78.リクレス領――68
「――ウェンディ殿、まずはお掛けください」
「ではお言葉に甘えさせてもらうとしよう」
先に口を開いたのはミア様。
ウェンディが席に着いたのを確認して言葉を続ける。
「この度はよくぞお越しくださいました。本来なら相応にもてなさせて頂くところでしたが……」
「急な訪問になったからな、気にする事はない。それに、面白いものも見られた」
不意に俺の方に流れてきた視線には軽く会釈を返しておくとして。
ミア様が猫を被って――もとい、フォーマルな態度をとるのは久しぶりに見た気がする。
最後に見たのは、確か……ジャリスと正式な形で話したときになるか。
『マディナとかいう将軍を忘れてないかい?』
…………?
久しぶりに脳裏に響いたカルナの声に、内心首を傾げる。
『いやいや、キミも何回か会ってる相手ダよね!? キミのご主人サマと絡んでたのは結構前になるけど。ほら、北にあるリニジアとかいう領地で』
……ああ、思い出した。
ミア様が交渉を持ちかけようとしたけど会話が成立しなかった奴か。
まぁ、その将軍の事はどうでもいい。
ミア様の態度を見るに、ウェンディは貴族か何かって事になるのか?
先刻垣間見えた力量に大層な異名、只者ではなさそうだが……。
そんな事を考えている横で話は進んでいく。
「――ところでウェンディ殿、此度の来訪は何かご用件あっての事でしょうか?」
「ああ。実を言うと、共も連れずに来た事にも関係している。……西方小国群から愚か者の連合軍が進んできているのは知っているか?」
「ええ。風の噂に伺いましたわ」
「流石だな、貴女の元には良い風が吹くようだ」
「恐縮です。――して、後からいらっしゃる方々は何人ほどになるのでしょう?」
「……話が早いと助かるな。レクシアの応援として、私直属の騎士団が千人だ」
「まぁ。まさに迅速果断なご対応、盟友としてとても心強い事です」
うわぁ……余計な事を。
そっちはルビーたちウチの密偵が行ってるんだが。
ちらりとミア様の様子を窺うが、こういった場に極端に強い主が本心で何を考えているかは全く読み取れない。
というか事情を知っている俺からしても素直に感心しているようにしか見えない。
いや、俺も慣れてきたのか少し意識を集中させれば微かに嘘の気配は感じ取れる気もするが……まだ確証を持てる域ではない。もっと精進しなければ。
――と、応接室のドアをノックする音が控えめに響いた。
「エスト、お願い」
「畏まりました。失礼致します」
対応に向かう為かエストさんが一礼して退出する。
それを見送ったミア様はウェンディに困ったような視線を送る。
「しかし、リクレスは貧しい領地。それだけの方々に満足いただけるようなおもてなしは――」
「それはこちらも承知の上だ、最低限の糧食と野営の備えはある。今回はほぼ事後承諾となるが一応の筋を通しに来たまで。盟友としてな」
「お気遣いに心からの感謝を。私に可能な事でしたら出来る限り力添え致します。何かご希望はございますか?」
「ふむ、そうだな……」
話が円満に纏まりそうな雰囲気に気を抜いていた矢先、唐突に嫌な予感に襲われた。
さっきエストさんが退出するとき、代わりに俺が抜けていればよかった。
そんな仮定が頭を掠める中、ウェンディがはっきりと俺の方に顔を向ける。
「そこの使用人、シオン・リテラルドを私の麾下に加えたい」
「っ……お戯れを。驚かせないでくださいな」
「もちろん戯れでこんな事は言わない」
さっき断った話だってのに、もうこの場で持ち出してくるか。
ウェンディはこれまで終始浮かべていた薄い笑みを消し、ともすれば本題を話していた時より真剣味を増した表情で言葉を続ける。
「彼がかの天武剋流の正式な後継である事は知っているか?」
「はい、存じております」
「そうか。私には彼が使用人として働いているように見えるが」
「……ええ」
畳みかけるような言葉。
ごく短いやり取りだが、ミア様が押されているのは俺にも感じ取れた。
そして……。
「――冒涜だ」
短く、切り捨てるような一言がウェンディの口から放たれた。