41.リクレス城――28
「――シオンです」
「どうぞ」
ある日の昼下がり。
城内の掃除を済ませた俺はエストさんの呼び出しを受け、ミア様の執務室を訪れていた。
ちなみにそのミア様はリディスと密偵を伴って外交に出向いている。
手の届くところにいられないのは残念だが、その顔触れなら心配はいらないだろう。
一つ問題を上げるなら、アルマが御者として同行しているせいで新しく本を借りる事ができないくらいか。
「失礼します。どうかしましたか?」
「本来なら執事であるシオンにこのような事を頼むのは申し訳ないのですが……」
「いえ、お気になさらず」
「……済みません」
勧められるまま椅子に腰を下ろす。
エストさんは気乗りしない様子だったが、結論は既に出ているようだったので先を促す。
「端的に言ってしまうと、賊の討伐任務ということになります。ただし場所はベムテ領ですが」
「ベムテ領?」
「そういえばシオンは初耳なのかもしれませんが、駄け――ジャリス・サジョリマ殿を覚えていますか? 彼の治める領地で、リクレスの東に隣り合っています」
「ジャリス、殿の……」
「はい。事の発端は彼が今後に備えて戦力を増強した事なのですが……それはさておき、いまベムテ領では領外から侵入した賊が跋扈し、せっかくの戦力が急激に削られているところです」
……ん?
今だいぶ話が飛ばなかったか?
『おお、それに気づけただけ上出来じゃないか。ま、どうせ話したって分からないダろ?』
……久しぶりに現れた第一声がそれか。
唐突に脳内に割り込んできた声に思わず呆れると、なんでも不穏な気配を感じて顔を出したとかなんとか。
言っているのが悪魔なだけに、どうも気味が悪い。
なお、武術の解析は一時的に切り上げてきたそうだ。
声の調子からすると、割と手応えは悪くないみたいだが……。
というか、話したって分からないとは失礼な。
『刺客として雇われた賊か、そもそも賊を装った工作要員か……』
……?
『要するに賊っていうか、あの金メッキが力をつけたら困る勢力からの嫌がらせって事ダよ』
…………。
ま、全く分からなかったわけじゃないし? つまりジャリスへの嫌がらせなんだな?
『………………まぁ、そういう事ダね』
カルナが凄く微妙な表情を浮かべている気がするが……まぁいい、今はエストさんの話に意識を集中させよう。
「そういうわけで、先ほど救援を求める連絡が来たので突っぱねておきました」
「えっ」
「リクレス領は非力・弱兵で通っていますから。しかし有事の際の戦力として今彼を切り捨てるのは得策ではありません。恩を売るのも兼ねて、シオンさんには秘密裡に賊を殲滅してきて頂きたいのです」
「畏まりました。ついては敵に関して詳細な情報がほしいのですが……」
「それに関しては用意があります」
エストさんが合図をすると、新たに二人の人影が現れた。
さっきから天井裏に潜んでいたコイツらは……リースと、ケサスか。
「任務には私たちが同行します」
「行動指針等のサポートはリースが。サジョリマ殿への連絡は俺が行う」
「上位密偵が二人か、心強いな。頼りにしてる」
「……俺は基本、アンタたちとは別行動だぞ?」
「いや、それくらい分かってるって」
念押ししてくる赤髪の密偵はその真顔もあって、本気か冗談か判別しにくい。
……冗談言うような性格じゃないし、本気なのか?
俺っていったい何だと思われてるんだろう……。
若干へこんだ内心は隠して呆れ気味に返す。
「それより事態が事態だ、可能な限り早く発った方が良いのではないか?」
「そうだな。お前らは準備できてるか?」
「当然だ」
「密偵たる者、どんな時でも出撃できるように準備はしているものです」
「あー、それは立派だと思うが……正直ジャリスんとこの雑兵よりはお前たちの方が大事だ。まだ詰められる余地があるなら、備えは万全にして行ったほうが良い」
「む……」
「それではお言葉に甘えて、少々お時間頂きます。五分後に城門で」
「……では、俺も一度下がらせてもらう」
こちらの意図はきちんと伝わったようで、二人はエストさんに一礼すると退出する。
さて、俺も軽く準備を整えるとするか。
ただ……一つ心配な事がある。
「ミア様に付いてリディスも不在なのに、俺までここを離れて大丈夫でしょうか?」
「御心配には及びません。ルビーを含めて数人の上位密偵と、密偵としては見習いですが先日まで騎士だった者が数十名残っていますから。それにシオンが向かうのは隣領、余程の事があっても間に合う内に連絡くらいは出せます」
「……分かりました。では、俺も準備があるので失礼します」
どうにも不安は拭いきれないが、説明されれば安心するには十分な戦力なのもまた確か。
なんにせよ、とっとと任務を片づければ良いだけの話だ。そう切り替えて俺も退出する。
そうだな……秘密裡にってことは正体バレたら困るし、いつも使ってる剣は置いていくか。汎用剣でも事足りるだろ。
何日か掛かる場合も想定して最低限の準備だけ整え、集合場所の城門へ向かう。
その途中の庭を通るとき、手入れをしていたメイドに話しかけられた。
「……シオン殿」
「ん?」
足を止めて振り返る。
このメイド、どこかで見たような……? そりゃ同じ職場で働いてるんだから見覚えがあるのは当然だが、そういう意味ではなく。
伏せがちに隠れた顔をさりげなく覗いてみるが、まだピンと来ない。
俺が首を捻っていると、メイドは小さく微笑んで束ねていた黒髪を解いた。
「ふふっ。我が師も欺けるとは、密偵としての技術も捨てたものではないな」
「ルビーか? そう思えば……なるほど、ずいぶん印象が変わるもんだな!」
「お褒めに預かり光栄だ。……シオン殿の留守は私が守る。あなたも、御武運を」
「! ……ありがとう」
『……フラグかな?』
あ?
『いや、なんでもない。話しても分からないダろうしね』
妙に不穏な事をカルナが呟いた気がしたが……。
とにかく、速く解決するに限るな!
気合いを入れ直すと、俺は足早に城門へ向かった。