28.リクレス城――15
リニジア領でセム=ギズル軍から逃れた三日後、俺はどうにかリクレス城まで辿りついていた。全速力とはいえ、傷のことも考えながらだったせいで思ったより掛かったな……。
カルナに頼んで上辺は無傷っぽく繕ってある。さて、帰って来たは良いがどうしたものか。
そういえば今は昼過ぎだな……ちょうど良い時間かもしれない。
「ミア様、お疲れさまです。少しご休憩なさいませんか?」
「っ……!」
ティーセットを持って声をかけると、執務室からミア様が飛び出してきた。急いでワゴンを引っ込め、その身体を抱きとめる。
代わりにこっちの身体の内側が嫌に軋んだが、衝撃を最小限に殺して出血は避けた。
「ご心配をおかけして申し訳ありません。シオン・リテラルド、帰還いたしました」
「バカ……! 遅いのよ!」
あ、そんなにしがみつかれると……。
カルナに助けを求めようとしたが遅かった。開いた傷口から次々と血が溢れ出し、主の手を赤く染める。
「え……」
「大丈夫です。これしきの傷、物の数ではありません」
「そんな事言ってる場合ですか!」
リディスの一喝に首を竦める。
頼れる同僚はミア様をそっと引き離すと流れるような動きで俺を担ぎ、そのまま医務室に駆け込んだ。手早く俺の身包みを剥ぎ、傷の一つ一つに丁寧な処置を施していく。
「……また、余計なこと考えて無茶しましたね」
「うっ……」
「大方、天武剋流に連なる技術を封印したってところでしょうか。違います?」
「参ったな……そこまでお見通しか」
「分かりたくないです。それより一介の門弟に過ぎないわたしが将軍の剣を止めてしまったのですから、変な気遣いは無用だったのに……」
リディスはそう言ってくれるが、やはりあの時の選択肢は一つしか無かっただろう。
乱入した俺は、セム=ギズル軍に少なくない被害を与えた。それは正体不明の狂戦士だったから出来たことだ。
ミア様に仕える天武剋流の後継が同じ事をすれば、リクレス家はセム=ギズルに明確に力を以て背いたことになる。そうすれば先方の矛先がリクレスに向くのは避けようがないし、ミア様の立ち回りではどこかの影に隠れることもできない。
だから……今回の責任を負うなら、それはひとえに俺自身の未熟に帰せられるべきだ。
「……はい。とりあえずの手当ては済みました。ミア様も、もう入っても大丈夫ですよ」
「! ……そ、そう」
本当に深刻なものはカルナが既に対処しているので、傷の処置といっても消毒と縫合、包帯を巻く程度だった。
手際よく治療を終えたリディスが声をかけると、恐る恐るといった様子のミア様が医務室に入ってくる。
「このバカは平気だって言ってたけど……実際のところはどうなの?」
「いくつか深手もありましたが、命に関わるほどのものはありませんでした。しばらく安静にしていれば完治すると思われます」
「ふぅん……なら、精々おとなしくしておくことね」
「む……」
「「返事は?」」
「は、はい」
そんな何日も休んでいたら仕事が……と思ったのだが、二人の威圧を前にしては首を縦に振らざるを得なかった。
いや、戦闘や訓練は駄目でも普通に仕事するくらいなら大丈夫かもしれない。なんとなくこの場で確認するのは拙い気がするから止めておくが、たぶん許可も下りるだろう。
それで空いた時間はいつも通り本でも読んで紛らわすとして……。
いや、無理だ。気になる事が多すぎて、とてもじゃないが集中できそうにない。
「あの、差し出がましいことを伺うようですが……」
「なに?」
「あの後の顛末と、今後の動きについてお聞かせ頂きたいのですが」
「怪我人は余計なことを気にせず大人しくしてなさい、と言いたいところだけれど……」
「……今後の暴走のリスクを減らすためにも、理解できる範囲では伝えておいた方がよろしいかと」
「そうよね……」
ミア様は困ったようにリディスと視線を交わした後、諦めたようにため息を吐いた。
マディナ将軍に襲われた後、リディスはまずアルマの操る馬車を引き返させた。
そうして将軍を始めとするセム=ギズル軍からミア様を庇いながら下がろうとし……俺が軍の後方に突っ込んだのがその時のこと。
将軍も最初は無視してミア様を追おうとしたが、被害の大きさに方向を転換。追撃の手が緩んだところでリディスはミア様を担いで一気に馬車に合流し、その場を脱したとの事だ。
……危ないところだったな。
例の刺客にやられたところを将軍にまで追いつかれていたら、正体を隠しきれなかったかもしれない。
「それで、これからの動きについて? 一応セム=ギズルの方についてももう少し粘ってみるつもりだけど、とりあえず総督サマ含め適当な勢力に泣きついてるところよ」
「……見込みの方は?」
「さあ? どれの事を言っているのかしら」
「………………」
「分かったわ、ちゃんと答えるからそんな顔しないの。まぁなんとかしてみせるわよ」
「……左様ですか」
政治的なところは分からないが、俺でも相手の意図を読むくらいはできる。
表情、口ぶり、声の調子を見るに……五分五分といったところか。
セム=ギズルへの対処といい他勢力へ頼る案といい、強がりやハッタリというわけではないらしい。
なら俺も、それを信じてみるべきか。