102.リクレス城――90
「ふぅ……」
その後何を血迷ったか本当に風呂まで突撃してきたルビーをどうにか部屋に返し、俺は静けさを取り戻した浴場に身を沈めていた。
任務から戻ったばかりの密偵たちの疲労は計り知れない。となると下手にフルコースを用意して彼らの休息を妨げるわけにもいかないだろう。
かと言って密偵という職業柄、彼らがリクレス城に揃っている時間はそう長くないはずだ。あまり悠長にしてはいられない。
なら、俺のするべき事は――。
……風呂を出てから一時間後。
俺はエストさんから執務室に呼び出されていた。
仕事中だったしもう少し待つ事になるかと思っていたが、想像より早かったな。
「失礼します」
「どうぞ。……休暇の申請、でしたか」
「はい」
「明日と明後日との事だそうですが、詳しく伺っても?」
エストさんの言葉に頷き、俺は急な休暇申請について説明する。
任務を果たしてきた密偵たちに負担を掛けないよう配慮すると、量より質のスイーツを振る舞うだけでは今一つ物足りない。
部屋の方も軽く疲労回復の魔法陣を仕込むつもりではあるが、それもどちらかというとその後の休息の効果を高める効果のほうが本命だ。
というわけで、俺は密偵たちが城に戻ってくる前に城から少し離れた工房を借りる事にした。
実戦経験皆無のリクレス騎士団があそこに近づく事は無いし、ここに来て日の浅いメアリたちもまだ工房に用事は無いだろう。
実際常に人気の無い状態である事は、定期的な掃除のついでに確認してある。
その辺りの事情を聞くと、エストさんは少し考える様子を見せながら口を開いた。
「確かにあの場所なら城からもそう離れてはいませんし、万が一の際にも間に合うでしょうが……シオンには鍛冶の心得がおありで?」
「見通しは立っています」
「では、後一つだけ確認を。二日で間に合うのですか?」
「間に合わせてみせます」
「……申請は受理します。ただ、くれぐれも無理はしないように」
「お気遣いありがとうございます」
用意するつもりなのは御守りを兼ねた短剣だ。
密偵全員に渡すとしてノルマは三百本。今から最速で作業に取り掛かれば丸二日以上の時間を使える訳だし、不眠不休ならなんとかなるだろう。
折角の機会だからついでにメアリたちの騎士団にも仕立ててやりたいところだが……そちらは時間に余裕があれば、という事にしよう。
ひとまず三日後に備えて今からできる料理の仕込みだけ済ませ、身体に無理のない範囲内での最高速度で工房へと走る。
それから数十分後、辿り着いた工房はいつも通り静まり返っていた。
ポン、という軽い音と共にカルナが姿を現す。
「で? ほぼ手ぶらでここまで来たわけダけど、材料はどうするつもりダい?」
「勇者時代に倒した魔獣の素材が残ってるはずだ。お前がどれだけ使ったかにもよるがな」
「それなりに残ってるよ。ボクはコレクターダからね……でも、今回の用途なら鉱石を使った方がいいと思うな。流石に同じ規格の短剣三百本も作れるほどにはストックしてないから」
「じゃ、それで頼む」
「はいはーい」
カルナが軽く手を振ると、俺の影から出てきたのは巨大な箱。
その中には勇者時代にカルナの要求で大量に採掘した鉱石がインゴット状に加工されて収まっている。
「でもさぁシオン、改造後の自分の骨でも素材に出来れば一番ダとか思ってないかい?」
「否定はしない。だが、身体の改造はナシだって約束しちまったからな」
「ここなら誰も居ないし、ボクとシオンダけの秘密で済むんダよ?」
「……そういう問題じゃない、だとさ。お前もあの時聞いてただろ」
炉に魔法で火を灯していると薄笑いを張り付けたカルナがわざとらしく迫ってくるが、俺が乗らないと分かるとあっさり身を引いた。
言い返す俺の脳裏に浮かんだのは、昔投げかけられた言葉。
できればあまり思い出したくはないんだが……むしろカルナの誘惑も、あの時の記憶を刺激する方を目的にからかわれたように思える。
正直なところ、俺はそこまで鍛冶に詳しいわけでもない。
だがどうせ知識があったとしても、そこまで丁寧に工程を重ねているような余裕もない状況。
足りない知識と技術は最初から素材の質と魔力の量で強引に押し切っていくつもりだ。
適当なインゴットを一つ掴み出すと、俺は魔力を込め炉に揺らめく炎の勢いを更に強めた。