38.リクレス城――25
「――はぁっ!」
「握りが甘いぞルビー!」
「隙ありっす!」
「まだ踏み込みが浅い、ハンジ!」
「ふッ……!」
「お前はもっと気配を……ああいや、良い不意打ちだったぞリース!」
今日も今日とて密偵の訓練。
俺はいつもの修練場で、密偵たちが繰り出す一番の技を片っ端から捌いていた。
中でも最初から姿を見せていた上位の面々は流石と言うべきか、まだ改善の余地はあるもののそれなりに難易度が高い技も物にし始めている。
最初の方に掛かってきて叱咤したルビー、ハンジからしてもう並の密偵が使う技は同等以上の完成度で使いこなせている。いま習得しようとしている技にしたって、反復を重ねて身体に動きを馴染ませれば自ずと仕上がるだろう。
さて……と。
全員の攻撃を一通り見ると、密偵たちはこちらが何か言う前に動いている。
少人数の班に分かれた密偵たちを、今度は下位の連中の方から順番に回っていく。
「――く!」
「お、前より動きが良くなってるな。じゃあ……こうしたら、どうだ?」
「ッ! ……参り、ました」
「至近距離で急に相手が得物を手放した時はだな――」
「――そこっ!」
「…………ん? おっと」
「……シオン殿?」
「ああ悪い、ちょっと考え事してた」
ルビーが放ったのは破の型、即。
少し物思いに囚われていたせいで気の抜けた回避になってしまった。軽く詫びを入れて仕切り直す。
……今更ながら、少し反省している事がある。
それは事前に考えていた計画をあっさり投げ出してしまった事。
天武剋流はこのフィラル大陸に広く浸透している流派。それ故に流派の型も分布にある程度の偏りが存在する。
一応、密偵として身元が割れる要素は削るべく教える流派も分布に則ったものにするつもりだったのだが……。
人の適性というのは千差万別だ。
ある型のある技を得意とする人が、同じ型の別の技ではなく異なる型の技の方をうまく扱えることなど多々ある。
当然、様々な型を手広く教えた方が戦力として伸びる者だって多い。
そもそも彼らは密偵、普段は安穏と過ごしている一執事に過ぎない俺と違って常に敵地に身を置き命がけでリクレス領に尽くす連中だ。
馬鹿な俺の勝手な判断で、そんな奴らの選択肢を狭めて良いのか?
そう考えて、密偵一人一人に適した技を片っ端から教えていった結果……見る者が見れば無国籍極まりない集団が誕生していた。
実力としてはどうだろうな?
ジャリス絡みで揉めた時に不覚を取った、謎の緑色の隠密と比べると……基礎的な身体能力で劣っているのは如何ともし難い。そういうのは一定以上のレベルになると、鍛錬や武術というより悪魔とか改造の出番だからな。
ただ、技術面では上位の面子であれば十分張り合えるだろう。比較対象の方の判断材料がナイフの投擲しかないから微妙だが、少なくとも動きの精度って点じゃ上回っている。
その後もしばらく動きや特訓法なんかについて話して回り、その日の訓練は終わった。
「ふぅ……」
隠し通路を通って部屋に戻り一息つく。
さて、この微妙に空いた時間をどうしたものか……とりあえずアルマに借りていた本を手に取りベッドに寝転がる。
部屋の外の気配を窺うと、大勢の使用人が慌ただしく動き回っているのが分かる。
皆がこう忙しくしているのに、表向きは特別な仕事を任されたことになってる俺が時間を持て余してるとバレるのも良くないか。
最近キッチンに立ってないな……腕が鈍ってなければ良いんだが。
この本も何度も読んでるが、そろそろ内容を覚えてしまいそうだ。
新しいのを借りにアルマのところへ行きたいが、そうすると間違いなく誰かに見つかるだろう。
足音や気配をいくら消しても、そして相手がどれだけ急いでいるとしても、真正面から歩いてすれ違えば気づかれるのは必然。……うーむ。
確かミア様の予定だと、騎士たちを使用人にするのが第一段階。で、今やってる模様替えが一段落して元騎士の使用人たちがフリーになるのが第二段階。
……そういえば、それで密偵に加わる元騎士たちの訓練ってどうなるんだ?
やっぱ俺が面倒見る事になるんだろうか。そうなら今の経験を活かせるようにしておかないと。
まぁ何にせよ急ぎとの事だったし、ミア様の計画もそう長くかかるものではないだろう。
これもあと少しの辛抱……そう思って眠りにつく。
ミア様から直々に使用人へ身をやつす事を強要された騎士たちが入城してきたのは、その翌日の事だった。
……リニジア領で騎士たちが見せた不甲斐ない姿を思い出して、お前らは普通に使用人してた方が向いてるんじゃないか? と思ったのはここだけの話。