122.リクレス城――105
それからも公賊……ジャード使節団はしばらく居座っていたが、特に問題が起きる事は無かった。
対外的にはメアリたち外様の騎士団と俺たちリクレス側の人間との関係は険悪という事になっているため多少不自由な事はあったが、それくらいだ。
そもそもミア様は最終的に俺を手元で抑えておく事にしたらしく、俺が使節団の連中と言葉を交わす事はほとんど無かった。
どうやら裏では密偵たちと密かに鎬を削っていたらしいが……その辺りの事はよく分からない。ルビーが帰ってきていた時に聞いてみたが、俺の心配する事は無いと教えてくれなかった。
カルナの言葉を借りるなら、便りが無いのは良い報せという奴だろうか。
表側では酒に悪酔いしたと言って暴れる使節を取り押さえたり、侮辱したとか難癖つけられた使用人を処刑人に扮して斬ったように見せかけたりするうちに時は流れ……。
朝には雪もちらつくようになった頃、使節団の面々は苦虫を噛み潰したような顔でリクレス領を去っていった。
久々に訪れた平穏な日々。
密偵たちは裏方に戻り、城では見慣れた一般の使用人たちがミア様の気紛れという事になっているシフトの急な変更に愚痴を交わしている。
ミア様に呼び出されたのは、そんなある日の晩の事だった。
リクレス城の中で最も絢爛な作りになっているのは謁見の間だ。
或いはジャリスと同じような――いや、それは無いか。
とはいえこの領地には不相応な程に飾り立てられた、成金じみた雰囲気を放つものになっている。
主に貴賓を招いての晩餐に使われる広間も、本来の目的の妨げにならない範囲内でだが謁見の間と同程度に飾り立てられている。
以前エストさんに聞いた話によればそれはミア様の虚勢であり、対外的に暗君としての在り方をアピールする為のものらしい。
対して、ミア様の私室は――狭い。それが第一印象だった。
ここの掃除等はエストさんやリディスの管轄らしく、俺も足を踏み入れるのは今日が初めてだ。
実用性を重視した質素な執務室の事を考えれば、謁見の間のような方向性ではないとは思っていたが……この部屋は俺たち使用人が使っている部屋と同じか、下手をすればそれより狭くさえある。
おそらく本当に休む時しか使っていないのだろう。
「ところでシオン、今この部屋を見てる密偵はいる?」
「今は三人控えております」
「全員しばらく追い払って」
「畏まりました」
密談、だろうか?
よく分からないまま、ひとまず護衛に当たっていた密偵たちに声を掛けて部屋から離れてもらう。
「さて……このままじゃ話しにくいわね。こっちに来なさい」
「では、失礼します」
ベッドに腰掛けたミア様に招かれて近づくと、唐突に手首を掴まれる。
そのままベッドに引き倒された俺の上に、ミア様が馬乗りになる形となった。
「権力をかさに着て気に入った奴を手籠めにする。悪徳領主にはよくある事よね」
「こ、光栄……です?」
「……どういう反応なのよ、それは」
元より見返りを求めてミア様に仕えているのではない。
だが……気に入った、と言われれば報われた気にもなる。
それはそれとしてこの状況をどう捉えたものかという困惑が言葉になったわけだが。
「第一、抵抗する気は無いの? 自分の妻に操を立てるとかしないわけ?」
「まさか。あの日誓った通り、何があろうとルビーへの愛が揺らぐ事はありません」
「もしかしてアンタ……」
何かを危ぶむように、青い瞳が大きく揺れる。
目を閉じて一度深呼吸した後、改めて出たのはおそらく呑み込んだのとは別の言葉。
「……ねぇ。アンタはあたしの事、どう思ってるの?」
「この身命を賭して守るべき主です」
「それは分かってるわ。主人じゃなくて……一人の女として、あたしの事を愛せるのか訊かせて」
「それこそ答えるまでも無い事です。貴女を拒む理由などどこにありましょうか」
確かに、異世界からこのリクレスまで戻ってきたのはかつてミア様に捧げた誓いがあったからだ。
だが、今こうしてその在り方を支えたいと思っているのは、それだけが理由じゃない。
一人の人間として尽くしたいと思ったからこそ、俺は執事としてこの主に仕える事を選んだのだ。
ならば……答えなど最初から一つしかなかった。