70.リクレス城――50
「えっと……とりあえず、仕事の確認だな」
いつまでもぼんやりしていられない。
というより、ミア様が倒れ、密偵たちの攪乱にも限界が出てきた今の状況について理解できる範囲で色々調べておくべきだろう。
そう考えてベッドを出ようとすると、さっき部屋を飛び出したルビーが戻ってきた。
「ルビー、口の方は大丈夫なのか?」
「あ、ああ……。その事だが、あのカレーは何だ? 身体に残っていたダメージが消えている」
さっきと比べればかなり真面目な表情を作ったルビーの問いに、秘宝というかカルナ関連の薬草を混ぜた事を伝える。
「――そういうわけで、効果の程は保証する。俺だって調子は万全だ」
「そうか……」
「それにしてもルビーって辛いものは苦手だったんだな。済まなかった」
「あ、あれは……! その……忘れて頂けるとありがたい」
「だが、次に何か食い物渡す時を考えたら忘れるのはなぁ」
「むう……シオン殿……!」
少しからかうと、普段表情を出す事の少ない密偵は珍しく頬を膨らませてみせる。
なんだか得した気分で眺めていると、ルビーは咳払いして話題を変える。
「ゴホン。それより、だ。意識が戻ったのなら、シオン殿にはミア様より伝言を預かっている」
「伝言?」
「正式な手続きを経ず勝手に屋敷を出たシオン殿、及び無事に使命を果たせなかった我々の部隊にミア様はご立腹。よって次の命が下るまで謹慎に処すとの仰せだ」
「う……」
「謹慎処分とは言っても、傷を癒すための療養期間というのが実情ではあるだろうがな」
「そ、そうか」
厳しい文言に気落ちしそうになるが、ルビーのフォローを受けて納得する。
「ところでルビー、聞きたい事があるんだが……」
「ミア様の事か、それとも他の密偵たちの事か?」
「両方だ。あと、できれば今のリクレス家とか諸勢力の状況も知りたい」
「む……分かった。善処しよう。順番に説明していくとするか」
そうしてルビーが話してくれたところによると……。
まず、ミア様について。
目を覚ましたミア様は俺が作っておいたカレーを食べて回復。
同様に回復したリディス共々、執務室で書類との戦いに突入したらしい。
出来ればもう少しゆっくり休んでいてもらいたかったものだが……。
次に密偵たちについて。
戦争の初動を抑え、時には潰すために大陸各地へ派遣されていた密偵たちだが、今回の件でそのほとんどがリクレス領へ呼び戻された。
ルビーたち程ではないが危ない状況に追い込まれた部隊が二つあり、全ての部隊を合わせると下級の密偵に十人余りの犠牲者が出たという。
「――それで……では、先に大陸全体の情勢から話すか」
「ああ」
「ベクシス帝国とセム=ギズル連邦の間に戦端が開かれた。それと並行してベクシスは大陸西部の小国群にも侵攻を開始している」
「っ……!」
「幸いというべきか、戦火はまだそこまで大きいものではない。……シオン殿は、西部の小国群についてどの程度ご存じだろうか?」
「最低限の知識はある、と思う」
西部の小国群と言えば、かつてこの辺りの地方を治めていた旧レクシア王国より小さいくらいの国が無数に存在する地域だったか。
政治的には色々あるんだろうが、幼少期に旅して訪れた分には小国群全体で一つの国って感じの印象だった記憶がある。
「小国群で一つの国と言うと色々語弊があるが……その最たるものが軍事力だな。仮に小国群の戦力を結集していればまた違ったのだろうが、現在はベクシス帝国がその大軍で圧倒し、小国一つ一つを着実に手中に収めていっている」
「小国群はなんで団結しないんだ?」
「そうだな……かみ砕いて言うなら、別の国だからという事になるだろうか。目先の利益やベクシスの甘言に踊らされるうちに状況は手遅れになりつつある」
「えぇ……」
「気持ちは分かるが、現実に起きている事だ。まぁ、一部の国は対抗して南部のバルクシーヴに救援を求め出している」
それでも一部か……。
愚王の舵取りでとんでもない事になる国なら勇者時代に見た事があるが。
ああいう手合いは得てして無駄に傍迷惑なものだ。気が重くなる。
「それで、ベクシスとセム=ギズルの開戦のきっかけもベクシスの西部侵攻がきっかけだな」
「……どういう事だ?」
「どう言ったものか……。ベクシスが標榜するのは武力による大陸の統一だ」
「そうだな」
「現状からも分かるように制圧が容易い西部をベクシスはずっと狙っていたわけだが、目下それを危惧し牽制していたのがセム=ギズルだったわけだ」
「な、なるほど……」
「恐らくベクシス側の準備が整ったのだろう。奴らは適当な難癖をつけて西部侵攻を開始。そしてそれに反発するセム=ギズルと衝突して今の状態になっているわけだ。……伝わっただろうか?」
「ああ、なんとか」
ところどころ歯に物が挟まったような言い方になっていた事から察するに、これもかなり簡略化した説明なのだろう。
おかげで内容は理解できたが……どちらかというと、手間をかけた申し訳なさの方が先にきた。