた目が真っ直ぐに奈月に向けられている。


「奈月、あたしは少しだけみんなと違ってた。自分の気持ちをうまく人に伝えることができなくて、みんなと上手にしゃべることも笑うこともできなかったから。だから誰の目にも触れないように、ただひっそりと生きていられればそれだけでいいと思ってた。こんなあたしでも時間が経てば少しづつ変わっていくことができるかもしれない。大学にいけば。大人になれば。いつか変わることができるかもしれない。それがあたしの小さな、小さな夢だった。でもそれさえも許してはもらえなかった。奈月、あたしあなたに何かいけないことをした?あなたの目の前から消えてしまわなければいけないようなことを何かした?」

 

 まるで懐かしい思い出話をするように、杏子は低い声で静かに奈月に語りかけた。


「今日は来てくれてありがとう。会えてうれしかった。奈月、あたしのこと忘れないでね。あたし、いつまでもあなたのこと忘れないわよ」


 杏子の言葉が終わらないうちに再びギターがひずんだ音を響かせた。すると突然室内の照明が消えた。 奈月の足元でぐしゃりと何かが潰れるような嫌な音がして、サンダルを履いた右足の甲に、ぬるりと生温かい液体の感触が伝わった。闇に目をこらすと、足元の床に、奇妙にねじまがった形で倒れた杏子が奈月に虚ろな目を向けていた。


     

      * * * *



「君、君、こんなところで何をやってるんだ」

 薄目を開けると右目に眼帯をした髭面の男が立っていた。

「杏子がビルの屋上から飛び降りて…。そこに死体が…」

 奈月は震える指で自分の足元を指差した。

「何を言ってるんだ、君は。何かおかしな薬でもやってるのか?」

「ち、違います」

 奈月は起き上がってあたりを見回した。そこはかつてはライブハウスだったのだろう。割れたグラスや倒れた椅子や、機械のコードが埃まみれの床に散乱ていた。

「若い女の子がこんな時間にこんな所にいたら危ないよ。早く家に帰りなさい」

 奈月は男の言葉にうなずいて、少しよろけながら立ち上がるとドアを出ていった。


 ライブハウス「ラルヴァ」は大都会の片隅で今夜もひっそりと営業中。


 午後七時、黒い眼帯をした髭のマスターがドアに「OPEN」の木札をかけた。(了)



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