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79.リクレス城――69

「っ――」

「……いや、済まないな。私も少々気が立っていたようだ」


 鋭く息を詰めるミア様。

 それに対し、意外にもウェンディの方から矛を収めた。

 女剣士は紅茶に口をつけると、幾分か口調を和らげて改めて話しだす。


「事実として彼の実力は比類なきものだ。大陸全土を探しても彼以上の猛者はそうそう見つかるまい。だが、貴女の元でもその武は埋もれるだけだろう。リクレスには彼が率いるべき兵の数も実力も備わっていない。あまつさえ彼には騎士の栄誉さえ許されていないという。同じ武門に連なる身として、見過ごす事は出来なかった」

「…………」

「もし貴女が彼の力を手放すのが惜しいと考えているなら、百の騎士と万の兵に貴女への忠誠を誓わせよう。兵站の維持はこちらが負担するし、必要であれば私の持てる全ての戦力を以てリクレスへ馳せ参じる。誰にとっても悪い話とはならないはずだ」

「しかし…………」


 ミア様は反論しようとするが、言葉が続かない。

 ……だが、それも仕方ないのかもしれない。ウェンディの言葉は正論そのもので、言い返す余地など皆無なのだから。


 そもそもこのフィラル大陸において武芸者が自らの力をつける目的は今回のように有力な相手からスカウトを受ける事だ。

 自ら流派を開いた祖父や力量を高める事そのものを目的とするような変わり者は少数派。

 それに、主に忠誠を誓うのは騎士の領分だという風潮もある。武芸者には束縛を嫌い自ら騎士の座を蹴る者や、争いごとに主を変える者までいる程だ。

 スカウトを断る事例もあるが、それは自分を高く売りつけるためであって、待遇が引き上がる条件で勧誘を蹴ることはまずない。


 ……ならば。

 この場で口を開くべきは誰なのか。

 処遇を争われている当事者の俺が声を上げても、問題は無いだろう。


「――僭越ながら申し上げます。騎士ならぬ身ながら、私が剣を捧げた主はミア・リクレス様ただ一人。如何なる栄誉に引き換えようとも、この忠義は譲れません」

「シオン……!」

「……ほぅ」


 二人の視線がこちらに向いた。

 ウェンディの試すような目を真っ向から見返す。


「ではシオン、お前に問おう。この大陸にはその武を存分に振るう事で救える民がいる。それでもお前はこの地に燻り続ける事を望むと言うのか?」

「あらゆる物事には優先順位というものが存在します。もちろん民を守る為この剣を振るう事に躊躇いはありません。しかし、それはミア様の元を離れる理由にはならない」

「そうか」


 ウェンディの反応は、こちらが拍子抜けするほどあっさりとしたものだった。

 残っていた紅茶を飲み干すと、変わらず真意の測り難い声で言葉を続ける。


「なるほど、お前の心は確かに騎士であるようだ。ならばこれ以上の難癖は無粋というものだろう」


 注いだ二杯目の紅茶を口に運び、ウェンディはミア様に視線を戻した。


「シオン・リテラルドに免じて貴領での彼の処遇については考えあっての事と受け取るとしよう。……しかし、万が一にもその忠義に裏切りで応えるのであれば。その時には私がこの剣で報いる事になる」

「……その心配は無用ですわ」

「そちらがそう言うならば、盟友として信用するとしよう。……この場はこれくらいにするか。私も本隊の様子を見ておかねばならん」

「門まで送らせて頂きます」

「ああ。まだ用事が無いではないが、そちらは帰りにとっておくとしよう」


 話は終わったか。

 ……しかし、この人は帰りにも寄っていくらしい。

 その事に少々げんなりする内心は隠しつつ、部屋を出る二人のエスコートに努める。

 簡単な別れの挨拶を済ませるや否や常人離れした健脚で走り去ったウェンディにしばし茫然とした後、ミア様がふと口を開いた。


「……シオン。アンタ、現状に不満はあるの?」

「いえ。ミア様のお傍に仕えていられるだけで私は十分です」

「当然よね。でも……何かあれば言いなさい? 主に隠し事なんて許されないんだから」

「お言葉、肝に銘じておきます」


 今それを聞くという事は、ウェンディの言葉に思うところがあったのだろうか。

 だが、果ては異世界にまで引き離されていたこれまでの時間に比べれば今不満に思う事など何一つ無い。

 だからその問いにも躊躇なく答える事が出来た。


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