第七話「収支と、現実と、それでも前に進む話」
七日目の朝。
目が覚める前に、数字が頭に浮かんだ。
宿代、朝食込みで一日三十五枚。昼飯が露店で三枚から五枚。夕食が食堂で十枚前後。一日の生活費が約五十枚。
それが六日分。
三百枚を超えている。
今まで稼いだ累計が、ざっと六十三枚ほど。
差し引き、二百三十七枚のマイナスだ。
……思ったより深かった。
いや、計算すればわかることだった。最初からわかっていたはずだ。でも数字として並べると、改めて重くなった。
深く息を吸った。
吐いた。
感情的になっても数字は変わらない。変えるのは行動だけだ。
食堂に降りると、マルティナが朝食を出してくれた。
パンと卵のスープ。それから昨日より少し大きいパンが一枚余分についていた。
俺はそれを見て、少し止まった。
「これは」
「育ち盛りだろ」
それだけだった。
マルティナは厨房に戻った。
俺はパンを手に取った。
……この人は、全部わかっていて、何も言わない。
余計なことを言わない代わりに、こういうことをする。
俺は黙って食べた。
いつもより、少しだけ丁寧に食べた。
マユミが来た。
向かいに座って、スープを受け取った。
「今日の段取りは」
「ギルドで確認してから決めようと思っています。ただ、先に話しておきたいことがあって」
「何だ」
「収支の話です」
マユミは少し眉を上げた。
俺は数字を並べた。
一日の生活費、約五十枚。六日分で三百枚超。稼いだ累計が六十三枚。差し引き二百三十七枚のマイナス。
マユミはスープを飲む手を止めた。
「……そんなに」
「生活してれば当然なんですが、改めて数字にすると」
「返せるのか、今のペースで」
「無理です」
マユミは少し黙った。
「正直だな」
「無理なものを無理と言わないと、段取りが組めないので」
「どうするつもりだ」
「一日五十枚以上を安定して稼げるようにする。それ以外にないです」
「今は最高で何枚だ」
「昨日が十枚です」
「……五倍か」
「はい」
マユミはしばらく考えた。
「今日、全力でやろう」
「巻き込んでしまって申し訳ないですが」
「組んでる以上、お前の問題は私の問題でもある。それだけだ」
俺は少し止まった。
そういう人間だったか、と改めて思った。
「ありがとうございます」
「お礼はいい。飯食ってから行くぞ」
ギルドで掲示板を確認した。
緑の依頼が七件。全部読んだ。
俺は三件に絞った。
一件目。「街道沿い西草地、薬草十束。銅貨二十枚。二人以上で受注のこと」。
二件目。「街道沿いの石拾い、小石二十個。銅貨五枚」。帰り道に拾える範囲だ。
三件目。「商人ギルド倉庫の荷物仕分け補助。午後二時間。銅貨十五枚」。
合計、四十枚。
生活費の五十枚には届かない。今日も赤字だ。
でも赤字幅を縮めることはできる。
それが今日の目標だ。
マユミに見せた。
「どう思いますか」
マユミが確認した。
「薬草と石を同時にやるのか」
「場所が被ります。移動効率が上がる」
「倉庫は初めてか」
「はい。でも段取りが読める依頼です」
「……やろう」
西草地に出た。
朝の光が草を照らしていた。
今日は量が倍だ。時間を意識して動く。
「今日は範囲を広げます。俺が北側、マユミさんが南側で同時に探しましょう。お互いの姿が見える範囲を保つこと」
「三十メートル以内か」
「はい」
「わかった」
手分けした。
効率が上がった。でも同時に、見張りが薄くなる。
俺は定期的に南側を確認した。マユミの姿が見えている。問題ない。
マユミも同じようにしていた。
言わなくても、お互いが意識していた。
二時間で七束が揃った。残り三束。
少し疲れが出てきた。子供の体は正直だ。
マユミが来た。
「残り三束。私が集める。お前は休め」
「でも」
「お前が倒れたら午後の倉庫が消える。合理的だろ」
正しかった。
「お願いします」
木陰に座って水を飲んだ。
体の限界と頭の判断が、まだ噛み合っていないことがある。
これも現場と同じだ。無理をして後工程を潰すのが一番悪い。
三十分後、十束が揃った。
石も合わせて二十個。
マユミが戻ってきた。息が少し上がっていたが、顔は平静だった。
「集まった」
「ありがとうございます」
「昼飯にしよう。露店で買う」
街道沿いの露店でパンを買った。
マユミが串焼きを一本買って、半分くれた。
「いいんですか」
「お前が倒れると困ると言った。食わせるのも仕事のうちだ」
俺は受け取った。
肉の脂が口に広がった。
美味かった。
外で立ったまま食う飯は、なぜかいつも美味い。
午後、商人ギルドの倉庫に向かった。
担当はコルテだった。
四十代の男。がっしりした体格。声が大きい。
俺たちを見て、少し目を細めた。
「冒険者が倉庫整理に来るのは珍しいな」
「依頼が出ていたので」
「まあいい。この荷物を種類ごとに分けて棚に並べる。ラベルに合わせるだけだ」
倉庫の中を見た。
荷物が山積みになっていた。
「一つ確認していいですか」
「何だ」
「優先順位はありますか。急ぎで出す予定がある荷物は」
コルテは少し目を細めた。
「……薬草類が明日の朝一番で出る」
「わかりました。薬草類を先に整理します」
コルテはしばらく俺を見た。
「冒険者にしては仕事の進め方を知ってるな」
「昔の仕事の癖です」
マユミと手分けして動いた。
俺がラベルを確認して仕分けを指示する。マユミが荷物を運ぶ。
一時間半で終わった。
予定より三十分早かった。
コルテが倉庫を見渡した。
「早いな。しかも薬草類がちゃんと前に出てる」
「明日の朝一番で出るとおっしゃったので」
「ラベルも見やすい向きに揃えてある。指示してないのに」
「揃えておいた方が後で探しやすいので」
コルテは少し黙った。
それから、俺に向き直った。
「報酬は銅貨十五枚の予定だったが、十八枚にする」
「え」
「予定より早く、しかも丁寧な仕事をしてくれた。その分だ」
「ありがとうございます」
「また依頼が出たら、指名で頼む。構わないか」
「喜んで」
マユミが隣で小声で言った。
「指名って、すごいじゃないか」
「俺たちで、ですよ」
「また言ってる」
ギルドで今日の報酬を確認した。
薬草十束、銅貨二十枚。
石拾い、銅貨五枚。
倉庫整理、銅貨十八枚。
合計、銅貨四十三枚。
今日の生活費が約五十枚。
差し引き、マイナス七枚。
今日も赤字だ。
でも昨日までの一日平均マイナス三十枚以上から、マイナス七枚まで縮んだ。
累計借金は約二百八十枚になった。
まだ増えている。
でも縮まり始めた。
夕食前にマルティナに声をかけた。
「話があります」
「うん」
「今の収支を正直に話しておきたくて。生活費が一日五十枚かかっています。今日までの累計借金が、たぶん二百八十枚になります」
マルティナは帳簿を出した。
少し確認して、頷いた。
「合ってる」
「今すぐ返せないですが、明日から倉庫の指名依頼が来るかもしれません。少しずつ改善しています。必ず返します」
マルティナはしばらく俺を見た。
「わかった」
「催促しないんですか」
「する必要がないと思ってるから」
「なぜですか」
「逃げる顔じゃないから」
俺は少し止まった。
マルティナは帳簿を閉じた。
「今日もちゃんと飯食いな。育ち盛りだろ」
それだけだった。
部屋に戻って、今日の収支を紙に書いた。
累計借金、銅貨二百八十枚。
本日収入、銅貨四十三枚。
本日生活費、約五十枚。
本日赤字、約七枚。
数字は正直だ。まだ赤字だ。借金は増えている。
でも今日できたこと。
コルテから指名をもらった。マユミとの分担が機能した。体の限界を認めて休んだこと。マルティナに正直に話したこと。
数字だけが現実じゃない。
でも数字から目を逸らしても何も変わらない。
両方を見る。それが俺のやり方だ。
目を閉じた。
第七話「収支と、現実と、それでも前に進む話」 了




