75.リクレス城――55
「――猛の型、『風貫絶破』!」
「『月風刃』!」
「っと――!」
突進の勢いを乗せた刺突に対し、セイラは紙一重の回避を成功させる。
舞うような回転はそのまま反撃に変じ、彼女の傍を駆け抜けようとする俺に白刃が迫る。
右腕も伸びきったこの体勢から後頭部に迫る一撃へ対処する事は不可能。
ならば……!
強引に足を止めてベクトルを変換。
つんのめるようにセイラの反撃をやり過ごし、今度は逆に俺の方から彼女へ向き直る。
「くっ……」
「行くぞ!」
この瞬間は速度と判断力の勝負。
そして、この一瞬で全てが決する。
「――『月風刃』!」
「迅の型、『辻風』ッ」
俺が繰り出したのは速度を重視する迅の型でも、特に一撃の軽さを代償に剣速を高めた一撃。
対するセイラが選んだのは、先ほども使った反撃技だった。
受けの構えは総じて素早いものだ。
まぁ、相手の攻撃に対して構えるのに遅いせいで間に合わないようでは活用する事など不可能なのだが。
それでも俺の剣に対して先んじる事ができたのはセイラの技量故だろう。
身を翻した彼女はその動きのままに俺の背後を狙おうとする。
セイラの操る流転冥天流は技術に重きを置く流派。
単純な速度勝負ではなく、受けの型からの反撃を狙ってくるのは読めていた。
それが例えば相手の勢いを利用して体勢を崩す「滑刃」の類ならその瞬間にケリをつける事も出来たのだが……。
とはいえ、こういう展開でも特に問題は無い。
「辻風」は防御の僅かな隙を穿つ技でもあり、こうして相手の反撃をやり過ごすためのフェイントでもある。
普通に剣を引き戻しながら間合いを調整し、同時に次の攻撃に向けて構えつつセイラの刃を回避。
互いの距離は剣の届くギリギリの長さ。
「月風刃」は強力な技だが、これだけ間隔が開けば反撃は届かない。
そればかりか回転する間は無防備な状態を晒す事になる。
もちろん、他の技で受けられる可能性も警戒すべきだが――。
「――惑の型、『空戯』」
「『滑刃』――ッ!?」
俺の刃の前でセイラの小剣が盛大に空振る。
使ったのは天武剋流の中でも癖の強い技が集まる惑の型でも特にメジャーなもの。
今回は単純なフェイントとして使ったが、裏にはそれだけで一つの型さえ作れる程の膨大な理論を持つ複雑な技であり、獅炎一刀流の「焔閃牙」のように基礎にして奥義と見做されるものの一つだ。
渾身の力を込めた一撃に合わせるつもりで動いてしまったセイラの隙は致命的なものだった。
彼女が強引に飛び退ろうとするより早く、その首元へ訓練用の模造剣を突き付ける。
「とりあえず、こんなもんでいいか」
「……はい。参りました」
勝負がついたところで剣を収め、少し前の事を振り返る。
西方小国の軍勢による進攻に対してルビーから彼女ら密偵たちが派遣されると聞いた数日後。
色々と足掻いてはみたものの俺に外出許可は下りず、人知れず出発するルビーたちを一人見送る事となった。
戦力の大多数がリクレスを離れた今となっては俺もそうそうに城を離れる事もできず、かと言っていつも訓練に付き合ってくれる密偵たちは城におらず。
久々に寂寥感と言えなくもない何かを感じながら菓子作りの練習をしていたところ、セイラに声を掛けられて今に至るというわけだ。
そのとき頼まれたのは、先日……つまりバルセと連続で戦ったあの日と同じような形でもう一度手合わせしてほしいという内容。
そういうわけで今回も力押しをメインに戦ってみたのだが。
前回との差異を元に考えるなら、あの「月風刃」が俺にどれだけ通じるか試したかったってところか。
確かに咄嗟の判断で繰り出すには難しい、しかしその難易度に見合って強力な技だった。
特に最初の「風貫絶破」に合わせてこられた時は割と危なかった。
あの状態から安定して対応するには……いや、長剣を使った「風貫絶破」の方をこういった反撃にも対応できるよう調整するべきか……?
そんな事を考えていると、セイラがこちらを上目遣いに見ているのに気づいた。
「セイラ、どうかしたか?」
「……先日の再現などという我儘にお付き合いくださりありがとうございました。恐縮ですが、次は天武剋流の全ての型を操るというシオン殿の剣。その柔の側面を学ばせて頂きたく」
「ふむ……」
再戦を望む言葉に、ひとまず時間を確認する。
……そろそろ夕食の準備を始めた方がいい時間だな。
衣服を整え、リクレスの使用人としての意識に切り替える。
「――職務の時間となりましたので、済みませんが御断りさせて頂きます」
「………………分かりました。こちらこそ無理を言って申し訳ありません」
言葉に反して、その前の普段より長い沈黙がセイラの落胆を表しているようだった。
というか表情こそ変わらないものの、その気配は明らかに落ち込んでいる。
俺も仕事は譲れないが、それを見れば社交辞令抜きに気の毒になるのもまた事実。
……どうせ俺も暇な身だ。
仕事が片付いたら、今日中にもう一戦くらいは付き合うとするか。




