62.リクレス城――44
――セイラがリクレス城に滞在するようになってから数日が過ぎた頃。
その日は朝から慌ただしかった。
表面上はいつもと変わらない風景だが、その実リクレス城の裏側で密偵たちが落ち着きなく動き回っている。仕事中は基本的に感情を制御できている密偵たちの気配もどこか乱れているのが感じられた。
気にはなるが……それぞれ役割を持って動いている連中の邪魔はできない。
少々急ぎ気味に普段の業務をこなし、外回りも全速力で済ませる。最近は余所の密偵の数も減ってきているから、昼前には戻ってくる事が出来た。
ひとまず風呂に入って汗を流し、手早く用意した昼食を平らげる。
さて、と。
向かう先は庭園。先ほど帰ってきた時に見かけたルビーを見つけ、景観を整える作業を手伝う。
「――今日は早いな、シオン殿。業務はいいのか?」
「問題ない。もう片付けた」
「…………」
「どうかしたか?」
「む? い、いや、なんでもないっ」
どこかぼうっとしていたルビーに声をかけると、どこか慌てた様子で否定された。
赤くなった顔や様子から察するに深刻な理由じゃなさそうだが、どういう事だ? 身体はきちんと洗ったから汗の臭いはしないはず……もしや石鹸の匂いが強過ぎたか? その辺りの感覚はよく分からないが、今後気を付けた方がいいかもしれないな。
「そ、それでだ。何か聞きたい事でもおありだろうか」
「ああ。今朝から城が慌ただしいが、何かあったのか?」
コホンと一つ咳払いして話題を切り替えるルビー。
城の様子について尋ねると、その表情が真剣なものに変わる。
その目に逡巡するような色が宿った。
「俺は聞かない方がいい事なのか?」
「シオン殿に情報が伝わっていないという事は、そうなのかもしれん。だが、伏せておけとの命も下されていない」
「なら、教えてくれ」
「……昨日の深夜、ベクシス帝国の密偵から一報が入った。ジルフィリード伯爵を指揮官に、セム=ギズルのデズコル領を攻撃する六千の軍が編成されたという内容だ。そして先刻、他の有力貴族も軍の編成を開始したとの情報が届いた」
「六千……小競り合いじゃ済まないかもしれないな」
だが、事はベクシスとセム=ギズルの間の問題だ。部外者のリクレスが余計な口を挟むわけにも――。
『そもそも何の為に密偵の戦力を増強したのか、まさか忘れてるのかい?』
あー…………そういえば、何かあったような……。
『……。こういう時に彼らが攪乱して時間を稼いで、その間にシオンの主サマが政治方面から戦争にならないように抑えるんダろ?』
そう、それだ。
だが……そんな上手くいくものなのか?
『もちろん言うほど簡単な事じゃないよ。ダけど、ここの情勢を考えれば寧ろ今まで随分と持たせた方ダと思うね。流石に彼女一人の功績じゃないダろうけど……というか、個人の力じゃ有り得ない成果ダし』
……後どれくらい持つと思う?
『さぁね? ボクからすれば専門外の話ダし何とも言えないよ。そうダね――シオンは戦乱に向かう流れを永遠に食い止め続けるなんて事、出来ると思うかい?』
カルナの話とルビーの話は纏めてしまえば似たような内容だった。
攪乱って事は、うちの密偵たちはベクシスに乗り込んでひと暴れする事になるわけだ。
…………。
少し考え、ゆっくりと口を開く。
「その攪乱、俺もついていくわけには――」
「厳しいな」
しかし、言い終えるより早く返ってきた答えは否定的なものだった。




