29.リクレス城――16
「――ふッ!」
右腕に全神経を集中させ、放った呼気を合図に一心不乱に包丁を振るう。空中に無数の軌跡が閃き、宙を舞う無数のイチゴがそのヘタを失った。
……ダメだな。これじゃ素早く包丁を振っただけだ。技と呼ぶには程遠い。
そもそも型に沿った技が力を発揮するのは、先人や同門が積み重ねてきた経験によるもの。
『――ん? そこんとこ詳しく聞きたいんダけど』
珍しく素材調達以外でカルナに借りを作るチャンス。
しかし、ものに出来そうにはない。さっき考えた技が力を発揮する理由にしたって、祖父……師の言葉そのままだし、その真意は俺にもよく分からない。
『ふーん。まあ、気になる話が聞けたとは思うよ』
そう残すとカルナの思念は遠ざかっていった。寝ているわけじゃないようだが……そんなに武術の仕組みが気になるものなのか?
ともかく……この前のように天武剋流を封じたことによる失態を繰り返さないために、俺だけの新しい型と技を編み出す。この考えは悪くないと思うんだが。
料理にしろ武術にしろ、ゼロから新たに生み出すというのは難しいな。
落下するイチゴは一度ボウルに回収し、ヘタはゴミ箱へ放り込む。
仕上げのトッピングを済ませれば簡単なイチゴのショートケーキの完成だ。リハビリも兼ねて作ったシンプルなものだが、同僚への差し入れには十分だろう。
時間の空いた同僚が詰める部屋に向かい、備え付けの冷蔵庫にケーキを入れる。
「おや、シオンさん。今回の差し入れはショートケーキですかな」
「はい。メモにも書きますが、奥の半分は砂糖を控えめにしています」
「有り難い有り難い。また後で頂くとしましょう」
俺が子供の頃からリクレス家に仕えている老執事と話しながら、簡単な説明を書いたメモを冷蔵庫の扉に貼りつける。
今日の仕事は……と。城の端の方の掃除がこれからだな。
当番より先に済ませてしまおうと歩いていると、背後から迫る殺気を感じた。
「シーオーンーさーん?」
「うっ……」
「しばらく安静にしているようにって、言いましたよね?」
「だ、だが、ちょっと掃除するくらい――」
「言いましたよね?」
「――はい」
「まったく……ハンジさんの報告があったから良かったものの」
ハンジ……密偵の第二席とかいうアイツか!
余計な真似を……!
リディスは悪童でも扱うように軽々と俺を担ぐと、医務室まで連行してベッドに放り込んだ。
「また出歩いてるようだったら、次からわたしが見張りますよ?」
「いや、お前には仕事が」
「もちろん放り出します。それが嫌なら大人しくしていてくださいね」
「待っ――」
実際、今も仕事を放り出して来ていたのだろう。俺が呼び止めるより早くリディスは早足に去っていった。
さて……困ったな。
政治に関して、リディスは俺なんて足元にも及ばないほどミア様の力になっている。それを盾に脅されれば屈する他ない。
医務室から出られないなら中で訓練でもしてたいところだが、バレたら怒られるだろう。集中している間は感知能力も下がるし現実的じゃない。
だからこうして大人しく寝てる以外、本当にやる事が無い。しかし……暇だ。そもそも既に丸一日寝ていたのだから、これ以上寝ていられるはずもなかった。
昼時になれば誰かが食事を持ってきてくれるだろう。その時に適当な本でも融通してもらえるよう、シエナあたりに伝言でも頼むか。
……暇だ。
寝返りを打った回数が三桁に達しようかという頃、医務室に来客が訪れた。昼食にはまだ早いと思うが……。
そう思って視線を向けると、そこにいたのは意外な相手だった。
「…………」
「アルマか? 手当てなら俺も多少の心得があるぞ」
「……結構ですわ。ただのお使いですので」
いまだに俺を嫌っているらしい御者の手にあるのは、いつしか見慣れてしまった分厚い本。
俺が医務室に押し込められていると知ったシエナから預かったというそれを受け取る。
……うん、色々と相変わらずだな。良い時間潰しになるだろう。
数ページめくって自分でも呆れだか喜びだか分からない笑みを浮かべていると、ふとアルマがこちらに向けている視線が気になった。
「どうかしたか?」
「いいえ、別に。私はこれで失礼しますわ」
「あ、ちょっと良いか?」
「……なんですの?」
少し聞きたい事があって呼び止めると、アルマは不機嫌さを隠そうともせずに振り返った。
「大したことじゃないんだが……アルマって御者なのに貴族みたいな話し方だよな。気品があるっていうか……」
「いけませんか?」
「済まない。ただ気になっただけで、そういう事が言いたかったんじゃないんだ」
「………………」
触れられたくない事だったのだろうか。少女の表情に険が増す。
立ち止まったまま睨むような視線を送るシエナと俺の間に、どこか刺々しい時間が流れた。
やがてアルマは溜息を零すと、俺に背を向けて歩き出した。ドアの前で一度立ち止まる。
「興味本位で、他人の事情に立ち入らないでくださいな」
「済ま――」
「別に隠している話でもありませんし、適当な方に伺えば教えて貰えるでしょう。それでは今度こそ、失礼しますわ」
謝罪を遮って言葉を続けたアルマは、俺が何か言うより早く姿を消した。一人の空間が戻ってくる。
最後のあれは、つまり……事情を知ろうとしても良いという事だろうか?
持ってきてもらった本に目を通している間も、疑問は頭から離れなかった。




