巨人のびんぼうゆすり
少し昔のとても寒いところのお話。
四方を山に囲まれ、冬になると起きてから寝るまで雪が振り積もり続ける村に一人の青年がいました。
その青年はとかく優しいことで村から評判でした。身寄りのない老人が病に伏せれば看病し、雪がよく降った日の次の朝には誰よりも早起きし、雪べらで道の雪かきをしていた。
そんな優しい青年には歳がやや離れた弟が一人いました。素晴らしい兄のもとで育てられた弟もまた……ということはなく、生意気に育ってしまいました。それも仕方ありません、教育者であり兄である青年はあまりにも優しすぎて、やんちゃをする弟を叱ることはありませんでした。
「おい、弟よ。夕飯の支度を手伝ってくれ」
「いやだよ、今日は一段と冷えるから暖かい囲炉裏から離れたくない。あんちゃんが代わりにやってくれ」
「ふむ、そうか。なら、火のそばで野菜を切ってくれないか」
「いやだよ、包丁はとても危ないんだ。クマの爪にひっかかれたことはないけど、包丁には何度ひっかかれたことか」
屁理屈が上手な弟です。その弟を決して間抜けではありませんが優し過ぎる兄は叱ることなく、
「それもそうだ、怪我をしたら可愛そうだ」
と甘やかす始末です。
結局支度は全て兄がすることになりました。
とんとんとん、と包丁が木魚のように律動的な音を奏でる。何もすることのない弟にはその音が子守唄に聞こえ、うとうとし始めていた。
そんな時でした。大きな揺れが起きました。その揺れで家の中のもの、外のものがどさっと全て落ちてしまいました。揺れは大きかったですがすぐに収まりました。
「今のはなかなか大きかったな。しかしおかげで明日は屋根の雪落としが楽そうだ」
眠りかけていた弟もぱっちりと目をさましていました。
「もうすぐ夕飯の支度が終わるから起きていなさい。今日はお前の好きなきりたんぽ鍋だ」
ほんのりと焦げ目のついたたんぽを抜き取り、まな板へ運ぶ。そして包丁を下ろすその時でした。またも大きな揺れがやってきました。包丁が狙いを定められないほどの揺れでした。
「おのれ、たんぽめ。鯉ですらまな板の上に来たら諦めるというのに姑息な真似を。おとなしくきりたんぽになりなさい」
揺れが収まり、もう一度狙いを定める。今度はかけ声をあげて包丁を下ろす。しかしまた大きな揺れがやってきて、たんぽはまな板から囲炉裏にまんまと逃げおおせた。
「あんちゃん、きりたんぽはまだかい」
何度も大きな揺れが来たというのに弟はへっちゃらなようです。兄のおかげで図太くなっていたのです。
これでは弟に好物を食べさせてやれない、と困り果てた。
「どうにかして揺れを避けられないものか……」
「あんちゃん、きっと揺れは巨人の仕業かもしれないよ」
「弟よ、それは初耳だ。あんちゃんに教えてくれ」
「風の噂、今の季節だと吹雪の噂だけど北の山で巨人がびんぼうゆすりをしているのかもしれないよ。北の山奥には一晩で雪化粧の山をすっぴんにできてしまう、それは大きな大きな人が住んでると聞いた」
「冗談を抜かせ。そんな立派な人が食い扶持に困るほどびんぼうなわけがない」
「それじゃあ相撲をとっているのかもしれない。あんちゃん、今晩だけでも我慢してもらえるよう頼んできてよ」
「おし、わかった。あんちゃんに任せろ」
そう言って壁際の床に落ちていた藁でできた笠、合羽を羽織り、まだ濡れているかんじきを履き、外へと飛び出していった。
勇敢な兄が立ち去ったのを見計らい、弟は煮えたぎる鍋にたんぽを鍋に放り込む。
「一度鍋を独り占めしたかったのだ、許せ兄者」
さきほどの弟の話は全くの出楤芽の嘘でした。さすがに全部食べるのは悪いので灰をかぶったたんぽだけは残しておきました。
吹雪の夜だ、きっと兄はすぐに引き返してくるであろう、と高を括っていましたが当の騙されているとは知らない、疑うことを知らない兄は吹雪にも関わらず北の山に着いてしまったのです。
疑えなかったのも仕方ありませんでした、弟の言うとおり北に行けば行くほど揺れは強くなっていました。そして北の山を登れば登るほど雪がひっかかった木が少なくなってきました。色彩の欠けた、白に染まった秋のように見えました。
吹雪の音に混じって、せわしない拍子木のような音が聞こえてきました。巨人が近い証拠です。
「おぉ、やはり相撲を取っているに違いない。熱くなっているところかもしれないが話を聞いてくれれば鬼でもないしわかってもらえるだろう」
巨人の相撲取りに興味がないといえば嘘になるが、それでも可愛い弟を優先しなくてはいけない。それがあんちゃんというものだ。
山のてっぺんには確かに巨人がいました、家の屋根よりも高い、それは大きな大きな大男でした。しかし様子がおかしいのです。寒空の下、薄着で大きな岩の上に腰を掛け、口を震わせてびんぼうゆすりをしていたのです。
鋭い犬歯をも震わせながら口を開きます。
「寒すぎて幻覚が見えてきたかな……こんなところに人間がいる幻覚が見えてきた……私もついにここまでか」
「幻とは失礼な。それと幽霊でもないぞ、かんじきで雪の上に足があるのだからよく見てみろ」
大男はたいそう驚きました。青年もたいそう驚きました。
「お前みたいな大男がどうして服に困るような生活してるんだ。あぁあぁ可哀想に全身しもやけで真っ赤っ赤じゃないか」
「肌が赤いのは生まれつきですので……そ、それよりも、あ、あの、怖くないんですか? その、こんな大きくて、歯が鋭くて、それに頭の上に……」
「あぁこっからじゃ頭の上に何があるか見えないけど気にしない気にしない。死ぬ前の母さんからよぉぉく言い聞かされてるんだ、人を見た目で決めつけてはいけないって」
「は、はあ……そうですか」
「それとこれは死ぬ前の父さんによぉぉく言い聞かされてるんだ、困った人を見かけたら助けなさいって。着るものをどこかに落っことした?」
「いえ、これはいつもの格好です。風呂に入る時以外はいつもです」
「そうか。でも寒くないか? 麓までお前さんのびんぼうゆすりが伝わってるんだ」
「すみません、ここに住んで長いのですが今日は一段と冷えるので」
「なるほど、いつもならその格好なら大丈夫だけど今日は一段と冷えるのか」
「はい、仰るとおりです」
「お前さん藁は編めるか」
「はい、たしなむ程度には」
「合羽も靴もか」
「はい、教えられなくても一人で出来ます」
「よしよし、それなら家の裏に藁が大量に余っているからそれを持って行くといい」
「それは私も人里に降りるということですか」
「そうだなぁ、お前さんぐらいの身に合う量運ぶとなると何往復もしなくてはいけない。嫌なのか?」
「はい、できるならあまり人目に付きたくはないんです。こんな格好なので」
「あぁ裸同然だもんな、女に見られたくない気持ちわからんでもない。それならこうしよう、もう少し待って夜が更けてから降りるとしよう。村の中を歩くときは抜き足差し足忍び足で頼むぞ」
「そう上手くいくでしょうか」
「大丈夫大丈夫。多少聞こえてもみんな屋根から雪が落ちる音だと思うさ」
兄を見送ってから時間が経ったことでしょう。弟は待ち疲れ、囲炉裏の脇で眠ってしまっていました。起きてみると覚えのない布団が被っていました。兄が帰っているとすぐさまわかりました。家のすぐ脇で雪を踏みしめる音が聞こえました。
雪かきの帰りだろうかと思い、出迎えてやろうと乾いたカンジキを履き、外に出てみると、
「……!」
声にならないほどたいそう驚きました。それも仕方ありません、外には兄ではなく、屋根より高い、全身の肌が真っ赤の大男がいたのです。
「おぉ、弟よ。起きていたのか。大男さん、こちらが弟です。多少言うことを聞きたがりませんがほらコノの通り、大男さんのことを悪く言わないでしょう?」
弟はすぐさま兄の後ろに隠れました。体中をびくびくと震わせています。言うまでもありませんが決して寒さから来る震えではありません。
「まあ多少人見知りがちですが。ほら挨拶なさい」
「いえいえ、挨拶なんて結構です……たぶん隠れたのは人見知りが原因ではないでしょうし」
弟はまたも驚きました。屋根より高い大男が腰を低くして兄と接していることにとても驚きました。
「それにしてもこんなに頂いてよろしいのですか、返せるかわかりませんよ」
藁の山を胸に抱えながら大男は何度も頭を下げます。
「いいのいいの、貰い物だし。それに困ったときはお互い様さ」
「はい、本当に有難うございます。それではそろそろ失礼します」
「もう行くのか。お茶ぐらい出すぞ」
「いえいえ本当けっこうですので」
「そうか、藁を早く編まないと行けないしな。気をつけて帰りなよ。ほら、弟も挨拶しなさい」
弟は言うことを聞かずに兄に隠れたまま顔を出そうとしませんでした。
そんな弟にも大男は丁寧に挨拶をする。
「弟さん、お兄さんの言うことはちゃんと聞くんだよ。聞かないとおじさんが君のこと食べちゃうからね」
ほんの冗談のつもりだったが弟には通じず、体の震えと一緒に首を縦に振った。
背の高い珍しい客の姿が小さくなるまで見えなくなるまで玄関先で見送ったあと、二人は家に入り、囲炉裏の前に座る。
「ふむ、小腹が空いたな。夜食にしよう。弟よ、手伝ってくれ……いや夜も遅いしお前はもう寝なさい」
「いえ、お手伝いします。お兄さん」
「…………おぉ、そうか。それじゃあ頼もうか」
こうして二人は協力し合うようになり、一段と冷える冬を乗り越えていくのでした。春になってもこの二人の仲は雪のように消えなかったそうです。