いつもの日常にスパイスを②
「やっぱりどこにもいない……」
あれから5分ほど走り回ったが、それらしき姿は全く見当たらなかった。
授業が始まるまで後5分しかない。章太は諦めて校舎へ入ることにする。
校舎に入ると、高橋先生の声が聞こえてきた。
「そういえば、君は何年何組なんだ?」
「章太ですか?」
「いや、君の。名前も聞いてなかったよな」
こ、この声はスーだ!章太は声の場所まで走りだす。
廊下に出ると、やはりスーが居た。更に高橋先生まで居る。
どうやらスーの猫耳と尻尾は今のところ納まったようだ。
「先生!」
「有森。今日朝練に来なかった有森じゃないか」
「す、すみません」
「章太!」
スーは章太を見るとすかさず抱きついた。そういえば、体操服には下着を入れていない。
章太は慌ててその手を振りほどいた。
「その子、知り合いだな?」
高橋先生が言った。
「はい」
抱きつかれていいえとは言えない。更に有森と書かれた体操服を着ている以上、誤魔化しようが無さ気だった。
「まぁ、もうすぐ授業が始まるし理由は後で聞こう。この子は保健室に連れて行く」
「怪我したのか?」
章太はスーの方を見て言う。
確かに足から血がツー、と流れ出ていた。
「じゃあ、よろしくお願いします」
章太は頭を下げた。
「おう」
高橋先生は返事をするが、離れ行く章太の姿にスーは不満そうな顔をしていた。
不安は残るが、高橋先生と一緒ならひとまず安心だろう。
それよりも今は授業に遅れないかどうかが重要だ。
『ピーン……ポーン……カーン……コーン……』
「はぁ、はぁ……」
なんとかギリギリ章太は授業に間に合った。一階から猛ダッシュしたせいか、息があがっている。
肩で呼吸しながらも、席に戻ろうとした。
しかし、
「有森君遅刻っと」
章太は先生の言葉にピタッと立ち止まる。
「え、間に合ったじゃないですか!」
章太は思わず抗議した。
「いや、チャイム鳴ってる間はセーフじゃないし」
そういえば、数学担当の先生は原先生だった。
原先生は事に細かく、1秒のタイムロスも許さないような厳密な先生である。
それでも生徒に嫌われないのは、彼自身ユーモアがあり面白いからだ。
「ほら、さっさと席に着けー」
プリントの束のような物でパサパサと頭を叩かれる。痛くは無いが髪の毛がグチャグチャになりそうだ。
素直に諦めた章太は席につく。
「はい、今日は二項定理でーす。みんな宿題はやったか?」
ここは高校なので、小学生のような活きの良い返事はない。
「はーい、やってません!」
……いや、徹平がいたか。
初めは徹平の自由さに戸惑っていたクラスメイトも、今ではすっかり慣れている。
「そうか。じゃあ藤田は次の宿題倍な」
「ひぃ……」
「(馬鹿だな)」
章太はふっと徹平のことを嘲笑うが、実は彼も数学が全く出来ない。
「それじゃ宿題後ろから集めてきてくれ」
さて、宿題出すか……と、リュックサックから手紙が無造作に入れられているファイルを取り出す。
これは学級通信。これは時間割。それは別のプリントで……。
「あ、俺まだ」
後ろの席の子が章太の席の前に止まったので、飛ばしてもらう。
しかし望みのプリントは1枚も見当たらなかった。
「……諦めるしか、ないか」
なんだかさっきから章太は諦めてばかりな気がする。
「よし集まったな。じゃあこの前の復習から始めるが……」
原先生が黒板に数字を書き出した。
章太はペンを持ちノートを広げるが、さっきのことでやる気を無くしすぐに机の上に伏せてしまった。
「(スー、大丈夫かなぁ)」
そして授業から約10分程経った。
「こら、逃げるな!」
何やら廊下からドタバタと騒がしい音が聞こえる。
クラスメイトもなんだなんだと廊下を見た。
「ニャー!!」
『ガタッ!』
章太はその声を聞くと、思わず立ち上がった。
「(す、スーじゃないか!)」
しかし章太はふと周りを見ると、皆の視線がこちらに全て来ていることに気付く。あまりの恥ずかしさに赤面し、無かったことのように座った。
しかし、原先生が引き気味に章太に尋ねる。
「有森……。あれ、知り合いか?」
「章太! 章太!」
廊下側の窓を見ると、スーが自己主張激しく手を振りながらぴょんぴょん跳ねている。
「あ、あいつ……」
やはりスーだった。章太は学校に連れて来てしまったことを真剣に後悔する。
暫く誰もその声に反応しないでいると、
「章太ぁ……」
スーが哀しそうな目でこちらを見つめる。その姿は、スーを拾った時と全く一緒だった。
「(後で焼カツオあげるから、許してくれよ)」
章太はプリントに大きく『帰れ』と書き、スーに見せる。幸い窓際の席なので、章太を皆見ていない。
「うぅ……」
そのプリントを見たのだろう。スーは落ち着きを取り戻した。
そうして、涙目のスーはそのまま高橋先生に連れて行かれてしまった。
「何あれ?」
「今の子、可愛かったな」
「1年が教室間違えたんじゃない?」
ざわざわとクラス中が騒ぎ出す。
「さっ、気にせず授業するぞー」
原先生は授業を再開させる。それでも話が止まらない。
「おい有森。さっきの妹か?」
前の席の新谷豊が振り返り、章太に尋ねる。
突然のことにどう説明すればいいか、暫く言葉に詰まってしまった。
「え、章太に妹なんていないぜ」
しかし徹平がすかさずそれに答えてくれる。いや徹平は席が遠い筈なのに、何故聞こえてるんだ。
「こら、そこ話やめい。宿題増やすぞ」
原先生は授業を脅迫材に使う。その効果は抜群で、クラスメイトは皆授業に集中することに。
章太はというと、皆への言い訳を考えることで頭が一杯だった。