99.高原地帯
……翌朝。
ミア様の見立て通り、キロード軍は随分と悠長に進軍してきていた。
おかげでこちらも準備は万端。
適当に雲行きを怪しくして辺りに強い風を吹かせている。
敵軍の練度を見るにこれで矢は使い物にならないだろうし、万が一の時は人が馬ごと吹き飛ぶような突風が瞬間的に発生してもおかしくないはずだ。
そんな敵軍から十分離れた場所で俺と待機しているのがメアリ配下の二人の騎士。
作戦立案の時にメアリから名前の挙がった、今回の挑発役だ。
「あの、シオンさん」
「大丈夫だ、事態がどう転んでも収拾はつける」
「えっと、そうじゃなくってですね」
「?」
「一応ですが改めて念押ししておくと、これからしてくるのは演技ですからね! そこのところ誤解しないでくださいね!」
「そうやって強調すると逆に怪しいのに……」
「んなっ!?」
「あー、そういう事なら心配しなくても分かってるって。気にせず行ってこい」
「分かりました……ええい、どうにでもなれー!」
「いってきまーす……」
……気の型、陽炎。
微妙に不安を拭えない様子で飛び出して行った二人の後を、気配を消して追いかける。
キロード軍の先頭に居る、他より豪勢な装備を身に着けたデブ――もとい、恰幅のいい中年。あれがミア様の言っていたレングランとかいう奴か。
横合いから馬を飛ばしていた二人が、さも偶然といった風を装ってその進路を遮る。
「あーら、遠乗りの帰りに面白いものと出くわしたわねぇ?」
「こんな天気の日にわざわざ大勢でご苦労な事」
「き、貴様らは……!」
「おっと、まぁお待ちなさいな」
うわぁ……。
二人にはああ言ったが、第一声からして完璧だな。声音だけ取ってみても悪徳貴族とかその腰巾着のイメージそのものだ。
あらかじめ演技だって知らなければ恐らくあっさり騙されてジャリスの同類だと勘違いしていただろう。
色めき立つレングランを手で制し、二人は更に話を続ける。
「アンタ達の目的は大体分かるわ。だけどあたしたちは別に邪魔立てする義理も無いのよねぇ」
「寧ろ手伝ってあげてもいいわ。相応の見返りをくれるならね」
「そういう事。形式上とはいえリクレスの女狐の配下なんてやってらんないっての」
その言葉を聞いたレングランの瞳に揺らいだのは打算の色。
頭の中でどう算盤を弾いたのか、痩せればそこそこ整っているであろう顔ににやけた笑みが浮かぶ。
「そ、そうか! そういう事ならば邪悪な女狐の征伐のため力を借りるとしよう!」
「それでいいわ、分かってるじゃない」
「じゃ、金目のものを寄越しなさい。無駄にぞろぞろ居るんだもの、少しは目ぼしいものもあるでしょ」
「うむ、分かっている。だが、それは事が成るまで待っては――」
「はぁ? フザけてんの? あたしらが手伝ってあげるってんだから当然前払いでしょーよ」
「こっちは主を裏切るんだから、あなた達も誠意を見せないと」
「そーゆーこと。アンタその剣どうせ予備よね? 勿体ないから貰ってあげるわ」
「図に乗るな阿婆擦れ共がァ!」
腰の剣をむしり取られそうになったレングランが怒声を上げる。
……まぁ、アレはキレても仕方ないな。
リクレス侵略を自白した上にミア様を侮辱したとあっては、同情の余地など微塵も無いが。
遠慮なく伸ばされる手を払いのけ、レングランは手にしていた槍を振り上げる。
「貴様らもまとめて成敗してくれる! 者共、まずはコイツらに思い知らせてやれェ!」
「はぁ!? アンタ自分が何言ってるか分かってんの!?」
「えぇい黙れ! 今更後悔しても遅いわっ!」
「酷い。許さない」
「覚えてなさいこのデブ! そっちこそ後悔させてやるんだから!」
レングランの槍をひらりと躱すと、二人は捨て台詞を残して一目散に逃げだす。
怒り狂ったレングランが矢を射かけさせるが、俺が手を出すまでもなく標的を捉えるには至らない。
こうして、メアリたちの騎士団が独自にキロード軍を攻撃する名目は立ったのだった。