情報の尤もらしさ
# 情報の尤もらしさ
### 江学勤の尤もらしさ
ある情報がどの程度「尤もらしい」かという論点を扱うフレームワークは、一般的な統計学を始めとして多数存在するが、現代では力不足だ。ここでは、イラン戦争を予言的中させたことで名高い江学勤教授について、思想家としてどの程度「尤もらしい」と見なせるかを題材に、情報の尤もらしさを算出する基本原理を解説する。
世間の多数派が彼を「尤もらしくない」と思うことは理解できる。江教授は秘密結社といった陰謀論について強く傾倒しているほか、常識的情報は事実として受け入れず、自ら推論して導いた理屈に極端な確信を持っていて譲らない。アポロ計画が有人月面探査に成功した事実はなく、9/11テロは米国情報機関による自作自演だったのではないか、などと言う人物が、主流社会において「尤もらしい」と見なされる余地はない。
一方で私は、イランの最高指導者であったアリー・ハーメネイー氏が2026-02-28に暗殺された頃になってやっと、英語圏で爆発的な人気を得ていた江教授のYouTubeチャンネルの存在を知った。それ以降、彼が発信してきた動画や論稿を調査してきたが、彼が歴史上最も優れた思想家であり、最も「尤もらしい」思想家であるという私の評価は揺るがない。
### 洗脳支配の内側と外側
このように、彼に対する評価が多数者と私において異なるのは、「情報の尤もらしさ」を計算する基本的な方法の性質の違い、質の優劣に起因している。現代人類文明は実はすでに、映画『マトリックス』(1999)のようなディストピア洗脳空間であり、支配の内側で事実と見なされるものは実際には虚偽であって、「レッドピル」を飲み外側に立つ者達にしか真の事実は目撃できない。
つまり結局、認識の主体である話者がどの程度システムの外側に立っているかが、その言説の「尤もらしさ」の重要な指標になる。そして、現代人類文明が人間という家畜を洗脳する方法は、公正世界仮説という快楽によってだ。人間という生き物は、世界が公正で自らに正義があると思うとき、利己性にとって不利益な対象を共感の外部に配置して最大の加害性を発揮する悪魔となる。すなわち、公正世界仮説にわずかでも堕落した瞬間、知的認識主体としてのその者の首は、システムによって文字通り切り落とされる。脳を失い、生きたまま奴隷となって殺戮に加担するようになる。
現代世界において一定の幸福や地位を与えられている人々ほど、それを自らの能力や努力の自然な成果だとして公正世界仮説に回収されやすい。一方で、世界が公正であれば大いに幸福に報われただろうけれども、実際には報われなかった人々ほど、公正世界仮説に回収されにくい。何らかのPTSDなどを背景として、欺瞞に参加するメリットをデメリットが上回っている状態であり、認識論的特権(Epistemic privilege)と呼ばれることもある。
### システムの正義と大衆の快楽
江教授が教えるように、ウォール街やシティ・オブ・ロンドンを重要な拠点とするグローバル民間資本は、BIS(Bank for International Settlements)やIMF(International Monetary Fund)を通じてRules-based International Order、すなわち公平な賭博場を演出してきたが、実際には「法外な特権」(exorbitant privilege)と揶揄される貨幣印刷権利を専有する胴元の一元的な利益回収は、米軍やNATOを中心とした軍産複合体によって支えられてきた。富める者達ほどさらに富み、飢える者達ほどより飢える構造的事実は、「自由と民主主義」のもとでの「努力と成功」というファンタジーで隠されてきたのだ。
また同時に、物質主義的で個人主義的な価値とその追求が、人間存在にとって普遍的で唯一的であるという価値観が強調されて人々を覆った。地域的あるいは宗教的な共同体への精神的な価値を追求して動作する態度はグローバル資本にとって支配しにくく、経済的利害によって制御しやすい形へと人間と社会は作り替えられてきたと言える。そして、人類史の基調は個人の自由と人権といった正義の拡大であり、周縁化され貧しさのなかで滅びいく人々は原則的に自業自得だという見方が「ブルーピル」なのだ。
### 事実性は有用性を背景とする
「尤もらしさ」は狭義には統計学的概念だが、広義には哲学的な「事実性」の指標である。代表的には「真理の整合説」(coherence theory of truth)というものがあるが、現実には人間脳は自然選択の産物であり、抽象化を通じて利益最適化のための将来予測を行っているにすぎない。一方、政治的欺瞞性や多数派権力に迎合したほうが個人的に利益である場面も多いために「利益」と「事実」は別物だが、一般的には「事実」が「利益」のために極めて重要である事実は揺るがない。
そして、一次的情報であるエビデンスと推論の論理的または蓋然的に論理的な正しさは常識的には区別されるが、一次的情報はすでに抽象化を含んでおり、なおかつ完全な信頼には値しないため、「推論の妥当性」と「エビデンス」に厳密な客観的境界は存在しない。また、形式的に論理的な正しさと蓋然的な論理的な正しさも洗脳下では区別されるが、前者が実際に成立するのは閉じた公理系の内部に留まり、現実問題としての「尤もらしさ」は自動的に蓋然性を含む。すなわち、エビデンスを重視して推論を軽視する態度は主流権力に好都合であり、自然発生した事態ではない。
### オルタナティブ右翼の陰謀論
ノルドストリームを一例として、現代人類文明の主流言説は力の格差の圧倒的拡大を背景として歪んでおり、主流メディアが散布する情報を「尤もらしさ」として棄却する人々は十分に過半数に達している。主流アカデミアがエビデンスを主張しても、「自分達の利益に合理的ではない一部のエビデンスを誇張する情報は、尤もらしさが低い」と見なされて棄却されているのが実情だ。全世界の世論の激怒を抑圧しつつ、システムはガザで大量の少年少女を無差別に虐殺しつづけ、利己的な民族浄化を隠蔽し正当化しつづけている。
システムに不利益なエビデンスや推論は徹底的に分断および隠蔽されるため、極めてアグレッシブに主体的な推論を構築するのでなければ、現代のマトリックスのもとで事実認識に近づくことはできない。それはしばしば必然的に行きすぎるが、行きすぎた部分を証明として、システムがそれらを陰謀論にカテゴライズして悪魔化し、自らの主流の言説の優越する正当性を証明できたという態度を取ることには、現実には証明が伴っていない。すなわち、現代の民衆が陰謀論に傾倒することは、俯瞰的な構造を見るなら、道徳的に同情できる。
### 極端な信念という最高の資質
すなわち、表層的なIQがもし極めて高かったとしても、公正世界仮説による甘えの感情によって自らの論理を少しでも乱されるなら、その自尊心をくすぐられて人はマトリックスの洗脳へと回収される。例えば、アカデミアの地位が多少なり知能に相関し、共同体の繁栄が多少なり正義に相関するという幻想に陥って虐殺に加担する。その構造の外側で優れた思想家であるためには、自らの推論に極端な確信をいだき、辻褄が合うのでなければ他者の言葉に決して耳を貸さないことが要求されるが、これはもはや、先天的な性格的な資質を必要とする。そして、江教授はその性質を高度に満たしているように見える。
私が江教授を「尤もらしい」と高く評価する理由は、彼の広大な知識と、言説の厳密な論理構造、そして極めて高い水準で倫理的に制御された感情といった多くの論点を含む。しかしながら、私が経験的に個人の知的能力の程度を計測するために最も有効な指標は、以上に述べてきたように、公正世界仮説に回収される甘えが言葉と精神に含まれているかどうかだ。これは非常に重要な点であり、利己的な自己欺瞞を含む者の言説は、必ず事実から逸脱し、すなわち正義から逸脱する。
### 江学勤の尤もらしさ
そのように考えるなら、「アポロ」や「9/11」について、陰謀論とされるものに強く傾倒したり、そうではなくても「ありうるかもしれない」と一定の存在感を承認する態度は、その思想家の「尤もらしさ」を棄却するためには、実際には弱すぎる。私自身は多数者の意見には一定の配慮をする性質であるため、陰謀論的な情報を含め大量の知識を探索して自らの強い信念を伴う認識を構築していく江教授の態度は、傑出した才能だと認めざるをえない。
言ってみれば、IQの低い陰謀論者は典型的な陰謀論に終わるが、IQが極端に高い陰謀論者においては、その「陰謀」が陰謀論ではなく現実化する。そのような、極めて周縁的で突発的な存在に頼らねばならないほど、主流権力による邪悪な洗脳はすでに行き届いている。そうであるなら、現代人類文明における「情報の尤もらしさ」の正しい定義とは何だろうか? 以上に見てきたように、典型的な統計学的な定義や、さらには主流の哲学的な見解では、まったく力不足だとわかるだろう。以上の文章は極めて論理的に書かれているが、それが論理的だと認識できる読み手は限られている。同様に、江学勤教授と彼の言説を「尤もらしい」と認知できる能力は、天下のために核心的な価値なのだ。




