トワの大いなる学習帳:「妹」
「セラ、良いから一旦落ちつけ!深呼吸しろ!」
セラはようやく俺の言葉の意味を理解し、指先を真っ直ぐ天に突き出し、空を掻きながら何度か深呼吸して気を落ちつけると、今度は動転して暴れる代わりに俺のことを睨みつけた。
「順番に説明して。まずあの子は誰?」
目を覚ましたら見たことも無い白い部屋に寝かされている、というこの状況下でまず真っ先に解決したいと思った疑問がそれなのか、と俺は妹の思考回路に頭を抱えた。いや、たしかに俺も初めてここに来た時夢の世界の得体の知れない少女のことを警戒し距離をとったが、その前に様々な状況確認をした記憶があるぞ。
「まさか、愛人!しかもこんな秘密の部屋に監禁・・・」
「高校二年の兄にかける台詞としては最も現実味の無いものをチョイスしてきたな」
「アキラ、これは、人?」
トワ(夢の世界の少女の名である)は俺を含めて三人の人間としか会ったことがない。だからセラがどういう存在なのかも改めて定義しないと判断出来ないのだろう。
「あぁ、これは人だ」
「ちょっと、これとか人とか、失礼すぎない!?」
「男?」
「な・・・!」
「女だよ」と俺がセラの代わりに返答した。
トワは憤慨し人間をやめかけている妹を完全に無視し、並び立っている俺達の周りをゆっくり二周した後、三時の方向に停止して横から時間をかけて全身を観察した。
「なるほど。女は男よりデコボコしているのか」
「なんじゃそりゃ」
俺とセラが全く同じ台詞を同じタイミングで発したことにトワは目を丸くした。
「何が起きた」とトワが言った。セラはトワの反応を見て何故か急に気を良くし、ニヤリと笑って言った。
「なにせ私は妹だからね。息ピッタリなのよ」
なんじゃそりゃ、と俺はもう一度呟いた。トワは聞いたことのない未知のワードを再び検知し、その疑問が羽を生やして体の中から逃げてしまわない内に素早く質問の言葉を続けた。
「妹とは何?」
「妹は妹よ。お兄ちゃんより遅く生まれて、色々教わって、その代わりに色々世話してあげてる兄最愛の出来の良い妹よ」
「おい」
「教わって・・・世話し・・・」とトワが首を傾げ、難しそうな顔をしながら呟き、もう一度質問を重ねた。
「私も妹?」
「なんでそうなるのよ!」
「待て、俺にも質問させろ!セラ、お前どうやってここに来たんだ!?」
俺は平和の名の下に行われる戦争並みに終わりの見えない二人の噛み合わない問答の間に割って入った。以前この白い密室空間へ召喚される条件を探った結果、俺はトリガーは自分自身にあるという結論に至っていた。何処にいようが俺が眠りさえすればここに連れて来られるし、眠る際に俺が所持していたものはこの世界に一緒に転送される。そのため、同じ家にいるとはいえ俺と関わりの無い妹がこの世界にやってきていることに俺は納得がいかなかった。
「なんでだろ、お兄ちゃんのベッドに潜り込んでたから?」
「何だって?」
「だって枕元に万年筆なんて置いてる寝てるから寂しいのかと思ったんだもん!」
「寝る前に見てた心霊ビデオのせいだろ」
「違っ・・・」
「マンネンヒツとは?」
「あんたは黙ってて!」
「ていうか勝手に俺の部屋入んなよ!」
「シンレイとは?」
「なるほどね・・・」
一通りの説明を聞き終わると、セラは何度か頷いて状況を理解したことを示した。
「納得出来たのか?」
「実際壁には手が届かないし、あの子浮いてるし、普通じゃないってことは認めざるを得ないもん」
セラは肩をすくめて笑うと、発言を禁止されて手持無沙汰そうにこちらを見ながら立ち尽くしていたトワの方を向いた。
「あなた、トワちゃんっていうのね。私はセラ。よろしくね」
トワが頷く。
「トワちゃんは色々教わりたいんでしょ?私も何か教えて上げるよ」
「いや、私は――」
「まずはそのシールからね・・・」
そう言ってセラは目を細め、トワの服に貼り付けられた無数のシールを指さした。先日俺はトワにシールをプレゼントした。少女はその中の子供用シールが気に入ったようで、ファッションという未知の概念の研究も兼ねて自身の白いワンピースにお菓子が描かれたそのシールを全て貼り付けてしまったのであった。結果、一周回って現代アートのようなデザインに生まれ変わった彼女の服に対し俺はどう向き合ったら良いのか判断しかねていたため、今回のセラの介入は正直なところ有り難かった。
「私がオシャレの何たるかを叩きこんであげるわ」
初めの内はぎこちなく身を縮め、セラの口うるさい指示に為すがままにされていたトワだったが、次第に油をさしたように手際がよくなり、十分も経たない内に疑問点を述べたり提案したりする程まで積極的になっていった。思えばトワにとっては初めての同性の話相手なのだ。やはり男では共有し合えないような感覚があるのかもしれない。セラがこの世界に紛れこんだのは完全に想定外だったが、トワ自身の存在を形作る上でも、あるいは密室で孤独に生きている彼女を支える上でも、このイレギュラーは結果的には良かったと言えるかもしれない。いつもは手に余る妹の強引さも今回ばかりはプラスに働いたようだ。
「出来た!どう、お兄ちゃん?」
「う、うん、いいんじゃないか、胸元のシールとか」
構成する要素が少な過ぎて褒めるのにも一苦労である。言ったとおりでしょ、とセラがトワに言うと、少女は口許をキュっと締め、小さく頷いた。その日少女は生まれて初めて笑顔を作った。
今日学んだこと
妹・・・アキラに教わったり、世話をしたりする女。
・凶暴。アキラより強い。
・シールに詳しい。服にも詳しい。